「ノリ」で行動する若者たち (1996年4月発表)

● いじめっ子に適切なケアを
● いじめを扇動する環境
● 限界状況かかえる教育現場
● 三分の一が「イライラ青年」
● 「ノリ」を重視する若者たち
● 写真雑誌で女子十五人暴行
● 家庭の教育力低下が子供に影響
● 自ら「純潔」を選択する時代
 昨年もいじめによる自殺が多発した。凶悪事件も増加する中、若者たちの 心の歪みが浮き彫りにされた。
 規範ではなく「ノリ」を行動基準とする若者たちは、辺り一面に「うっ憤」 をまき散らしながら迷走している。

W-CARP Japan(ワールドカープ・ジャパン)倫理問題調査会



■いじめっ子に適切なケアを

 昨年十一月二十七日、新潟県上越市の中学一年生、伊藤準君が同級生からの執拗ないじめを苦に自殺した。十二月六日には千葉県神崎町で中学二年の鈴木照美さんが、クラスメートから「言葉によるいじめ」を受け自ら命を絶った。二人とも自分たちをいじめた生徒を名指しで告発する遺書を書き残していた。
 九四年秋に愛知県西尾市で中学二年の大河内清輝君がいじめを苦にして自殺して以来、いじめ対策が各方面で講じられたがその効果もむなしく、いじめの犠牲者は後を絶たない。伊藤君が自殺したのは丁度、大河内君の一周忌であった。
 文部省の報告によれば、九四年度の公立学校(小・中・高校、特殊教育諸学校)における「いじめ」は、五万六千六百一件に上り、前年度の二・六倍だった。報告数が急増した原因は、大河内君の自殺事件を契機に学校現場のいじめの実態が総点検されたことである。文部省が提示しているいじめの判断基準に、「学校として、その事実を確認しているもの」という項目があり、この場合、生徒や家族がいじめの証言をしても、学校が認めないといじめは存在しないということもあった。そのため今回は、この項目をはずして調査したため、少しは実態に近づいたといえる。しかし一方では三人に一人が学校でいじめに遭い、その半数以上が親や教師にも相談できずに我慢していたという調査結果(くもん子ども研究所)もあり、 実態は未だつかみ切れていないのが実情だ。
 警察が認知したいじめ事件の場合、いじめの原因動機は、「力が弱い・無抵抗」(四四%)、「いい子ぶる・なまいき」(一五%)、「仲間から離れようとする」(一〇%)であった。現代の子供は、学歴偏重の風潮、家族関係の希薄さや家庭が抱える様々な問題によって、相当のストレスがうっ積している。それを都合のよい弱者に発散させる行為が「いじめ」となる。 また、弱者を支配する優越感によって、自らの劣等感を癒そうとする行為でもある。
 米国の小・中・高校には、「スクールサイコロジスト(学校心理士)」とよばれる専門家が常駐して、いわゆるいじめっ子に対してカウンセリングを行い、いじめる動機や家庭環境などを聞き出すという。日本においても、いじめられっ子(被害者)よりもいじめっ子(加害者)の方にもっと目を向ける必要がある。いじめをなくすためには、加害者に「いじめは人間として絶対に許されない行為」として、専門的なカウンセリング指導を施すほか、その親に対しても、適切な指導が求められる。いじめの対症療法ではなく、火種をなくす恒常的な心のケアを施そうとするなら、教師や養護教諭のみならず、心の指導をする専門家が必要である。それほどまでに、現代の子供の背負っている家庭環境の複雑さ、ストレスは深刻になっているのではないだろうか。
 昨年度から百五十四校に緊急に派遣された臨床心理士などの「スクールカウンセラー」は、今年度から全国五百六校まで実施対象が広がるが、全国四万校に及ぶ小・中・高校から見ると、ようやく動きだした程度と言わざるを得ない。


