1、ルフッオフスク(ロフソフカ)収容所
10月22日の夕方、列車は目的地に着いた。 目の前に大きな煙突が何本も立っており、まっ黒な煙が出ている工場があった。
列車は、アルタイ地区のルフッオフスク市に着いたのである。 そしてハルビンから約
5,000kmにも及ぶ長い旅が終わって、やっと下車命令が 出た。 いよいよこの工場で働かされるのだ、と覚悟して貨車から降りた。
すぐに収容所へ入れられた。その途中で多くのドイツ人の捕虜に出会ったが、彼
等は誰もが皆、ぼろぼろの服を着て痩せた体で、目ばかりギョロギョロさせて生気
はなく、肩を落として一見痴呆状態で歩いていた。 それも歩くのがやっと、という様子でその足元は底の抜けた靴を縄で縛って歩い
ている者はまだいいほうで、靴も履かずにぼろ布だけを足に巻き付けている者が多
くいた。 彼等を見て自分達の立場も忘れて同情をしたが、いずれわれわれも同じ運命をた
どるのかと思うと、覚悟していたとはいえ、そこに日独伊協定の成れの果てを見せ
つけられて、暗い気持ちになってしまった。 ルフッオフスクは、鉄鋼(製鉄)工場の町であった。
われわれの入った収容所は“ルフッオフスク第1収容所 といい、随分大きなも
ので、すでに先着の日本人抑留者の2個大隊、約 2,000人が入っており、そこへ合
流したのである。 先ほど出会ったドイツ人達は、板塀一枚隔ててすぐ隣の収容所にいたが、彼等へ
の待遇はひどいもので、食べ物も満足に与えられていない様子で、誰もが骨と皮ば
かりに痩せこけており、われわれを見て手真似で“食べ物が欲しい とか“煙草を
呉れ と要求していた。 その様子を見て、ソ連が如何に独ソ戦でドイツに痛めつけられたか、その怨念が
感じられたが、その有り様が余りにも哀れで、その頃われわれも手持ちが少なくな
っていた煙草等を塀越しに投げてやったりした。 われわれはここで初めて抑留者収容所の生活に入ったが、まだ建物も整備されて
いないために土間に寝起きをした。 敦化の生活と余り変わらないが、雨露を凌ぐ屋根が有るだけ幸せであった。
入所し暫くして、少尉が射殺される事件があった。 それは内務班の電球が切れたので、所内照明用の電球を取りにいって逃亡者と間
違えられて撃たれたということであった。 ここの給食は悪かった、黒パンが200g位に飯盒の蓋に薄いスープ1杯が一食
分で、食べた後すぐに腹が減った。 再度、所持品検査が行われて、ついにすっからかんになってしまった。負け惜しみではないが、却って身軽になってせいせいしたようなものだ。
入所しても最初のうちは仕事がなく、時折、数名の者が使役にかり出される程度
であった。 そのうちに煙草もなくなって、その辺にある草やいたどりの葉を乾燥させて新聞
紙に巻いて吸った。全然旨くないがそれでも煙が出るだけで満足していた。 その頃には皆、恥も誇りもなくなっていて、ロ助に手真似で“煙草を呉れ
とね だって、投げて寄越した煙草の吸い口が唾でグチャグチャになっているものでも皆
は取り合って吸った。 この収容所は衛生管理が悪く、赤痢が蔓延した。 戦友が腹痛と下痢で、次々と倒れていったが、その予防法も薬もなく誰が言い出
したのか、“骨を焼いて飲ませればいい と、いうので毎日毎日戦友のために、炊
事場から骨をもらってきて、焼いては石で叩いて粉にして飲ませた。 そのうちに骨が手に入らなくなると、その辺にある木を焼いて炭にして、これを
粉にして飯の代わりほどに飲ませた。 清家上等兵や荒井一等兵も赤痢に患かったが、その療法を続けているうちに便が
黒くなってきて少しは楽になったようだった。 骨の粉が迷信なのか、医学的に“いい
のか“悪い のか知らないが、それより 他に手当ての方法がなかったので信じるより仕方なかったのである。
こんな時には薬効よりも、精神力の強い者ほど早く回復したようである。 しばらくして身体検査が行われた。それはロ助特有の検査方法で、全員裸にして
、1人ずつ尻の肉を抓んでその張り具合でAクラス、Bクラスを決めるのである。
その結果、下士官、兵ばかり500名が分けられ、それに軍医1名が加わった。
私もAクラスとなって、別の作業に行くことになったが、どこへいっても同じこ
とと、腹を決めていたので、選抜されても別に何とも思わなかった。 その後、風の便りでわれわれが出た後のルフッオフスク収容所では、赤痢やチフ
スが蔓延して多くの戦友が亡くなったと聞いた。 11月24日、福士 武曹長(北海道江別市在住)を大隊長に、私が書記兼副官で、
医務室要員は、少しばかり年配で品のいい柴田軍医(京都出身)とやや大柄で元気
のいい山田衛生兵で、伝令には平原 豪、武田 明(共に東京在住)の2人、通訳
の土井一等兵(初年兵で、彼の通訳はいささか満足できなかったが、)を含めた、
総勢500名の大隊編成(3個中隊)で、ルフッオフスク収容所の同僚に別れを告
げ、また赤い貨車に乗せられて行く先も判らないまま出発した。 この時期には、もう貨車の中は寒く、お互いに身体を寄せ合って寒さを凌ぎあっ
ていたが、いつしか浅い眠りに入った。
| ホームに戻ります | 目次に戻ります | ||
| ソ連領へ | バラビリャンカ収容所 |