10.新たなる、死に方
夜・・・。
ロックの体力は既にそこをつきかけていた。息づかいは静かすぎるほどに穏やかになり、人形のような表情には血の気がない。
もう周りも見えてはいなかった。
瞳は開かれていたものの、その瞳には夕方の光はなかった。
アリアはそんなロックを見た途端に、今日中には必ず死ぬと告げた。
もう・・・本人が生きることを望んでいなかった。
後は・・・・・・その死をしっかりと見送ることが大切なのだ。死に対して抵抗する心を持たないロックに、もはや生きている権利はない。死ぬだけだ。その死を・・・ふさぎ込んでいるドリッカーとロールに直面させる必要がある。
愛は、三年前に自分が迎えた境遇を思い出して、一瞬身震いした。
ロールの方はアリアがやってくれると言うから、自分はドリッカーを立ち直らせなければならない。出来るかはわからないが・・・やらなければならないのだ。
もう・・・自分のように死から逃げる人間を見たくはない。自分勝手なわがままだけど、そのわがままが人のためになってくれるなら・・・。
過去の自分。今の自分。
髪が黒いことに憧れていた幼い自分。人と相容れない冷めた自分。
よく考えたら、話にでてきたドリッカーと同じような心だったのかもしれない。だから自分に優しく・・・いや、ドリッカーと同じ負の感情を抱かないようにさせようとしたのかもしれない。そんな彼の優しさを四年にも渡って受けてきた自分が、たった一時、彼に優しさを与えることが出来ないなど、彼の意志と自分の意志を裏切ることになる。
ドリッカーが寝込んでいる部屋に、愛は思いきり踏み込んだ。
ベッドに寝ることもせず、ドリッカーは酔いしれた顔のまま目を瞑って倒れていた。
「ドリッカー。」
敗北した兵士のような顔をした男の名を愛は静かに呼んでみる。もちろん、答えないことはわかる。返事など期待しないで、愛はドリッカーを抱き起こした。その時にわき上がる切なさ・・・それは同じ想いでも、男女の愛と言うより、兄妹の愛だった。
愛の声が聞こえたのか、ドリッカーはうっすらと目を開けた。
「・・・愛か。」
「兄さん・・・今日逝くって。そんな目をしている。」
「そうか。」
悲しそうな目でドリッカーは答えた。だが・・・不思議とした穏やかさが彼の中にあった。その表情に、愛は自分までつられるようにして悲しくなった。
「見守ってあげて・・・。彼が逝くときまで。」
「・・・もう、俺は逃げられないんだな・・・。子供であったときは、もう・・・。」
「大人になったら・・・親の他に心を通わせる存在がある。きっと・・・。」
ドリッカーはそのまま、ゆっくりと立ち上がった。そして、正面を向いてゆっくりと歩き始める。その様子に少し安堵を覚え、愛は少しだけ微笑んでドリッカーのあとに続いた。とりあえず、この場は何とかなったようだ。
アリアは、相変わらずロックのベッドに倒れ込んでいるロールに嫌気がさした。心の奥底で、少しだけ。
まさかロールがこんなに弱い女だったとは・・・。愛するものの死を前にして、それを見届けようとしないなんて、そんなことは信じられない。そんなことは・・・死するものを前にして、もっとも恥ずべき行為ではないか。
これでロックが死んだとしたら・・・彼の死を、ロールが認めなかったとしたら・・・一体何のために彼の死があるのかわからなくなる。
三年前、ロックは綾の死を知ったときに泣き叫んだりふさぎ込んだりはしなかった。ただ一言だけ、
「ここで僕が悲しんだら、綾ちゃんが可哀想だよ。」とそれだけを言ったのだった。ロックは・・・強かった。ものすごく強かった。光として、信じられないほど。そんな彼に愛されていたロールは、光の中でもっとも幸せな女性だろう。だが・・・今のロールは、そんなロックの想いを裏切るかのようにしているのだ。
衝動的に怒りに襲われたアリアは、ロールの腕を掴んでベッドから引き剥がした。
ロールの目にも、既に生気はない。
「あなたは愛してないの・・・?この人を。この人の想いを、あなたはそんなに簡単に裏切ることが出来るの?この人は・・・あなたを悲しませるために死ぬわけじゃないのよ!何でそれを・・・この人を一番愛しているはずのあなたが理解していないの!?おかしいじゃない!!」
それでも・・・ロールは動かなかった。
「ねえ!あなたは何でこの人と結婚したの?この人を愛しているから何じゃないの?」
そこで、ロールの身体が少しだけ動いた。
「愛する人が死ぬときくらい、しっかり見送ってあげなさいよ!この人が何で死ぬのか、わからないままあんたも一緒に死んでいくなんて、誰が望むのよ!!」
