9)パン受領
倉庫のパンが無くなると、ビースクの街にあるフレーブ(パン)工場へ受領に
行った。 収容所から1時間くらいのところにあって、トラックに蓋の付いた大きな箱を
積んで3〜4人で出掛けたが、“今日は何個ごまかせるか ということが一つの
楽しみであった。 一回に受領する量は、将校用の白パンを30個くらいと、ロ助の下士官、兵と
われわれ日本人用の黒パン5〜600個位だったと思ったが、工場の入り口にゲ
ートがあって、そこで証明書を見せて工場に入ってパンを受領した。 焼き上がったパンは、倉庫の棚にいっぱい入っていて、それを小さな受け渡し
用の窓から表に止めてあるトラックの荷台の箱に入れるのである。 ロ助の女性が1人受け渡し用の窓のところにいて、員数をチェックするだけで
、棚から受け渡し用の窓まで運ぶのも、表でそれを受け取ってトラックに積むの
もわれわれが行った。 最近はどうか知らないが、その頃のソ連では、特に中年以上の者に対する教育
ができていなかったようで、中には自分の名前が書けない者や、数を満足に数え
られない者が多く居た、だから数を数えるときなど、10までしか数えられない
者は、それ以上数えるとき、10個毎に指を一本折り曲げたり、印を付けておい
て、また次の1から数え10回で100として数えていた。 この女性も10個毎に印を付けて数えていたので、35か45くらいまで数え
たときに、彼女に関心のありそうな話題を話かけると、折り曲げていた指と数え
ていた数が混乱してしまって、幾つまで数えたか忘れてしまうのである。 そんな時には、必ず、
「ムライ、今幾つだった?」と聞くので、3〜4個少なめに返事をすると、素直
にそこから数え直していった。 そうやって受領の度に数個ずつを誤魔化していたが、そのうちにだんだん悪乗
りして、指1本分(10個)誤魔化した時には流石に彼女もおかしいと気付いて
、トラックに積んだパンを全部降ろさせて、最初から数え直されたので、遂にば
れてしまった。 結果は、「チベァ・ヒートリ!(お前は狡い)」ということで、私への信頼は
いっぺんに失墜してしまった。 この頃、食糧事情がよくなってきたとはいえ、まだまだ満足できる量ではなか
ったので、悪いこととは知りつつ、少しでも多く持ち帰りたかったのである。彼女には悪かったと思っている。
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