■いじめを扇動する環境

 現在、子供の周囲にはいじめ行為を煽る社会的風潮が広がり、見過ごせない状況となっている。
 まず第一に上げられるのはテレビのお笑い番組に登場するいじめである。東洋英和女学院大助教授の岡本浩一氏は、「月刊現代」(九六年二月)でお笑い番組が「いじめの手本」になっていると指摘する。
 「ひとりふたりの『軍団メンバー』に嫌なことをやらせて、それをまわりで笑っている。とうてい食べられそうにないものを食べさせ、嫌がりながら食べている様子を、はやし立て、笑いながら『鑑賞』する」、「『人の苦しみを見て喜ぶ』という心の動きとその周辺コミュニケーションを教えつけていることが問題なのである。直接的な模倣が起こらなくても、『いじめる意図』の模倣が起こることが問題」と同氏はいう。
 確かに最近の笑いは、ウケることが目的でその質を問うことはない。そして私たちはその異常さに気をとめないほど不感症になっている。いじめっ子に人をいじめている自覚がなく、遊びのつもりだったというのも同じ感性ではないか。現代の子供の遊び感覚の範疇には、人の困っている姿を見て喜ぶこと」が含まれているのだ。
 第二に、いじめを助長させる土壌の一部となっているのがファミコンゲームである。ゲームの中で展開するストーリーは殺す、殺される関係であることが多い。中でもファイティングゲームはよりリアルになり、子供たちは殴る、蹴るの技術を向上させている。
 ところが、このような残酷なものが「ゲーム」として容認され、その異常さに私たちが鈍感になっているのは先ほどのテレビ同様である。仮想空間で展開する暴力的快感を現実でも味わってみたいという衝動が、子供の心に生じるのは当然といえよう。
 また、この手のゲームの場合、「死」はありふれたもので、死んだキャラクターがまた生き返ることもある。死にゆく人間に対する同情は必要ない。この遊びの中のありふれた「暴力」や「死」が、子供たちを歯止めない過激な暴力に走らせる要因となっていると考えられる。
 さらには、マスコミ報道が自殺を煽るという意見もある。日本自殺予防学会は、マスコミ報道が自殺の流行の媒介となることを危惧し、九四年十二月に緊急アピールを発表した。自殺をセンセーショナルに扱うと流行が生まれ、一旦始まった流行は悪循環をもたらし、容易に鎮静化させることができなくなる。そのことを配慮して報道を慎重にするよう促したものだ。
 八六年は、マスコミのいじめに関する報道が過熱していたところへ、アイドル歌手岡田有希子が自殺し、これが大きく報道されて自殺の流行が発生した。一カ月ほどの間に百名以上の若者の自殺があったのだからまったく恐ろしいばかりだ。
 筑波大学の小田晋教授も、「新潮」(九六年二月一日発行)で、「『いじめ自殺』についての大仰な新聞報道は、むしろ子どもの『自殺ロマン』をかき立ててしまう」と指摘している。
 昨今のいじめ自殺は新聞報道のみならず、テレビのワイドショーにまで取り上げられ、社会に広く知らしめられる。この種の自殺報道は、「加害者に生涯の責め苦と改悛の情を抱かせることが可能だ」と、いじめられっ子に印象付けさせ、最終手段としての新たな自殺を誘発しかねない。日本自殺予防学会が指摘するように、興味本位な報道は控えるべきである。視聴者の中に自殺予備軍がいることを配慮し、その内容を吟味しなくてはならない。


