アジア風物誌43 台湾編5
「中華民国の因縁に想いをはせる 〜純白と無の空間、中正紀念堂」
この場所は結婚記念撮影のメッカでもある
朴訥としたメモの文字、氏名と携帯電話の番号のみを残して、私の存在はするりと現実世界に引きもどされてゆく。たどり着いた蛍光灯の小部屋には、あいかわらず生乾きの洗濯物が下がり、ペットボトルが転がっていた。メイク落としもそこそこに、翌朝の試験に備えて慌てて床(とこ)につく……はずだった。しかし扇風機の微かな羽音の響くなか、寝返りを重ねては、目覚し時計を眺めてため息をつくばかりである。−−将校さん、か−−台湾各地の名所で、蒋介石元総統の像を目にするたびに、一瞬のとまどいののち、改めて背筋を正さずにはいられない。でも、でも今では、友軍の国なのだから、と。
とりわけ巨大な銅像は、彼を記念して建てられた、“中正紀念堂(現在名・台湾民主記念館)”内に位置する。当時、両側を衛兵がかため、献花を添えられていたブロンズの蒋介石元総統は、北西の方角、はるか中国大陸をじっくりと見据えていた。堂の一歩外には純白の敷石を敷きつめた、広大なる空間が広がっている。「大中至正」を掲げていた碑楼・正門は、5つのアーチの頂きに、群青の瓦を“開く”。こころもち天にそりあがる形は、逆さ扇も思わせて、広々とつきぬけた青空に響きあう。天青を煮つめた藍の色、これは自由を、また純白は平等を意味するという。たとえこの地に観光客がさざめこうと、イベント仮設舞台の工事が進められようと、喧噪をものともしない。大都会の中心に、かもしだされる“無”の空間……。
*
まどろみのなかでとりとめのない想いがいくつも浮きあがる。−−このままでは、引きこまれてしまう−−残された時間のあいだ、どこまで一線を保ちながらつきあうことができるのか、正直言って自信がない。こうして想いを持てあましつつ、1学期を終えたのちに、はたしていったい? もしも今度は彼の方が日本に訪れれば、そう、せめて航空費さえ折りあいがつけば、私の実家にホームステイすればよい、両親はとまどいながらもあの好青年に好感を抱かずにはいられないだろう。妹などは“本当に、あの台湾の野球選手によく似てるね”と苦笑いするのだろうか。
こうしてなんとか数ヵ月の遠距離恋愛を終えたのちに、21世紀を迎えるあかつきには! そう、思えば物心ついたときから、2001年に結婚するだろうとの予感があった。何の根拠もなく。あと8ヵ月、と計算すれば、なるほど、婚約期間としては適当だな、やはり彼だったのだな、などと1人よがりな妄想はとどまることを知らない。眠りのあいまに浮かんでは溶けさる泡は、まさに夢泡影、中国語で言う“みずのあわ”。指先でつついては、はじけるさまを前にして、眠れないとつぶやいてみる。あとは父母をいかに説得するか、経済問題は、といらぬ頭を悩ませ、ならば伏線として、来月、両親が台湾を訪れる際にでも、さりげなく紹介すればいい?
そのときおそらく観光するであろう、中正紀念堂(現在名・台湾民主記念館)。白亜の建造物は地上70メートル、市内最大の公共建築として、23階建相当の高さをほこるにもかかわらず、内部は2層建てであるという贅沢さだ。外壁はこころもち台形の気味を帯び、よりいっそうの安定感を保つ。その名を記した看板の上には、升組みが碧い甍を押しささえ、鳥の位置から見おろせば、おそらくは正八角の形をなすことだろう。頂上に君臨するのは、金色の飾り、天・地・人の象徴。すべてが着実な存在感をたたえており、たとえ周囲の建物が移転されるようなことがあろうとも、中正紀念堂はいつまでもここにあるべき存在として、台北の街、ひいては台湾の地を見わたしていた。
*
−−このままでは、私のほうがこの地に住みつく破目になるかもしれない−−住むなら理想は美術館の近く、市立美術館の位置する圓山ならば、士林夜市も近くてよろしい。ただし問題は文筆活動、いくら通信網が発達したとはいえ、私の糧も生産物もあくまで日本語なのだ。何より、子供はどうする。国籍は。教育は。……そんな思考の内容よりもむしろ、未来というものに思いを馳せる自分が不思議でならなかった。日本にいる頃は、あまりの自転車操業で、日々生まれ直すかのように、現在という“瞬間点”を重ねるばかりで、曜日の刻みもあいまいに、あげくの果てには、“今、何月だっけ”と素肌を抱きしめ、アツイ……夏だ、サムイ……冬だった、と確かめるありさまなのだ。こうして生をひとすじの連続ととらえるのは、実に久しぶりである。ただし直線ではなく、紆余曲「線」 、決して平坦ではない、上り坂であることが、早くも予測されていた。それとも1段、2段、3段と階(きざはし)をたどるように。
