11.失う悲しさと、得たときの喪失感と
 
 翌朝・・・。
 入り込んでくる朝日に目を覚まして、愛はため息をついた。
 よくよく考えたら、昨日の夜、泣きつかれて眠ってしまったのだ。我ながらに情けなかった。しかし、目を覚ましたのがドリッカーの上だったのが、何となく嬉しかった。
 身を起こして自分の服装を見てみると、ものすごく乱れている。着ていたカッターシャツはぐしゃぐしゃで第一と第二ボタンが外れていた。スカートは無意識に脱ぎ捨てたらしく、ベッドの外に落ちている。
 しばらくして、また全身をだるさが襲い、愛はドリッカーの上に倒れ込んだ。その衝撃からか、同じように服装の乱れたドリッカーが目を覚ました。
「・・・よお。何だよ、随分と嬉しい格好してくれちゃって。」
「あんたが嬉しいことさせてあげようか?望む時間だけ。」
「・・・・・・お前も悪い奴だな。いつからそうなった。」
「今から。・・・強いて言えば、昨日泣いているときから。ドリッカーの腕の中にあるなら、たとえどんな状態でも構わないってね。」
「全く・・・俺達結局慰めあうことしかできないんだろうな。」
「いいじゃない。今はそうでも、いつかはそうじゃなくなるわよ。」
 そのまま・・・二人はまた抱き合った。今はまだ・・・二人別れて、生きていけるほど器用じゃない。まだ・・・二人は慰めあうことを望んでいる。それが、どんな形でありこそすれ。
 ドリッカー達が家の中で慰めあっているときに、登り始めた日差しを背に受けてドリッカー達の家を見下ろす男の姿があった。
「人は時の中で、時に縛られると同時に時を選び生きる・・・。お前達はそんな俺のキーワードだ。俺が何者なのかを思い出すときまで、お前達には、つきあってもらうことになる。お前達がそれを知らない間にな。」
 前髪が目を覆っているその男は、自分が知らぬ間に生まれ、そして過去の記憶を持っていながら、それを忘れていることを悟った。それから、男は自分が今ここに生きている理由を探すことになる。単に気分的に・・・というより、何かやらなければならないような気がした。だから、今自分はここにいる・・・。
 あの女・・・俺を何かに利用しようとしている。
 黄金の光をまとった女のことを思い出して、男は微笑した。
 優しい表情だが、あの女には一癖も二癖もありそうだ。
「それにしても・・・どうも年齢がはなれていそうなのにあんなことをしているとは。物好きな連中だ。」
 
 慰めあうことは一応一段落した。
 ただ、その時から二人の関係は後戻りの出来ない関係へと変貌した。
 愛は自分の身悶えの息と共に考えた。今・・・今ならドリッカーに言えるかもしれない。今この精神が落ち着き始めたときにドリッカーに言えば、わかってくれるかもしれない。
 しばらくは荒い息だけが部屋の中に響く。愛はドリッカーのそれが治まるのを、ずっと待っていた。
 約一分後、愛は遂に覚悟を決めて、ゆっくりと口を開いた。
「ドリッカー。」
「ん?」
 汗のにじんだ額を拭いてドリッカーは愛の方に顔を向けた。
「私・・・死ぬの。」
「・・・・・・そうか。」
「そうかって、それだけ?」
 それはドリッカーが悲しんでいないのか、愛が死ぬことをドリッカーが最初からわかっていたのか、そのどちらかを表すことになる。
「うすうす・・・わかってたよ。お前の白い髪が、それを物語っていたし。最近のお前・・・何となくふわふわしてたんだよな。なんて言うか、身体が今にもはじけそうな感じでな。そんで、ロックが死ぬ前にも同じような感じがしたんだ。だから・・・しばらくたったらお前も逝くんじゃないかって・・・。昨日お前を抱いていたときに気がついたんだ。だから・・・その慰めも兼ねてな。」
 愛はその言葉に心底驚いた。まさかそこまで悟られていて、しかもその分だけ自分が求められていた。
 むしろ切り出したことが変なような気がして、愛は口をつぐんだ。
「いいんだよ。たとえ今その身体が朽ちたとしても、いつかは戻って来るんだろう?そしたら、もう一度抱かせてもらうからさ。それまで・・・いつまでも俺は待つよ。もう一度、お前と向かい合えるときが来るまで。でも、別れの時が来るまで、俺はお前を手放したくはないんだ。それは、わかってくれ。」
