赤間神宮 ― あかま じんぐう ―
祭神
第81代 安徳天皇
境内社
鎮守八幡宮
祭神 応神天皇
七盛宮
祭神 平家一門
天満宮
祭神 菅原道真
由緒
赤間神宮の前身は、貞観元年(859) 大安寺の行教和尚が開いた阿弥陀寺と、その境内に建てた鎮守八幡宮です。
その後 寿永4年(1185)3月24日の壇之浦の戦いで、入水崩御した安徳天皇の遺体を、紅石山(べにしやま)のふもとに埋葬し、後鳥羽天皇は、長門国に指示を出して、墓陵の上に御影堂(みえいどう)を建立させ、安徳天皇の菩提を弔いました(阿弥陀寺のページ参照)。
以来、大内、毛利両氏の崇敬が極めて厚く、隆盛を誇りました。
主な祭日
明治3年(1870)5月、明治新政府から布告された神仏分離令によって、阿弥陀寺を廃し、御影堂を天皇社と改め、同8年に赤間宮と改称、昭和15年には官幣大社となり、赤間神宮と改称しました。
入り口の門は水天門(すいてんもん)と呼ばれ、昭和20年(1945)の空襲で焼け落ちた神社を再建するにあたり、安徳天皇が海の底で暮す龍宮城をイメージして建てられました。
夜にライトアップされた姿も美しいです。
5月3日の先帝祭(せんていさい)では、上臈道中(じょうろう どうちゅう)の最終地点として境内に橋がかけられ、上臈参拝(じょうろうさんぱい)が行われます。
境内には、安徳天皇陵、平家一門の墓 七盛塚、耳なし芳一を祀った芳一堂、長門本平家物語や源平合戦などの資料を多く収蔵している宝物殿などがあります。
また山手を少し登ると、平家ゆかりの紅石稲荷神社と、戦時に中国(満州)大連市に、日本人の総氏神として建てられた大連神社が、移転されて建っています。
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