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アジア風物誌41 台湾編3
「あの薬指に光るもの〜金(きん)は金(かね)なり、ゴールド・アクセサリーの一大財産」

 ジュエリーショップのチョーカーの数々

   ゆるやかな上り坂の始まりには、ひっそりとカフェが息づいていた。つたをめぐらす洋館は、庭木に点々と滴の代わりに灯をたたえており、店内へと客を迎え入れる。真夜中のカフェは、バーほどの高揚はない。どこかシーズン・オフの山荘をも思わせる、この静けさ。−−宵の底にたどり着いてしまった−−

 台北の北、「天母」の街。日中はアメリカ風の雑貨店やブティックにティーン・エイジャー達が集い、玉手箱のようにこじんまりとした空間からは、雑貨や衣服があふれんばかりとなる。しかも大手ブランドよりも独自の手作り路線であるせいか、値段も手に届く範囲に抑えられているのが嬉しい。ところが夜になると一変して、スノッブたちの集う高級なバーやパブが、間接照明のしゃれた微光をともすようになる。カフェのみが客入れどきをとうに過ぎ、ランプを消すまでのひととき、そっと息をひそめるように見えた。

“閉店まであと2時間です”

 2人にゆるされたわずかの時間、何を話したことだろう。自己紹介から、政治問題、ひいては台湾のアイデンティティーに至るまで、およそこの場に似つかわしくない会話をかわしていたように思う。−−その、その薬指に光るものは−−簡単なひと言をきりだせないまま、必死の英語と漢字の筆談で、幾度、尋ねなおしたことだろう。この部屋はあまりにも静かで、耳元に唇をよせあうまでもない。よせあうことはできない。

「それであなたは本省人、それとも外省人(ワイシェンレン)? 」
そんな私の発音に、彼は目を丸くした。
「ワイシンレン!? 」
「そう」
外星……ちがう、外省……ああ! 彼はかみくだくように教えをたれる。

「台湾に生まれたのが、本省人。国共内戦で大陸から訪れたのが外省人(ワイシェンレン) 。きみの発音のそれは、宇宙からやって来た……」

二人して朴訥とした筆跡をのぞきこむ。外星人(ワイシンレン)。思わず顔を見あわせて、ふきだした。

「もちろん、きみみたいのは、外国人(ワイクオレン)って言うんだけど」

案外、彼の懐に突然飛びこんできた存在は、異星人のようなものなのだろうか、と心の中で肩をすくめた。

 悪戯っぽい笑みをたたえた素顔は、南方の陽光を反映して、ほどよい褐色の気味を帯びているものの、シャツの胸元には、焼け残された白い肌が、そっとV字型を示している。本省人、すなわち漢民族と南方系の融合、その交わりは日本人と起源を同じくするせいか、島国同士の気質もあいまって、お互いをさらに近いものにした。やがては日本人・台湾人であることを忘れ、目の前のその瞳がすべてとなる。終始、たたえられたもの、笑みとは異なる、心のうちから計らずともわきあがるぬくもり、熱帯ほど強烈ではない、亜熱帯のおだやかな日射しにも似た……

 −−こんなひとだったのだ−−彼自身が、というよりむしろ、理想の男性像を“思い出させる”。どこかにありながら、具体的な姿として自覚されることがなかった、その存在がまとめて降りたように錯覚された。それでは彼に恋しているのか、それとも自前の“理想的男性キット”をかぶせた像に焦がれているのか、わからない。一目惚れの発熱ではいけない。次第に正体を現したのちにも、好きでいられるかどうか、じっくりと見極めようではないか! 

 少なくとも見たところ、純朴さ、聡明さ、その容姿と、一見、欠けるものがないように思われる。いや、ひとつだけ。唯一にして最大の、

「あの、その指輪は」

“有・愛・人”

たった3文字は、他の中国語を聞き落としたとしても、決して漏れることなく、まっしぐらに私を直撃した。−−コイビトガ、イルンダ−−何十秒間、言葉を失ったことだろう。何分間、狼狽を隠しきれなかったろう。何時間私をうちのめし、何日悩ませ、そしてこれから何年間、つきまとうことだろう。