その言葉に、ロールは掴み掛かっていたアリアの手を払いのけた。
「違う・・・私は、この人の死を無駄にするつもりはない!私は・・・ロックを悲しませたくないもの!だから・・・。」
帰ってきた言葉に、アリアは安堵を覚えた。
よかった・・・回復してくれた。
その安堵と共に、さっきまで抱いていた怒りも、完全に消え果てていた。
「それで・・・いいのよ。」
「アリア・・・。」
ロールはその言葉に、涙が流れるような思いだった。しかし、涙は流れなかった。
「ゴメン。ありがと。」
「最後くらい・・・笑顔で送ってあげなさいよ。私が言うのも、何だけどね。」
二人とも、口元には微笑が浮かんでいた。
そんなところで、ドリッカーと愛が入ってきた。
「あ、二人とも・・・。」
「ロール。」
「ロールさん・・・回復したの?」
「ええ、ゴメンね。私バカなことしてた。」
「いいんだよ、俺も・・・同じだったから。」
しかし、そんな絶望の淵にいたのは、過去のロックであり、過去の愛だった。
ロックの呼吸は、次第にゆっくりとしていった。もう・・・このままでは目を開けることもなく死ぬだろう。死する前に、会話をすることすら出来ずに、その人は朽ちていく。苦しみの声をあげることもせず・・・。
ロールは、悲しみで押さえつけられた自分の鼓動に、励ましの声を与えた。もう・・・死から目を背けることだけはしない。今まで、そんなことを考える間もなく、人の死を見ることもなかった。人の死を見る前に、人の死を覚悟するとは・・・。しかし、もう決めた。愛する人を前に、自分の悲しみを見せることだけは、絶対にしないと。
しかし、そんな沈黙した空間の中で、ロックの唇が薄く動いた。
「!?」
何かを必至に喋ろうとしている。
「おい、ロック!何が言いたいんだ!?」
「デ・・・デー・・タ・・・。」
「え?」
今はもう無い、ドリッカーの代わりのAI。ドリッカー以上にロックの面倒を見てくれた、ロックの一番の友達だった。
「約束・・・守ったよ・・・・・・。」
「え!?」
「ロック!どういうことなんだ!?」
しかし、ドリッカーがそんなことを言っても、ロックは休らいだ表情のままで何も言わない。
「ロック!!」
「ロック!」
「兄さん!」
三人が交互に呼びかけると、ロックはうっすら目を開けた。
「ああ・・・そうだったのか。」
美しいほど屈託のない微笑みを浮かべて、ロックは呟いた。
「僕って・・・誰よりも幸せだったんだね・・・・・・。」
そんな呟きと共に、ロックの身体は幾つもの光球になり、そして消えた。
消えた後の光が、4人の身体を包み込むようにして、いつまでも舞っていた・・・。
ドリッカーはその死を見届けた後、暗くなった家の外にでていた。
電球の切れ掛かった街灯の明かりが、何となく先程の死の光景が思い出される。思い起こせば、あっけないというか、あっさりとロックは逝った。涙より先に、喪失感が全身を支配した。
一体、自分が死ぬときには誰が悲しんで、その時に自分はどんな言葉を発するのだろう。そんなことは死を迎えてみなければわからないのだが、何となくそれが疑問として残った。
「死ぬって・・・どういうことなんだろうな・・・・・・。」
その問いかけに答えるものは、もはや何もなかった。
一人で外にでていったドリッカーに対し、女性三人は居間でそれぞれ座っていた。
そんな中で、愛は一人放心したような顔をしていた。しかし、そんなことをしていることに飽きたのか、気まずいながらも側にいるロールに話しかけた。
「ロールさん。」
「ん?」
「大丈夫?」
「うん・・・。全然大丈夫。ここで悲しんでも、仕方ないわよ。でも・・・。」
そこでロールは、肩を落としたようにしながらも、微笑してため息をついた。
「ベッドに入ったら思いきり泣くかもね・・・。」
「ロールさん・・・。」
それは、ただ泣かれるよりもよほど悲しそうなものだった。
「そういえば、ドリッカーは?」
出し抜けにアリアがそういうものだから、愛は何となく口ごもってしまった。自分が一体何を言おうとしていたのか、それすらも思い出せない。
「外に行ったわよ。ほとんど音も立てずに。」
ロールが間髪入れずに答えた。
「え・・?まさか、何かしに行ったとか?」
「そこまではわからないけど・・・。」
愛の問いかけに、ロールは口ごもった。
何となく不吉な予感がする。ドリッカーのことだから、きっとただで戻ってくるはずがない。
「私、ドリッカーを探してくる!」
