この間、友人と話していて、ふと昔94年にチベットのラサへ行った時の話を思い出しましたので、ご紹介。
当時ラサへ行くためには、空路成都から入るか、ゴルムドから陸路バスで延々と山道を越えてはいるかのどちらかしかありませんでした。一緒に行った人々と相談の結果、成都から飛行機で行くことにしましたが、団体旅行でないとチベットへ入ることは許されていませんでした。そこでまず旅行会社に依頼して、我々4人というツアー(もちろんガイドなし)を作ってもらい、許可証を手に入れました。 まずは北京から成都へ飛び、翌朝の飛行機に備えます。ラサ空港は高度が高い(3000m以上)うえに渓谷の中にあるので朝の気流の安定している時以外は離着陸ができません。 確か離陸が7時くらいだったと思いますが、まず成都空港で一波瀾。 ガイドのいない4人だけの団体旅行なんて許可できない、と空港に常駐している公安が言います。なんだかんだと言訳して離陸。観光客を満載した767は、チベットを目指します。チベットが近づいてくると雲の上にチョモランマなども顔をのぞかせます。そして空港へのアプローチが圧巻です。 767は決して小さな飛行機ではありません。それが渓谷の蛇行にあわせて、巨体を右へ左へと傾けながら渓谷の中を飛ぶのです。 ちょっと間違うと山へ激突です。
ようやく着陸。 満載の観光客は、公安も指摘のように我々以外は、皆ガイド付きの団体旅行。 あっという間に空港からバスに乗っていなくなってしまいました。 なぜそれを見送ったか? だってTAXIとかの交通機関が何もなかったので、どうしようかな、と相談していたのです。
団体旅行のバスに便乗させてもらうと言う手もあったのですが、タイミングを逃しているうちに人を乗せたバスは皆行ってしまいました。残っているのは駐車場の向こうのほうにいる数台の大型観光バスだけです。ラサの街までは約100km、一般道路ですのでうまく行って2時間弱の道のりです。TAXIならともかく、大型バスの4人乗りチャーターなんて一体いくらかかるのか知りません。まあ他に手段もないので、運転手とネゴ。なんと一人30元で良いと。当時は1元=約10円の頃です。拍子抜けした我々4人を乗せて大型バスはラサへの道を走り出しました。時間は朝の9時過ぎ(北京時間)だったように記憶しています。澄みきった紺色に近い空の下、曲がりくねった渓谷沿いの道をバスは走ります。この時に、「なんだかバスに酔ったみたい」と発言していた一人は、まもなく訪れる3泊4日高山病の旅へと足を踏み入れていたとは、この時まだ誰も気がついていませんでした。
無事にホテルへ到着し、荷物を置いて我々は早速ポタラ宮へ向かいました。 ミニバスに乗ってほんの10分も走ったでしょうか。 街の中心部に藍色の空をバックに真っ白のポタラ宮がそびえています。 いやあスゴイね!などと記念写真を撮っていたりするうちに一人が「なんだかまぶしい…クラクラする…」と座り込みました。 見ると顔が真っ青です。 しばらく休もうと近くのお土産屋でお茶を飲んだりしますが、顔色はますます真っ白。 とりあえずホテルに帰ると言うので全員でまたミニバスへ。 ホテルに到着する頃にはもう一人も蒼白な顔をし始めました。 そうです高山病です。 部屋で二人は酸素枕を抱えて寝る以外の選択肢を失ってしまいました。
日本からの出張者が、「中国の飛行機はなぁ…」と実態を知らずに恐れをなしているという事とは全く別に、実は中国の飛行機は、安全運行を続けていました。 我々も年季の入ったツポレフや、アントノフは極力避けるようにはしていましたが、その他の飛行機は、日本の航空会社よりも新型だったりして、安心しきっていたのが実態でした。
ところが、46年ぶり(と報道されていました)にCA(中国国際航空)が釜山で墜落してしまいました。 以下の出来事は、その翌日の出来事です。
