| 生年月日 | 1973年9月13日 |
| 出身地 | Vienna,Austria |
| ポジション | MF |
彼の存在を知ったのは不覚にも結構最近だ。1998年W杯フランス大会、2大会振りにオーストリアが出場を果たしていた。オーストリアと言えば、ポルスター、ヘルツォーク、ファイヤージンガー、ショップ等々、ドイツのブンデスリーガで活躍(?)する選手が多かった。そんな理由で、私はこのチームをドイツ代表の次に応援していた。
その予選リーグ、第1戦カメルーン戦、第2戦チリ戦で、彼はスタメン出場を果たした。その時彼は右サイドでプレイしていたと思う。しかし、細かいことは覚えていないが、彼はとんでもなくひどいプレイを披露してくれたのだ。チリ戦の解説をしていた加茂周氏は、チェルニーをこてんぱんに評価していた。というわけで、両試合とも前半でお役御免となる始末…。そして第3戦の最も大切な試合、イタリア戦では使ってもらえなかったのだ。そんな訳で、その時の私の彼に対する印象は"使えないヤツ"だった。
W杯が終わった2ヶ月後、私はミュンヘン近郊の街へ留学した。
そして1860ミュンヘンの試合を観に行って、私はなんと、この時初めて、彼が60に所属していることを知った。初めて生で観た60の試合、何戦だったかなんて覚えちゃいないけど、私の目を引いたのがあの"使えない"チェルニーだった。彼はW杯時とはうって変わって素晴らしい動きで、サイドからセンタリングもキレイに決めていた。右・左両サイドできる選手なのだが、やはり右サイドが素晴らしい。当時の彼はスピードもあって、ゴール前に上がるタイミングも抜群だった。そしてサイドライン際で敵に囲まれても、少なくとも必ずコーナーキックに持ちこめる技(私は"チェル戦法"と勝手に名付けていた)が彼にはある(結構難しいと思うんだけど…)。
その日から私の中でチェルニーが気になる選手になっていた。そして60の練習場で初めて近くで生チェルを見て、あまりのかっこよさと優しさにほだされて、更に彼に惚れてしまったのだ。
彼は92〜94年まで、あのバイエルンミュンヘンでプレイしていたことがある。当時バイエルンのユースコーディネーターをしていたHermann Gerlandの伝手で移籍し、1年をユースチームで、1年半をプロとして過ごした。しかし、13試合に出場して、たった1ゴールという結果に終わった。その後、オーストリアに戻っていたが、60の元監督・ヴェルナー・ローラントが直々に彼に電話し、60へ誘った。そして彼は再びミュンヘンに戻ることになった。
さて、私がドイツで初めて彼のプレイを見た当時、ミーハーサッカー雑誌『BRAVO SPORT』に、チェルニーが"リーグ最高のサイドプレーヤー"と紹介されたことがある。今思えば信じられないことだが…。
それから数年、最近のチェルニーは60に欠かせない選手になっている(と信じたい)。しかしスランプに陥ると長いのが彼の悪いところ。そして良いときと悪いときのギャップが激しい。まだまだ30歳、オーストリア代表と60のためにもうひと頑張りして欲しいと心底願っている。

バイエルン時代、ゴールを決めた試合の後で
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