 寂しげなドリッカーの呟き。それが自分の心をまた痛めさせる。
 もしかしたら、ドリッカーが自分達の中でもっとも子供のようだったのかもしれない。
 同じ子供のような人間だったからこそ、二人は互いを想うことが出来たのかもしれない。予感的なもの。狂い始めた自分の心。ドリッカーにそれを言わなかったのは、単に彼を悲しませるのが怖かったからなのかもしれない。
 たとえ覚醒したとしても、愛はまだ子供だ。
 愛はそれをわかっていたつもりだった。だが・・・こんなつまらないことを怖がっていた。わかったふりをしていても、心の深淵まで見渡せはしない。それが不安で、わからないことだからこそ、男と女は慰めあうのかもしれない。
 だとしたら、よけいに今はドリッカーに甘えていたい。死するときまで。
 何度想えばいいんだろう。
 甘えていたいと感じればいいんだろう。
 一分ごとに忘れて、そしてまた思い出す。
 狂おしい感情と、死への恐怖。いや、むしろ悲しみ。
「俺達が分かり合えるのは・・・死ぬ前なのさ。いや、死ぬ前になって、その人を悲しみに満ちた目で見てみないと、その人が自分にとってどんな位置にあるのか、気付くことはない。最悪、気付くのはその人が死んだ後なのさ。」
「もう私・・・自分の身体をこの形に保っていることが辛い・・・。でも、放っておいたらこの身体は砂のように四散してしまう。」
「してもいいんだよ。その時は俺がその砂をかき集めてやるさ。」
 微笑みながら呟くドリッカー。しかし、彼はその後真剣な顔でしばらく考え込んでいた。愛もそれを心配そうに見続ける。
「俺さ・・・バカみたいなこと考えてたんだ。」
 微笑みと真剣な顔の間に、自嘲の表情が渦巻き続ける。
「俺・・・お前が逝った後に観測者になろうと思ってるんだ。」
「観測者って・・・あの、アイリスさんみたいな?」
 心配そうな顔で問い返す愛に、ドリッカーはゆっくりと頷いた。
「俺は甘えてたんだ。お前や、この世界にある全てに。だから、誰にも甘えないってのはどういうことなのか、それを体験してみたいんだ。もちろん、逃げられないのはわかっている。いや、それ自体が逃げることなのかもしれない。けど、俺はもう母さんにあんな思いはさせたくないし、お前が消えた後のこの世界で自分を偽るのも疲れるからな。流されるままに流されることも、少しはいいんじゃないかって。そう思ったんだ。」
 そしてドリッカーは、
「それも結局わがままなんだけどな。」と笑った。
 そんな彼の姿を見て、愛は一層切なくなった。
「私は・・・別にあなたのやることに口を出すつもりはない。けど・・・あなたがそこまで苦しんでいたのがわからなかったのは悔しい。・・・だから。」
「贖罪なんてことは考えない方がいい。俺もお前も、目に見える罪なんか抱いてやしないのさ。過ちなんて言葉を使っても仕方ないけど、俺達は少なくともこうやって慰めあうしかないんだ。方法はあまりよくないがな。」
 まあそれはもっともだった。少なくとも、自分みたいな年齢でこんなことをしている人間は万が一にもいるまい。ドリッカーだって多分今までそんなことはしたことはなかったろうし・・・少なくとも、自分に関わってきた人間でそんなことをしていた人間がいるとは思えない。
 よくよく考えれば恥ずかしいことだ。
 今の自分の格好を見下ろして、愛は恥ずかしくなって俯いた。
「どした?」
「今考えたら・・・私達ってとんでもないことしていたのね。」
「・・・でもこんな不器用な方法に頼るしかないのが俺達だ。別に恥じることなんか無いさ。確かに健康面でも精神面でもあまりよくないがな。でも、一時の快感と慰みが何よりも大事だってこともあるぜ。」
 そのままドリッカーは愛を再度抱擁した。
「一体いつまで続くんだろう・・・この慰めあいは。」
「きっと・・・俺達の心の決心がつくときまでだろうな。」
 きっとそうなのだろう。だが、それを認められるほどに自分達が器用ではなかったこともまた事実だ。
 そうか。だからドリッカーが言っていたように、自分達は不器用だったんだ。
 
 数日後。
 愛は雲の平原にいた。そのまま二日に渡って続いた彼等の慰めあいはついさっき終わった。そのあいだは何の苦しみも感じられなかった。しかし、こうして雲の平原にたってみると、自分がどれほどに果てしなく先の見えない時の中にあることがわかる。
