2004.5
まずは。
祝御柱祭!!
です。
御柱祭って良く知らない方。
知らなくてもいいんですが、このページをご覧になったからには知って頂ければ幸いかと思います。
日本三大奇祭とは、大阪だんじり祭り、青森のねぶた祭り、そして御柱祭と全国的に言われています。
なぜ騒がれるかと言うと、7年(数え年で7年だから実質6年)に一度行われるお祭りで、諏訪郡全6市町村、人口約20万人が総力を挙げて行われるお祭りです。
日本で最大規模のお祭りであるのと、お祭りの規模が最大である点かと思います。
お祭りの事の発端は、実を言うとはっきりした記述は残されていません。
紙や、記述が残せない時代にはすでに行われていたのでは?との見解も有ります。
現在ちまた(地元)で言われている事があります。
邪馬台国の時代に伊勢神宮が建立されましたよね。
諏訪大社は伊勢神宮の言わば弟にあたるか、もしくは従兄弟くらいのかなり高い地位に居るお宮です。古いとも言いますが。
伊勢神宮が建ちその後、神道と言う宗教が日本本土に行き渡り信仰が進んで、信者が増えて諏訪にお宮が建つ事を許され建った訳です。
伊勢神宮は4年に一度完全に壊され、また新築します。
諏訪大社もそうするべきとの声が有ったのだが、とても新築する費用、材料、人員が揃わないとの事で、せめて山から一番古い大木を神社の境内に立てて新築したと言う事にしよう。
山の神を山から迎え入れお祭りして五穀奉納など色んな意味合いを成しています。
と言う言い伝えが地元には残っています。
学者達は色んな説を言ってますが、記述が無い事には全て憶測ですから。
と、言うわけでそんな風習が元でこんな祭りが行われているそうです。
諏訪大社には諏訪大社上社、諏訪大社下社と2社有り、上社は男神、下社は女神と言われています。
昔は諏訪湖の大きさは現在の約2倍ほどあり、上社と下社が建立されている位置が丁度諏訪湖を真半分にするような感じに立てられていたそうです。
昔噴火の影響や、最近では洪水対策などで埋め立てられ昔と現在ではそのような感じはありません。
御柱祭には山から木を運ぶお祭り「山出し」と里の町の中を曳きまわす「里曳き」があり2回に分けてお祭りが行われます。
諏訪大社上社の御柱は昔の慣わしによると山の神として八ヶ岳から約樹齢400年付近の大木を神社まで曳き付けます。
下社は和田峠と言う国道142号線があるのですが、そのちょと外れた山の中から樹齢400年ほどの大木を神社まで曳き付けます。
御柱として切り出される木は上社は8本、下社は8本山から切り出されます。
上社で一番太い柱となるのは本宮一と言う柱です。
ちなみに、本宮と前宮という柱があります。
上社には本宮と前宮と言うお宮があり、この2社を上社と言います。
本宮4本、前宮4本、計8本が上社の御柱と言う数え方をします。
これが上社本宮一と言う柱です、分かりにくいかもしれませんが、実際はかなり太く、まさに大木、巨木です。
総重量7.5tを曳きます。
それと穴が空いているのが見えるでしょうか。
この穴は「メド」と言う木の棒が刺さるように工作されています。
刺さるとこんな感じに木の棒がはめ込められます。
画像を良く見ると前と後ろに木が二股のように取り付けられているのが見えるかと思います。
男神は角があるとの事で御柱に角らしき物を取り付けます。
そこに人が乗りお宮まで曳かれます。
上社の御柱は距離が長く、住宅をすれすれに通過するのでたまにこの竿らしき物が住宅にぶつかってしまう事もしばしばあります。
倒れないように両側から綱を引きながら町の中を曳いて行きます。
御柱がスタートする場所はかなり山の中ですが、ご覧の通りテレビ局が生中継できるように各箇所に足場を設置しています。
当サイトのプロバイダーでもあり、地元のローカルケーブルテレビ局です。
それと、諏訪地方ではケーブルテレビの復旧率日本一を誇り、全世帯98%をカバーしている珍しい地域でも有ります。
理由は御柱の生中継を朝から晩までずーっと出来るのはローカルテレビ局しかないのも理由ですね。一日中放送しています。
上社では難所と呼ばれる場所が3箇所あります。
まずは穴山の大曲りと言って、道がS字になっており柱を巧みに操作して通過します。
次に木落とし坂と呼ばれる場所があり、坂の直ぐ下は現在中央東線が走っています。
当然勢いがあると線路にぶつかって非常に危ないです。
