5)全線座

2年数ケ月の抑留期間中、もっとも楽しく、思い出の深かったのが、この全線 座に係わった数ケ月であった。 この劇団は、われわれがこの収容所へ合流してから結成されたのか、その頃、 すでに出来ていたのか定かでない。 何処の収容所でも同じであるが、毎日毎日、ロ助の怒鳴り声を浴び、ひとかけ らのパンとスープで空腹に耐えて一日の作業を終えれば、後は寝ることしかない 判で押したような抑留生活である。 そんなときに、沢井明氏が中心となって素人劇団の“全線座 を誕生させ、兵 隊たちに夢と生きる希望を与えたのである。 練習は、仕事が終わってから浴場で行い、演劇の本舞台は食堂で行われた。 食堂は結構広かったが、いくら詰め込んでも400人から500人の受け入れ が限度で、収容所の総勢1、200 人はとても入り切れなかった。 そのために入場者を制限するために、整理券を発行したが、いつもパンや煙草 のプレミアムがついた。 私も、パン屋の勤務をする傍ら国分さんと一緒に入団し、全線座の下働き、兼 世話役、兼役者をやった。 (以降、沢井 明氏著「赤い月」の“全線座の唄 より一部抜粋) 全線座の名付け親は、志田京一朗氏という元読売新聞に居た人で、所内の民主 運動などに活躍した人であるという。 沢井氏によれば団員は22名居たというが良く覚えていないので、私の記憶に ある団員について説明をしょう、
座長は、沢井 明氏 大阪出身、シャープ 、昭和60年退社 現在、日本経営診断士として活躍中 通称 沢っ長
団員は、佐味 忍(慶一)氏 ピヨ公
玉井秀雄氏 通称 玉ちゃん
浜 弘氏 ハマさん
矢野太市氏 ヤシまたはヤッサン
鶴田正之氏 黒助、つる
高橋七郎氏 赤助 ひっちゃん
荒井 一氏 白助 宝田正彦氏(宝田 明の実兄)
鈴木恒平氏(女形役)
藤井嘉三郎氏
国分 寿氏
阿比留佐氏
石塚 靖氏 (テナー歌手)
私こと 村井 勉 通称 べんちゃん
そのほかにも多くの人達が、裏方として活躍していた。 皆は、毎日の労働を終えてから、浴場に集まって練習を続けたが、いろいろや っているうちに、隠れた芸人が多いのに驚いた。 出し物は、現代劇、時代劇、リズム漫談、タップダンス、洋舞、浪曲、漫才、 手品等々あらゆる物が演じられたが、どの出し物を見ても玄人はだしの芸人揃い であった。 しかし何といっても一番苦労したのは、大道具、小道具、楽器等の調達であっ たが、なかなか器用な人も多く、全員で知恵を寄せ合い、出し物に合わせて必要 なものは一つ一つ全て作られた。 演劇の原作、演出はほとんど座長の沢井氏が行った。 人情と温かい心に飢えている抑留者に、明るく笑って日頃の仕事の辛さを僅か な間でも忘れさせたり、故郷や親兄弟を想い出させるようなものが多く、どれも 抑留者の気持ちに溶け込むようなものばかりであった。 それだけにソ連側からは忠臣蔵のような“仇討ち の様なものにはクレームが 付けられたと沢井氏から聞かされたことがあった。 お陰でいつも満員御礼が続いた。 その出し物のいくつかを紹介する。
ア)アルタイボーイズ
川田晴彦のアキレタボーイズをもじって、誕生したのがアルタイボーイズ。 リ−ダ−は赤助こと高橋七郎氏(北海道上富良野在住)に、黒助の鶴田正之 氏(大阪堺市在住)、白助の荒井一氏(東京出身)が加わって“秋祭り のリ ズムに乗せて、がらくた楽器を打ちならして演じた。 この原作は、全て赤助が担当した。 早いテンポと軽快なリズムで、約1時間を演じるのであるから、なかなか大 変であったと思うが、結構調子に乗ってアドリブも適所に入れたりして、ただ ただ3人の呼吸がぴったりと合って笑いの中に郷愁を誘い、観客を引きずり込 む程に、素晴らしいものであった。 赤助のその楽器たるや、最初のうちは板切れをギターの形にきり抜き、それ にピアノ線を張った代物であったが、しばらくしてハラショーラボーターの抑 留者からの挙金を得て、楽器を調達することになり、ロ助の将校と赤助が、貨 車に乗ってバルナウールまで出かけて行って、街の青空市場で捜した中古の七本弦ギターとドイツ製のハーモニカを買ってきたのが、この劇団でのただ二つ の楽器であった。 