7.木漏れ日の中で
暑い。暑い。暑い。
山登りがこうも暑いものだとはしらなかった。何故かここら辺には森もなく、石ばかりが続いている。上から照りつける太陽と、下から舞い上がってくる熱気で、そのまま不定形生物(バチルスではない)になってしまいそうな感じである。
「アリア・・・。暑くないの?」
「あたしだって暑いわよ・・・。でも、もう少しで森にはいるから、かなり涼しくなるわ。安心して。」
安心しろといわれたところで、複雑な気持ちである。森の中と、ここと。どう違うのだろう。確かに、下から熱気が舞い上がってくるなんてことはないだろうが・・・。第一、一体いつになれば森に入れるというのか。下しか見えていない今では、景色を見る余裕もありはしない。
疲れた身体を奮い立たせて、とりあえずは前を見てみる。すると・・・。あった。信じられないが本当に森があったのである。100メートルほど前方に。
「うそ・・・。どうやったらこんな不自然な環境が。」
「自然に出来ればそうなるわ。人間の進撃に耐えられなくなって、ここまで後退せざるを得ないものがね。」
「え?」
意味がわからない。一体、人間の働きが森の何に通じるというのだ。
「あなた達の生きていた時代とは違い、この時代の森はそれ相応にデリケートでね。すぐ死んでしまうのよ。死んだ後は、どんどん後退していく・・・。そのうち、森は自分自身の力では存在できなくなる。私の生きた時代は、丁度木々が死ぬ寸前だったのよ。でも・・・・・・無理矢理機械処理をして、なんとか木という生態系は残した。でも・・・機械処理がなかったら、一日でかれてしまうようなものすごく弱いものなのよ。」
「・・・・・・木は元々そんな感じだったのかと思ってた。でも、この時代は木がちゃんと自分自身の力で生きられたというの?」
「私自身驚いたわ。森がこんなに深くて暗いものだなんて・・・。でも、今の人たちはそれが当然のように思って、それよりひどくなることを全く考えない。この歴史は、多分、私達と一緒な道を歩いているものだから・・・いずれは。」
「・・・・・・・・・人間って基本的に薮蛇ね。」
「そんなものよ。」
それから森にはいるまでは、二人とも無言だった。
砂利道を歩き、山道が遂に森に入る。遥か下方では細い川の流れが見え、朝の早い今、東の空を明るく太陽が照らす・・・。その影と光に隠れて・・・。そのコントラストを自分に照らし合わせてみる。絵に描いたような、幻想的な空間・・・それが出来るのか、それとも。今自分のおかれている状況を、愛は今一つ理解してはいない。初めてのものだから。
青く、よく茂った木々。森の中にはいると共に、さっきまで自分を苦しめ続けていた熱気はどこかへ飛び去った。そして・・・深く。
「なんて・・・深い青。」
「そう。これが森なのよ。整備されてはいるけど、まだあまり手の加えられていないものだわ。私も、去年初めてきたんだけどね。」
そんなアリアの言葉は半分も耳に入らなかった。この空間を把握しようと、五感を全て働かせるので精一杯だ。目は深く続く暗闇を映し、耳は風のような、それでいて重いものを感じとり、鼻は汚れのない空気を感じさせ、肌はこの澄んだ空気に適応しようと身を震わせている・・・。
そう。明らかにこれは今まで自分が経験した、どの存在とも・・・違う。
澄んでいて、明らかに寒気を伴っているのに・・・。暖かな循環を感じる。
木も見たこともない太い木があったり、草は足の下で茂っている。時折蛾のような小さなものが飛ぶのが見えたり。
「先に行きましょう。頂上からなら・・・もっといいものが見えるわ。あなたにとって、何が必要なのか、何を考えるべきなのか。もしかしたら諭してくれるかもしれない。」
アリアはそう言って、自分よりも早いペースでどんどん歩いていってしまう。しかし・・・・・・。こんな、常識を逸したものがこの世に存在するというのか。こんな汚れのない生物の還るべき場所が何故あるのか・・・。彼女にはわからなかった。
「アリア・・・。もう少しゆっくり頼むわ。ここを頭に焼き付けておきたいの。」
呆けたように呟く愛に対し、アリアは振り返って微笑んでみせるだけだ。一年前。同じように感動に浸っていた自分を、ふと思い出すことになったのだから。
それから先の道は、さっきまでの疲れを一切感じさせないものだった。一歩づつ、ゆっくりだが確かに歩いていけたし、何よりもその一歩づつすべてが、自分にとって違う景色をもたらしてくれるものだった。カメラのアングルをほんの少し変えるだけでも、そのフィルムにはまったく別の絵が入っているような錯覚を憶える。そんな感じだ。
思い出したように上を見上げてみると、木々の葉の間から漏れでた光が、自分を不明確に照らしてくれる・・・。包み込むように。
「・・・綺麗。」
