9)餓鬼道

 食糧の不足については前にも述べたが、その実態は想像以上のものであった。 ある日、路上に落ちている半分腐って石のようにカンカンに凍っている1個の カルトーシカ(馬鈴薯)を、古参のK伍長と若い兵隊が奪いあって、殴り合いを するあり様である。 勿論、誰でも空腹のため口の中に入るものなら、それが何であっても食べたい という極限の状態におかれていたので当然とは思うが、今にして思えば、そこに は理性のかけらも存在しなかったのである。 だが、それが飢えた捕虜の日常当たり前の姿であった。 また、K伍長がすでに階級制が廃止されているにも係わらず、部下の働きが悪 いからと、僅かな給食のパンやスープを取り上げて自分が食べていたという話を 聞いた時には、同じ運命にある日本人同士が“自分さえ生きられれば他人はどう なっても知らぬ、 という、この犬畜生にも劣る行為には大いに悲憤を感じた。 抑留環境が、人間としての倫理を失わせてしまったのであった。 この頃は誰もが空腹に耐えきれず、一時的にでも空腹を満たそうと恥も外聞も なくあらゆる手段を講じた。 ロシア人を見れば「ダワイ,クーシャチ(食べ物を呉れ)」とねだり、ロ助が まるで犬に餌をやるように面白半分に食べさしのかけらを放り投げられるとそれ を争って奪い合い、すぐ口に入れた。 だから作業の行き帰りは、誰もが何か食べ物が落ちていないかとキョロキョロ と下を向いて歩いた。 更に惨めだったのは、自分が着ている毛糸の下着を脱いで、パンと交換する者 が続出した事であった。 この毛糸の下着は、物資のないロ助がとても欲しがり、交換条件がよかったの で多くの者が、その結果自分がどうなるかを考える余裕もなく食べ物との交換に 応じた。 だが、その結果は翌日に出た。 交換したパンはすぐに食べて無くなり、そのあとには零下30度下での過酷な 作業に耐えられずに、自らの命は失うことになったのである。 まさに飢餓の現世に落ち込んだものの集団であったが、敗戦そして抑留を辿っ た全ての者に与えられた運命で、誰を責めることもできなかった。


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