8)脱穀作業

  米の脱穀作業に、ビースクから少しはなれたところにある脱穀場へ兵隊4名と ともに泊まりがけで行ったことがあった。 この時、私達日本人5名と、歩哨はデブの下士官のニコライの6名だった。 私たちはまずトラックへ籾米の入った麻袋を満載して、その麻袋にまたがって 振り落とされないように、しっかりとしがみついて脱穀場へいった。 工場は木造のこぢんまりした所で、そこには20歳から30歳くらいのロ助の 女性労働者働者が4〜5人いた。 脱穀場は、この地方に一ヶ所しか無く、性能は極めて悪く脱穀しても籾殼の付 いたものがいっぱい混じっているので、カーシャ(粥)をたべるときにとても食 べにくかった。 脱穀には、われわれ以外のグループも来ている為に順番待ちで、すぐには作業 はできないので、脱穀機が空くまで暇を持て余していた。 その頃になると抑留生活もすっかり落ち着いていて、誰も逃亡など考えてもい なかったし、歩哨も役目柄、仕方なく一緒にいるだけのことであった。 だから、脱穀場に着くと早速ニコライは、われわれを放っておいて遊びに出掛 けていってしまった。 ところが、出掛けるときに自分の腰の拳銃を外して、私にそっと持たせて、 「俺が居ない間は、おまえがしっかり日本兵を監視しておれ、もしも逃げ出す者 が居たら撃ってもいい」というのである。 勿論逃げ出す者は誰もいないが、そんなことよりも、歩哨が捕虜に拳銃を渡し て遊びにいってしまうのには驚いた。 それよりも困ったのは、預かった拳銃の置き場所である、腰にぶらさげるわけ にはいかず、そうかといってその辺に置いておくこともできず、仕方なく、雑嚢 に入れて肩に掛けて持ち歩いた。 結局、その日は仕事ができずにぶらぶらして過ごしてしまったが、その日の夜 になって、ちょっとした出来事が起きた。 それはソ連の女性達の夜襲をうけたのである。 世にいう“女の夜這い という奴である。 私の生まれ故郷の知多半島には、昔からよく“半田、亀埼女の夜這い と云わ れていたが、ソ連で“女の夜這い に逢うとは思いもよらなかった。 ソ連の女性はセックスに関しては、特に関心が強く(飢え?)て、若い女は当 り前かもしれないが、随分、歳とったばぁさんでも、日常の会話の中で当り前の ような顔をして 平気で喋るので、その頃のわれわれの性に関する感覚とは随分 違っていて、それは一種の恐怖でさえあった。 学校を出たばかりで当時21歳の私には刺激が強く、拳銃の入った雑嚢を抱え て早々に逃げ出す始末であった。 それと以前、バラビリャンカで柴田軍医から「ロシア人など寒い国の人達は、 寒さに強いが病気にも強くて、トリッペル(淋病)やシフィリス(梅毒)にかか っていても、免疫が強くて、日常生活を平気で暮らしているくらいだから気を付 けたほうがいい」と聞いたことがあったので、尚更、接近することを忌避した。 翌朝、ニコライが帰ってきたのでその話をしたら、 「彼女等のためにも、何故付き合ってやらなかったのだ」と、半分は惜しいよう な、半分は功徳を施してやるべきだ、というようなおかしな言い方をした。 そんな日がそこで仕事をしている間(2〜3日位だと思ったが)毎夜続いたの で、すっかり寝不足になってしまった。その時、他の兵隊たちがどうしてしていたのか、全く覚えていない。 また、この時、生まれて初めて女性の立ち小便を見た。 その時、一瞬目を疑ったが確かに間違いなくスカートの前を上げて、立ったま ま用を足しているのである。 つまらないことであるが、どうして(構造上?)用が足せるのか、未だによく 分からないでいる。


ホームへ戻ります 目次へ戻ります
石灰の横流しへ パン受領