テキスト:西脇順三郎『自伝』 黒田三郎『夕方の三十分』
J.ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』
()内はテキストからの引用 1
『秋庭歌(しゅうていが):In an autumn garden』
1
(「ラオコオーン」のような自伝が
描けないただ
とんぼ
蟻
かたばみ鬼百合
ほうせんか
しおん
と
殆ど区別が出来なく溶けこんで)
ひとり 歩いてきた この懐かしい小径
さあっと一陣の涼風がぼくを襲い
波うつススキの海に一瞬目を細めた
いつの間にかぼくの右隣に妻がぽつんと立っていて
どちらが話すともなく同じ方角を見つめていた
(生垣になるサンザシの実や
ホウコグサなどを摘んだり
はてしない存在
を淋しく思う)
そのかわりに
歩みを緩めて妻の肩を抱こうとした
その右手が
急に重くなったのに気付いて見ると
ぼくらの小さな娘がちょっと困ったような顔で
ぼくの右手を握り返して 小さな声で「パァパ」とささやいた
ぼくらの足どりは
ますますゆるやかになって
風に揺れるモミジ イチョウの梢や
キキョウ オミナエシの花を
ひとつ またひとつと数えていった
2
黒田三郎の詩集「小さなユリと」
を読んだ
何度も何度もくり返し読んだ
『夕方の三十分』という
何でもない詩の
何でもないことばに
こんなにも心を打たれる年令になったのかと
改めて思う
ぼくはしがない月給取りで
(僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん)
ぼくはロクデナシで
妻は結核で入院していて
小さなユリのお尻を叩いたりする
「ユキちゃんは いつまでもお洟(はな)がでるのね」
と
すっかりお腹の大きくなった妻が 娘の世話をやくのを見ていた
娘は覚えたてのことばで
「おハナ チーン」と大人しく されるがままである
妻がお産で入院中
夜遅く迎えに帰ってきたおやじを
小さなユキは まだ起きて待っていて
玄関までトコトコ駆けてきては ぼくに困ったような笑顔を見せる
夜半過ぎ 小さなユキは そっとぼくの寝床に入ってきて
おやじの腕の中で眠る
(それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
おやじは素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる)
ぼくの左手に
小さな頭をもたげてお乳を探す
まだ首がすわってない長男がやって来たのは
それからすぐのことだった
3
そしてまた ぼくは歩いていく
そのG線上にたたなづく
とりどりのことば
かつてぼくだけの道だったものは
やがて人の知るところとなり
ことばの森 ことばの街へと
交錯をくり返し続いていく
ぼくの心の洞窟は ことばとの 人との遭遇で
だんだんに充たされていく
駄偉大(だいだい)なる緑ヒスイの七隗(かい)はフエルトの託痴所を脱蒼(だっそう)して
天獄(ヘヴン)たる地下垓(がい)への Trumpoetont
Bridge を黄イキイと着膝(しつ)に
這い逆あがるのは赤ん棒の、藍(あい)旗ひろがるのは礼陰房(レインボウ)の、
橋(はし)蓋ころがるのは東遷某(とうせんぼう)の、
ぼくの紫界(しかい)に広ガール七人のシェラフィー多(た)。
タガメつ眇(すが)めつ眺メール、タガメ絞(し)めの刺しつ刺されつの
その慌景(こうけい)たるや、
マサに増炊(ぞうすい)にふさわしく、
Sevene trumpets を屍違(したが)えた、騒麗(そうれい)たるファンフェアレーレ!
ラン!Run !riverrun !
(川走(せんそう)! イブとアダム礼盃亭(れいはいてい)を過ぎ、
く寝(ね)る岸辺から輪(わ)ん曲 する湾へ、今(こん)も度失(どう)せぬ巡り路(みち)を媚行(ビコウ)
し、
巡り戻るは栄地四囲委蛇(えいちしいいい)たるホウス城とその周円
(しゅうえん)。
サー・トリストラム、かの恋の怜人(れいじん)が、短潮(たんちょう)の
海を越え、ノース・アモルリカからこちらヨーロッパ・マイナーの凹(おう)
ぎす地峡(ちきょう)へ遅れ早(ばや)せながら孤軍筆戦(ひっせん)せん
と、
ふた旅(たび)やってきたのは、もうとうに、まだまだだった。)
さあ、鳥(トリ)スト、鳥の王ロプロプが、パトリックの泥誕(でいたん)を阿弖(アテ)つつも、
三(み)そっ葉(ぱ)のシャムロックを流為(ルイ)と呵々(かか)げてダブリ北(きた)たかう、
オレンヂ・常時亜集(ジョウジアしゅう)にまで膨れあがった、
黄金(おうごん)田村麻呂仮面との、 永遠円(えいえんえん)なる、
壮舌戦(そうぜつせん)の一休鎮(いっきゅうちん)!
流れる戦多血(せんたけつ)たるや、既に人色(ひといろ)ではなく、
五臓六腑(ごぞうろっぷ)の七謄八臀(しちとうばってん)の噴酔(ふんすい)と倭(わ)きあがり、
嬰峰(えいほう)の木紙(もくし)緑化運動が
暴愚然(ぼうぐぜん)と紅軍(こうぐん)リンゴするが否(いな)や、
熱劣(ねつれつ)たる寄子(キス)の嵐を阿鼻(あび)せ共感、
刃傷(にんじょう)去(ざ)ったの、
象殖(ぞうしょく)の一途を辿る―! 拍手!白秋ぅぅぅ!の逃げる後ろ神(がみ)の
洗択可能な二足(そく)一つのニュートリノ尻(ケツ)アルに、
南(なん)の男女(なんにょ)は艶(いろ)をなして、
真赤に紫に脊黄青(せきせい)に瘧(オコ)リて、
出雲(いずも)の事(ごと)く声(コア)トル。
「どうして顛国(ヘヴン)なの?」
「どうして顛国(ヘヴン)じゃいけないの?!」
漸略(ぜんりゃく)、ことばがあふれてくるよ、押せば命の泉湧くよ、
この胸をかきむしられるよ、至福制服の蝗水(こうずい)に溺れているよ、
それは百頭女(ひゃくとうおんな)の思う壷だよ、眼を覆うような甘い蜜だよ、
その淋しいささやきだよ、 水平線ではノアのじじいが遠い顔でせせら笑いカワセミの、
御宿(おんやど)でサシ涼んでいるよ、 息つぎを求めてもがき彷徨うよ、
永遠なることばの旅だよ、
めくるめく世界で、巡り戻って生きているよ、
つないだ鎖をチカラづくでヒキチギルよ、
人間の思念ていうのは、光速をはるかに超えているんだよ、
暗い水底から、
湧きあがり、
生まれてくる、
いのちのことば、
その、 ささやかな一篇の詩に、
どうしてぼくは、
こんなに胸が震えて、
かなしいんだろう?
それでも
それでもぼくは歩いていく
ぼくの洞窟はぼくのものでしかない
やがてからっぽになって
忘れられていく運命だというのに
秋桜のカーテンをくぐり
群生するツキノヒカリバナの向こうで
白鳥が蓮の葉を啄んでいる
行き交わす人々が 皆
人間に見える
その日まで