前日767が墜落したからと言って、その日わが身にその余波が押し寄せることになろうとは、夢にも思っていなかった私は、いつものように、大連へ出張すべく定刻の1時間半前に会社を出ました。 空港までは20分ほどの道のりです。 順調に到着した私が電光掲示板を見上げると、そこには「1時間遅れ」の表示がありました。 11時50分定刻のCAの大連行きです。 カウンターで尋ねると機材手配の問題 と言う解答でしたので、ああ飛行機が一機減ったからかな、と思いながら地下の食堂街へ行って昼食をとることにしました。 余談ですが、一般に空港の食事は高いものと相場が決まっていますが、北京空港地下の食堂街は、まあ街中よりも若干高いものの、2階や3階の食堂に比べればはるかに安い食事をとることができます。ラーメン1杯15元(3階だったら40元はかたい!)。一度お試しください。
定刻から1時間遅れとなった大連行きですが、まあ大した遅れも騒ぎもなく飛行機に乗り込むことができました。 ところが、30分たっても45分たってもドアが閉まりません。 スチュワーデスに尋ねると、「まだ搭乗客が乗ってくるのを待っている。」という回答。 周囲の客も「そんな奴はかまわずに出発しよう!」と騒ぎ出し、結構機内は騒然となっているところへ、30人ほどの乗客が現れました。 この時既に定刻から2時間半遅れです。 香港からの乗客とおぼしき格好をしておりますが、機内の乗客の自分達に対する批判的な視線に戸惑っています。 ようやくドアが閉まろうとしていますが、機内の雰囲気はかなり険悪。 私の隣にも一人この香港からの乗客が座って、「一体何があったんだ、非常に険悪な雰囲気だが?」と私に尋ねました。 私がこれまでの経過を簡単に説明すると、納得したように言いました。 「実は我々は香港から昨日の便で大連に行くはずだった。ただあの事件で16時間もろくに何の説明もなく、香港で宿泊するところも食事もろくに手配されずに、ひたすら待たされ、ようやくここ北京までたどり着いた。 あなたたちにも迷惑をかけたようだが、我々も長い時間待っているので理解して欲しい。」と。
この発言が、伝言ゲームのように機内に広まるまで、わずか2−3分のことでした。あっという間に和やかになった機内で、一人の客がスチュワーデスに言いました。「なぜそう言うことならキチンと説明しないんだ。 みんな事故のことは知っている。」あとでスチュワードとしゃべっている時に、私も同じ事を言うと「実は機長から、乗客が心配するから本当のことを言うな、と言われていたので心苦しかった。」と彼は正直に言っていました。
以上 このWEBには珍しくまともな話でした。
春節前の1週間は、またもや出張まみれでした。いつもならば春節前というのは、まだまだ寒くて大変なのですが、むしろ気候は安定しており、今年のように妙に暖かいというのは、沿岸部では霧が発生しやすいという我々出張族にとっては受難の時期です。
この写真は大連空港ですが、青島→大連という思いきりローカルな路線に搭乗しようと青島空港に向かった朝、またもや大連空港が霧に包まれていたおかげで、たった40分間しか飛行時間が無いにもかかわらず3時間半も青島空港で待たされた後に撮影したものです。
青島から乗った50人乗りの小型ジェット機からおりてバスに乗りこんだ後、滑走路になんだか妙に腰高の小型飛行機が着陸したことに気がつきました。 見たことの無い飛行機だと思って、バスの発車が遅れることを祈っていましたが、無常にもドアが閉まってしまいましたので窓越しに撮影しました。
フロート付の水上機は、写真では見たことがありましたが、実物は初めてでした。こんな風に車輪が付いていて、着陸が可能だと言うのは理解できますが、こんな小さな車輪では、相当うまく着陸しないとフロートを壊してしまいそうですね。
赴任前に5年免許(いわゆるゴールド免許ですね)を無事にもらっていたので、「これで次回の更新は帰国後だな。」なんて思っていたら、何の事はなくどんどん伸びる駐在期間で、日本の運転免許を更新しなくてはならなくなってしまいました。 あんまりこんな事した人がいるかどうか知りませんので、皆様のご参考に(一体誰が見るのか知りませんが)方法をご紹介。
実は事前に昔住んでいた場所の管轄警察へ電話なんかして聞いたのが大きな間違いで、やってみると普通の更新と全く一緒、知らない人に聞いたのがいけなかったのですね!!
方法)免許が切れる1年前以内なら、一時帰国の時に、どこでも良いですので、運転免許センターへ行きましょう。
近いからと言って警察へ行ったりすると面倒ですよ。 必ず運転免許センター!!
