
| コラム |
| 日々思うことを適当に書きつづっているだけなので、あまり深く考え込まず、読み終わった後に「と思う。」を付け加えて、軽く読み流してください。 |
| そろそろコラムの更新時期かなと思い、PCの前へ座ってみる。が、キーボードをタッチするカチカチという軽快な音が聞こえない。やはりグータラな生活をしていると「物を考える」ということをしないようだ。 今回は最近思ったことでもなんでもなく、ワタシの脳が盛んに「物を考え」ていた就職活動時に考えていたことを書く事にする。ま、このテーマはいまのところワタシの中心となる考えである。それは「わかるときづく」の違いだ。 ワタシは今、歯医者に通っている。その歯医者にての出来事だ。「あぁー、ここ、奥のとこにカスが溜まるんですよねぇー」「あ、そうなんですか」「えぇ、ちょっとね、こういうとこを気をつけながら磨いて欲しいんですけどね」そこまでは何気ない、どこにでもあるような医者と患者の会話だ。しかし次の言葉がワタシの魂を揺さぶった。「まぁー、ちょっとした意識の差なんですけどね」この言葉も、会話の流れからは何気ない。しかし、ワタシには目からウロコが何十枚と落ちるような気持ちだった。 何がそんなにワタシを突き動かしたか。それは医者の最後の言葉、「ちょっとした意識の差なんですけどね」の「意識の差」だ。ワタシは毎日、寝る前には歯磨きをしていた。しかし、虫歯で歯医者に通うハメになってしまった。何が言いたいかというと、「歯を毎日磨いても、虫歯になるやつは虫歯になる」ということだ。ワタシ達は普段、歯を磨く時に歯と歯の間に詰まった食べ物のカスを取ろうとしているだろうか。大半の人はNOと答えるだろう。それよりも口臭や、歯をもっと白く!などがメインではないだろうか。歯を磨くことは食べ物のカスを取り虫歯を防ぐ、ということはわかってはいるが、きづいていないのだ。 このことを考えてから「意識をすることの大切さ」を痛感するようになった。ま、ワタシの中ではこれを「歯磨き理論」と言っているものである。これでワタシの愚かさ加減が露呈したかも知れないが、この「歯磨き理論」のおかげで、今のワタシがあるようなものだ。(それが良い悪いは別にして) まだ就職活動時に考えていたネタが何個かあるのだが、あまりそれを出していくと、すぐにネタが尽きそうなのでコラムの先行きは不安。ま、「Take It Easy」ってことで気楽に行きましょう。(11/22) |
| 最近は日記にも書いているように、就職活動が終わってからは、これと言って特に何もせずグータラな生活が続いている。もっとも、最近は学園祭でライブをやるためバンドのスタジオ練習に励んでいたが。 そんな先日、痛快ロックンロールバンドShamC@tzのドラムであるYATTY-O氏からコラムを更新していないことについてクレームをつけられた。「楽しみなのか?!」と思いながらも、自分でも何かネタは無いものかとずっと考えていた。やはり日頃からずっと意識しているとただ単にグータラ生活をしているだけとは違うもので、何かしら些細なことでも色々考えることができてくる。今回はその一つを挙げてみる。 どこかの掲示板で見たのだが、簡単に説明すると、投稿者はポジティブな考え方にすることにした旨のスレッドを立てている。そしてそれに対してのレスもポジティブな考え方に賛同するもので、プラス思考でGO!、ポジティブ至上主義、というものばかりだ。その時はそんなものは流して読んでいた。しかし、ふとしたきっかけでその内容がひっかかったのだ。「ネガティブな思考は果たして否定されるものなのであろうか?ポジティブ思考=生産的、ネガティブ思考=非生産的と言えるのであろうか?」ということである。 例えば、「人間失格」を世に送り出した太宰治はネガティブな作品ばかりだ。第一創作集を『晩年』というタイトルで出すくらいなのだ。