■限界状況かかえる教育現場

 以上のように、子供の周囲には、結果的に「いじめ」と「自殺」を扇動するような空気が存在しているが、子供たちを直接教育する現場はどのような状況だろうか。
 いじめ事件が多発し、「いじめ対策元年」となった八五年、文部省初等中等教育局長は、各都道府県教育委員会あてに「いじめ問題の解決のためのアピール」なるものを通知した。「いじめの問題に関する五つの基本認識」に続いて、「学校において緊急に取り組むべき五つのポイント」、「教育委員会において緊急に取り組むべき五つのポイント」、「家庭において配慮すべき三つのポイント」に分けて、それぞれ取り組むべきことが具体的に示されている。
 いじめの根絶を目的としたこのアピールは、いじめ対策決定版マニュアルのように微に入り細にわたって指示されており、確かにこの事項全てが徹底されれば「根絶」も可能だろう。これが功を奏したかのように、八五年にいじめ発生の報告件数が十五万五千件だったのが、翌年は、三分の一になり、これ以降も減少傾向で、九三年には二万一千五百九十八件となった。が、これは単に報告数であり、いじめの実態とかけ離れていると指摘する教育関係者は少なくなかった。
 親や教師の目のとどかない所で行われるいじめを把握することは難しいし、いじめが子供の人間関係の延長にあることからも、いじめかどうかの判断は微妙である。また、教育現場がそれを認識できても率直に報告する体質が備っているかは疑問である。なぜなら、いじめ増加の報告はその学校の管理状態の悪さを示し、上部機関からの期待に応えられないことを意味する。いじめを学校の中にとじ込めてしまう流れがあるのも当然といえよう。
 いじめ対策が追い付かない理由として、最も深刻なのは、教師が忙しすぎるということではないだろうか。通常の授業を始め、部活動指導、研究授業と報告書作り、各種会議、研修と出張、文化祭・体育祭などの学校行事の計画、内申書の作成等々、教師がいくつもの役を兼任している。早朝出勤に、持ち帰り残業、休日勤務と多忙を極める。いじめを問題視しない教師はいないだろう。しかし、子供たちに一対一で向き合う時間もなければ精神的余裕もなくなるほどに膨大な仕事がある。
 文部省の調査によると、九四年度に病気で休職した教職員数は三千三百六十四人。うち、 精神性疾患による教職者は全体の三 三・一%を占め、十五年前からほぼ倍増した。教育現場へかかるプレッシャーは想像以上に大きい。
 伊藤準君や鈴木照美さんらの自殺の後、十二月十五日、文部省は各教育委員会委員長会議を開催し、いじめ問題の取組の徹底を指示した。だが、パンク状態の教育現場にこれ以上の徹底事項を受け止める容量が残っているかが問題なのである。教育現場の実際を知らない人々は、「金八先生」のような教師がいれば、いじめは解決できると期待しやすいが、それはすでに過剰な期待といえる。教師の資質の問題もさることながら、現場の教師の本音は、「金八先生のように生徒の問題解決だけに全力投入している時間的余裕はない」というものだ。
 教師の役割の一部を地域社会や家庭に委譲し仕事量を軽減させるか、教師一人当たりに対 する生徒人数を減らす以外に、問題解決を実際的に進める道はないように思える。


■三分の一が「イライラ青年」

 深刻化している「いじめ問題」に触れてきたが、いじめ体質は学校だけにとどまらまない。
 東京都が報告した「大都市青少年の生活・価値観に関する調査」(九五年十月)によれば、「イライラ青年」の割合が十八年間増加傾向を示し、九四年では全体の三三・七%となった(図1)。この調査は東京都に居住する十五歳から二十九歳までの男女約千五百人の回答によるものである。
 「イライラ青年」とは、世の中のすべてのことが不満のタネで気に食わないことばかりで、何がどう不満かと言われてもはっきりしない。人間への不信が強く、押し付けや説教には反抗的。規範を守らない割には自分なりの価値観があり、それをあえて主張しない。こういう特徴をもった青年をさす。一方、堅実型青少年をさす「コツコツ」青年の割合は減少傾向にある。
 昨年から、この「イライラ青年」を象徴するような事件が多発している。

