2、満州(現、中国東北部)へ転属

 10月3日、夕刻になって全員集合がかかり、点呼の上営内の引っ込み線から客車に 乗せられて、入隊3日目にして津田沼東部第87部隊を出発した。 出発と同時に車窓の木製日除けが全部降ろされて、外部と遮断された。 時々日除けの隙間から外を見ても暗闇で、どこを走っているのかよく判らなかっ たがそのうちに見覚えのある名古屋駅に着いた、時刻は真夜中の12時を過ぎてい たと思う。 風がなくて何となくどんよりした天気であった。 日除けをそっと開けて見るとホ−ムの中央付近に3〜4人の人影が見えた、その 中に6〜7歳位の子がいて、私達のほうへ歩いてきたが少し手前迄来て戻って行っ てしまった、多分この列車の誰かに会いにきたのであろうと思って見ていた。 5分間停車して列車は再び走り出した。 米原を通過した頃に輸送班の軍曹に呼び出され、一つの風呂敷包みを渡された。 「名古屋駅でお前の母親から預かったものだが、会わせることができなかったので 、荷物だけ預かっておいた、食べ物もあったがそれは持ち帰ってもらった」という のである。 中には千人針や綿のチョッキ(進兄が戦地で着ていたもの)などが入っていた。 あの人影は私に会うために両親や弟(哲)達が、わざわざ泊まりがけで来てくれ ていたのだ。 多分、父が役場か軍隊に手を回して列車の時間を調べたのであろうが、まさか自 分の両親がきているとは夢にも思わなかったので、会えなかった無念さに胸が締め つけられる思いであった。 あの時、近付いてきた弟に声を掛けておればと、親の愛情を身に沁みて感じ、復 員するまで時折思い出しては悲しい思いをした。 10月4日夕方、列車は下関に着いて、すぐ関釜連絡船に乗せられて下関港を出帆、 翌5日釜山港に入港、市内の“満州良男館 に入って仮眠して、その日はそのまま “満州良男館 に泊まった。 初めてみる朝鮮の町が珍しく目に写ったが、街が汚いという印象だけしか残って いない。 10月6日、釜山駅から列車に乗って、ハルビンへと向かったが途中の景色は、余り 日本と変わらず、なだらかな丘陵地帯の松林の中を走った。 10月9日、ハルビン市郊外の香坊の満州第5803部隊(鉄道第二連隊)の引っ込 み線から営内へ入り、到着してすぐに各隊に配属された。 私は、富田君とともに材料廠(横地隊)に配属さた。材料廠は、営門を入って広 い敷地の左の一番奥の兵舎である。


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