坂の高さは下からみると小高い丘と言う感じになっており、距離100m位ある坂を一気に掛け落ちます。
丘のてっ辺に御柱がくると歓声があがり、暫くパフォーマンスが行われます。
実際はとんでもない所でやっているんですが。
こんな感じの場所です。真下は人だらけで潜入できませんでした。
かなり警察や地元消防団の警備が厳しく毎回怪我人が絶えないお祭りでもあるので観光客に被害が出ないよう相当厳しい体制が敷かれて居ます。
別の角度から
今度は後ろから
こんな感じになっています。
この状態で小高い丘から一気に坂から落とされます。
もちろん周りに居る人達は非難しますが、柱とメドに乗っている人たちはそのままの状態で坂を下ります。
当然かなり危険です。
場合によっては、落ちる祭前側が重いので前が落ちるとその衝撃で前の取り付けた木が折れてしまうアクシデントも毎回発生してしまいます。
今年も怪我人も数名出ました。
怪我人は出さないようにと言っても、出ない方が不思議な位ですよ。
柱の後ろに綱があるのが見えると思います。
これは追い掛け綱と言う物で、曳き回す祭向きを変えたり、木落としされる際、直ぐに落ちないようにバランスを取ったりするときに使われる重要な綱です。
落とす祭はもちろん放しして一気に落ちます。
落ちるまでは人が数十人が持って耐えています。
木が落とされ、次は上社最大の難所、川越えがあります。
一級河川宮川、河幅約200mほどの川へやはり木が落とされます。
落差は5mはあるでしょう。
当日の水温2℃。まだ4月3日です。当地方はまだ冬陽気です。
ともかくこの場所は人が恐ろしいほど見物客で埋め尽くされ、ともかく根性で撮ってきました。
この川に落とされ川を渡り引き上げられ、約100mほど離れた場所に一ヶ月安置され、里曳き祭まで待ちます。
この人達は木やり衆と言って氏子達が柱を曳く祭掛け声を掛ける役目の人たちです。
掛け声の掛け方も独特で、「♪あ〜あ〜山の〜神様〜♪」と一人が歌うと、氏子達が一斉に「おう!」と言います。
その後、全員の木やり衆が一斉に歌い始めます。
「♪おね〜がいだ〜♪」と歌うと一斉に「おう!」と言い一斉に柱を曳きます。
歌のバージョンは数種あり、山から曳きだす時、止まってしまって再度曳きだす時、安置される場所、境内など様々なバージョンがあります。
この人達が持っている物は「おんべ」と言う物で、木やりが何処に居るか直ぐ分かるようにする為の目印みたいな物です。
この号令役は非常に重要で、柱は重いので一斉に曳かないと絶対動きません。
この統括を担っているのはこの人たちです。
ちなみにこの人達(木やり衆)は上社の人達と下社の人達では号令を掛ける木やり唄が違います。
この違いは生をお聞き下さい。
さて
次は下社に移ります。
上社御柱祭が終わると一週間後下社御柱祭が開催されます。
上社と下社では基本的に一緒の仕来りで行われます。
大きな違いは、盛大さと豪快さ、でしょうか。
ちなみに上社では曳く柱を担当する地域をくじ引きで決定します。
下社は万年引く担当地域は変わりません。その辺も違いますね。
それと観光客が凄いですね。
後日地元新聞にてこんな記事が載りました。
人出 山出し祭(各3日間)
上社 31万人 下社 51万人
警備
警察 2000人 民間ガードマン 1000人
長野日報記事にて・・・
これだけの差が出てしまいます。
場所的には上社の方がアクセス共に良好なのですが、何故でしょうか。
やはりあの木落としを見たいのではなかろうか、と思います。
下社には春宮、秋宮と言うお宮があり、2社を下社と言います。
上社と同様、春宮4本、秋宮4本、計8本あります。
一番太い柱は秋宮一と言う柱です。
上社の本宮一より太く長いのが特徴でしょうか。実際はもっと太く感じますね。
当管理者担当地域の柱は春宮1になっています。
実は柱の太さに応じて地域の人口比率から柱を曳く地域を決めてあるようです。
人口の少ない地域で太い柱は曳けませんからね。
これは朝の9時頃、山の中を春一の御柱が氏子達の手で曳かれています。
ざっと、ん〜そうだな〜何人いるだろうか。言い表せません。
今回は何故だか分かりませんが、この1本の柱を曳くのに1万人を超えていたと思われます。
通年では6000人ほどではないでしょうか。
ともかく凄い人・・を通り越して酷い人と言う感じです。
今回の御柱はともかく人が居過ぎて時間割に影響が出てしまいました。通年の3倍の人出を記録しました。
