4、アルタイスク収容所
昭和21年(1946年)7月23日、陽の落ちかけた夕方、次のアルタイスク収容
所へ着いた。 アルタイスク収容所の建物は半地下式で、建物の腰半分が地面の中で、屋根の部
分が地上に出ている構造である。 この半地下式の建物は、住んでみて分かったのであるが、夏は涼しく、冬は暖か
い理想的な構造をしているのである。 この収容所では、われわれが来る前に伝染病(発疹チフス)が蔓延して約200
名の戦友が死亡したということで、どうも私達はその補充であったらしい。 ここには、1,000名の先輩たち(日本人抑留者)が居て、そこへわれわれ22
0名が仲間入りをし、総勢で約1,200名となって、翌年の4月までの9ケ月を
過ごしたが、ここでは多くの人との出会いがあった。 それは医務室の看護婦のマーシャとの出会い、パン屋のばあさんとの出会い、全
線座の沢井氏ほか多くの座員との出会い、など沢山の思い出がある。 さらに、ここには日本人の女性(将校の奥さん)が、2人居たのには驚いた。
¨赤い月“(沢井 明氏著)によると、終戦のときに髪を切って丸刈りにして、顔
には墨を塗り、軍服を着て兵隊の中に紛れ込んでここまで来たというのであるが、
われわれ以上に辛苦を重ねてきたようであった。 ソ連も彼等二家族のために個室を与えていたようであった。
ここでの仕事は、プラウダ車両工場での作業で、主として貨車からの石炭と鉄材
の荷卸しを行ったが、そのほか一部道路工事も行った。
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