鬱蒼とした森の中―――
ノイビルはゆっくりと体を起こした。乱暴に地面に叩きつけられたせいで体が少し痛んだが、それが彼の意識を現実へと引き戻してくれた。
辺りを見回すと、木々の上に城の尖塔らしきものが見える。彼はおもむろに立ち上がると、それを目指して覚束ない足取りで歩き始めた。
「な、何者だ!」
ふらふらと城門に近づいてくる一人の男に気付いた城兵達が、剣を構えた。
「こ、ここはドルトムントか・・・?」
城門の上に掲げられたドルトムントの旗を見やると、ノイビルは力尽きてその場に倒れこんだ。
バイエルン城―――
兵の数ではバイエルン、ドルトムント軍とも互角であるとはいえ、堅固を誇るバイエルン城を攻略することは、リッケンの想像以上に困難を極めていた。
敵は篭城も可能である。そうなれば、ドルトムント軍は補給の問題が生じるため、かなり分が悪い。
「くっ、私の考えが甘かったか・・・」
徐々に味方の兵士が疲労していくのを見て、リッケンは気弱になっていた。
そのとき、突然城内で何やら喧騒が起こったような叫喚が聞こえた。
次の瞬間、城壁の上から矢を放っていたバイエルン兵が次々に倒れていった。
「何が起こったんだ!!」
撹乱されるバイエルン軍を傍観しながら、リッケンは事態を把握できないでいた。
「リッケン殿、今城門を開けるぞ!!」
その声にリッケンが城壁を見上げると、小柄な男が敵を相手に剣を振るっていた。
「君達は?」
「我々は、バイエルンに対抗するレジスタンス軍、ゼヒツィヒ!」
「ゼヒツィヒ・・・!?」
「リッケン王子、何やら良く分かりませんが味方のようです!!」
メッツェルダーの言葉に頷いたリッケンは、全軍を奮い立たせるように叫んだ。
「皆の者、この機を逃すな!!!」
リッケンの声が響き渡ると、兵士達は再び士気を取り戻した。
そして城扉が開かれると、リッケン達は内と外からバイエルン軍を一網打尽にし、バイエルン軍はあっさり壊走した。
城内に入ったリッケン達を、対バイエルン・レジスタンス軍のゼヒツィヒが迎えた。
リッケンは馬を下りると、その中心にいる小柄な男に近寄った。近くで見ると、年こそ若くはなさそうだが、昔はかなりの豪傑ぶりだったことを忍ばせる精悍な顔つきをしていた。
「ありがとう、君達のお蔭だ。しかし勘違いをしないで欲しい。我々はバイエルンを占拠するつもりはない。」
「承知している。ビアホフからすでに話を聞いた。それ故に我々は貴軍に協力した。」
「えっ、ビアホフ老子が?」
それは半ば存在すら忘れかけていた人物の名前であった。
「ほっ、ほっ、ほっ、なぁ〜に、カーン王に対抗するレジスタンス軍がバイエルンに存在すると耳にしたものでな。聞けば、リーダーはわしも良く知る男だという。万が一のことを考えて、彼に連絡を取っておいたのじゃよ。出すぎた真似じゃったかのぅ?」
いつの間にやらリッケンの横に控えていたビアホフが言った。
「いいえ、ビアホフ老子、今回のことは感謝します。しかしこれからは、事前に一言おっしゃっていただけると有り難いのですが・・・」
「ふ・・・ん、言おうかとも思ったが、わしもまだまだ役に立つってことを知らしめたかったんじゃよ・・・わしを老いぼれ扱いするお前さんや、そこの若造共にな・・・」
ビアホフは拗ねたように、リッケン達を見やった。
「ビアホフ老子・・・申し訳ありません。」
リッケンが詫びると、後ろに控えていたメッツェルダーとケールも続いて謝罪した。
「申し訳ございません、ビアホフ老子・・・」
「ビアホフ老子、私はビアホフ老子を誤解しておりました。まさか今もってそのような機転をお持ちとは・・・」
「ほっ、ほっ、ほっ、分かれば良いのじゃ。これからはわしを敬う気持ちを忘れるでないぞ。」
そう言うと、ビアホフは高笑いをした。
「・・・ちょっといい気になり過ぎですよね?」
ケールがメッツェルダーに小声で囁いた。
「ああ、でももう先も長くないんだし、少しは鼻を持たせやってもいいんじゃないのか?」
"ドン"という鈍い音と同時に、メッツェルダーの頭に、続いてケールの頭にビアホフの杖が振り下ろされた。
「おぬし等、ちっとも敬ってはおらんではないか! わしの地獄耳を甘くみるんじゃないぞい!」
「も、申し訳ございません、老子。しかし謙遜という言葉も覚えた方が宜しいかと・・・」
「なぬぅ〜、ケール、ひよっこの分際で、わしにそこまで言うか〜!」
「はははっ、老子、ケールの言う通りかもしれないですよ。」
「王子までおっしゃるか!!」
その場にいた兵士達から、抑え切れない笑い声が洩れた。ビアホフは怒って杖を振りまわしていたが、若者達の軽口に悪気がないことは彼には分かっていた。
「遊んでいる場合ではないぞ。バイエルンがここを奪回に来るのは必至。貴公達の作戦を聞かせていただきたい。」
ゼヒツィヒのリーダーという男の一喝に、再び場に緊張の糸が張った。
リッケンはバイエルン城の尖塔から城下を見下ろしていた。今まさに夕陽が地平線に姿を消そうとしているところで、空は炎を思わせるような朱色に染まっていた。それが美しいバイエルンの景色とあいなって、幻想的な世界を創り出す。
「美しいな、ここは・・・」
"ゼヒツィヒ"との長い作戦会議を経て、やっと訪れたしばしの休息だった。