本当にクドイようですが、人が多すぎて曳く仲間に入るだけで一苦労でした。
そんな中、屈指して柱に接近しましたが、とのかく近寄るだけで至難の業でした。
ともかく人が道一杯ですれ違うことは不可能の状態でしたから。
ちなみに画像下部に映っている赤いはっぴを着ている人達は下社の木やり衆ですな。
格好は上社と似た感じですが、唄う木やりは唄い方、音程など違います。
また、唄った後氏子達は「俺は里へ♪」と続きを唄います。
その後「よいさ!よいさ!」と言いながら御柱を曳きます。
柱が見えてきました。
この妙な物は御柱の先に取り付けてある「ごへい」と言う物です。
意味は忘れました。このごへいも神様と言う扱いをします。
これを目印にしてみんな柱がある場所を特定しています。ま、目印とも言いますね。
先端にあるプレートらしき物には「信濃国一之宮諏訪大社御用」と書いてあります。
この柱は春宮一ですので一之宮になります。
上に乗っている人は向きなどを先頭から見て指示します。大役です。
さて、御柱には必ず次の担当が数十人居ます。
以下の事項は上社、下社共に必ず居る担当者達です。
まずは、
赤い服を着ている人達は「テコ衆」と言い、御柱の向きを変える祭全員で木の根元に木のてこ棒を差し込んで「よいて〜こしょ」と掛け声を掛けながら全員でテコの要領で段々右左へと向きを変えて行きます。
この役目はかなりの難易度を要し、向きを変える役目、柱の警備、祭りを邪魔するような族を排除するなど一人三役をこなす熟練が伴う難しい担当です。
また、気を抜けば柱に挟まれ兼ねない一番危険度が高い担当でもあります。
黄色い服を着ている人達は元綱と言い、柱先先頭に居ます。
柱の先頭を人力で引っ張って向きを変える役目をします。
また、引っ張る綱の長さが250mあり柱に縛られている綱周辺を警備します。
氏子達が曳く綱を点検したり、向きの調整、柱の前は一番危険な場所でもあるので人が巻き込まれないように柱先頭を厳重警備しています。
必ず元綱のちかくには指示する長が居ます。
この人は普通の人達とは違うはっぴを着ているので直ぐ分かります。
柱全体の様子を見てどのようにして事故が無いよう安全な曳行をするかなど細かい指示を各担当者に出す役目です。
かなり熟練の方が担う役目です。曳行責任者ですね。
これは御柱の尻尾に取り付けてある「追い掛け綱」です。
綱は2本取り付けられており、長さ20mほどあります。
当然この綱を担当している追い掛け担当が居ます。
紫色の服を着ていますが、画像はありません。
テコ衆が追い掛け綱を曳いて向きを変えることもします。
柱の両端に綱を回してテコ衆、追い掛け衆、元綱衆が共同で曳いて調整します。
追い掛けは柱の尻尾を振って向きを調整する役目と、木落としする祭や、数十cmの細かい調整をするときに2本の綱を前側に開かせて調整したりなどかなり細かい柱の調整をする担当です。
このようにして後ろの綱を曳いて向きを変えています。
実際曳いてる時は役員だけでなく一般の氏子達も多少は曳きます。
その後ろにこんな人が居たので捕まえました。
この人は、今回諏訪大社春宮一の全体責任者。この人を「大総代」と言います。
ちなみに全ての柱には必ず大総代が1人ずつ選任されて柱の近くに居ます。
全ての責任者であり、細かい指示はもちろん、観光客の応対、神社の宮司からの指示、御柱祭実行委員会などからの指示を一手に統括する人です。
御柱を支える役員達は柱の近くに居る人だけでなく、曳行警備係り、地元消防団、消防署、警察、あらゆる担当から情報を逐一把握して判断、即決定、各担当者に通達するなどかなり難しい役目です。
大総代というのは責任者的役目だけでなく、非常に名誉ある役でもあるので地域住民から熱い信頼があり、経験も豊富で判断力のある人を役員や地域の役員が長年検討して推薦されて始めて大総代となります。
これだけの条件の揃った方を開拓していくのは非常に時間が掛かり、また指名され請け負ったからには成功させる責任も大総代にはあります。
華やかさの裏には老体にムチ打って行事に参列して奉仕活動など全てに携わって行かなければ成らない辛さも実はあるんですよ。
この人達はラッパ隊と言います。
メンバーは地元消防団から集まった方々です。
上社ではラッパ衆と今回言い方を変更しました。
ラッパ隊は、木やり衆が唄った後ラッパを吹きます。