●昨年九月、東京都の私立高校一年の女生徒(一七)ら少女三人が、ボーイフレンドに新しい彼女を紹介したことに腹を立て、紹介した都立高校二年の女生徒(一六)に集団で、たばこの火を胸や背中に押し付けたり、殴る蹴るなどの暴行を加え、全治二週間のけがを負わせた。
●昨年九月、千葉県で母親から学校の成績について日頃から注意されていた高校二年男子(一六)が、「少しは将来のことを考えるように」と言われ、カッとなって母親を包丁で刺し殺した。
●昨年十月、東京都の無職少年(一七)ら三人が、公園のベンチにねていたホームレス男性(六九)に対し、「向こうに行け」「無視するとは何事だ」などと言いがかりを付け、足蹴りするなどの暴行を加え死に至らしめた。
●昨年十月、埼玉県でテレビの音楽番組を見ようとした高校二年の姉(一七)と、同テレビでゲームをしようとした中学二年の弟(一四)とがけんかになり、弟に殴られた姉は腹を立て、果物ナイフで弟を刺殺した。
●今年一月、東京都で私立中学受験を控えた小学六年女児(一一)が、「受験を控えてむしゃくしゃしていた」ことを理由にスーパーなどに連続放火した。
●今年二月、兵庫県で高校二年の少年(一七)が、同級生男子(一七)から悪口を言われたことに腹を立て、電話で呼び出し、なたやスコップなどで頭や背中を十数カ所切りつけ殺害した。
 これ以外にも昨年は、少年による殺人、暴行、恐喝、傷害といった凶悪・粗暴犯が前年に比べ増加している。
 現代の若者の三分の一は、イライラし、ムカツイている。たとえれば濁流と化した川である。いつ堰(せき)を崩して周囲を飲み込むか分からない。しかし、詳しく見ていくと、奇 妙なことにこの怒涛の流れはある種の軽快なリズムを伴っていることに気付かされる。


■「ノリ」を重視する若者たち

 音楽シーンにヒット曲を次々と送り出すプロデューサーに小室哲哉氏がいる。trf、安室奈美恵、華原朋美など、作詞、作曲、編曲、録音まで一人でこなし、「日経トレンディ」の九五年ヒット作品の第七位に「小室哲哉プロデュース曲」が入るほどだ。
 小室作品が若者うけする理由は、「ノリ」が重視されていることだ。スピード感あふれるテクノ・ダンス・ビートは、若者たちの心にダイレクトに共鳴する。
 一方、若者音楽で小室ファミリーと双璧をなしているのが、ジャニーズ事務所が送り出すSMAP、TOKIO、KinkiKids、V6などである。とくにSMAPは女子中高生のアイドルのみならず、エンターテイナーとしての実力を感じさせる。一人一人のメンバーも個性的だが、中でも木村拓哉の人気はただならぬものだ。「キムタク」現象なるものも生み出し、その経済効果には目を見張るものがある。
 小室ファミリーもジャニーズ系も抜群に「ノリ」がよく、ただのアイドルに収らないプロとしてのうまさがある。
 若者たちが住む「ノリ」の世界は、リズミカルな楽しさで満ちている。しかし、この楽しさ以上の高次元的な充実感がないままに、「ノリ」を行動基準として最優先すれば、時として善悪の境界線を跳び越えてしまう。
 不平不満に満ちた若者が、そのうっ積したものを発散させるため、「ノリ」の感覚で弱者をいじめる。面白半分に暴力を行使する。スリルを味わうために延長で万引きする。近年の少年非行の特徴は「遊び型非行」といわれるほどだ。
 商業社会にも「ノリ」の感覚は満ちている。テレビ番組は楽しければ何をやってもよいということで、下品な趣向に走りがちだ。空前のベストセラーとなったダウンタウンの松本人志の『遺書』(九四年十月、朝日新聞社)、『松本』(九五年十月、同社)なども、「ウケ」ればよい式の主張がテンポよくつづられた本だ。
 若者が好む「ノリ」には、自己中心的な感性が潜んでいるだけに、他人を思いやる心や、自身を抑制する心を麻痺させる落とし穴があることを忘れてはならない。
 「モノグラフ・高校生 」(福武書店、九五年二月一日発行)によれば、高校生で「避妊さえ完全ならば、高校生どうしSEXをしても別にかまわない」という男子は七七・三%で、女子は七六・七%であった(九四年調査)。六年前には男子六一・九%、女子五七・五%だったことからすると、性交渉の許容性は六年間で大幅に増加したことがわか る。
 さらに、異性に声をかけられた(ナンパされた)とき、どのように反応するかという問いに対して、女子高生で、「一応相手を見て、感じがよかったら、ノリで返事をするくらい」が四九・九%、「相手を見て、感じが良かったら、一緒に行動する」が一〇・二%であった(図2)。
 「ナンパへは『ノリ』で反応する現状は、性体験でさえも『ノリ』で経験してしまう可能性も否定できない」と同書はまとめている。「ノリ」が性行動にも影響しているのだ。
 一方、「モノグラフ中学生の世界 」(ベネッセ教育研究所、九五年十一月一日発行)では、規範感覚を八三年の調査と九五年の調査とで比較しているが、質問のすべての項目について「悪い」と思う割合が低下している。
 たとえば「放置してある他人の自転車に乗る」ことを「とても悪い」と思う割合は、八三年で六四・八%だったのが、九五年では四七・三%と三割近く低下している。また、「自室でタバコを吸う」ことを「とても悪い」と思う割合は、八三年で六二・八%だったのが、九五年で三九・五%と四割近くも低下している(図3)。結果として、最近の子供には基本的な規範意識すら根付いていないことが明らかになった。
 「悪い」ことを「悪い」と思わない若者の最たるものがブルセラである。女子高生が「自分の下着を売ってなぜ悪い」「誰にも迷惑をかけていない」と主張し、社会もその主張に押され気味だ。が、日本経済新聞(九五年六月十七日付夕刊)に掲載された東京工業大学の永田えり子助手の主張には目を引くものがある。
 「それでも、やはり、ブルセラは悪い。なぜならそれは社会を成り立たせている最低限の規範に反しているからだ。つまり不道徳ということだ。そして、そうであることを大人は知 っているはずだし、実は少女たちも、また、ブルセラ業者や商品を買う男たちでさえ、知っているはずなのである」 「『なぜ悪いか』を問うていけば、いつか必ず『悪いから悪い』というしかないところにたどり着く。下着を売ってはならないといったわれわれの直感は、そうした公理のひとつである」と、これこそまさに正論である。つまり、ブルセラは、悪だからこそ商売として成り立っているのだ。
 人間は誰しも良心をもっているため、良心に恥じることは他人に言われなくても分かる。 しかし、時としてその良心に従うことよりも、違う基準をあてがいそれに従うようになる。この時、それは「悪いこと」「不道徳である」と教示されることが必要なのだ。しかし、「良いこと」「悪いこと」を教育できない社会環境は、現に存在し、その不分別さは子供の規範意識に直結している。