要る物)免許、一時滞在を証明する書類、人間とお金!! 他には何にも要りませんでした。
一時滞在を証明する書類というのも実家やホテルに「海外在住であるが、今○○と言う住所に滞在している」
と書いてハンコがあれば良い様です。私はオフクロさんに、書いてもらいました。
念の為にパスポートでもあれば、万全でしょうが、実際に更新をした千葉県免許センターでは、
便箋に書いた上記証明書一枚で何にも言われませんでした。
但し、この時の滞在住所が免許証の住所欄に記載されますので、ホテルに宿泊する場合は、
カッコイイ名前のところのほうが良いのではないでしょうか。
実際にかかった時間) 1.5時間はかかりませんでした。(申請から免許受け取りまで)
日曜日もできると聞いて、(午後の受付時間1−3時)1時半に行ったのですが、3時までに申請すればよかった
ので、もっと遅く行けば並ぶ時間が減ったかもしれません。 まあ講習があったりするので、1時間はかかるでしょう。
尚、事故歴や違反歴によっては講習が2時間になったりするので、それこそたまにしか運転しない皆様、一時帰国時に
つかまったりしないように気をつけましょうね。
以上、非常にめずらしく、ためになる(かもしれない)話題でした。
普段の生活では、TAXIがどこでも簡単にUターンをしますが、飛行機にUターンがあったとは知りませんでした。
定刻前に全員が乗りこんで、滑走路へと順調にタキシングしていました。 乗客数が半分にも満たなかったので、離陸時のバランスをよくするために全員が後ろのほうへ移動しながらでした。 滑走路端に到着し、さあエンジン音が高くなって…、低くなってしまいました。 ????が乗客の頭上に並んだ状態のママ、飛行機はノロノロと動き次の誘導路へと右折しました。
ここで機長からのアナウンス「目的地で大雨が降り出したのでしばらく待機することになった。ターミナルに戻る。」あと2分連絡が遅かったら、飛行機は空中にあったはずなのですが、事実は5分後に元いたところ、ではなくその傍のブリッジのないスポットでした。
日本でこう言うことが起きるのかどうかは知りませんが、中国では一回乗客を下ろしてしまうと、本当に出発する時になっても人がなかなか乗り込んでこないことが起きます。したがってこういう場合には乗客を抱え込んだままじっとひたすら待つ羽目になります。今回も相手は天候ですから、どれだけ待つのかはそれこそ神のみぞ知る、です。 結局2時間ちょっと待ってから飛び立ちましたが、その間この飛行機(新華航空)のスチュワーデスは立派でした。 いらいらする乗客相手に、笑顔と気の利いた冗談で怒り出す人は皆無でした。
傲慢な客に切れるスチュワーデス!なんて言う話題は、よくあって面白くありませんが、今回は乗客全員があっけにとられた話です。
ソウル発青島経由北京行きのCA国際線は、時間がよくて比較的よく使う便です。 この日も順調に仕事が終了し、これまた定刻に無事に飛行機に乗りました。 座席に座ろうとしている時に、ソウルから乗ってきた人達が飛行機後部で何やら騒がしかったのはかすかに記憶にありましたが、ほぼ満席の乗客はぞろぞろと乗り込んできています。 ほとんど最後に乗りこんできた40前後の上品なオジさんが、ほんの小さなショルダーバッグをしまう所がなくて、にこやかな笑顔でスチュワーデスに聞きました。 「このバッグどこかにおける場所ないかな?」誰もが、大して気にもとめていなかったこの一言に対しての解答は?「自分のことなんだから自分でやれ!なんでもかんでも人に頼るな!!」という全く予想もできなかった怒りの声でした。 顔も完全に引きつっています。 笑顔のオジさん、まだ笑顔のママ「そう言わずにこんな小さいカバン1個なんだからどこかに場所空いてないかな?」。 この時には乗客全員がシン!と静まり返って事の成行きを見守っています。 「どうせバカほどいっぱい荷物もって飛行機に乗ってきたんだろ!!そんな客の面倒なんか見ていられるか!!」予想をはるかに越える過激な回答が又飛び出しました。あっけにとられている乗客にブチ切れスッチーは、「投書するんだろ!すりゃ良いじゃないか!私の名前は○○で、会社の番号はXXXXだよ!!」と思いきり言葉を投げつけて、機体後部へ戻って行きます。
