| 第31号 2000年12月19日発行 第32号 2000年12月20日発行 | |
「二十一世紀のアジア」作文コンクールの結果が発表になりました。
1組からは銀賞に2人、銅賞に1人が選ばれました。
金賞までは新聞に掲載されましたが、銀賞からは掲載されませんでしたので、ここで、発表したいと思います。
人の心
「人に優しくする気持ち」
「人と協力する気持ち」
「人を思いやる気持ち」
である。
最近、殺人事件や少年犯罪、汚職事件が新聞の一面を飾ることがほんとうに多い。きっと原始時代の人々は助け合い、協力し合って生きてきたに違いない。それが己の欲望のために戦争を起こす時代になってきて、今の世の中がある。つまり「人の心」は悪い方向に進化、いや、むしろ退化してしまったと僕は思う。
同じアジアでも、カンボジアやフィリピンには、とても貧しい人たちがたくさんいる。よくテレビでそういう人たちのことを放送しているが、最近の人たちはそれを見ても「何も思わない」か「自分はああじゃなくてよかった」などと感じている人がたくさんいるらしい。そんな人たちはほんとうに問題外だが、それを見た感想が「かわいそう」と言っている人たちも、実質的には何もしていない。もちろん僕もその一人だし、その番組の視聴者のほとんどがそうだろう。しかし、何もできないわけじゃない。募金をすることや、食料を寄付することはほんとうに不可能 CAN NOT なのだろうか?答えはもちろん NO 。今はコンビニに行けば、たいていは募金箱ぐらいあるし、食料品だってカンタンではないが、個人の力でもちゃんと送ることができると思う。
結局、そこで「動く」か「動かない」かは、「自分の心」にかかっているのだろう。そのテレビを見たとき、「動かなきゃ」と思うか、「かわいそう」と思うか、そこが二十一世紀のアジアがよい方向に変わっていくための、最重要ポイントだと僕は考えている。
今、日本は不景気だ。不景気だと言っているが、それを直すのも科学ではない。人だ。貧しい人たちを救うのも科学ではない。人だ。科学とは自分たちの生活を豊かにしてくれるものだが、それを使いこなすのも人だし、作り出すのも人の技術力があってこそだ。僕たちははるか昔の先祖からそんな素晴らしいものを授かっておきながら、なぜ心だけは悪くなってしまったのだろう?その答えが見つかったとき、地球は今の二倍も三倍もよい惑星になっていることだろう。
二十一世紀のアジアを変えるのは優れた科学や、より便利になった生活ではない。「人の心」だと僕は思う。
二十一世紀のアジア
今年の六月ごろ、私がタイのバンコクへ家族で旅行に出かけた時のことである。空港から少し離れたホテルまでのバスに乗っていて、思いがけない光景を見たのである。それは、私たちの乗っていたバスが信号で止まった瞬間に、道ばたで待っていたと思われる、私と同じ年ぐらいの少女が二人、車の窓に近づいてきて、花を売っているのである。そのあとも信号が青になって、車が動き出しているのにもかかわらず、一台一台の車に声をかけようと必死で働いている姿に、私は何とも言えない複雑な気持ちになった。そのときと同じくらいの気持ちになったのは、同じタイのアユタヤという古い町を訪れたときだった。 アユタヤという町は、タイの中でも観光客がよく訪れる場所でもある。その町の有名な寺の周りにも、今度は私より小さくて、小学校二〜三年生くらいの子どもたちが、自分たちで作った手作りのかばんや手編みの帽子を売っていたのである。私はその入り口に入ろうとすると、その子どもたちが集まってきて、片言の日本語で話しかけてきたりしたのである。私の弟も、自分と同じ年くらいの子が一生懸命働いているのに気づいて、困った表情になっていたり、自分もどうしていいのか わからなかった。
このような子どもの労働は、タイだけでなく、インドネシアなどのアジアの発展途上国でも同じような現状があることは、新聞やテレビ番組でよく耳にする。あるテレビ番組では、原因は親が失業してしまい、新しい職につけなくて、その代わりに子どもを家族の働き手にしている場合が多いと言っていた。
私はその話をテレビを通じて知っただけだったけど、もし、あのタイで働いていた子どもたちが同じような理由で働いていたとしたら・・・と考えると、もっと胸が痛くなるだけでなく、子どもたちの親に対する反感も感じられた。
だからこのような現実から、アジアの中での先進国の日本や、ヨーロッパ、アメリカなどの国々が、アジアとの上辺だけの経済のつながりだけでなく、各国の一般庶民の暮らしや教育などに目を向けて欲しいと思う。
そして二十一世紀のアジアは、私たちの考えや思いをただ言うだけでなく、自らすすんで実現していき、同じアジアに住む日本人として、二十世紀までの問題を解消していきたい。
また、子どもの労働問題を一刻でも早くなくして、子どもたちが住みやすい豊かなアジアといえるように、ユニセフなどのボランティア活動に参加して、国境を越えて通じ合える国際理解にも力を入れたいと思う。続いて銅賞の作品です。
二十一世紀のアジア
まず「二十一世紀とは?」と尋ねられると、科学進歩を大きくした世紀とか、戦争の世紀などと答える人がほとんどだと思う。これはアジアだけでなく、世界中に共通されることだ。特に戦争は、ひとことでは言い切れないくらいに残酷で悲しいものだったに違いない。満州事変の後、十五年にわたって続いた戦争では、中国で一千万人、東南アジアでは千八百万人、日本でも三百万人以上の命が奪われたという。
しかし、文頭に書いた科学進歩ということも、この戦争の中で大きく変わっていった。きっと戦争がなかったら、この世に存在しないものもたくさんあったと思う。でも、それらの本来の使い道は人々の命を奪うためではなく、平和のために作られたものだったと思う。だから私が思うには、そんなたくさんの命を奪えるくらいの大きなものを作れる頭があるならば、人々が幸せになれるようにどうすればよいかということぐらい考えられるのではないか。そのように考えてくれる人がたくさんいることが、平和へつながっていくのではないだろうか。
そして、私たちは「科学」という大きな進歩を遂げたことで、今の生活がものすごく便利になっている。しかし、私たちの生活が便利になるにつれて、減っているものがある。今は、少しずつだがそれが叫ばれるようになり、知っている人がほとんどだと思うが、一昔前までは全く関心のなかった「自然環境」である。フロンガスによるオゾン層問題、ゴミ問題、海や川などの汚染問題、排気ガスによる空気の汚染、森林伐採の問題など、さまざまな環境問題がある。私たちは生活が便利になったからといって、それで終わっていてはいけない自分たちが汚したり、なくしたりしたものを、自分たちの力で元に戻さなければならない。
これらが、二十一世紀という新世紀への課題ではないだろうか。二十一世紀のアジアと世界を変えていくための、二十世紀からの課題だと思う。きっとすべてがうまくいくわけでもないし、すぐには解決しないような問題ばかりではあるけれど、これらを、地球という人間を作り出してくれた場所で、少しずつ少しずつ考えていければよいのではないだろうか。
そして、二十一世紀のアジア、世界はどのようにしてよい方向へ変化したかを知りながら、また、新しい課題へと進んでいけることが、二十一世紀のアジア、そして世界を平和へと導く道になるのではないだろうか。
受賞した三人に共通していえることは、それぞれ、二十一世紀のアジアに必要なものは違ってはいても、
それを思うだけではなくて、行動に移さなければならないということです。
みんながこの3人のように考えてくれて、実践してくれれば、二十一世紀も明るいものになると思います。