■写真雑誌で女子十五人暴行

 若者たちを取り巻く生活環境が与える影響は深刻である。雑誌、テレホンクラブ、アダルトビデオ、CD・ROM、ファミコンゲーム、インターネットと、いたるところに商品化された性が溢れている。それもヘア解禁の限度を知らない過激な性描写がまかり通っている。まさしく垂れ流し状態だ。  扇情させられた若者たちが、善悪の感覚もないままに欲望に従った結果、忌わしい性犯罪に発展したケースもある。
 昨年十一月二十七日までに、東京で「レイプ少年団」といわれる十人の少年(いずれも十七、八歳)が逮捕された。少年らは駅前で制服姿の女子高生に目星をつけ、集団で尾行し、人目につきにくい駐車場、マンションの非常階段、公園などにさしかかると、一人が女性の背後から抱きつき助けを呼べないように口をふさぎ、さらに殴りつけ、抵抗できないようにして暴行に及んでいた。被害者は判明しているだけで十五人。少年といえども悪辣な犯行である。
 少年たちの自宅からは、コンビニや自動販売機で購入した約二百冊に及ぶ猥褻な写真雑誌やマンガ雑誌などが見つかった。制服姿の淫らな写真が満載で、中には過激なレイプシーンも掲載されていた。少年らは「エロ雑誌を見ていたら我慢できなくなって、本物の制服の女子高生を雑誌みたいに乱暴したくなった」などと供述している。猥褻雑誌は彼らの欲情を満たすだけでなく、犯罪教本として用いられていたのだ。
 東京都青少年健全育成条例では、猥褻性や残虐性の強い有害図書を指定し、青少年への販売を制限することができるが、実際は、指定審査は月一回で、指定図書が書店に通知されても、次号が無関係に発売されるため実効性は低い。昨年、警視庁が十一月までに約千冊の雑誌を審議会に通報したが、指定されたのが十一月時点でたった九十一冊だった。
 巷に溢れる性産業と規範なく「ノリ」を重視する若者が向き合った時にどのような事態になるかは想像に難くない。
 テレホンクラブは、警察庁によると九四年末現在で全国に約千九百店舗で、テレクラ関連の犯罪の被害者も千人を超えた。
 昨年度、女子の性の逸脱行為で補導された数も前年に比べ七百七十六人増加したが(「少 年非行等の概要」警察庁、九六年二月)、この要因の一つとして、これまで野放し状態だったテレクラ、ツーショット、デートクラブなどが女子の好奇心を誘発させ、容易な金儲けに走らせていることが考えられる。
 岐阜県では、テレクラによる青少年の被害者は三年前に十人だったのが、一昨年は六十七人に急増した。そこで同県では昨年十月、テレクラ規制を盛り込んだ青少年保護育成条例の改正案が可決され、全国でさきがけてテレクラ、ツーショットダイヤルを規制する動きを見せた。
 昨年十二月には、福岡県でも同様の改正案が議会で可決された。今年中に少なくとも二十八の自治体が県条例の改正や、公安委員会の条例を新規に制定するという。
 海外でも出すぎた性産業に対して規制を強化しようとする動きがある。米国ニューヨーク市は、厳しい基準でポルノショップなどの性産業を規制しようと乗り出した。また、同じく米国で、テレビの俗悪番組の規制条項を含む「電気通信改革法」が今年二月に成立した。俗悪番組のブロックを可能にする小型集積回路「Vチップ」を二年以内に十三型以上のテレビに組込むことを義務付けたものだ。このVチップのVは「VIOLENCE(暴力)」の頭文字で、「暴力」「裸」「下品な言葉」がテレビで放送されると、同時に流された信号をキャッチし、設定次第で自動的に消せる仕組みになっている。
 一方、インターネットに入り込んでいる過激なポルノ画像などを規制する動きも世界的に広がっている。
 このように業界の自主規制が望めない場合には、若者たちの周囲から俗悪な環境を撤廃できる法律や条例を制定、改正することが急がれる。