 そして、その時は自分が選んだものであるのだ。
 日の光は照りつけ、その度に身体は飛んでいきそうになる。
 再び何かが自分を引き裂こうとして、愛は自分の身体を引き留めようと翼で自分を覆い隠した。何の役にもたたないが、何となく少しは安心だった。
 もう・・・この命が後何時間持つかわからない。少なくとも今日中にはきっと・・・。
 もしかして今朽ちるのかもしれない。だとしたら、ドリッカーに別れの一言でも言ってきた方がよかったのだろうか。しかし・・・それでは、もっとドリッカーを苦しめることになりそうで、怖くなって口に出せなかった。
 ほんの少し・・・死ぬ前にほんの少し、自分の死んだ後のことが見えたら・・・。少しは安心できるのだろうか。・・・・・・今自分は苦しみを和らげることしか考えていない。一人でそれを考えるためにこんなところにきてみたが、結局考えることは変わりはしない。
 どうせなら、死ぬときまでドリッカーに抱かれていればよかった。(バカな私・・・バカなことを考えて、バカなことして、バカなことに逃げてる。なのに今更、そんなバカな私と、私を愛してくれた人が愛しい。それ自体が・・・私にとってバカなこと。バカっていいことなのかな・・・。)
 生まれ変わったときに自分は、ドリッカーにまた抱いてもらえるんだろうか。また、自分の弱さ故に慰めあうことをするんだろうか。意志の強さじゃなくて、自分の弱さ故に・・・。
 いや、もしかしたら、ロックやロールのように、別の慰めあいの仕方をするんだろうか?そう考えると、少し希望があった。
 死して生まれ変わることを希望するのも、またいいのかもしれない。
 死を拒否することも、受け入れることも、それもまた同じ・・・。
 たまには流されてもいいんじゃない?
 そんな考えだって浮かぶ。ただ --
 それで何も得られないのは悲しすぎる。とそんなことを考えていると、もうほとんど自分に語りかけてくれなかったソナーが、最後の一声を振り絞って自分に語りかけた。
 愛する人がきてくれると。それだけを告げて、ソナーの機能は完全に停止した。また一つ失った。けど、不思議と何かを得た感じがした。
 もう、どうでもよかった。
 このままその愛する人に抱かれて死ねるのなら、これほどにまで幸せなことはない。その考えが浮かんで消えると同時に、スラスターの快活な音が聞こえた。そしてその方向を見てみると、ドリッカーがすさまじいスピードでやってきていた。
 そんなドリッカーの姿を見ていると、今までに浮かべたこともない甘く優しい表情をせずにはいられなかった。
「ドリッカー。」
 この名前を呼ぶたびに、自分が一人じゃないことを実感できる。
「愛・・・もう、お前は・・・。」
「気付いたの?それとも、予感?」
「予感だよ。お前が消えるような気がして・・・。」
 予感だけで、必至になってここまで追ってきてくれる、一途で不器用な人。
 愛の心の中は、アイに満ち溢れていた。
 そう、名前通りの女の子になれたのだ。
 その心がキーワードとなったかのように --
 愛の身体の周りを、光が包み込んだ。
「アイ・・・。」
「ドリッカー。私が朽ちるときまで、ずっと私を抱きしめていてね・・・。死んだ後の私が迷うことがないように。」
「いつか・・・、俺達はまたあえるよな・・・。」
 ドリッカーがそれを言った瞬間、アイは爽やかに笑った。死ぬ前とは思えないように。
「それは、あなたの望むままに。」
 そしてアイの光が、白くて何もないような光が強くなってくると、耐えられなくなったドリッカーがアイを抱きしめた。
「ドリッカー。あなたには悪いけど・・・。」
 その言葉の時、アイの身体はほとんど存在していなかった。
「私・・・自分が幸せだって心から言えるの・・・。」
「アイっ!」
 抱きしめていた感覚が消え、アイは消えた。
 それと同時に、ドリッカーは死ぬほど切ない感覚に襲われた。
 それでも、浮かんだのは微笑だった。
 アイを悲しませないための、一時だけの微笑みだった。
 過ぎ去ったアイの姿は、もう跡形もなかった。
 
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