そう言って、愛はいきなり立ち上がった。
「あ、ちょっと。愛!」
引き留めるアリアの言葉を無視して、愛は一目散に靴を履き、外へと飛び出した。
「愛ってそうだったの?」
「う〜ん・・・ま、そうといってしまえばそんなもんかな。」
「ふーん。ま、私も同じようなものだったか。この年齢で未亡人。常識外れねー。」
ロールがしみじみと、しかし寂しげに呟いた。
星も見えない暗闇の中で、愛はひたすらにドリッカーを探してさまよった。今見つけなければ、必ず見失ってしまう。そんな気がする。
街灯の明かりだけを頼りに、愛は走り続ける。
しばらく走り回ると、自分がmother 2の下僕に怪我を負わされた公園にやってきた。そこで、愛は黒い衣服に身を包んだ、ドリッカーの姿をようやく見つけた。
「ドリッカー!」
「・・・・・・愛。どうしたんだよ。」
「あんたこそ何やってんのよ。こんなところで・・・。」
愛のその言葉に、ドリッカーは自嘲じみた笑みを浮かべざるを得なかった。この強く、そして繊細な天使は、堕天使である俺を、いつも美しく包んでくれる。
「星を見ようかと思った。」
気がつけば、そんなことを口に出していた。
「けど、空は黒くて星なんぞ見えやしない。」
そう、黒くて淀んだ空は、まるで汚れきった自分の心のようだ。
「ロックの中にあった光は・・・。あの光は・・・。」
その瞬間、ドリッカーの言葉の中にある一言の言葉が流れた。それは、自分があの殻の中にいた時。ロックが結核だと言うことが判明したときのデータの言葉。
「後四年、生きろと。」
四年。あの時ロックは十四歳だった。それが・・・死んだときは十八歳だった。そう、ロックはデータとの約束を、頑なに守っていたのだ。本人はきっと憶えていなかったのだろうが、その言葉がキーワードになって生き続けたに違いない。それが・・・データだった頃の自分にメモリーされていない。
ロックの親友は、明らかにデータであって、自分ではない。
無力だった自分。
ロックに対して、友達ではなく兄として接していた自分。
けしてそれが・・・友情とか、そんなものではなく。兄の愛情であったことが、何となく悔しかった。
「俺は・・・そんな兄弟上の愛でしかあいつを・・・・・・見てやれなかった。」それをわかっていながらも、後悔もできやしない。もう・・・それはいない。
そんな心で、目の前で怪訝な顔をしている愛を見ると、悲しくて仕方なくなってきた。
「ドリッカー。」
愛は呟いた。ほんの少しの表情の変化で、ドリッカーからまるで子供のような寂しい感じがした。その時、愛はドリッカーが悲しみの深淵を見せたことを悟った。
「愛・・・。」
二人は自然に、互いの歩を進めた。近づいていることすら二人には理解できなかった。しかし、二人が互いに何かを求めていることは、十分すぎるくらいに理解していた。ドリッカーの頬は朱に、愛の頬は桜色に、各々染まっていった。
さっきまで、ついさっきまで平凡な兄弟に過ぎなかった二人が、妙に近づいたように思えた。それも、けして悪い方向ではなく・・・何か、避けられない胸苦しさの残るものに。
そのまま、ドリッカーは膝を落として愛の胸の中で泣いた。
初めてアイリスに慰められたとき、いや、それ以上に愛を求めていた自分が情けなかった。だが、情けなく感じていても、今愛の抱擁を拒絶する気にはなれなかったし、何か思いきり愛に甘えたいような気がしていた。涙まじりに、ドリッカーは渦のような言葉をぶちまけていた。
「ロックは・・・あいつは・・・データとの約束を・・・・・・後四年生きるという約束を守ったんだ。俺は・・・そんな奴の言葉を・・・。」
「・・・もういいよ。あなたが責任感じる必要なんてどこにもない。あなたは・・・自分のやるべきことをちゃんとやってたよ。泣くことは、決して恥ずべきことじゃない。あなたは・・・・・・。」
切なかった。今までドリッカー相手に
「あなた」なんて言葉は使ったことがなかったというのに。それでも・・・。
「あなたは自分に厳しすぎる。誰かの責任から何から何まで自分にしょい込もうとするから、自分を偽れない。・・・逆ね。三年前と。」
そう微笑していながら、結局は愛も泣いていた。
「ドリッカー・・・。あなたは誰を愛したの?」
そんな疑問が口をついてでる。しかし、ドリッカーは答えてくれない。
「愛すべき人も失って、自分すら愛せなくて。でも・・・誰かがきっとあなたを愛しているから・・・だから。」
「愛・・・。」
泣きすぎた顔をあげて、ドリッカーは呟いた。
「お前、まさか。」