あまりの事に呆然としていたオジさんは、この頃になって「何言ってんだ!なんて言う態度だ!」などと反撃しようとしますが、スッチーは、全く聞いていません。代りにもう少し年齢の高い上司のスッチーが血相を変え飛んできて、乗客に謝っています。事の面白さにこのオジさんのすぐ傍に座っていた私めは、耳をダンボのようにして謝罪の言葉を聞いてしまいました。 原因は先に乗りこんでいたソウルからの乗客とこのスッチーがやはり荷物をめぐって、一騒動終わったばかりのところへこの叔父さんが声をかけたことに起因する悲劇だったようです。 離陸後しばらくして気の静まった問題のスッチーは、オジさんのところへ、謝罪に来ました。笑顔のオジさんは、「まあまあこの仕事も大変だろうから。」と笑顔で頷いていました。 みんながこんな性格の人ばっかりだったら、オリンピックも成功するかもしれないな、と思いますが、現実は全く違いますので、期待は全くしていません。
いままでにも何度も遅延やキャンセル、引き返し、途中下車(飛行機が勝手に途中で違う空港に降りてしまうこと)、など貴重な経験をさせていただいている北方航空(CJ)ですが、最近又大変楽しい経験をさせていただきましたのでご報告させていただきます。
前回の出張時には、一緒にお客さんを訪問する予定になっていた上海からの駐在員に往路は6時間遅れ、帰路は8時間遅れと言うなかなか過酷な経験を強いたCJですが、今回はわが身に災難が降りかかってしまいました。 またもや同じ上海の駐在員と目的地で無事に落ち合い、仕事も順調におわったので、少し早い時間だったのですが、空港へと車を走らせました。 若干嫌な気配があったのですが、空港へ着くと北京行きの飛行機は無事定刻に到着しており、離陸予定時間の30分前には無事に飛行機の座席に着くことができました。
その日は、北京到着で終わりではなく、その後最終便に乗り換えて、違うところへと向かわなければならないハードスケジュールだったので、ここまでの順調ぶりにちょっと気を許したのがいけなかったのかもしれません。 CJの飛行機は離陸までの間夏でもなかなかエアコンが効かなくて、汗まみれになってしまうことが良くありますが、その日は何時もよりちょっと暑いなと、同行者と話した直後に、「誠に申し訳ありませんが、エアコンが故障しましたので修理いたします。」と実にさりげないアナウンスがありました。 「エアコン壊れてると上空で凍え死ぬね。」同行者と嫌な雰囲気を振り払うかのように会話をしておりましたが、操縦席の方では、なにやら5−6人の作業員が大声で何かを話し合っております。 「・・・」乗客はなんとなく嫌な気持ちのママじっとこらえていたその時、「エアコンが修理できないので飛行機を交換します。」
田舎の空港です。 周りを見まわしても空軍のジェット機以外には旅客機は一機もいません。 とにかく待合室に戻された乗客は、交換する飛行機が来るのを待つしかありませんでした。 待つこと約40分、ようやく飛行機が到着しました。 本来の運用であれば、今日はこの機体はそのまま仕事を終えるはずですので、燃料もほとんど空に近くなっています。 北京までのもう一往復飛ぶためには、たっぷりと燃料を補給せねばなりません。 給油車が2台到着し、必死の給油作業を行っています。 時間はこの時点で既に1時間遅れとなっていました。
北京空港での乗り継ぎ時間は、2時間弱とたっぷりあったはずの予定が、後30分以内に飛ばないとアウト!というなかなか微妙な時間になってきました。
さて再度飛行機に乗客全員が乗り込んだのは、予定時間の1時間15分遅れ。 すぐに離陸し、北京空港で着陸待ちがなければ滑りこみセーフのはず。 離陸直後にスチュワーデスに「同じCJの最終便に乗り継ぐ必要があるので、地上と確認を取っておいて欲しい。」と一応お願いしてみる。 思いのほか対応は良く「ギリギリではあるが、大丈夫と思う。機長から北京にも連絡しているので空港についたらすぐに地上職員とコンタクトしてほしい。」 その後が驚きました。「飛行機の故障ではあるが大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。」とスチュワーデスが謝罪をしたのです。 長年ほとんど毎週のようにCJには乗っていますが、こんなに丁寧に謝罪の言葉を聞いたことはありませんでした。 いやあこんな言葉が聞けるのであれば、運もある!乗り継ぎには成功するであろう、と理由もなく安心してしまいました。
結果は、皆様のご想像どおりですが、北京空港に到着し、ドアが空いた直後に空港地上職員に「CJの最終便は?」と聞いた私にトランシーバーを持ったオジさんは、「今飛んだ」 と簡潔に答えてくれたのでした。 普段はしょっちゅう遅延するくせに、こう言う時は定刻に飛ぶんですよね、飛行機って。
更に追い討ちをかけるように「明日の1番早い便は?」とオジさんに聞くと「8:20がもっとも早いが満席である。 空席のあるのは午後2時の便である。」とこれまた簡潔に即答してくれました。 まあこんなもんですよね…
