祝 九州新幹線開業

整備新幹線の一つとして、鹿児島中央〜新八代間が、開業しました。
これを祝し、地元写真家、のん植原さんの全面的協力をいただき、開業前後の写真をUPしてみたいと思います。

なお、特記以外は、のん植原氏撮影。

九州新幹線開業前 before 開業後 after

九州新幹線とは、(九州新幹線、部分開業までのあゆみ)

昭和47年6月の発表された、日本列島改造計画(故・田中角栄首相が提唱した、壮大な計画)に基づき、整備新幹線として、上越・東北・北陸(長野新幹線は北陸新幹線の一部)新幹線などとともに策定されたのが発端となる。

昭和48年10月30日、日本列島改造計画を受けて審議会は、整備すべき路線を発表

以下は、幣ページ「国鉄があった時代あの時こんなことが」からの引用

鉄建審は10月30日、新谷運輸相から諮問を受けた
北海道(札幌〜旭川)・北海道南回り(長万部〜札幌)・羽越(富山〜青森)・奥羽(福島〜秋田)・中央(東京〜大阪)・北陸中央(敦賀〜名古屋)・山陰(大阪〜下関)・中国横断(岡山〜松江)・四国(大阪〜大分)・四国横断(岡山〜高知)・東九州(福岡〜鹿児島)・九州横断(大分〜熊本)の12新幹線3、510キロの整備計画を原案どおり答申・中央新幹線以外は開業10年後も赤字の見通し。

その後、国鉄財政の悪化と国の財政補助もままならないまま、整備新幹線計画は、昭和57年9月の閣議決定でひとまず凍結となりますが、国鉄改革がひとつの方向(JR化)に向かった、昭和62年1月30日またぞろ整備計画の凍結解除の話が持ち上がる。

以下は幣ページ「国鉄があった時代あの時こんなことが」からの引用

整備新幹線の凍結解除 1/30
政府は1/30の閣議決定で、東北(盛岡〜青森)、北陸(高崎〜大阪)など整備新幹線の整備を一時見合わせた57年9月の閣議決定を解除することを決めた。
 ただし、「分割民営化後の各旅客会社の判断」と「財源問題、終始見通し」の2点を建設の重点とすることで実際の着工にはなお、歯止めがかかることになった。と新聞に。

JR化後、運輸省(当時)は、整備新幹線実現のためにより現実的な方向として、昭和63年8月、ミニ新幹線&スーパー特急構想を発表する。
具体的には、山形新幹線などで実現された、新在直通が、ミニ新幹線であり、スーパー特急は、現在の狭軌のままで線路を現在の新幹線規格(半径4000m以下など)で整備するもので将来、フル規格の新幹線に転用できるように路盤を確保すると言う方式の二つが発表され、需要の多い部分はフル規格で、それ以外の部分はスーパー特急や、ミニ新幹線を併用することが提案された。
 余談であるが、東北新幹線の盛岡以北、長野新幹線(高崎〜長野)、九州新幹線(八代〜西鹿児島(現・鹿児島中央))はミニ新幹線で整備されることになった。
注:スーパー特急とは、現在のスーパー○○とは異なります。

 少しはしょりますが、平成2年12月24日の与野党合意をを経て、平成3年8月22日には、暫定整備計画による工事実施が認可、具体的に動き出す。

 平成7年12月25日の政府・与党合意により、ミニ新幹線区間を船小屋〜鹿児島中央間に拡大するが、地元からの反対論も多く、鰻を注文したら穴子が出てきたと、不満をぶつける意見も多発、平成11年12月28日、政府・与党申し合わせにより、博多〜西鹿児島(現・鹿児島中央)間の全線フル規格が決定し、平成12年4月の工事実施計画認可を経て全線で工事に着手

 この背景には、地元の新幹線はフル規格が欲しいという要望とそれを受けた政治力による部分が大きい、また新幹線をJR各社に買取させたときに、60年年賦で、さらに再調達価格に1兆円の上乗せをした整備基金による存在が大きい。

 これが、整備新幹線をフル規格で作れるのではないかと言う幻想を生んだのも事実。

 九州新幹線に限らず、東北新幹線の八戸延長で切離された東北本線を受持つ第三セクターや、長野新幹線のしなの鉄道などが苦戦しているのはご存知の通りです。

 そういった経緯はありますが、平成16年3月13日、九州新幹線は開業し、鹿児島本線の一部は肥薩オレンジ鉄道に移管されました。今後は地元の皆様の協力が、鉄道、そして線のネットワークを維持していけると思います。

 今後も九州の鉄道が発展を続けることが出来ます事を祈念いたしております。

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