果たして、生の不安と苦悩を正面から取り上げ、自殺未遂、薬物中毒などの破滅的な生活の中から生み出された珠玉の作品群は、永遠の青春文学として、若い読者の圧倒的支持をうけている。ポジティブ思考ではこのような作品はできないだろうし、ネガティブの産物が称賛されているのだ。また、近代の政治思想家ルソーは「学問と芸術の復興は習俗の純化に寄与したか」という問いに対し、ただ一人だけ「寄与しない」という論文を発表した。当時、学問芸術は啓蒙精神の尖兵として高く評価されていたにもかかわらずに。これもネガティブの産物であると思う。ルソー=ネガティブ野郎とは言わないが、少なくともこの論文の内容は問いに対して否定的だと思う。 結果、ポジティブ=プラスなもの、ネガティブ=マイナスなものというものではなく、ネガティブであればネガティブなりに何かを生産(生み出すという意味で)できれば問題はないと思う。しかし、「ポジティブな考え方ができれば、ポジティブに生きた方がよっぽど楽だろうな」とは思うが。実際ワタシもポジティブ主義者。いや、楽観主義者。 内容が薄っぺらいものになってしまったような気が・・・。新聞・テレビを見て、常日頃から「物を考える」ことをしないとダメですね。(11/5) |
| 先日、テレビを見ていると「現代の若者は恥じを知らないのか」という旨の特集をやっていた。例えば、街中におけるカップルのチュー(路チュー)や、電車内での化粧などだ。 特に見るものもなかったので、チャンネルはそのままにボーッとテレビをながめていた。その番組はよくあるような「現役女子高生チームVS母親の年代チーム」という形式だ。その中で母親の年代チームの一人が「そういうこと(路チューや、電車内での化粧など)をどう思う?」というような質問をなげかけた。すると女子高生チームの一人がこう言った。「迷惑かけてないからいいじゃん」「じゃ、あなたにとって迷惑なことって何?」というような質問が続けてされた。と思う(寝起きだったので)。「んー・・・ってゆーか、何が迷惑かけてるとか悪いこととか良いこととかよくわかんないから・・・そういうのって学校で教えられてないし・・」 これをまとめてみると「他人に迷惑をかけなければ、何をしても良し」。しかし「どういうことが迷惑になるのかわからない」と支離滅裂。挙句の果てには「学校では勉強しか教えられていない」とさえ言いたそうだ。 その番組に出演していた女子高生チームは本当に何が迷惑になるのかわからないのだろうか。他人のことを考える(思いやる)気持ちがあれば何が迷惑で、何が悪いことで、何が良いことかぐらいは、おのずとわかりそうなものである。法律に触れること=迷惑行為とでも思っているのだろうか。また、学校では勉強しか教えられていないそうだが、まず勉強を学問としてでしか捉えられていないところに考えの乏しさがうかがえる。数学であれば、ふだんの生活の場面において数学的な思考回路が必要とされる時があるのではないか。例えば大阪観光ツアーの計画を立てたとすると、大阪観光ツアー=通天閣+大阪城+道頓堀となる。数学というより算数に近い。無意識のうちに、このような計算を頭の中でしているのだ。また学校以外であれば、例えば家庭であったり、友人たちの間などでも学ぶことはたくさんあるのではないか。そこから学んだことは一切ないのだろうか。逆に言えば、学校での勉強はパーフェクトに理解できているのだろうか。問題用紙が配られたらスラスラと解く事ができ、満点をとることができるのだろうか。 女子高生チームの一人が「今はよくわかんないけど、年をとったらわかるようになるかも」なんてことを言っていた。まぁ、自分も高校時分には女子高生チームと同じようなことを言っていたような気がする。 今回が初回となるコラム。何が言いたいのかわかりにくい内容になってしまって、ちょっと反省。コラムに未来はあるのか?!(10/19) |