「いつか時が来て私が消えても、私のことを忘れないで。きっと・・・あなたの慰みになったのは、私だけだと思うから。」
「ありがとう・・・。絶望の淵で俺を導いてくれたのは、お前だけだった。」
「今度は抱く方じゃなくて、抱かれる方になりたい。永遠に、私を抱いていて。私が消えるときまで・・・。」
そのまま無言で、二人は消え得るように家に帰った。
二人が帰ってきた後、ロールは何となくため息をついた。その様子を見て、アリアが微笑んでみせる。
「慰めが通り越した・・・か。幸せが過ぎた後に、新たな悲しい幸せが始まった。明日にもつきるような、幸せの日が。」
アリアがそう呟くと、ロールは苦笑して見せた。
「どういうことのなの?明日にもつきるようなって。」
「あの子の髪が・・・何で白いのか知ってる?」
「え?脱色したんじゃないの?」
そう問い返すロールに対し、ありは首を振った。
「あれ・・・白髪なの。自然に・・・自然に白くなったものなのよ。」
「え?でも・・・他は全然老けて無いじゃない。」
「つけてからわかったけど、あの子のナノマシン。欠陥品なの。ナノマシン組織のほとんどをフル稼動させているから、それだけ老化も早い。というより、あのナノマシンの中にあるあの子の母親が、ほとんど老化しきっているのよ。だから、ナノマシンの生命維持機能がほとんど失われてしまっている。いま・・・あの子が自分の体組織をあの形に保っているのは、ほとんど不可能なはずなのに・・・。ドリッカーに対する想いだけが、あの子の形を保っているのよ。」
「じゃあ・・・。」
「明日か、今夜か、明後日か・・・。いずれにせよ、あの子は死ぬわ。どうすることもできなくてね。でも・・・綾やロックと同じ。またいずれ、戻ってくることになるわ。彼等は鍵だもの。戦いのための。」
「ふ〜ん。でもその戦いを見届けることは私には出来ないのね。」
「・・・。」
ロールの寂しげな呟きに、アリアは微笑むことしかできなかった。
「あ、アリア。アイリスに一つ伝えて欲しいことがあるの。渡したいものがあるって言っておいてくれない?」
「渡したいもの?」
「あ〜あ。自殺でもしようかな。」
「え?」
「冗談よ冗談。」
いくら強がっていても、きっと彼女は絶望の淵にある。しかし、それをけして言わないのが、ロールの強いところ。ロックとは少し違った強さだ。
「でも・・・あの二人も後数日でお別れなんだとしたら、今日の夜くらいは二人きりにさせておいてあげた方がいいわね。」
アリアがうらやましそうに呟くと、ロールも同じようにため息をついた。
涙はまだ止めどなく流れ続ける。それが・・・誰かを想うが故の涙なら、こんなにも嬉しいことはない。ドリッカーの腕の中で、愛は流れ落ちる自分の涙に、こんなことを思った。
暗い部屋の中で、自分はドリッカーに抱かれている。さっきからかわす言葉など一つもありはしない。ただ伝わってくるのは、互いの想いだけ。
愛は自分が数日後に朽ちることをドリッカーに言うべきか迷った。せっかく・・・自分の中の想いが相手に伝わったというのに、その相手と長い時を過ごすことすら許されない。今度は、愛する人すら失う。しかし、失うのは自分ではなくて・・・ドリッカーの方だ。死は、死した後の苦しみは本人が味わうことはない。
想いと悲しみが入り交じって、さらに涙が流れ続ける。そんな自分の心に、暖かく語りかけるドリッカーの胸の上が痛い。
どうせなら、このまま彼のものになれればいいのに。死など放棄して、永遠に彼と共に慰みを味わいたい・・・。
でも・・・それができない自分が悲しい。
ふと目を開けてみると、ドリッカーの黒い翼と自分の天使の翼が重なり合って、綺麗なディソナンスを見せていた。でも・・・それも慈しんだような暖かさになっていた。
愛は身体を動かしてドリッカーと向かい合うと、そのまま彼にキスした。
「愛・・・。」
「もう放さないで。永遠に放さないで!」
「わかってるよ。もう・・・手放したりしないさ。こぼれ落ちたものは救えない。けど、こぼれ落とすのを阻止することは出来る。おれは・・・もう、お前から逃げることはしないぜ。」
優しい・・・。いままで、母親よりも優しいと感じた存在はなかったはずなのに・・・今は、ドリッカーが何よりも優しく、そして何よりも切ない。
一体、自分は二つの死と引き替えに何を感じるのか・・・。
愛は、ドリッカーが自分を放さなければいいのにと、心底思った。
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