2)作 業
山の中のバラビリャンカから見ればビースク市は大きな街であった。 収容所のすぐ前がわれわれの仕事場である。
工場の名が“サーハル・ナ・ザボード といっても砂糖にはお目にかかれず、 抑留者の一般的作業は、貨車からの石灰下ろしと、その石灰をハンマ−で砕く仕
事で、頭の先から耳の中まで石灰で真っ白になった。 バラビリャンカ収容所では、松脂の油煙で真っ黒になり、今度は石灰の粉で真
っ白になった。 バラビリャンカでの仕事に比べれば、ここの仕事は楽に思えたが、それでも3
ケ月間の過重労働と栄養失調によって衰弱した身体は、なかなか回復せず、やは
りきつい仕事であった。 そのうちに収容所の庭の雑草が、雪の下から緑を見せてくれるようになり、日
に日に暖かくなってくると皆も、だんだん元気を取り戻していった。 私も最初のうちは皆と共に作業に出て、ロ助と一緒に働いた。
働いているロ助の殆どが女性で、彼女等は大きな袋を背中に背負って倉庫から
貨車までの20m位のところを運んでおり、私たちにもその仕事をやるように言
われた。 ところがその袋は砂糖の100kg詰めのもので、体力の弱っているわれわれ
には、20mはおろか10mも背負って歩けるようなものではなかった。 それを彼女たちは、雑談をしながら何回も何回も運んでいるのを見て、自分た
ちの非力よりも彼女たちの逞しさに驚いた次第である。 それでも何とか運ぼうと背中に乗せてもらって、よろよろしながらも歯を食い
縛って運ぶのだが、足はガクガクして地面に食い込むような感じで、途中で休む
こともできず、落としたらとても担き上げることができないので、ときには彼女
たちの助けを借りながら運んだ。 そんなことで一袋運ぶのがやっとの有り様で、監督には怒鳴られ、女たちには
腹を抱えて大笑いされてナンとも惨めであった。
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