* うちの子が診断された時 *

★ケース1 ・・・第2子(女の子)・第4子(女の子)
一人目の時は、私自身は全くわからなかったのですが、産院の医師達は生まれてすぐに色素沈着、むくみ、女の子特有の異常、体重減少、嘔吐の症状から、何かしら異常がある事には気づいていたみたいです。
その後、スクリーニング検査の結果で先天性代謝異常の診断、そして紹介された小児科で、CAHと言う診断を受けました。
産院から退院後、3〜4日後に小児科に行ったんだと思うんだけど・・・・
二人目も同じ産院での出産だった為、生まれてすぐに女の子特有の異常に気づいた医師がその場で私に告知、そしてどう思うか聞かれ、『まさしくそうですね。』と、いう事で、スクリーニング検査の結果を待たずに、出産の翌日に小児科に転院、検査の結果、CAHと診断されました。
赤ちゃんがいない6日間の入院生活は、苦痛以外のなにものでもなかったですよ〜
胸は張って痛いし、搾乳していてどんなに虚しかったか・・・・
同じ病院内での出産だったら、小児科まで行けば会う事も、ひょっとしたら母乳を与える事も出来たのかもしれないけどね〜


★ケース2 ・・・第2子(男の子)
産後、おっぱいの飲みが悪く、看護婦さんが与えてくれるミルクもあまり飲みません。 3070gで生まれたのに、退院時には2800gになってしまいました。実家に帰り、子育てが始まったのですが、息子の泣き声は元気がなく、ミルクの飲みもよくありません。よく吐くし。顔色も黒っぽいような、青っぽいような・・・。なんとなく心に『この子はどこかおかしいんじゃないか?』と思い始めていました。
生後11日目退院して5日目の夕方、病院からTEL。『お子さんの命に関わることですから、すぐに病院に来てください!』
このTELを受けたとき、頭の中は真っ白・・・。
出産した病院から医大に入院しましたが、そのときは命も危ない状態でした。詳しい検査の結果、先天性副腎皮質過形成と診断され、その後生後2ヶ月まで入院しました。
絞った母乳を冷凍パックにいれて、一日一回面会時間に会いに行くのが私の唯一の楽しみでした。点滴で入れる薬のおかげで体重のほうも徐々に増えてきました。
ビックリしたのは、息子は色白だったということ!病気のせいで肌が黒かっただけだったんですねぇ。

★ケース3 ・・・第3子(女の子)
娘は、39週、普通分娩、3200グラムで出産。地方の総合病院で出産。
やや、外陰部、乳輪の周りの色素沈着がありました。女の子特有の異常があり、翌日、小児科の先生の診察。泌尿器科の先生、内科の先生に診察していただいたが、ハッキリとしたことはわからなかった。そんなことがあったとは知らずに、出産の日の夕方、産婦人科の婦長から、「女の子だと思うのですけど、一応、染色体の検査(性別判断)をさせてもらいます。」といわれ、事の展開について行けず、主人と、言われるがままでした。もちろん、友人、両親には、女の子と明言した後の出来事で、ただ、女の子の結果がでるのを信じていました。オッパイの飲みもよく、吐くこともなく、普通の新生児です。
いよいよ退院の前日、小児科の退院診察の後、もう一人の小児科の先生があわててわたしのこどもの所にやってきました。今の主治医です。こどもを見るなりこの病気を疑い、採血、おしっこパックをはり、検尿をしました。そして、げーげー吐くようならすぐに来院すること、元気が無くぐったりするようなら来院することを言われて退院になりました。
何日かして、病院の婦長からрェありました。先天代謝異常検査が異常の結果がでました。再検査に出していますと。
また数日して、先生からお話がありますので来院してくださいと言われ、色素沈着、女の子特有の異常、先天代謝異常症の結果、本日の採血の結果を合わせ、確定診断をし、病状の説明をされました。即入院です。
主人が仕事で、自分一人で病状を聞いて、頭の中は真っ白になったけど、病状の説明の紙はしっかりともらってきました。

★ケース4 ・・・第2子(女の子)
どのように診断されたか・・・そして立ち直るまで

出産後まもなく、いろいろな特有の症状により、おそらくこの病気であろう
ということを告げられました。まだ、私は分娩台の上でした。
産声が聞こえたのに、誰も口を開かず、ただ黙々といろんな処置がなされ
「男の子ですか?女の子ですか?」という私の問いに、ただ「元気なあかちゃんですよ」という返事。
ひととおりの処置が終わり、簡単な病気の説明を受けましたが、詳しくは検査結果が出てからと言われ、
私の頭はパニック状態でした。
「この子はどうなるの?」「ちゃんと成長するの?」「どんな病気なの?」「なんでうちの子が・・・」