こんな木偶人形みたいな自分にも、どうやら感動するという感情があったようである。そう考えると、過去の悲痛なものも、何となく受け入れられるような気がする。
「昔・・・。」
気がついたときには、すでに口が勝手に動いていた。
「お母さんと一緒に月を見てた。二人で・・・長い間。わけもないのに。でもお母さんはいつも私にいってくれた・・・・・・。月は月でも、毎日見える表情や形は違う。それぞれに面白味があるから、毎日見ていても飽きることはないって・・・。その言葉の意味、ようやくわかったような気がする。」
その時、何故か愛はその思考の中で、まどろんでいたものが一つ形になった感覚を憶えた。
「そうだ・・・。」
珍しく、自分は驚いたように目を丸くしていた。
「物事は多角的に見ることが出来る・・・。たとえいかなるものであれ、日がたてば別のものが見ることが出来る・・・。そう言っていた。あの人は、そう言っていたんだ。」
そう・・・。自分が心の中で悲嘆し続けた自分の弱さ。愛を死なせたという行動。ドリッカーに助けられた情けなさ。一人で生きてきた孤独。生き方を探せない無力感。失ったものにいつまでも執着し続ける、哀れな自分。
自分は自分をあまりに偏った方向からしか見ていなかったのかもしれない。そう、自分を責めるという、マイナスの空間から・・・。
「そう。あなたは何故か物事の一つ一つを、全て自負していた。その責任がどこか自分にあると・・・、そんな思想をしていたの。でも、わかったでしょ?この森と同じように、あなたの心の中に潜む闇もまた、あなたの見方次第でどんどん変わっていくんだもの。それを知ることが出来た。なら、あなたは今かなり成長したのよ。経験したことのないものの経験によってね。」
「・・・よくはわからないわ。まだ頭がぼんやりする。どう表現したらいいのか私にはわからない。この感情・・・いいえ。何かわからないものを。」
変な感じだ。いつも自分は優柔不断じゃないように思えた。何事も、主体を持ってしっかりと決めることが出来たはずなのに・・・。まるで積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくような感覚に襲われる。
「気をつけてね・・・。何かに気がつくと言うことは、自己葛藤しなおすということなの。たとえ今まで積み上げてきたものがあるとしても、場合によってはそれを大きく破棄しなければいけないかもしれない。それに耐え得るだけの心を持っているかは・・・、あなた次第よ。」
それは充分承知しているつもりだ。だが・・・。その自信が、まだない。自分が変革していくという確かな感覚は、今の自分には手に余るようなものなのだ。
「ま、難しく考えることはないわ。行きましょ。頂上への道は、まだ遠いもの。」
その遠い道行きの間に、自分は少しでも覚醒という状態に近づかなくてはならない。果たして、可能なものなのか・・・。どちらにしろ、頂上へ行くまでにわかることだ。難しく考えることは、アリアの言う通りないのかもしれない。
だが、心の中のわだかまりは、きっと消えないだろう。何となく・・・そんな気がした。
そして・・・アリアに続いてまた歩き出す。一歩づつ、確実に --
ヨーロッパに存在する、一つの研究所。
幾つもの研究室、廊下、天井。その全てが白く塗り固められている。何となく、現実感を失う色合いだ。
そこには幾人もの研究者達がいる。しかし、その全てが無感情な表情をしている。義務のように、嫌々な感じ。そして、幾人もの子供達・・・。単純に言えば、被験者達がそこにいる。
その中では、けして人道的とは言えない研究が行われている。
造られる存在は、全て目に見えないものを持っている。それをなんのために使うか、子供達には教えられない。それは、実際研究している研究員達も知らないのだ。知っているのは、所長のみだった。
明らかに、怪しいものだ。だが、国の一部勢力はそれを知っているし、実際問題、人類全体に関わってくるものなのである。しかし、普通の人間から見れば、この研究所は非人道的であり、気持ち悪いところだった。
この研究所の初の成功体が活躍するのは、約560年後になる。
わずか、二体の試験体が --
愛はそこで見た小さな鳥に目を見張っていた。茶色でありながら、何とも騒々しい声をあげるのである。元々まともに鳥など見たことはない。せいぜい、鴉と雀と鳩ぐらいの話だ。それにしても・・・面白い。驚きの連続だ。
よく考えたら、さっきから何度溜息を漏らしていることだろう。
「みんなも連れてきたかったわね・・・。こんな景色の中に。」
「もしあなたがちゃんと覚醒できて、その後死んでなかったらね。」
実質、無理な話だろう。しかし、後少しで死ぬはずなのに、東京の時に感じていた恐怖も虚無感も、何となく薄れてきている。むしろ現実味がない。一体・・・何故?
