翌朝、まだ朝靄に包まれている鬱蒼とした森の中を、リッケン率いる一団が進軍していた。レバークーゼン国の周りが深い森で覆われていたことは、彼らには幸いだった。
国境近くにさしかかり、野営しているバイエルン軍の姿を認めたとき、リッケンは進軍を止めた。彼らは森の中に潜み、その時をじっと待った。
時を同じくして、レーマー・クローゼ率いる一団が、別方向からレバークーゼン国へと向かっていた。彼らが向かう先、数キロ先の国境付近には、バイエルンの大軍が駐屯している。
レーマー・クローゼ進軍の報は、すぐさま国境の砦にいたバイエルン騎士隊御三家の耳に入るところとなった。
「何ぃ〜、敵だとぉ〜、ったく、朝飯の邪魔をしやがって。」
兵士の報告を聞くなり、イェレミースは激昂した。
元来気性の荒い彼は、忌々しいと言わんばかりに、近くにあった椅子を蹴り上げた。
「やめろよ、こんなところで暴れても仕方ないだろ。それよりどうする?」
そんなイェレミースの行動に、ヤンカーは眉をひそめて言った。イェレミースとは対照的に、ヤンカーは騎士らしからぬ繊細な心を持ち合わせている。
「どうするもこうするも、迎え討つに決まってるだろ!」
ヤンカーの返答に、イェレミースの苛立ちは更に増した。
「でも敵の数も結構多そうだし、一度カーン王に伺いを立てた方がいいんじゃぁ・・・」
「ったく、お前は何だっていつもそう弱気なんだよ! カーン王はここから数十キロ離れた城にいるんだぞ!!」
「でも・・・」
「カーン王はこの砦の守備を俺達にお任せくださったんだ!!」
「まあ落ち着け、イェレミース。ヤンカーは気が弱いところもあるが、鉾の使い手としては誰も敵うものは居まい。」
今まで2人の様子を静観していたリンケが沈黙を破った。彼はこの騎士団をまとめるという役割を担っていたが、気性の荒いイェレミースや、ともすれば臆病者とも言えるヤンカーを統率していくのは、一苦労だった。
「ふんっ・・・で、お前の考えはどうなんだ?」
「・・・ここに駐屯しているのは、バイエルン騎士隊選りすぐりの精鋭達だ。カーン王の指示を仰ぐまでもないだろう。」
「これで決まりだな。おい、聞いてるのか、ヤンカー!」
「・・・聞いてるよ。」
そう答えたものの、ヤンカーは不安を隠せない様子だった。そんな彼のことなどお構いなしに、リンケとイェレミースは続けた。
「よし、ドルトムント軍なぞ蹴散らしてやるぜ!!」
「しかし報告では、相手方の兵の数は砦を警備している我等の軍の3分の2にも及ぶという。油断は禁物だ。」
「念の為、別の国境付近を警備してる兵達にも加勢させた方がいいと思うけど・・・。」
弱気なヤンカーが提言した。
「へっ、そんなに心配なら、とっとと伝令でも出せよ。」
ヤンカーはそれなら勝手にやるさと言い放つと、2人の前から去って行った。
「ったく、あいつの気の弱さは何とかならないもんかな。」
「まああんなヤツでも、実戦では役に立つからな。」
「・・・ふんっ」
イェレミースはせせら笑うと、一気に食事をかっこんだ。
伝令は直ぐに国境の別の砦を守っていたバイエルン軍に伝えられた。ヤンカーの些か大げさな懸念が幸いして、リッケン達の前にはだかっていた一団の大半が援軍に向かってしまった。これは彼らが予測していた通りだった。
「ラメロウ殿の言っていた通りだな。臆病者のヤンカーは必ず必要以上の援軍を要請する、まさにその通りになった。しかしこれだけの援軍が向かったとなると、レーマー殿下達は大丈夫だろうか?」
バイエルン軍の動向を見守っていたリッケンが呟いた。