実はこのラッパ隊には歴史があり、採用されたのは大正時代かららしいです。
当時戦争に明け暮れていた日本で、やはりお祭り事や大事な行事にはラッパは付き物だろう、と言う発想の元行われ今に至るようです。
ラッパは軍隊で使われ、号令や音色により指示の役割をします。
軍隊ではラッパ隊と言う言い方をしますが、今回上社で会議が持たれ「軍隊ではない!お祭りであり、戦争時ではないのでラッパ衆と改名しようではないか」と言う意見の元変更されたようです。
さて、朝8時から山の中から曳き出されて来た御柱を落とす通称「木落とし坂」に到着です。
坂の上を一本松のある場所と言う言い方もします。
昔はこの松の木に御柱の追い掛け綱を縛って落とした経緯があるので、樹齢も長く大切に残されている木です。
今はこのような太い杭を地中に差して御柱の後ろと縛り落ちる寸前まで坂へ引き出します。
御柱を曳く先頭には「旗持ち」と言う人達が居ます。
坂に近くなると坂のてっ辺に旗持ちの人が並び柱が近い事を知らせ、旗には地域名が入っているのでそれを見て他の人達はそれを見て何の柱が来たか判断します。
この人達はこの旗をもったまま急坂を転ばないようにゆっくり下へ降りていきます。
この坂。どのくらい急坂なのか。これだけは自分で体験してみないと分からない位急です。
怖いくらいですね。
下に見えるのは木落としを見る観光客達です。
ブルーシートが見える場所は升席と言って町が整備して席を売った場所です。
川が見えるでしょうか。
以前田中知事が脱ダム宣言してかなり問題になった下諏訪町1級河川、砂川です。
この坂を綱を曳きながら下ってきます。
人が一杯居る場所に綱があり、曳いています。
とにかく急すぎて画像を取る勇気と余裕が無くかなり下で撮りました。
御柱の先が見えてきました。
落ちそうで落ちません。
御柱の後ろにある綱を太い木の杭に縛ってじょじょに緩めて先の出按配を調整しています。
私は坂の下に居るので上で何が行われるのかに付いての画像がありません。
簡単に言うと、後ろにある綱を緩めて、もうこの綱が切れれば落ちてしまうまで御柱を曳き出します。
この時点で曳き出すのを止めて、これから落とす合図としてセレモニーが始まります。
落ちる前に垂れ幕を持ってテコ衆がごへいを持って降りてきます。
ごへいは土に付けてはいけない神聖な物として御柱の先頭に設置されている物で、落とされる前に坂の下に降ろされます。
最後に木やり衆が「♪これから〜木落とし〜♪お願いだ〜♪」と唄われます。
そして暫く経つと後ろを縛ってある綱を切ります。
「ヨキ」と言う、要は斧の事ですが、「ヨキ長」と言う役の方が居て綱を一気に切ります。
そうすると御柱は落ちます。もちろん綱を切る係りも事前から決まっていて、木落としのヒーロー的な存在でも有ります。
たまに落ちない事もあります。今回はその状況になりました。
なんか何時までたっても落ちないのでおかしいな?と思ったらラッパの音が聞こえたので、これは既に切られて落ちてこないのかなぁと氏子達が気が付いて一気に曳きます。
そうすると落ちてきました。
さて、木落としされる時に木の先頭に乗って落ちる「華乗り」と言う方が居ます。
一回も落ちず坂の下まで降りられたら英雄と称えれ7年間無病息災が得られる、などと語り継がれている風習があります。
乗る人は命知らずと言われますが、当然落ちる祭柱に轢かれれば当然命の保障どころか、万が一、も当然ありえますし、過去死者はかなり居ます。
今回は無事降りてきました。
みんなで万歳を繰り返し無事木落としが終了したことを祝っています。
このあと注連掛(しめかけ)と言う場所がココから約2km離れた御柱を安置する場所へ曳かれます。
終わったのは午後7時。当りは真っ暗でした。
予定では午後6時で終了でしたが今回は1時間遅れとなりました。
みんなお疲れのご様子です。
注連掛に一ヶ月安置され、5月8,9,10日に里曳き祭が行われます。
里曳きは、字のごとく下諏訪町の街中(昔的には里)を御柱が曳行され氏子たちにお披露目されます。
この3日間は全国でも珍しく国道20号線(甲州街道)が通行止めになります。
お祭りで2ケタ国道が日中通行止めになるのは全国的にも異例で、このお祭りの盛大さが物語ります。
春宮の神社は国道から山方向にあるので国道は曳かれません。
秋宮の神社は国道から程近い場所にあるので国道を曳きます。
来月の更新は里曳きを掲載します。