主人はこの日、高熱を出した長男を小児科に連れて行っていて、ずっと連絡がとれず
私一人で長い長い時間を過ごしました。
やっとのことで事態を知った主人は、意外にも冷静で「たとえどんな病気でも、大事な子供にかわりはない。
いつまでも大切に、自分が面倒をみてやる!」とすべてを受け入れ、こころの整理をつけているようでした。
すっかり混乱していた私には、主人の強い意志だけが支えでした。

そして、8日目の夜中、授乳中に小児科の先生が突然やってきて、
「今すぐにこの薬を飲ませてください。命にかかわります。」というのです。
血液検査の結果から、症状がずいぶん悪化していることがわかり、翌朝すぐに新生児集中治療室に運ばれて行きました。
そこには赤ちゃんから小学生くらいまで、十数人の子供たちがいました。
たくさんの管や装置に囲まれ、おそらくこの部屋から一度もでたことがないと思われる子供たち。
それでも面会にこられたお母さんたちは、一生懸命やさしい言葉をかけたり、音楽を聞かせてあげたり・・・
そんな人たちを見ていて、しあわせってなんだろうと考えるようになりました。

普通に五体満足に生まれた子供たちが、みんな幸せになれるとはかぎりません。
途中で病気になったり、事故で体が不自由になったり、命を落とすことすらあります。
病気をもって生まれてきたけれど、明るく前向きにがんばって、誰よりも実り多い人生を歩んで欲しい。
そのために私はできる限りのことをしてあげよう!
こんなふうに気持ちを切り替えることができて、やっと立ち直ることができたのでした。


★ケース5 ・・・第1子(女の子)
<スクリーニング検査の対象になる以前・・・現在15歳>

生まれた時は、他の赤ちゃんと比べて色も黒いし、元気もない、そんな状況でした。
スクリーニング検査もないし、まだ一般的でない疾患であるにもかかわらず、すぐにCAHとわかったのは、たまたま出産した総合病院の小児科に、同じCAHの患者さんがいらっしゃったことが幸いしたようです。
(ここは、もちろんCAHの専門病院ではないので、軽い風邪の時などにみてもらっていたようです。)
小児科の先生がすぐにその先生と連絡をとってくださいました。
いくつかの症状から、やはり、「CAHの疑いあり」ということで、生まれた翌日にその専門病院に転院。
そして転院先での検査で、正式にCAHと診断。

私は初めての授乳の時に知らされたのですが、夫には既に知らされていて、翌日に転院になる話ももう決まっていました。
先生方の素早い対処と連携には感謝の気持ちで一杯です。
私は初めての出産ということで半分意識朦朧としながら、子供と別れたのを覚えています。

子供は1ヶ月ほど入院。
CAHの説明を受けても、なかなかピンとこなく、それでもやっぱり落ち込みそうな私を
「先のことをあれこれ考えてもしかたがない」という夫の励ましがあったので、あまりくよくよしないで済んだのかもしれません。
退院して育児がはじまると、薬を飲ませ、ミルクを飲ませ、おむつをかえ、泣いたらあやし、初めての子育てもあって悪戦苦闘!
毎日が大変で無我夢中でした。育児ノイローゼになりかけたことも!?
夫や両方の両親の協力のもと、なんとかやってこれました。(感謝!)


★ケース6 ・・・第1子(男の子・アメリカ)
初めての出産は難産で、26時間かかって生まれた子は3880グラムの大きな男の子。はじめての夜はナーサリーに預かってもらい、次の日から母乳を飲ませる練習を開始しました。私はあげ方がよくわからないし、息子も飲み方がよくわからないでわんわん泣くばかり。3日目の朝には、体重が1割以上減り、4日目も体重がまだ減るばかり。小児科に連れていきましたが、たぶん母乳が本格的に出てこないからだろうと、電気搾乳器を購入して刺激するよう指導されました。
そして生後1週間たった日、小児科医から「スクリーニングの結果、ポタシウムのレベルが高いので、念のためすぐ病院に連れて来て再血液検査を受けて下さい」という連絡がありました。これが金曜日の夕方。家に息子を連れて帰って来てまもなくすぐ検査結果が出て、再び小児科医から電話。「すぐに救急へ行って下さい。」

救急へいくと、すぐに看護婦さんが息子の腕に点滴のくだをいれようとしましたが、これが大変!息子は泣きわめくし、生後1週間の子の細腕で血管をみつけるのが一苦労。それからさらにACTHテストを行い、副腎皮質過形成(以下CAH)であるということが確定したようですが、出産の痛みがまだのこっていて満足に歩けなかった私は、まわりでおこっていたことはあまりよくわからなかったのが正直なところです。

検査が終わり、息子はNICU(新生児集中治療室)へ入ることになり、その後私たちは待ち合い室へ。若いお医者さんが3人やってきて、CAHについて説明をしてくれました。病名からなにから、初めて聞くことばかり、しかも医学用語ばかり。ひとつだけはっきりわかったのは、これから一生薬を服用しなければならないことでした。それだけで目の前がまっくらになりました...