「心配は御無用ですよ、リッケン王子。レーマー殿下もクローゼ王子もその名をこの大陸に馳せるお方です。必ずや大役を果たしてくれることでしょう。」
リッケンの横に控えていたメッツェルダーが言った。更にケールが続けた。
「メッツェの言う通りです。我らもレーマー殿下の軍に遅れを取りますまい。」
「ああ、お前達の言う通りだな。」
リッケンは拳に力をこめた。
「よし、再び進軍だ! ・・・ビアホフ老子、しっかりついてきて下さいね。」
「お主に心配されるほど、わしはまだ老いぼれてはおらん!!」
リッケンの一団は、その砦に残っていた僅かのバイエルン軍を物ともせずに蹴散らした。そしてレバークーゼン国を突っ切り、その先にあるバイエルン王国へとひたすら疾走した。
その頃、レーマー・クローゼの軍は、バイエルンの三騎士率いる大軍と対峙していた。
「ほぉ、ドルトムント軍を率いるのは、レーマー殿下とクローゼ王子でしたか。ご高名は存じておりますぞ。」
バイエルン騎士隊御三家の隊長として3人の真ん中にいたリンケが、馬上から言った。
「いかにも。私がヘルタ帝国のレーマーだ! お前はバイエルン三騎士の一人、リンケと見うけた!」
「レーマー殿下が我名を御存知でいらっしゃるとは、光栄の至りですな。」
「おっと、俺を忘れてもらっちゃぁ、困るぜ! 俺がイェレミースだ。覚えておけよ・・・って、覚えても仕方ないか。ここがお前等の墓場なんだからな。」
「なにぃ!!」
クローゼが剣の柄に手をかけた。
「クローゼ殿、相手の挑発に乗ってはなりませんぞ! ここは冷静に。」
「はっ、私としたことが・・・申し訳ありません、レーマー殿。」
「ここは相手を倒すことより、申し合わせの通り、時間稼ぎをすることだけを考えようではないか。」
「はっ。」
「何、こそこそ言ってやがる!! そっちから来ないなら、こっちから行くぜ! 皆の者、かかれ!!!」
イェレミースの威勢の良い掛け声と共に、バイエルン兵が一斉に襲いかかってきた。
「行くぞ、クローゼ殿!!」
「はっ!!」
ここに戦いの火蓋が切って落とされた。
戦いのどさくさの中、人知れず一路レバークーゼン城を目指している者がいた。仙術師のハマンである。
『ルテシドーリモトンイポチハンルエイバセイシャ』
彼は怪しい呪文を唱えて自らの姿を消し、更には戦いを繰り広げる両兵士達の頭上高くを浮遊していた。
レバークーゼン城まではまさにあっという間だった。
城を守っていた兵にも全く気付かれずに城内に侵入し、物陰に身を隠した。
次の瞬間、彼は再びその姿を現した。呪文の効力が切れたのだ。
「ふぅ、危ないところだった。さて、急がねば。」
ハマンは全神経を集中し、この城のどこかにいるであろうツィーゲとの接触を試みた。
”ツィーゲ、ツィーゲ、私の声が聞こえるか? 私だ。ハマンだ。”
ほどなくして、彼の頭の中に直接呼びかける声があった。それは紛れも無く、彼の旧友、ツィーゲの声だった。
”おぉ、ハマン、久し振りだなぁ。元気だったか? それにしても、随分近いところにいるようだが・・・”
”うむ、レバークーゼン城の中だ。”
”ほぉ、それは驚きだな。でもなぜまた?”
ハマンは事の一部始終と、彼に課せられた仕事を説明した。
”フ…ム、確かに俺もバイエルン王の暴君振りには辟易してたところだ。アイツのゴルフに付き合わされるのにも飽き飽きしていたしな。”
”それじゃ、私に協力してくれるのか!”
”・・・ドルトムントに直接協力はしないが、ノイビル皇太子を逃がすことに関しては力を貸そう。人質を盾にするようなカーンのやり方には賛成しかねるからな。”
”恩に着るぞ!”