■家庭の教育力低下が子供に影響

 「少年非行問題に関する世論調査」(総理府、九五年六月調査)によれば、いじめなど少年が非行に走る原因は、「家庭」にあると思うものは四六・七%であった。
 情操教育、規範教育の基(もとい)となるのは家庭であるということは疑いの余地がない。
 しかし、その家庭が複雑な問題を抱えている。現代家庭の問題点としてよく指摘されるのは、核家族化、少子化等である。子供が少ない分、大事に育てようとし、かえって過保護や過干渉に陥る。子供はただ認められることに慣れ、わがままになっていく。
 また最近、深刻化している問題として若い母親に多いのが、子供に対する虐待だ。全国に百七十五カ所ある児童相談所で処理した十八未満の児童虐待件数は、九四年度で千九百六十一件と、この四年間で一・八倍に増加した。
 「三歳の子供が泣くだけでイライラする。赤ん坊のころはふろに沈めてわざと手を離したこともあった。最近ではご飯も食べさせたくない。夫は子供の面倒をみてくれず、『なぜ自分だけが』と思うと子供が憎らしくて仕方ない」などの相談が、「子どもの虐待防止センタ ー」(東京都世田谷区)の設置した「子供の虐待一一〇番」に寄せられる。件数は年々増加 し、全体の七割ぐらいは二十から三十代の母親からの電話という。
 このような仕打ちを親から受けた子供は、情的に不安定で、心に根深い傷をもち、ときには精神障害をきたすケースもある。さらには、同じ行為を我が子にも繰り返す「虐待の連鎖」も起こる。また、性的虐待ならば心の傷は一層深刻だ。
 一方、家庭の中で「父親の不在」がいわれて久しいが、その父親も子供に対して「やさし い」タイプが多い。日本の父親が子供と一緒に過ごす平均時間は三・三時間という。仕事で忙しく家にいない分、せめて短い時間くらいは「やさしく」しようということだろうか。それ以上に、現代の親に当たる世代は、戦後の価値観多様化の空気を吸って育ったため「人生における長期的な精神的指針」を子供に教育できないことが原因なのだ。子供の価値観を基本的に認める以外にないため、結果として「やさしく」ならざるを得ない。社会貢献の意識 どころか規範意識すら乏しい子供が増えるのも無理はない。
 今日、家庭の基本的教育力は低下したと言われる。先述したように学校でも十分な教育が保証されない。その結果、情的に満たされないイライラ型の若者を作り出し、規範もあいまいになっていく。そのため見境なく刺激を求めるようになる。
 特に「性意識」と「性行動」は、これといった歯止めがないため、止まるところを知らず、転がり落ちるように年々奔放になっている。
 恥の文化と無関係で、「ノリ」を優先する若者にとって、「エイズの恐怖」は奔放化する性の唯一の歯止めとなり得るだろうか。
 しかし、日本ではエイズの恐怖感は身近なものでないというのが正直なところだ。「コンドーム使用で安全」という神話を未だに信じている若者も多いし、今日、薬害エイズ問題は別としてエイズがマスコミで騒がれることはほとんどない。喉元過ぎれば…で、心配に及ばずといった様子だ。
 ところが、昨年一年間で新たに報告された日本のエイズ患者・感染者数は四百四十六人。その内、異性間性的接触による感染が全体の五〇・九%で、前年に比べて一七・一%も増加している。ちなみに同性間性的接触による感染は二四・二%だ。
 日本でも、不特定多数の性交渉でエイズに感染する可能性は十分にある。
 昨年十一月、「国連エイズ計画」は、エイズ感染者は西暦二千年に最大四千万人に達すると予告した。とくに、アジアでの感染者は急増しており、その感染原因はこの地域に多い売春である。東南アジアなどへの売春ツアーは自殺行為と言われるほどだ。
 エイズも恐ろしい病気だが、エイズを蔓延させるほどに「性」に走ることの方がもっと恐ろしい。