紀念堂前広場、灼熱の地上より重ねられた階段は90段。蒋介石元総統の年齢+αに匹敵する。段の中央には一枚石の巨大なレリーフが傾けられており、すでに皇帝の輿の通り道であることを越え、紀念堂へのまっしぐらな上り坂として、陽光に照り輝く。見あげれば、堂の中央には燦然たる青天白日。
階上には雲の上かと見まがうほどの、涼やかな白亜のテラスが広がっていた。大地に集まる霊気は、階(きざはし)を吹きおろしては昇りつめと、この地が中心点に位置することを知らしめていた。北京の天壇をも思わせる、天と直結した地点。紀念堂のドームの内には、台湾を護る存在が、そこかしこに降臨しているのかのようだ。まばゆさのあまりに、目を開くのもままならない。しばたきながらの視界には、“純白と藍の風景”
逆光のなか、結婚記念撮影のウェディング・ドレスがゆったりと通りすぎていった。
*
「アリガトウ、イマス? 」
「ありがとう、ございます」
二人してはずむように日本式のお辞儀をかわしたさまが思いおこされる。一挙一動一頭足の張り、その清冽さ。ひとすじの強靱さ。散髪したてのうなじは、白鷺のうつむきを示しており、時おりふと顔をあげては、淡く消え入るような微笑を浮かべる。吹き消してはいけないと、掌で護るべきもの。とりわけそれが軍隊生活の中で保たれたものであることに、よりいっそうの驚きをおぼえずにはいられない。例えば軍事訓練の最中に、銃を胸に抱えたまま、岩あり穴ありの山の斜面を体ごと転がり落ちたという過去。または催涙ガス室にこもり、目の痛みに涙を流しつつ、屈しがちな意志を奮いたたせるべく、仲間たちと愛国の歌に声を張りあげたこともあるとか。
少佐の位置に達するまでに、耐えしのばれた肉体的苦痛と、かみしめられた沈黙とに思いをはせる。軍服の襟には、将校を意味する黒い国花、梅の花。胸元の氏名の横には、輸血に備えて常に血液型が示されており、緊張感を暗にもの語る。迷彩服は藪にまぎれて、個性すらも消し去り、そこでは□□さんではなく、一将校、一少佐であった。軍人一般のたたえる厳正な孤絶感は、他を圧しているからというよりむしろ、自らの個を・私情を圧殺することによるものかもしれない。
それにしてもこのめぐりあわせは、アジアを志すがゆえに避けられないプロセスなのか、それとも50余年前のひずみが、ひそかにことんと降りたのか。−−どうして出会ってしまったのだと思う? −−私自身は戦後責任問題の論文でデビューしたこともあり、韓国をはじめとするアジア地域をめぐるたびに、現地発のそれとない糾弾にさらされつづけてきた。親日の台湾ならば、と気をゆるめたのが、甘かったのかもしれない。そう、中華民国+台湾というこの複雑な存在は、外省人に関する限り、日中戦争の対戦国なのだ。同時に本省人について言えば、植民地下におけるかつての同胞でもある。そもそもこの国自体が、アジア太平洋戦争と、植民地支配、さらには中国共産党との内戦、近年には東アジアの奇跡と称する経済成長に至るまで、およそアジアに関連する一大事件をくまなく経験しているのであった。ただし正面切って過去を告発することはない。むしろ中華の余裕を以て、賠償金80億ドルを放棄するとの措置を取った……そんな恩のある国であった。
時々、日中戦争の激烈な戦況写真が脳裏をよぎることがある。例えば大虐殺の屍の山。または訊問される少年兵。その頭に、彼の軍帽と同じ青天白日を見出すときに、言葉を失う。痛みが一気に他人事ではなくなる。現代では中華民国陸軍の軍服は、迷彩服にリニューアルされており、日本の自衛隊のものと一見、近しく見えるが、その軍帽だけは、ベレー帽でもキャップでもなく独特の円筒形を示しており、それを目にするたびに思わず本能的に硬直してしまうのだ。
しかしこの50年、彼らは防衛省よりもさらに直接的な国防部の名で、むしろ中国大陸・共産党の侵攻に対して体を張っているのであった。いわゆる、両岸問題である。国旗・青天白日旗を眺めるたびに、胸がつまる。開発独裁から民主化を成功させるまで、また外貨準備高世界第3位に至るまで、政治を・経済をと立て直されてきたこの国が、大陸との利害関係になびいた国際社会によって、未だ国家として承認されていないという事実は、どこか納得がいかない。まさに逆風にからまりながらも、懸命にはためく青天白日旗である。
