縄文人は太平洋を渡ったか?

  昨日(02/07)の「特命リサーチ200X」を見た。もちろんお目当ては縄文人が海を渡った云々と言う内容の物である。かといって誤解されては困るのが、この内容が「古代日本が現代に匹敵するような技術力をもっていた」とか「古代日本は世界を征服していた」などというようなとんでもない本の内容が証明されるとかそういう内容ではないと言う事だ。一応縄文時代の考古学を専攻している学生の端くれとしてこの番組を見た感想を書いてみたいと思う。
  要は、エクアドルやバヌアツ共和国等で発見された土器(約5500年前)が日本の縄文土器に類似していると言う内容の物である。これだけなら簡単に突っぱねる事も出来るのだが、どうもそうではない。胎土分析の結果、バヌアツ共和国から発掘された土器の胎土が、その土地の土で作成された物ではなくて青森県の円筒下層式土器の物(胎土)と一致すると言う結果がはじき出されたり、エクアドルの土器にしても型式学的にみて、日本の縄文土器(前期の曽畑式土器や中期の阿高式土器)に酷似しているということだった。
  三内丸山遺跡から出土したタイなどの骨が重要発見のように番組では説明されていたが、そのような事は珍しくないと言う事は貝塚研究によって明らかであるので少々誇張気味ではあった。しかしながら、縄文人が高度な海洋航海技術をもっていた事は間違いない。黒曜石の流通面などを取り上げていてその点は評価できた。あと技術的な検証もしっかりしていたと思う(船・ルートなど)。
  その結果として、縄文人が以上挙げたような土地へ移動できる可能性は十分あったとして、なぜ移動したのだろうかという検証に入っていく。スミソニアン研究所の女史(名前忘れた)が古田武彦氏と対談して出た仮説は、鬼界カルデラの爆発によって人間が住めない環境になったので移住したと言う物である。鬼界カルデラの爆発は有名で、約6300年前に発生した事が明らかにされている。その結果として火山灰で出来た地層(K-Ah:アカホヤ火山灰)は土器編年などに役立てられている。また、三内丸山でまったく遺物の出土しない時期については気候の寒冷化による遺跡消滅によっておこったものであり、その事によって他の新天地へ移住しようとした一部の縄文人が海を渡って、目標とはしていなかっただろうが結果として上に挙げた地域に到達していたのだろうと言う事を番組内で仮定していた。
  ここまでの疑問点を挙げてみたい。エクアドルで発見された土器と類似していると考えられている曽畑式土器や阿高式土器は全てアカホヤ火山灰降下以後の土器である。しかも年代幅は前期が6000から5000年前、中期が5000年前から4000年前(どちらも約)である。しかも、曽畑式土器は九州一円に分布しており、壊滅したから逃げた人間が作れるような年代幅に存在する土器ではないのではないだろうか?阿高などはその疑問が更に膨らむ。また、三内丸山についても気候の寒冷化によって壊滅した云々とされていたが、栗が収穫できなかっただけで生活がまったく成り立たなくなると考えるほうが不自然である。縄文人の食生活は栗が無ければ成り立たないと言うほど栗に依存していたわけではないからだ。むしろ今まで続けていた生活にあまり適さなくなったので、周辺地域へ移住したと考えるほうが自然だろう。移住と言っても、多分ほんとの周辺(日本列島内)と私見ではあるが考える。
  したがって、以上のような疑問から渡った理由としてあげられている仮説に全面的には肯定する事が出来ない。しかしながら「渡った」と言う行為そのものを否定する物でもない。何らかのミス(海難事故など)で海流に流された可能性は多分にあるからである。
  また、渡ったであろう証拠として、ATLウィルスと言う物が日本人の物とエクアドルのネイティブの部族とがきわめて近く、しかも学問的に見て少なくとも1500年前より以前に同一のウィルスキャリア人種(このような表現が適切かどうか自分で書いておきながら疑問であるが)から枝別れしたということだった。この証拠については、門外漢であるので検証する事は出来ないが、説得力はあると感じた。
  以上、番組内での説明をもとに感想などを書いてみたが、一言で言うと「渡った(流れ着いた)可能性はけっこうあるだろうな」というものである。所々誇張は感じたし、幾つかの疑問もあるが、証拠が不明確だとしてきり捨ててしまうほど弱い論ではないからだ。元々先史考古学は「一つの事象に対して可能性をどれだけ高められるか」という物にならざるを得ないと考えている。いってみればそれほど確実な物は少ないと言う事だ。まあ、古田武彦氏が出てきたのはちょっと失敗かもしれない。なにせ「古史古伝」を信じてる人だから歴史学やってる人から見たら説得力がない( ̄□ ̄;)!!。
  ただ、この番組で出てきたような学問分野の成果がもう少し考古学者の耳に届くようになって、それらの学問成果が援用できればと感じた。今の日本考古学ではまだその点が不十分であると思う。

注:この文は全て私の私見で、一般的な考古学者の言い分を代表する物ではありませんのであしからず。