2月22日朝の北京空港の出発時刻表です。9:54に撮影しましたが、7:20の始発 上海浦東行きから全便がキャンセルか遅延表示になっています。 この日朝から視界が50m以下と言う濃霧に包まれた北京空港は、なすすべもなくひたすら閑をつぶす人達であふれました。 そう言っている私も、3時間ほど閑をつぶした挙句に、「もう行くのをやめよう!」という同行者のやさしい一言に救われて、空港を後にした一人です。 この2週間ほどで、合計15時間も各地の空港で閑をつぶしましたので、当分飛行機には乗りたくありませんが、また明日から飛行機に乗って出張です。 暇つぶし用の文庫本の在庫が減ってきましたので、大事に読みたいと思います。
昨年2000年冬の鉄道ダイヤ大改正で北京−天津間に登場した最高時速180kmという新型特急列車です。
先頭と最後尾に2両のディーゼル機関車を連結し、北京−天津間約150kmを1時間14分で走ります。 信号を再整備した暁には1時間以内で走るようになるとの事。 (正確には50分だそうです。)列車は10両のオール2階建て客車(内1両が軟座、残り9両は硬座)で新幹線並みの設備の数々、と自慢されていましたが、私が乗った軟座のトイレは早速故障しておりました。
乗り心地は、もしかすると日本の東海道新幹線よりもモーター音がない分上手かもしれませんが、車室内に携帯電話を大声でかける方々の大声が響いているので、ここは中国であることを確実に思い出させてくれることでしょう。
尚、この特急列車は、ほぼ1時間おきに1本走っていて、切符を買うのも悪名高い切符売り場の行列が不要で、北京・天津両駅ともに専用ホーム、専用切符売り場で簡単に切符を入手できます。 ぎりぎりの時間の場合は、切符無しで飛び乗ってから車掌さんから買うこともできます。 帰りの切符も車掌さんに言えば持ってきてくれます。
北京−天津間の高速道路は、冬の間霧や雪で結構閉鎖されてしまいますので、早くて便利で確実で、と最近だいぶ利用者が増えてきているようです。 ちなみに料金は特急料金込みの軟座料金で45元、硬座で20−35元(時間によって価格が違う)となかなかお手軽な価格です。
あるTAXI運転手の発言です。 ある夜中国人の仕事相手の友人との会食を終えてTAXIに乗ったときに、脇道から大通りに出ながらかつUターンをしなければならない と言った状況になってしまったので、「こんなところでUターンなんかできるのか?」と聞いたところ上記の答えが返ってきました。 あまりにも適切過ぎる発言で、一緒に乗っていた中国人の友人も爆笑でした。
高速道路の入口から出たり、出口から入ったり、一番右端の走行車線からいきなりUターンしてみたり(片側3車線の道ですよ!) まあ一日車に乗っていると、およそ日本の道路では見られない運転技術(?)が見られます。 おかげで私も日本に帰ったときに「お父さん、ここは日本だから…」と子供に指摘されてしまいますが。
よく中国人を知らない日本人が「中国でこれが作れるのか?」と質問して来たりしますが、今度からこの返事をしてあげようと思います。 たとえそれが傍目には過信に見えたとしても、きっとここの人達はいずれ何とかしてしてしまうはずです。 日本人は謙遜の美学ですが、ここは過信による力学の世界です。
先日武漢市で飛行機が墜落しました。 中国国産の「運七」という中型のプロペラ機です。 かつては冗談で「運が七割無いと無事に目的地に着けない」などと冗談をよく言われた飛行機ですが、実は今回がはじめての大きな事故でした。 原因はどうも悪天候の中を無理に飛んだために、落雷を受けて空中爆発したという事らしいですが、(最終結論はまだ出ていません)その前日に武漢空港にいた私としては、背筋が寒くなったものです。
ところで、事故発生後約2週間(実際はわずか10日間)という短時間のうちに、遺族に対する賠償がすべて決定し、支払いも済んでしまったと言う新聞記事を飛行機の中で見つけました。 その金額は、一人あたりわずか12.11万元(157.43万円)に過ぎません。 これ以外に自分で保険をかけていた人(掛け金は20元です)には、保険会社から20万元(260万円)が支払われて、すべての補償交渉は終了したとの事です。
毎週のように飛行機に乗って、出張ばかりしている身には、あまりにもささやかな金額に思えてなりません。 かつて4年ほど前に、やはり飛行機の中でもらった新聞に「○○航空奇跡達成」と書いてあったので、よく読んでみると「数年間事故が相次いだ○○航空が、昨年は全く無事故であった。」と言う内容で、「たとえ何があっても金輪際○○航空にだけは乗るまい。」と固く心に誓ったのを、最近ではすっかり忘れて時々乗っている自分を省みて、改めて「飛行機だけは、考えて乗ろう。」と考えさせられてしまいました。