Down Underへ

英国人は南半球の旧占領地(今でも心の中では属国だと思っている人が結構いたりする)をDown Underと呼ぶ。上も下もないだろうに。Far Eastも似たようなものだけど,彼らにとってアジアはインド。それより先は東の果て。

まだ大学院生だったころから出張以外では南ばかり行っていた。

New Zealand エアニュージーランドはとても快適,英語もわかりやすい。マオリ語は日本語に似ている。おいしくて天気の良い英国という感じ。料理と天気に耐えられなくなった人が移住したのかも。温泉もあるし,木が日本の3倍のスピードで成長するほど日射量と水が豊富。とにかく人が少ないので平和。隠居生活地の候補にしている。
Australia カンタスとアンセット利用。メルボルンはいい感じだったが,シドニーは苦手,というより時期がわるかった。とにかくハエだらけ。料理も選ばないといいものにありつけない。スケールが大きすぎてなじめない。アメリカを感じてしまった。
Fiji エアパシフィックと船。まだマナ島は日本人だらけではなかった頃で,素潜り三昧でお腹が減ったところに魚の塩焼きがめちゃウマ。野菜はニュージーランドから来るのかも。本島の市街はインド人が多い。やはり旧英国占領地。こんどは違う島に行こう。
New Caledonia 言葉の壁にぶちあたる。旧フランス領で物価が非常に高い。それでもエスカペード(エスケープ)島とパン島で素潜りを満喫したので文句はいえない。多分もういかない。いくならゴーギャンのタヒチ。バリハイ。

本当は場所で選びたい国際会議

国際会議での発表は研究屋の重要な仕事である。とくに本質的にあまり研究向きでない人間は「プレゼン命」だ。国内での発表も大切だが,派手さに欠ける。

日本人の参加者は結構団体で参加している。大学の先生が学生を連れてきたり,企業が客先企業の方の発表準備と質疑応答を担当したり。参加者には「本当はだれが研究しているのが」が一発でわかる。私は通常1人で行く。下記は年代順ではなく,思い出した順。
ベルサイユ/パリ まだバブル期の民間企業にいた。JALのビジネスクラスで飛び,パリでのホテルはニッコーパリだ。もうこの先絶対無理な組み合わせ。成田で「お客様!エコノミーはこちらにお並び下さい!」とどなられたのは見かけで判断されたためだろう。同業他社と団体行動になるが,途中パリで抜け出した。フランスのベトナム料理のおいしさといったら!もう感激。
レスター ヴァージンアトランティックのエコノミー。プレミアムエコノミーなら良いが,ただのエコノミーは小型の私にも狭すぎ。ここに,数年後まさか1年も住み着くことになるとは思わなかったが,会議は大学本部ではなく大学の植物園近くのゲストハウス,環境はよかった。会議はとても楽しく,お仕事充実。それでレスターの印象も良かったのかも。
バージニアビーチ アメリカ。ノースウェスト航空の乗り継ぎ便が欠航,ニューヨークまで行って乗り換え。その2便とも座席の両側は巨大な米国人。生きた心地がしなかった。名前は良いが実はノーフォーク軍基地の近所。レストランで横須賀にいただのなんだの結構話しかけられる。ノリについていけない。会議だけでさっさと帰る。
モントリオール カナダ弁のフランス語の街。これもノースウェストで飛ぶ。本名モンレアル。トロントにも寄ったが安全なアメリカという感じ。食事は各国モノが食べられるし,素材が良いので春夏は住んでもいいかも。英語はわかりやすい。
アトランタ ノースウェスト直行。CNNとコカコーラが名物。街のサイズがやはり大きすぎ。アメリカ大陸はだめだと確認しに行ったようなもの。現地でアメリカ滞在中の研究仲間に会えたのだけが収穫。それに米語はむつかしい。
ヴァステロス スウェーデン。BAで乗り継ぎ。というのも会議後にロンドン経由でトゥールでの会議に向かうため。私のメインの会議で仕事モードの私にとっては大満足。ABBの研究所も訪問できた。ヴァイキングの歴史を聞きながら離島を散策できた。夏のはず。冬物最終売り尽くしのキルティングのコートを2000円で購入。食事はバツ。「北欧」のパンは日本製にかぎる。魚のマリネも塩気がきつすぎ。キッチンが有れば他の素材と混ぜていただろう。それに税金が高くモノの値段が日本の5倍くらいする。
ポアティエ ANA利用だったと思う。静電気の会議で,いつもと顔触れが違い,ディスカッションに熱が入らない。が,そういう時は自由時間が充実するものだ。会場は未来テーマパークのフチュロスコープという変なところだったが,ポアティエの街がいい。が,私にとっての大問題は...主催者の用意した食事は臓物料理や肉肉肉...。付け合わせまで肉汁が染み込んでいて,パンとワインという教会食で我慢。
トゥール トゥールポアティエの戦いの両地に行ったことになる。英国人の友人ロンドンからユーロスター・パリ経由で行動を共にしたため,残念な食事になってしまった。ヴァステロスから続けて参加した。そういう人がたくさん。ここも基本的には肉だったようだ。ポスターセッションが宴会と一緒というのが,なんともフレンチ。街をまわるまもなく会議最終日にパリへ移動して帰国。最後のパリでスウェーデンから続いていた飢餓感を一気に挽回...する気力もなく疲れていた。
カンタベリー もう何回いっただろう。これは毎年恒例で慣れすぎ。

アメリカ大陸は私には街のサイズが大きすぎる。でもメインの会議のひとつはアメリカ大陸で行なわれる。2000年はカナダ,ブリティッシュコロンビア。景色はよさそうだ。


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