12) 戦友と別れて
ビースクでは一部の者がコルホーズ(集団農場)へ馬鈴薯の植えつけに行った。
米原の西山君の記録によると、4月の下旬に第1次作業要員として40名が派遣
されたのを始めとして、その後も1週間ごとに出発して、5月下旬迄に約200名
の者が出掛けたとのことである。 終戦からこれまで一緒に労苦を共にしてきた福士隊長、西山丈男、関川泰治両候
補生、平原豪、それに親父さんのような存在だった柴田軍医、竹井通訳の諸氏とは
、ここで“お互いに早く日本へ帰ろう と別れた。 私は残留組になった。 そんなことで私はビースクにいる間、殆ど一般作業には出ずに過ごした。
ビースクへきて約5ケ月経った7月中頃、次の収容所への移動の噂が出た。 そして7月22日に移動することが決まった。
ワンパ、カンドバイ、ポーボルなどバラビリャンカから一緒に過ごしてきた連中と
もここで別れて、収容所を5列横隊に並んで出発して駅へ向かった。 ミッシャだけは駅まで一緒に付いてきて、手紙を寄越すようにと、住所を書いた
メモを呉れた。 そしてお互いに別れを惜しみながら手を振って別れた。 ビースクを発ったわれわれは、次のアルタイスクへと移動した。
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