“今回(2000年) の選挙で新総統が就任すれば、台湾侵攻も辞さない”わずか半月前に、中国大陸政府の朱鎔基首相(当時)からそう公言された、前線に位置するということ。実際、新聞紙上には、大陸側の軍事演習の模様が、緊張感を以て日々報告されていた。
のちに2人で小高い丘の上から、はるか台湾海峡をのぞむときのことである。
「もしも大陸中国が攻めてきたら、どうするつもり」
手荷物をまとめる? 家族に知らせる? 国際状況を把握するために、インターネットに接続を……
彼は間髪を置かずにあっさりと答えた。
「すぐに軍靴を履く」
はっとした。この国では、大陸の侵攻が非常事態ではなく、ありうべき常態として想定されているのだ、と。実際、新総統就任式の当日、彼は本来久々のオフであったにもかかわらず、突然に招集の連絡を受けて、基地に待機していたという。
「でもそうなれば、天安門事件の時のように、国際社会が赦さないでしょう? 」
しかし短時間の攻撃によって無血で占領されれば? 政体護持のまま、地方政府への転落を迫られた場合、軍事的な抵抗の余地はあるのか。既に『一九九八・閏八月』(邦題・『台湾侵攻Xデー』)というベストセラー書の中で予測されているようだ。
「僕らはアメリカですら完全に信用したわけではないんだ。まして日本は……」
必死になって、世界で類のない平和憲法の存在を訴えてはみたものの、過去の影は予想以上に濃く、その実在自体に半信半疑のようであった。
個々レベルの業の解消。−−まさか、ね−−明け方近く、最も暗い窓の外を確かめる。
いずれにしても良い時代が訪れた、それだけは確かでろう。もしもこれが50余年前であれば、恋におちるどころか、人間対人間として出会うことすらままならなかったと思う……。こうしてようやく眠りについたのは、午前4時のことであった。そんな一夜の1時間は、10年分の予想空想妄想に匹敵する。
たったのひと晩で、過去から未来までそれぞれ50年分、想いをめぐらせていたようだ。
バックナンバー;
(台湾風物誌) 4「出会いはライブ会場にて〜歌いこみの中華ロック」 3「あの薬指に光るもの〜金(きん)は金(かね)なり、ゴールド・アクセサリーの一大財産」 2「緑の大路を吹きぬけて〜2人乗りのスクーター」
1「味わいのある恋をしてみたい、山の麓の茶房にて〜台湾茶」
(内モンゴル風物誌)
15「チベット仏教寺院〜砂塵のはてに極楽を見た」 14「昭君墓 〜おしどり夫婦は和平シンボル」
13「フフホト(呼和浩特) 〜北のはての青い街」
12「ナーダム 〜男子三技、民族の祭典」
11「相撲 〜死人すら出た無制限自由型」
10「寝台列車 〜眠りの密集」
9「砂漠 〜4A級の砂丘、45度」
8「ラクダ 〜キャメル毛布どころか砂漠の舟」
7「馬頭琴 〜草原のチェロは亡き愛馬」
6「酒〜モンゴルウォッカに馬乳酒」
5「乳製品 〜白い食べ物、神聖なもの」
4「羊 〜全国から広く世界まで」
3「羊肉料理 〜日本進出の味」
2「蒙古馬 〜大草原のトレッキング」
1「草原 〜天の神さま、地の神さま」
(ミャンマー風物誌)
14「八曜式占星術の世界にようこそ」
13「誕生曜日と八方位の相関」
12「曜日に司られた人生」
11「境内はアミューズメント・スポット」
10「癒し&ヒーリング」
9「お供えグッズ」
8「功徳システム」
7「出家の日々」
6「ぼうさまワールド」
5「東南アジアの巻きスカート」
4「男性向け『ろんぢー』再び」
3「女性向け定番ファッション」
2「熱帯アジアの着物」
1「着るアート、腰巻きタイトスカート『ろんぢー』」
(『豊饒の楽土』中国東北部風物誌)
9「瓜の実るころ /東北部」
8「快餐£華ファストフード/大連」
7「北方の真珠≠ニいう名の都市の象徴・中山広場/大連」
6「老虎灘という名の楽園 /大連」
5「大連賓館、歳月(とき)を超えて
/大連」
4「東北部の窓口・大連客船ターミナル /大連」
3「水晶、ガラス、クリスタル/大連」
2「蛇の島 〜まむし王国 /旅順」
1 「戦跡 〜あれから100年 /旅順」
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