3、ビースク収容所

 2月25日に列車が着いたのは、ビースク市であった。 バラビリャンカに比べて、気のせいか雪は少なく、駅からいつもの様にポペアチ (5列横隊)に並んで4〜5km歩いて、ビースク収容所に入った。 ビースク収容所は、これから働かされる“サーハル・ナ・ザボード(砂糖工場) の門のすぐ前にあった。 人気のない寒々とした収容所の広場の、まだ誰にも踏まれていない真っ白な雪を 踏みしめながら、カザルマ(兵舎)に入ったことが妙に印象に残っている。 この収容所も、ソ連の囚人のために作られたものであったようだ。 バラビリャンカ収容所に比べて、とても明るい感じのカザルマのように思ったが 、それは酷寒の雪に埋まった山中の生活から解放されて、春の季節を迎えた町へ来 たせいかもしれなかった。 ビースクに来てからの給食は、内容が見違えるほど良くなったので皆は目に見え て健康を取り戻していったが、それでもバラビリャンカで衰弱し痛めた身体が回復 せずに亡くなった人達が相次いだ。 このビースクでの収容所生活は、昭和21年2月25日から7月22日までの約 5ケ月であったが、いろいろな出来事や思い出があった。


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