■自ら「純潔」を選択する時代

 こうした青少年問題に対して根本的な解決の方向を示すことは可能だろうか。
 性、いじめ、暴力などすべての青少年問題に見られる規範意識のなさの背後には、若者たちの心を満たすべき愛情の不在が厳然としてある。
 青少年の心は本当の意味での愛情によって育てられてはじめて、正しい価値観を根付かせることができる。心が愛情で満たされると、人を思いやることができ、他人も尊重できるようになる。生きていることの喜びから、生命の大切さも知る。悪なる方向へ向かう刹那的な欲望を自己抑制するのも、情的に満足している状態であれば可能である。そして、結婚後は、 自分の家庭にも愛情を注ぎ、長期的な精神的指針をもって子供を一人前に導くことができる。
 このような生き方を求めていけば、結果として本人が選択する生活信条は「純潔」である。結婚するまでは個人の成長を第一とするため性的関係は持たず、結婚した後には、夫婦が唯 一の男女の関係であり互いに尊重し合う。この純潔を守る人々にはエイズが侵入することはできない。  注目すべきなのが、米国では、エイズ教育として、コンドーム教育から禁欲を進める動きが各地の公立学校で起こっていることだ。倫理崩壊が社会崩壊をもたらしてきた米国では、この反省に立って、さまざまな形で道徳の回復運動が行われてきた。
 その例として、元教育長官夫人のエレーナ・ベネットさんが八六年に始めた純潔プログラ ム「ベスト・フレンド」がある。ここでは十二歳から十五歳までの少女を対象に、性行為、麻薬、酒、暴力に走らなくても充実した青春時代を過ごせることを指導し、純潔を保つこと がエイズや性病防止の唯一確実な方法であることを指導する。現在、十都市の公立学校の女 生徒二千人が、このプログラムに参加している。
 コロラド大学のD・ローベリー博士は、この教育運動の影響を知るために、ワシントンDCを例にとり、十二歳から十八歳までの少女八十八人を一年間にわたって追跡調査した。その結果、性行為を経験したのは、このうち九人だけで七十六人が純潔を守っていることが明らかになった。同博士はこの論文で昨年十二月博士号を取得した。
 今、いじめなどの社会問題を通して、若者の心の歪んだ世界が浮き彫りにされてきた。何よりも彼らの心を解放し、正しく導くことが、家庭を始め社会全体の課題である。そして注 目すべきは、歴史の新しい潮流として、人間として如何に生きるかということを本質的に再検討した上で、自ら「純潔」を選択する時代が近づいていることである。