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第2章 隣の男T
みんなより一足早く体育館を出る。大会前ということもあって、外はもう暗かった。季節は確実に春から夏へと移り変わろうとしている。もう少ししたら、梅雨に入るだろう。
今日の練習は日曜日ということもあって、昼過ぎから、たっぷりと6時間も練習したことになる。お昼の時は、キレイに晴れていたのに、今は小雨が降っている。まあ、傘をさす必要はないだろう。
体育館の前で10分くらい待っていると、一人の男が慌しく出てきた。
「ごめん、待った?」
「ううん」
首を横に振る。
「なんだ、雨が振っているのか?」
「うん」
「傘、持ってる?」
「持ってない」
「俺も持ってない。まっ、いいっか?」
「いいっか!」
「帰ろっか」
「うん」
わたし達は校門を出て、暗い道を歩く。
はあ、わたしの隣にいるのが、橋本君、だったらなあ。小さいため息をつく。
「はあ・・・」
「おい!」
「はあ・・・」
「おーい」
「隣にいるのが橋本君だったら、どんなに幸せなことか・・・」
「なんだ?俺じゃ不満か?」
男の顔を見る。
「まっ、トールでもいいけどね」
「なんだよ、それ」
あれはまだ、中学でマネージャーみたいなことを始めた頃、練習が終わって一人で帰っていた時、後ろから走ってきたのがトールだった。
「どうしたの?」
「どうしたの?じゃねえだろ」
練習が終わった直後とあって、トールの髪はまだ汗で濡れていた。
ポツン、ポツンとしかない街灯のある道をトールとふたりで歩く。
「お前、こんな暗い道をひとりで帰るつもりだったのか?」
「そうだけど」
「バカか?」
いきなりこう言われて、ちょっと頭にきた。トールに何か言おうと口を開いた時、トールが大きな声でわたしの言葉を遮った。
「あぶねえだろ!」
街灯の光が届かない所だったので、トールの表情が見えなかった。
「どうしてよ?」
少しずつ、トールの顔が見えてくる。
「お前の、そのトロイ足だったら、40分くらいかかるだろ。その間に何かあったらどうすんだよ」
「・・・トロイ足って、失礼ね」
口ではこんなことを言っていても、わたしは正直、うれしかった。小学校は近いけど、中学校は遠く、トールの言った通り、本当に40分かかってしまう。この人気のない通りで、何かあったら、と思うと少し怖くなってきた。
「わかったな?」
「なにが?」
「頭もトロイんだなあ」
「失礼ね、なにがよ?」
わたしよりも勉強できないくせに。
「今日みたいに遅くなって、暗くなったら、体育館の前で俺を待ってろ。いいな」
トールの言葉は、わたしから選択という言葉を奪っていった。なんで、わたしがトールと一緒に帰らなくちゃいけないんだよ、とは思わなかった。
「・・・うん、わかった」
すごく、うれしかった。トールじゃなくても、誰かがわたしを守ってくれるってことが、すごくうれしかった。
隣の男U
「あっ、リオ、明日、数学と理科のノート貸してくれない?」
「ヤ」
トールがこけそうになる。その時、風が吹いた。小雨で濡れていたわたしとトールの体を冷やしていく。
「トール、寒い・・・」
「ああ、ごめんごめん」
トールはバッグからタオルを出して、わたしの髪や顔をちょっと乱暴に拭く。
「ちょっと、これ・・・」
「ん?」
「トールの匂いがするんだけど・・・」
トールはそのタオルをわたしの首に巻いてくれた。
「ああ、これは使用済みだけど」
「やらしいこと、言わないでよ」
「何がだ?」
でも、巻いてくれたタオルのおかげで、少しずつ温まっていく。
「ちょっと待ってて」
と言って、トールが走り出す。こんな暗い所でひとりにしないでよ、っと叫びたくなる。
しばらくして、トールが走って戻ってきた。
「何してたのよ?」
甘えた声になってしまった。
「おー、ごめんよ、ごめんよ。怖かったかい?」
その通りよ、バカ。
「何してたのよ?」
すると、トールの手が伸びてきて、わたしの顔を覆う。冷えたわたしの顔が、温まっていく。しばらくそうしていると、あることに気づいた。左の頬だけ、すごく温かいのだ。
「なんで、こっちの手だけ温かいのよ」
トールはわたしの顔から手を離して、ポケットから、缶コーヒーを取り出した。
「温かいぞ、飲むか?」
トールはタブを引いて缶をあける。
「若い時にコーヒー飲むと、成長が止まるって言わない?」
昔、誰かが言ってた。
「・・・じゃ、飲まないのか?」
「・・・・・」
「じゃ、俺がもらうとするか」
「待って!」
飲もうとするトールの手をつかむ。
「やっぱり飲む」
「いいのか?成長が止まるんじゃないのか?」
トールは、わたしの顔ではなく、もう少し視点を落として言う。
「どこ見てんのよ、エッチ」
持っていたバッグでトールのわき腹を叩く。
「あちちちち」
「トールがエッチなことをするからよ」
トールからコーヒーを奪って、一口飲む。
「・・・苦い・・・」
けど、あったかい。
「まだまだ、子供だな」
「うるさいわね」
半分くらい飲んでトールにわたす。
「トールもコーヒー飲むと、止まっちゃうわよ」
「俺はいいの、もう」
「なんで?」
「もう、抜いたから」
「はい?」
「いいの」
こうして歩いているうちに、家に着いた。
「じゃ、また明日な」
トールが手を振って、帰ろうとする。
「あっ、ちょっと待ってて」
今度は、わたしがトールを待たせて、2階に上がって、数学と理科のノートを持って下りる。あっ、と思って、もう一回、2階に上がる。今度はタオルも持って下りる。
玄関のドアを開けると、ちゃんとトールがいた。
「はい、ノートとタオル」
「お、サンキュー。でも、タオルはいいよ」
トールのタオルはまだ、わたしの首に巻きついている。
「いいから」
「そうか、じゃ、遠慮なく」
「いつも、遠慮しないじゃん」
「おい」
トールが笑顔で答える。
「じゃあな」
「うん、じゃあね」
トールを見送って、家に入って、タオルをとる。
「ホント、優しいんだから・・・」
次の日、教室でユカやカオルと話をしていると、明らかに眠そうなトールが登校してきた。
小学校六年間は一度も同じクラスになったことがないのに、この中学校三年間はずっと同じクラスだった。
わたしに気づいたトールはバッグからノートを取り出し、わたしにわたした。
「ちゃんと勉強した?」
「ああ」
今にも寝そうなトールは、案の定、席につくと、すぐに寝てしまった。
「松下君て、なんかいいよね」
ユカが言った。
「そうだよねえ」
カオルも同調する。
「どうなの?リオ」
「何が?」
「松下君よ。仲いいじゃん」
カオルは黙って聞いている。
「仲いいけど、エッチだよ」
その分、優しいけど。
「ウソー、見えなーい」
「人は見掛けによらないの」
ガラガラとドアが開く。
担任が入ってきて、出席を確認して、出ていく。
一限目は数学で、朝から数学っていうのは気分がのらないけど、ノートを開くと、その思いが吹き飛んだ。
『サンキュ』
きたない文字が書かれているメモがはさんであった。
ちらっと、トールの方を見る。トールはまだ、寝ていた。
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