4)倉庫係
皆と一緒に砂糖工場の作業を1週間ほど続けたある日、“ロシア語が話せる者
ということで、片言の話せる私はニコライフ所長から呼び出されて、下士官の
ミッシャと二人で糧秣と被服の倉庫係として勤務するように言われた。 ミッシャは、性格が明るく、とても人のいい男であったが、面白いのは収容所
長から仕事を言い渡されたときの注意事項の1番目が、 「ロシア人を信用するな」
と言うことで、 「錠は必ず掛けて、相手が例え将校であっても伝票の無いものには絶対品物を渡
してはいけない」といい、もちろんミッシャも見張っていて、 「もし、彼の不正を見つけたら、すぐに所長の私のところへ報告に来い」とい
うことは、自分の部下も信用していないのである。 私の勤務する倉庫は、糧秣倉庫と被服倉庫と野菜倉庫の3棟である。
この倉庫から支給対象は、収容所の関係者の将校から兵隊までと収容所の日本
人全員である。 ◎ 糧秣倉庫には、カルバッサ(サラミ)、米、パン、塩、砂糖、肉、バター
などの他に、マホルカ(煙草の茎と葉を一緒に細かく刻んだもので新聞紙に巻
いて吸う庶民的な煙草)、パピロース(高級な口付き細巻き煙草)などがあっ
たが、支給品の中で極端に少なかったのが砂糖とバターで、これらを受領する
ときのロ助は、目を皿のようにして秤を見つめ、ちょっとでも少ないとすぐに
文句をいった。 パピロースは軽い煙草で将校用として支給されたため、下士官や兵隊たちが
欲しがったので、時々員数外を呉れてやるととても喜んでいたが、私はマホル
カのほうが遥かに旨いので、いつも小さな布で作った袋にいれ、腰にぶらさげ
て持ち歩いた。この煙草の吸い方は、新聞紙を5×8cm位の大きさに破って
、その上にマホルカをパラパラと乗せて芯にして巻き、唾で糊付けして片側を
ひねって、こぼれないようにして火を付けるのだが慣れれば簡単にできた。 この煙草は、乾燥すると特に茎の部分が辛くて、喉を強く刺激するので吸う
度にしゃっくりが出る程であった。 ソ連のバターは、蝋燭の蝋のように堅くて常温では溶けず、パンの上にナイ
フで伸ばせるようなものではなく、噛ると歯にくっついてしまうようなもので
、計量する時は、ちょうど黒砂糖の固まりを欠かすように、ナイフと金槌を使
った。用途は、もっぱらジャリカ(肉とジャガイモ・玉ネギなど野菜との炒め物)
などに使われていた。 ◎ 被服庫にあるものは、すべて旧関東軍から持ってきたものばかりで、下着か
ら軍服、靴に至るまで何でも揃っていた。ソ連のものより品質がいいので、ワ
ンパやポーボルなどはいつも日本の軍服を着ていた。 ◎ 野菜庫は、半地下式の倉庫でカルトーシカ(馬鈴薯)などの野菜のほかに、
塩付けや乾燥した肉などが貯蔵されていた。 ここは専ら、ミッシャと所長の娘がデートの場所として使っており、私も時
々彼等のために、誰も近付かないように馬鹿面をして入り口で番人をした。 ロ助の性はとても解放的?で、娘も15、6歳になると平気で露骨な話をし
たり、人前で愛撫をし合うことは日常的で、時々、建物の陰や、人の居ない時
に食堂の椅子を並べて、性行為をしているカップルを見かけることもあったが
、そんな時にはこちらの方が気を利かせ、急いで外へ出た。 ミッシャやほかのロ助達と身近に付き合うようになって、ロシア人の性への
関心や生活様式などをいろいろと知ることができた。 ソ連ではおやつのようなものはないので、大人も子供も青エンドウの半生の
ものを菓子代わりによく食べていた。 日本では、生の青エンドウは“下痢を起こすから
といって食べないが、最 初は硬く、青臭くて食べ難くかったが、食べ慣れてくるとなかなか旨い。
そのうちにあの青臭みが病み付きになってしまい、私もポケットにいっぱい 入れて菓子の代わりによく食べた。
また、ヒマワリの種も食べた。直径が25〜30cmもある花には熟して乾 きかけた実がぎっしりと付いていて、これを小腋に抱えて一度に10粒程を口
の中に放り込んで、実だけを残して殻を“ペッ、ペッ! と吐き出す。 最初のうちは殻と実を一緒に吐きだしまって、うまくできなかったが、慣れ
るにつれて上手に口の中で選別できるようになった。 歯の間からチッ!と唾を飛ばすこともやってみたがこれは出来なかった。
| ホームへ戻ります | 目次へ戻ります | ||
| 戦友の死へ | 所長のマダムへ |