 何か、言葉を。ひとりよがりの真摯な妄想は、台湾ビールの泡と化してゆく。その内容を告白するまでには、しばらくの時間が必要だろう。

「私は……私、本当に、笑うしか、ないよね」

泣き笑いのままおどけてみたり、生まれて初めてビールを一気飲みしたりと、しばしの間、支離滅裂である。涙で化粧をくずすまいと、洗面所に立った。真夜中過ぎ、店内に客はまばらで、2階席や地下席からは、微かな話し声が響くのみである。薄明かりは木目のインテリアを暖色に染めあげ、闇の側から眺めれば、館の内にはいくつもの愛が暖められているように錯覚されることだろう。

 −−それを早く言って欲しかった−−まだ出会って23時間しか経っていないんだよ−−よろしい、あなたに罪はない−−既に手遅れだ、それだけだ。好きになった方が負けと言うまでもなく、始めからこの恋愛、勝負が見えていた。良い男には必ず恋人がいるという真理を実感しては、またか、とこうして幾度、心を閉ざさねばならないのだろう。−−だからおにいちゃん、なんだよ−−少なくとも指輪を目にするあいだは、妹妹(メイメイ)にとどまざるをえない。愛する台湾の小姐(おじょうさん)を敵にまわすことはできなかった。あとは必死に手綱を引くのみである。にわかにどこかで見たトレンディ・ドラマを模写するように、動きはどこかぎこちなく、会話も棒読みに。すべてがどこか遠く、いつも理性が斜め上から見張るようにも思われた。

               *

        なぜ指輪は薬指に光るのか。ある台湾人によれば、合掌の中指を折り合わせた状態のまま、それぞれの指を離そうと試みてみると、筋肉の構造上、薬指だけはままならないためであるという。金銀にしろ宝石にしろ、地中深くから堀りあてられ、幾度もの抽出や研磨を経て、凝縮するだけでない。身に付ける者の品選びやプレゼントなど、想いが加わることでさらにそれらの価値は高まってゆく。さまざまな装いのなか、アクセサリーの一片に、思い出の微光をやどして……。宝飾に自らの存在意義を見出すようにはなりたくないが、それでも女性にとって勲章であることにかわりはない。

 とりわけ漢民族は金を好む傾向があり、アクセサリーのカタログを概観すれば、銀やプラチナはあくまでも脇役であり、圧倒的に金製品が多いことに気づく。古くから黄色は皇帝の色とされてきたように、金色は紅に並んで、彼らの体質に合うのではないだろうか。わびさびよりも、中華絢爛。光り輝くほどによい。寺や廟の建物も、日本人であれば風化された姿に趣を感じるが、漢民族であれば真新しくメンテナンスを施されているほど、お布施を多く受けている、つまり願い事の効き目があるとみなすようだ。

 金が装飾にとどまらず、一大財産としての価値を持つことは、香港の中国返還時に、金銀をまとめて身につけ、予め準備した海外口座とともに、欧米に移住するという話からもうかがえる。台湾でもその傾向がないわけではない。「大陸が攻めてきたら、アメリカに逃げちゃえ」そんな声もないわけではないが、香港とは異なり、タイムリミットが定められているわけではない。紙上には日々、大陸の軍事演習の模様が、緊張感を以て報道されるばかりで、カウントダウンに終わりはない。だからこそ有事に備えて、台湾の外貨準備高は世界第3位、一般的にも消費志向の韓国に比べて、貯蓄傾向が強いようにも見える。

 ただし彼の場合は例外で、金儲けや金銀宝飾にはてんで興味がなく、無為自然を貫いているようだ。アフター5はいつも軽快なテニスウエ アやTシャツ姿で、ポケットがないからと、靴の間に小銭でも紙幣でもまるめこんでしまう。いつだったか、「ねえ」と薬指に光るものを指摘したところ、悪戯っぽい笑みとともに、ひょいとはずしてしまい、何事もなかったように、靴下の隙にはさみこんでしまった。−−やがては私の想い出も、こうしてどこかに込められてしまうのかな−−ちらりと思った。

 いや、それならば。もしも万に一の確率で、そんな日など来るのであれば。いっそ大ぶりの金のチョーカーでもリクエストしてみようか。指輪であれば、絢爛たる宝石ではなく、シックな翡翠など。日の目を見ぬ場で重みに圧し、じっくりと美しく変色を遂げた玉に、むしろ親近感をおぼえるのだ。クラリー・ファン・チュウのデザインしたジュエリーなどと贅沢を言うつもりはない。たとえば毎週土日に、建国路で開かれる、。建国玉市など。ガード下には一面に、ぎっしりと机が並べられ、翡翠、琥珀、水晶、瑪瑙(めのう)と原石から加工アクセサリーまでが、裸電球を受けて照りかえす。プラスチックのまがいものでは、この場所で生き残れない。真の宝玉のみが、じっと光輝くときを待っていた。

