Jens Jeremies

生年月日1974年3月5日
出身地Goerlitz
ポジションMF

初めて彼を見たときの印象は、ズバリ『落ち武者』だった。
ドイツ代表の親善試合だか何だかがケーブルテレビで放映されたときのことである。その頃の彼を知っている人ならば、あの風貌に一度は慄いたことだろう。髪を振り乱して走る姿はまさに落ち武者。そんな彼の魅力は、何といってもスタミナであった。当時、その脅威の運動量が彼の売り物とされていた。恐いもの見たさからか、ボールを追ってがむしゃらに走る姿から、私は次第に目が離せなくなっていた。

イェレミースは1860ミュンヘンでの活躍が認められて、98年W杯を直前に控えた97年11月に代表に大抜擢された。
彼が60の選手としてミュンヘン・ダービーを戦ったときに、ピッチ上でマテウスと激しい言い争いをしたことがある。そのときのイェレミースは、大御所マテウスと全く互角、というか迫力では勝っていた。しかしそんな彼らも代表チームで顔を会わせれば、良き師弟関係とも言える仲であった。リベロとしてキャリアエンドが近かったマテウスの後継者として、守備的MFのイェレミースは期待の若手であった。

そして迎えた1998年ワールドカップ。彼は、アメリカ、ユーゴスラビア、クロアチア戦と3試合にフル出場した。クロアチア戦でゴールを阻止するためにネットに突っ込んでしまったときのシーンは、彼の気合い溢れるプレイを象徴しているようだった。
W杯が終わる頃には、私はすっかり彼に魅了されていた。周りには、「なんでイェレミースなわけ!?」と言われたものである。サッカー選手は勿論プレイで勝負、彼の実力を考えればこんなことを言われる筋合いはないのだが、きっとあの風貌は実力よりも際立っているのだろう。

W杯後は、60と犬猿の仲であるバイエルン・ミュンヘンに移籍した。私は当時バイエルンファンだったので特に何も思うところはなかったが、熱狂的
60ファンである今の私だったら、彼を裏切り者扱いして、多くの60ファン同様、ピッチにいる彼にブーイングを飛ばしていたと思う。

W杯が終わって2ヶ月後、私はミュンヘン近郊の町に留学した。目的はもちろんサッカー!とドイツ語
ドイツで初めて彼の声を聞いたが、その風貌に似合わず、舌足らずで何ともカワイイ声。そのギャップにかなりぶっ飛んだ。
さてさて、最初こそ真面目に学校に行っていたものの、留学終盤はさぼってよくバイエルンの練習場に出没していた。もちろんイェレミースも目当ての選手の一人だった。初めて間近で見た彼は何とも優しい顔つきで、ピッチ上とはまるで別人だった。そして結構オシャレなのだ。私の片言のドイツ語を一生懸命聞いてくれるイェレミースに私は好感を抱いた。

彼がバイエルンの選手として初めてミュンヘン・ダービーを戦ったとき、
60ファンのあまりのブーイングのために泣いてしまったという嘘か本当か分からないエピソードを聞いたことがある。真偽のほどは置いておいて、彼は自分を育ててくれた1860のことを決して忘れていないんだと私には思えてならなかった。たとえ彼がバイエルンでのプレイを望んでいたのだとしても・・・(ケッ)。
しかし、1999/2000シーズンのミュンヘン・ダービーでは、なんと自らのオウンゴールで60の勝利に貢献してしまった。60ファンは大喜びだったが、彼にとっては苦い思い出だろう。

バイエルンでもレギュラー選手として定着し、確実なキャリアを重ねていた彼だったが、2000年ヨーロッパ選手権以降は、8月に膝を故障したのを皮切りに、怪我に泣かされることが多くなった。その間、若手ハーグレイヴスなどにレギュラーを奪われてしまうのではないかという不安も生じた。

しかしイェレミースは見事に復活した。長い髪をばっさり切った彼は、2002/03シーズンではバイエルンの優勝には欠かせなかった存在のはずだ。代表ではカーンの代わりにキャプテンを務めたり、2002年W杯では7試合に出場、安定したベテランのプレイでドイツの準優勝に大きく貢献した。

余談ではあるが、チェルニーとイェレミースは親友なのだ。だから何?
って・・・別に・・・。


使用前     使用後 


あ・・・。

やってらんねーよ!


はまりすぎ・・・

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