こうしてハマンは、ツィーゲの助力を得ることにあっさり成功した。
国境でのドルトムント軍とバイエルン軍の戦いは、ますます激しさを増していた。
「貴殿の腕前、なかなかのものだな、クローゼ王子!」
「まだまだ、レーマー殿下に比べればひよっこ同然です。」
彼ら2人は、バイエルン御三家にも負けず劣らない見事な戦いぶりだった。
「おい、こら、レーマー、俺と一騎討ちの勝負をしやがれ!!」
戦いの最中、イェレミースがレーマーを兆発した。
「今はその時ではない!!」
レーマーはイェレミースを全く相手にせず、苦境に陥っている味方の兵を助けるために、身を翻して去って行った。
「なっ! 待ちやがれ!!」
イェレミ−スは彼を追おうとしたが、徒労に終わった。
レーマーとクローゼは、自分達の役割に徹していた。今は敢えて危険を冒してまで、バイエルン御三家に戦いを挑むときではないことを心得ていた。
レバークーゼン城の地下牢では、鉄鎖に片足を繋がれたノイビル皇太子が、壁を背にして無力に座り込んでんいた。
「はぁ、父上はどうなったのだろう・・・」
彼がカーンの手によって捕らえられた後、兵士の噂で彼の父、フェラー王が逃亡したことを知った。ノイビルはそれを聞いて一旦は胸を撫で下ろしたものの、フェラーのその後の消息については、全く知ることはできなかった。
”ノイビル様・・・”
突如、どこからともなく狭い牢内に声が響いた。
「えっ、だ、誰?」
ノイビルは弱々しく声を上げると、キョロキョロと辺りを見まわした。しかしそこには誰の姿もなかった。
”詳しいことは後程・・・。これからノイビル様をお救い致します。”
「す、救うって言っても、どうやって・・・ここは頑丈な地下牢で、抜け道などあるようには思えないんだけど・・・」
”雑念を振り払って、私の声に意識を集中して下さい”
「えっ・・・よく分からないんだけど・・・」
”時間がありません・・・とにかく何もお考えになりませんように・・・”
ノイビルはその声に促されるままに、とにかく一心不乱に無心を試みた。
『ナカアマアマイクロハロゼクロチハチイ』
「!?」
訳の分からない呪文と共に、ノイビルの意識は飛んだ。そして次の瞬間、狭い地下牢の一室から、ノイビルの姿は消えていた。
”ツィーゲ、術に成功したのか???”
”分からん、『瞬間移動術』を使うのは数百年振りだからな。お前の仙力と俺の仙力を持ってしてやっと成し得る術だが、まあ、多分上手くいっただろう。多分な・・・”
”何とも頼りない返事だな。まあ、何はともあれ礼を言う。ところで私は仙力が戻り次第ドルトムントへ戻るが、お前はどうする? 一緒に来るか?”
”いや、ここも飽きたし、北にある島国にでも行くつもりだ。”
”北か・・・彼の地にはかなりの仙術の使い手がいるそうだな。私も一度訪ねてみたいものだ”
”俺の方はいつでも大歓迎だ。それじゃあ、達者でな。”
そこでハマンとツィーゲの交信は途絶えた。
戦場のレーマーは、退却の頃合を見計らっていた。
そして味方が疲れてやや劣勢に陥ったとき、彼は号令を掛けた。
「よし、退却だ!!!」
レーマーの声が退却を知らせると、兵士達は一斉に踵を返した。
「はははっ、俺様の実力に尻尾を巻いて逃げていきやがった。」
一目散に退却していくドルトムント軍を尻目に、イェレミースが高笑いをした。
「・・・はぁ、とりあえず戦いが終わって良かったよぉ・・・」
ヤンカーは胸を撫で下ろした。
しかしリンケは、あまりに潔いドルトムント軍の撤退に些か疑問を抱いていた。
その数時間後、レバークーゼン城―――
けたたましい足音と同時に、一人の兵士がバイエルン王カーンの居る広間に飛び込んできた。
「カーン王、一大事でございます!」
「なんじゃ、全くこれからが良いところだというのに。」
カーンは、横に侍らせていた女の体をいやらしい手つきで撫でながら言った。
「ノイビル皇太子の姿が見えません!」
「な、何ぃ!!! 見張りは何をしておった!!」
カーンは座していた玉座から立ち上がった。彼の顔は怒りのあまり見る見るうちに赤褐色に染まっていき、傍らに居た女はその姿に怯えて小さい悲鳴をあげた。
「も、申し訳ございません・・・」
そこへ別の伝令が慌しく広間に入ってきた。
「申し上げます! バイエルンに敵が攻め入ったとの知らせが入っております!!」
「な、何だと!! 一体どういうことだ!!」
「く、詳しい状況は分かりかねますが、敵はドルトムント軍のようです・・・応戦してはおりますが、なにぶん兵がレバークーゼンに集結しておりますゆえ、苦戦を強いられているものかと・・・」
「おのれ、ドルトムント軍め・・・」
怒りに震えたカーンは、ギリギリと歯を鳴らした。
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