話し合いの中で、ゼヒツィヒのリーダーという男が信頼に値する男だということを、リッケンは本能的に感じ取った。それはリッケンだけではなく、メッツェルダーやケールも同様であった。ドルトムントとゼヒツィヒの利害条件が一致していたことも一因ではあったが、本来ならば決して口外することのないドルトムント軍の作戦を彼らに説明し、今後の協力を仰いだ。今は少しでも味方が多い方が良い。
「リッケン王子、ここにおいででしたか。」
「メッツェか。」
自分の腹心の部下の登場に、リッケンは表情を和らげた。
「本国への伝令はすでに到達したものと思います。」
「ご苦労だった。」
有能なこの年若い部下に、リッケンはいつも感謝している。
「予定通りことが運んでいるようで、ほっとしたよ。」
リッケンはメッツェルダーに笑いかけた。
メッツェルダーは、この美しい王子が時折自分に心を許して見せてくれるこの笑顔が好きだった。彼はドルトムントと、そしてリッケンに忠誠を誓い、命をも懸ける覚悟でいる。
「・・・しかし、問題はこれからだな。」
しかしリッケンの笑顔はすぐに消え、メッツェルダーは再び現実に引き戻された。
「ご心配は無用ですよ、王子。我々の作戦は完璧です。全てがうまく行きますよ。」
「・・・そうだな。」
リッケンはほっとしたように再び笑顔を見せた。
2人は無言で、沈みゆく夕陽を眺めていた。
再び目覚めると、そこは冷たく硬い牢獄の床の上でも、暗く寒い森の中でもなく、心地よいベットの中だった。
自分を覗き込む懐かしい顔に、ノイビルは今だ夢の続きを見ているのではないかと錯覚した。
「ノイビル様! お気付きになられましたか!!」
自分を呼ぶ聞き覚えのある声に、これがもはや夢ではないことに気付く。
「シュ、シュナイダー? 本当にシュナイダーなの・・・?」
「はい・・・畏れ多くも、ノイビル様のお傍に付き添わせていただいておりました。」
「無事で良かった・・・他のみんなは・・・?」
ノイビルが体を起こそうとすると、シュナイダーはそっと腕を彼の背中に回して体を支えた。
「ラメロウもブットも無事でございます・・・しかし・・・」
「しかし・・・何?」
「フェラー王の行方は今だ定かではございません・・・」
シュナイダーが悲痛の表情を浮かべて言った。
「・・・父上・・・しかし今はお前達が無事で何よりだよ・・・」
子供のように無邪気に自分に抱きついてくるノイビルを、シュナイダーは畏れ多く思いながらも、きつく抱き締めた。
不意にドアがノックされる音に、ノイビルはビクッと怯えた。
シュナイダーはそんな彼に「大丈夫ですよ」と声を掛けると、扉の外にいる人物に入室を促した。
「おお、ノイビル殿、気付かれたか!」
現れたのは、甲冑姿のレーマーだった。
「レーマー殿!」
2人は久方ぶりの再会を喜びあった。
「おお、大事なことを忘れていた。たった今リッケン王子から伝令が届いて、バイエルン城を攻略したそうだ!」
「えっ、本当に!」
「うむ!」
レーマーの力強い肯定と共に、ノイビルとシュナイダーの歓声が上がった。
レバークーゼン城―――
ドルトムント軍のバイエルン占拠の報に、城中が緊迫した雰囲気に包まれていた。
そして誰もがカーン王の怒りに触れないように努めていた。
「えぇーい、一体バイエルンの様子はどうなっておるのじゃ!!!」
玉座の前を何度も行ったり来たりしながら、先程からカーンは同じ言葉を繰り返していた。
「そんなにお取り乱しになられますな。」
「むっ、おぬし、今までどこにおった!!」
突如現れた声の主に、カーンは不審に満ちた視線を投げ掛けた。
「そんなことはどうでもよろしいでしょう。それよりどうなさるおつもりですか?」
「勿論、このままでは済まさん。バイエルンを奪回するまでじゃ。」
「どのように? いたずらに攻めたとしても、敵の目論み通り挟み撃ちになるでしょうね。」
自分をなめたような発言をするこの若者に、カーンは忍耐の限界を越えそうになりながらも、それを必死に抑えていた。この若者には、何知れぬ力が漲っているのだ。
「挟み撃ちには挟み撃ちで対抗といきませんか?」
若者が口の端を歪めてフテキな笑みを浮かべながら言った。
「・・・うむ、その手があったな。」
カーンもニヤリと笑った。
「全てを私にお任せいただけませんか?」
暫しの間、カーンは沈黙した。
この若者は今はカーンに対して忠誠を誓っているような素振りを見せてはいるが、いつ飼い犬に手を噛まれるとも分からない。それを肝に銘じていながらも、カーンは彼を殺すことも、野に放すこともできずにいた。
しかしカーンの心は決まった。
「分かった。おぬしに任せよう。ただし、失敗は許されぬぞ、バラック!」
「御意。」
バラックと呼ばれたその若者は、颯爽と広間から出て行った。
「全く、何を考えているのか分からんヤツじゃ。しかしまあ、うまく行けば、わしは煩わしい思いをせずに済むし、失敗すればそれを理由にヤツを殺すこともできる・・・。暫しの間、わしは傍観するとするか・・・」
カーン王は先程までとはうって変わって上機嫌で玉座に越し掛けた。
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