そう、戦いの中にあるかのような感覚がある。戦いの中では、生への願望が強すぎて死の危険などは決して思わない。今はこの森に集中していて、死を予想することが出来ないのだ。
「アリア・・・。もしあなたにとって死が間近なものだとしたら・・・・・・、あなたはどうするの?」
「何もしないわ。」
平然とアリアは言い放つ。
「生きようとあがくこともしない。私にとって、死は新たな自分を得るための喜びでもある。死は無価値なものじゃないから。」
死は生の喜び。死ぬと言うことは、生まれるということ。宿命に喜びを感ずることが出来る・・・。そう、アリアは死を知っていた。知っているから、気楽なのだ。
「あなたは一回身体が朽ちてるんでしょ?その時は・・・どうだったの?」
「気がついたらあの機械の中だった。それだけよ。死んでる間の記憶はないし、生きてる間の記憶が戻ってくるまで千年近くかかったし。自分はなんなんだろうってぎりぎりまでサイコダイビングして、生きていたときの記憶が戻ってきたとき、私は面白くなった。生まれたときから型どられていた人格、生への執着心のなさ、存在しない子供の無邪気さ、わからなくなる二つの記憶、未来を縛る自らの宿命、それを選んだのが自分だと気付いたときの、虚しさ、喪失感・・・。縛られているが故に感じる未来の予感、孤独を嘲笑する感情。全てが私を慈しむように包み込んでいる。」
手を広げて、包み込むように己の双丘を抱え込む。
「ただの人間でしかなかった私が、自らの意志で宿命を抱えたことの代償に得た力・・・・・・。過去の私は、今の私には理解できない。人類は絶えず変わり続ける。自分の考えが今日と明日とで180度回転していることだって充分に有り得る。その時に生まれる擬似的転生感も、また私を楽しませてくれるわ。けど、これだけはいつも肝に銘じてる。自分の世界に入り込みすぎて、周りを見れないような人間は、けして進化できない。だから、サイコダイビングからは必ず戻ってこなければならないの。今あなたは自分に沈んでいる・・・。後は、いかにケリをつけて戻ってくるかよ。」
「わかんない。」
アリアの話しを傾聴していたことは否めないが、少なくとも、自分に実感のわく話をしていたわけではないことは言うまでもなかった。
「あなたも一度還ってきたときにわかるわ。」
「ちょっと・・・わかりたくないわ。結構恐ろしそうだし。」
愛がげっそりしたようにそう言ってみせると、アリアは笑って見せた。嘲笑でもなんでもない笑みだ。ただ、おかしくて笑っただけのような。
「行きましょ。先はまだ長いわ。」
また、溜息まじりの行軍が始まった。
ロールが二階で仮眠をとっているので、ドリッカーとロックが下で静かにしている。ドリッカーは相変わらずワープロを叩いているし、ロックは呆けたように座っている。
しばらくは何も異変がなかった。
が、悪寒を伴う最大の異変は、突如始まった。
ロックが、せき込み始めたのだ。
「おい・・・。」
そのまませきは止まらず、大きな吐血と共にロックその場にうずくまった。
「・・・・・・。」
しばらくロックは荒い息を続け、口元を手で拭って立ち上がった。そのまま無言で洗面所に入り込み、雑巾を持ってきて血をふき取り始めた。フローリングにそのまま落ちたので、まず臭いさえ取れば大丈夫だ。
「お前・・・、身体が。」
「・・・ナノマシンって、けがには対応できるけど、病気には対応できないんだね。一向に治らないや。」
「結核・・・ひどくなってんじゃないのか?」
「うん・・・。日に一回は吐血してる。わけわかんないよ。僕が一人結核にかかっているのに、誰にもうつらないんだもの。でも、そのおかげでロールちゃんは元気に生きているわけだし・・・。でも何でかなあ・・・。」
そう呆けたように呟いたロックの目に、涙が浮かんでいる。
「・・・。」
そのうちに頬が紅潮し始め、ロックは俯いて自らの双眸を拭った。しかし、涙は止まらない、押し殺したような泣き声はいつまでも続き、やがて静かになった。
「泣いちゃいけないってわかってるのに。僕は・・・ロールちゃんを悲しませちゃいけないのに・・・。」