その後私たちが宿泊する部屋に、これから息子の内分泌科の主治医になるドクターが助手をつれてやってきました。さらにくわしいCAHの説明...2種類の薬を毎日飲むこと、緊急時には注射をしなければならないこと(アメリカではコートリルと同じ成分の薬をクライシスがおこりそうな時に注射するよう指導されます)、メディカル・ブレスレットを着用すること...
それよりも、私が使命のように考えていたのは、息子に母乳をあげること!2時間おきに起きてNICUへ行き、授乳をしました。いろんな管をまかれて、かわいそう...とは実は思わなかったのは、まわりの赤ちゃんたちのほうが、息子よりずっとかぼそくて、痛々しかったから。息子は体重が減っても3300グラム以上あるから、コットが窮屈そうだったりして。ほかの赤ちゃんはみんな未熟児だもの。しかも母乳をぐんぐん飲むようになったから、元気になっているのが手にとるようにわかったんです。
それにしてもNICUの看護婦さん、みんなとても親切だったな〜授乳がしやすいように、授乳用の枕とか、足台とか、飲み物とか、いろんなものを頼まなくても持って来てくれるんですよ。それからミレイの小児科の先生!息子の病気を疑ってからのすばやい行動、週末お休みだったのにNICUまで来て、見てくれて。今でも大感謝しています。

さて、次の日には普通の病室があいたので、そちらに移ることになりました。こちらはもっと事務的で、看護婦さんも検温や薬の時間以外はあまり立ち寄らず、放っておかれた感じでした。入院してから4日目、月曜日に新しい数値が出て、まだ高いものの安定しているので、退院することに。私はトイレへ行くのも大変だったから、とにかく嬉しかった!でも明日からちゃんとお薬を自分たちであげられるんだろうか???退院前に、看護婦さんから筋肉注射の指導を受けましたが、緊急時、というのがいまいちぴんとこず、なんだか他人事のように練習しました。

CAHと診断されてショック、という気持ちはあとからじわじわとやってきました。ちょうど同じ時期に何人かの友だちが出産して、「何ごとも問題なく、健康に育ってます」というふうにいわれると、心が傷つきました。それから息子がクライシスにあって、突然亡くなってしまうのではないかという恐怖。いなくなってしまったとき悲しみにくれるのが嫌だから、愛情をあまり注がずにおこう...なんて思っていました。彼がどんどん元気に育っていくのを見ているうちに、そんな気持ちも薄らいできましたけどね。

そんなときに、やはりCAHの女の子をふたりもつ友だちからこんなお話を聞きました。細かいところは覚えてないんだけど...障害のある子をもつってどんな気持ち?と聞かれたら、私はイタリアに行こうと思っていたのに、オランダについてしまったようなもの、と答えます。ずっとイタリアに憧れて、あそこを訪れようとか、あんな美術品をみようとか、美味しいイタリア料理を食べようとか、計画をいろいろたて、飛行機にのりました。
さあ、目的地に到着!ところが機内のアナウンスが「オランダへようこそ」。えっ、私はイタリアへいくはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったの?私はとってもがっかりして、イタリアへ行ったらあんなことも、こんなこともしたかったのに、と悲しく思います。夢に描いていたイタリアにくらべて、オランダのなんてつまらないこと!こんなはずではなかったのに...
でも、よくまわりを見渡してみてください。オランダにも素晴らしいところはたくさんあります。親切な人たちもたくさんいます。美しい美術品もたくさんあります。だんだん オランダの良さがわかってきます。オランダにいて、ああ、イタリアへ行くはずだったのに、とずっと考えていたらなんとつまらないことでしょう。夢に描いていたことばかり追い求めていたら、いまいる場所の素晴らしさに気付くことはできないでしょう。

そう...なんですよ!息子がCAHで、不安は数かぎりなくあります。はっきりいって、薬をきちんと飲ませるというだけで、ストレスがたまります。でも息子がCAHのおかげで、得られたものもたくさんあります。医学の知識、人の親切にたいする感謝の気持ち、そして素晴らしい友人たち!
それにわがマナ息子はわたしたち夫婦にとって、だれにもかえがたい存在です。生まれたばかりの赤ちゃんがCAHで、悲観にくれるのはあたりまえです。それでも、薬をあげたり、熱をだしたら心配したり、そんなことをしているうちに、いつのまにかCAHが生活の一部になってきますよ。



新生児スクリーニング
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先天性代謝異常等検査