5)物物交換
ある日、私のところへ同僚の兵がそれまでロ助の目から逃れて、隠し持ってい
た腕時計を持ってきて、 「パンと交換してほしい」というのである。 食糧事情が極端に悪く空腹に耐えられず、例え其の場凌ぎでも一時的に満腹感
を味わいたい為に、自分の着ているものまで食べ物と交換する者もいた。 そんな時でもあり、何とか少しでも多くの物と交換できればと思って、中年の
おとなしいワーシカ中尉に声をかけてみた。 交換条件は、将校用の白パン3個(1個が3kg)と牛肉フレークの缶詰2缶
である。 彼にしてみれば時計は、喉から手が出るほど欲しいのだが、幾ら将校でもパン
や缶詰は配給品であり、子供を3人も抱えいていては奥さんがなかなか承知して
くれないというのである。 奥さんにしてみれば当然であろう。 「駄目ならパーシカ少尉に話をするから」と言うと、
「それは困る、何とか明日まで待って欲しい。必ず女房を説得するから」と言う
ので仕方なく待つことにした。 さて、その翌日になって、 「今夜、家へ来い」というので、指定の時間に宿舎へ行くと彼は家の外で袋をぶ
らさげて待っていた。 約束の白パン3個と缶詰2缶の入った袋の中身を確かめ、受け取ってからパー
シカ少尉に腕時計を渡した。すると「人に見られないうち、急いで収容所へ帰れ」と彼が急かすので、やっぱり奥さ
んに内証で持ち出したなと思い、帰って交換品の袋を依頼主の兵隊に渡して取引
は終わった。 その翌朝、収容所に出てきたワーシカ中尉の顔の傷を見て、昨夜の家庭紛争の
有り様が想像できた。 結局、奥さんに話しても納得してもらえず、さりとて時計は欲しいし、思い余
って、奥さんに内証で食料品を持ち出した結果である。 痩せた中尉と、あの小肥りした気の強い奥さんとの夫婦喧嘩を想像すれば、顔
の傷も想像ができようというものである。 それでも手首にはめた時計を眺めて、にっこりしている顔は、夫婦喧嘩を超越
した誠に他愛ないものである。 このように個人的には人の良い者が多かったが、ただ集団になると極端に
悪く、特に下士官、兵など末端に至る者ほど凶暴性をあらわした。 その程度の低さは誠にひどいもので、特にカンドバイなどは前にも書いた
ように、いつも棒切れを持ち歩いて、気紛れ的にすぐに暴力を奮うので、日 本人は彼と口を利くのは勿論のこと近付くことも嫌ったほどである。
ある日、作業から帰ってきた兵隊がはっきりした理由もなく、ソ連の歩哨 に殴られたというので、早速衛兵所へ行って抗議をした。
丁度所長のニコライフが来ていて事情を聴き、その歩哨も呼び出し、さら に両者の話をよく聞いたうえで、結論として歩哨が気晴らしに行った行為と
分かって、その歩哨が罰せられたことがあった。 当時、まだ日本陸軍の精神が残っていたわれわれにとって、この時の収容
所長の抑留者を抑留者として扱わず、ロシア人と平等に扱った裁定は心から 素晴らしいと思った。これが逆の立場だったら、多分話も聞かずに一方的に
抑留者を罰したことであろう。
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