               * 

     彼の名誉のために、後日談をつけ加えるならば、それから6ヵ月。奢り合戦のなかでこれ以上、彼に散財させるわけにはいかず、ひょいと彼の足が向いた。ジュエリー・ショップの前で、入るの入らないのと、押しあいへしあい、腕を引張りあい、大騒ぎ。ショーウィンドウには、欧米風テイストに、中華をアクセントに加えた宝飾が光る。とりわけ当年は辰年であったこともあり、干支の龍モチーフが。人気を集めているようだ。

 彼は尋ねることなく、まっしぐらにチョーカーを手に取った。−−どうして−−本書の取材のため、1人きりでジュエリー街をさまよった日々がよみがえる。使い古しを首に、金銀をあしらったチョーカーに、ひそやかに憧れた……。しかも中国語ならではの。ネーミングは、例えば蝶をあしらった“彩・蝶・飛・舞”、またはリボンを装った“情・定・結・縁”など。

 店長の示した電卓をひょいとのぞきこみ、私は愕然とする。彼の広い背をまるめ、先端の金の飾りを選ぶ横顔を、まじまじと凝視した。−−このひとは、あのころを覚えているだろうか。リングに泣いたいくつもの夜。とりわけ初めて気づいた晩など−−お茶の一服、音楽、芳香。私はむしろ無形のものに価値を見出すのよ、などとうそぶいていたくせに、こうしていざ黄金の一片が授けられるとき、はからずとも神妙になる。

 −−このひとに、つなぎとめられてしまう−−

 そっとうなじにチョーカーの黒い紐がまわされたとき、私の顔がゆがんでいたのは、嬉し泣きによるものか、孤独の日々が報われたせいであったのか、自分でもわかりかねていた。



バックナンバー;
(台湾風物誌)
2「緑の大路を吹きぬけて〜2人乗りのスクーター」
1「味わいのある恋をしてみたい、山の麓の茶房にて〜台湾茶」

(内モンゴル風物誌)
15「チベット仏教寺院〜砂塵のはてに極楽を見た」
14「昭君墓 〜おしどり夫婦は和平シンボル」
13「フフホト(呼和浩特) 〜北のはての青い街」
12「ナーダム 〜男子三技、民族の祭典」
11「相撲 〜死人すら出た無制限自由型」
10「寝台列車 〜眠りの密集」
9「砂漠 〜4A級の砂丘、45度」
8「ラクダ 〜キャメル毛布どころか砂漠の舟」
7「馬頭琴 〜草原のチェロは亡き愛馬」
6「酒〜モンゴルウォッカに馬乳酒」
5「乳製品 〜白い食べ物、神聖なもの」
4「羊 〜全国から広く世界まで」
3「羊肉料理 〜日本進出の味」
2「蒙古馬 〜大草原のトレッキング」
1「草原 〜天の神さま、地の神さま」
(ミャンマー風物誌)
14「八曜式占星術の世界にようこそ」
13「誕生曜日と八方位の相関」
12「曜日に司られた人生」
11「境内はアミューズメント・スポット」
10「癒し&ヒーリング」
9「お供えグッズ」
8「功徳システム」
7「出家の日々」
6「ぼうさまワールド」
5「東南アジアの巻きスカート」
4「男性向け『ろんぢー』再び」
3「女性向け定番ファッション」
2「熱帯アジアの着物」
1「着るアート、腰巻きタイトスカート『ろんぢー』」

(『豊饒の楽土』中国東北部風物誌)
9「瓜の実るころ /東北部」
8「快餐£華ファストフード/大連」
「北方の真珠≠ニいう名の都市の象徴・中山広場/大連」
「老虎灘という名の楽園 /大連」
「大連賓館、歳月(とき)を超えて /大連」
「東北部の窓口・大連客船ターミナル /大連」
「水晶、ガラス、クリスタル/大連」
「蛇の島 〜まむし王国 /旅順」
1 「戦跡 〜あれから100年 /旅順」

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