そのほか、黒助の楽器は、牛肉の缶詰の空き缶を、適当の大きさに切って、 音階ガ出るようにして、紐でぶらさげ棒で叩いてリズムをとったり、白助はも っぱら子供の様なキーキー声と拍子木を叩いたりして演じていた。 彼等の練習風景は、いつも侃侃諤諤の調子合わせから始まって、一風ケンカ でもしているようなやりとりの末、旨くまとめていった。 この出し物は、日頃暗い収容所に期待もしなかったような笑いを巻き起こさ せて、大いにヒットして皆からの希望で以後、孫呉空、村祭り、アキレタ学校 、シベリアボーイズ東へ行く、など次々と赤助の創作が作られて、毎回演じら れるようになった。
イ)瞼の母
長谷川伸原作の作品であるが、時代劇であればやはり着物と鬘が無くては劇 にならないので、特技のあるものが製作を担当した。 着物 寝台のマットから藁を抜いて、手製の縫い針で着物に仕立てて使い、 劇が終われば、縫い合わせた綴じ糸を抜いて、元のマットに戻す。 殆どこの手法で袴まで作った。 鬘 鬘台には白樺の木を削って作り、ぼては新聞紙を小麦粉の糊で何枚も 重ねて張り合わせて作った。 一番困ったのが髪の毛である。 これは作業現場の工場から麻を持って来てほぐし、それに玉ちゃん達 が盗んできた、馬の尻尾の毛を混ぜて本物そっくりに仕上げた。 最後に黒く染めるのには、コールタールを薄めにして、塗ったのであ るが、こってりと付いてしまうので随分苦労したようである。 刀 白樺の樹で刀身、鍔、鞘まで作った。
ウ)シベリア忠臣蔵
この出し物は長編で3時間以上もかかるために、アルタイボーイズの演ずる 歌謡漫談のリズムに乗せて進行させ、その途中、途中に劇を挿入する様式がと られ、 ○ 松の廊下の刃傷、○ 切腹の場、○ 赤穂城明け渡し、○ 神崎東下り ○ 山崎街道勘平二つ玉、○ 赤垣徳利の別れ、○ 吉良邸討ち入り と続いた。 これには座員が総出演した。 私は神崎東下りの場で、神崎与五郎を演じ、藤井のごろつき馬子に絡まれて 酒代をゆすられる役であった。 エ)その他 “父帰る 、“宵祭り 、“灯台 など数多く上演されたが、あの環境の中 で苦労して書いた沢井氏のオリジナルによる作品が一番抑留者の共感を呼んだ ようであった。 また「全線座の歌」も作られて折りに触れては皆で歌った。 ・・・♪空に輝く北斗の星は、昔男が忍んで泣いた 雪のシベリア、あのアルタイカ 今じゃ行く手の羅針盤、若さ若さだ全線座 ♪・・・・ 私は、その他口笛や柴笛、タップダンス、それに洋舞らしきことまでなんで もやった。 タップダンスは、学生時代に面白半分で少し踊ったことがあったのでやって みたが、靴は油の切れた軍靴(底に鋲の打ってある古ぼけた編み上げ靴)しか ないので、足首が固定されてしまってうまく踏めなかったが、音楽に併せて踏 んだというだけのタップだったのに、観客には結構受けたようであった。 また、洋舞については、恥ずかし乍ら“赤い月 から原文通りに転記させて いただく。 「村井勉は、色の浅黒い美男子で仲々のインテリであり、スタイルも抜群だっ たので自己流らしいが洋舞を堂々と演じた。 特に“キャリオカ は彼の独壇場で、エキゾチックなオリエンタル風の衣装 をまとい、リズムをとり、歌い、歓声や口笛の飛ぶ中で踊った」と。 女形専門の鈴木恒平は、ぽちゃぽちゃした、とても色っぽい男で、彼が女装 で立ち小便をすると皆は変な感じがするとよく云っていた。 女形が足りなかったので、私も女の役をやらされたが、若さゆえ、今になっ て思えば、正に汗顔の至りである。 そんな抑留生活を送っているうちに、4月下旬、ダモイの声が聞かれた。


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