「何バカなことぬかしてんだよ。いつになく消極的じゃないか。」
「この頃わかるんだ。見た目には何も変わらないのに、中身はボロボロでかすかす。動きは制限されているし、毎日大量の血液が僕からでていく・・・。僕を戒めるんだ。もしかして、僕は・・・。」
「言うな!!」
ドリッカーはそう叫んで、拳を壁にたたきつけた。耐えられなかった。これ以上、この話を聞く気にはなれなかった。四年前に抱いた、あの恐怖が再び全身を駆けめぐり、過去の失うという悲しみが自分を埋め尽くす。ただ生きていること --それが自分の仲間には出来ない。持っている宿命が、何故か自分達の言葉と共に蠢き、死を、近づける。
この世界は何もかもが釣り合いので成り立っている。生と引き替えに無力さを、絶大な力と共に短命を・・・。
そして、自分達は力と引き替えに短命を選んだ。力は命を奪うためにあるものであり、そして命を奪うと言うことは、奪われる危険性も当然でてくるのである。
「僕は生きなきゃいけないのに、身体が言うことを聞かないんだよ。」
「うるさい!だったら直せばいいじゃねえか!」
「ダメだよ!それでもし手遅れだったら、ロールちゃんは・・・。」
「それじゃあ、いつまでこの欺瞞を続けるつもりだ!?いつまでロールを騙し続けるつもりなんだ!!」
悲しませたくない。けど、
嘘もつきたくない。
人は、悪意ではなく善意故に嘘をつく。そして、その嘘を守り切れたときにはそれは嘘ではなくなり、守れなかったときは、騙したことを責めたてられる。
「何故話してくれなかった」と。
「死は、何も生まないんだぞ。」
「わかってる・・・。けど、ドリッカーもわかってるんでしょ?もう、助からないって・・・。死を待つしかないって。」
俯くロックの側頭部を、ドリッカーは殴りつけた。
「今度そんなことぬかして見ろ・・・。俺の重力でぐしゃぐしゃにしてやるからな。」
「く!!」
ドリッカーの言葉に憤慨したのか、顔をひきつらせてロックも歯ぎしりをする。涙まじりにドリッカーを睨み付け、殴り返した。
「僕は・・・!」
「いい加減にしなさいよ。」
「!?」
ドアの入り口の方を見ると、目を瞑ったロールがたっていた。
「どうして・・・。」
「あそこまでうるさく騒ぎ立てられたら、誰だってわかるわよ。」
ロールはその場を動かなかったが、つり上がった眉で彼女がいかに憤慨していたかがわかった。身体全体がかたかた震えている。
「ロック・・・。私を気遣ってくれたのには感謝するわ。ありがと。」
「え・・・。ロ、ロールちゃん。」
いきなりそんなことを言われても、ただただ対応に困るだけの話である。しかし、ロールの行動はそれに留まらず、それからロックの腕をむんずと掴んで、ずかずかと歩き始めた。
「ロールちゃん・・・。」
抵抗することもできぬままに、ずるずると引かれていく。何となく抵抗感がして自分の腕を少し引っ張ってみるが、それで通用するような力の入れようではなかった。掴まれた腕がみしみしと悲鳴をあげる。しかし、放してくれとも言えなかった。ロールが一体何をするつもりなのか、ロックには見当もつかない。ドリッカーはそんな二人を見送ると同時に、憤然と腰を下ろし、煙草に火をつけた。
相変わらず引っ張られたままで階段を昇らされる。おたおたと転びそうになりながら昇った挙げ句、開け放されたロールの部屋に思いきり投げ込まれた。
あまりの勢いに、一回転してなんとか止まった。
そして、ロールがゆっくりと後ろ手でドアを閉める。その仕草にロックは少しだけ脅えた。思いきり罵声をあびせかけられるような気がしたからだ。しかし、ゆっくりと見上げてみると、ロールの表情は憤然としたものではなく。切実としたものだった。
閉塞された空間で彼女が何をするつもりなのか、ロックにはわかりようもなかった。
次の瞬間、ゆっくりと二人は重なり合った。それにロックが気付くまで、多少なりとも時間がかかってしまった。切実なる顔は自らの近くで揺らめき、そして唇が当たるのを理解した。しかし、けしてそれは愛故の幸せなどではなく、悲しみ故の慰みに過ぎなかった。そして、すすり泣きの音が聞こえた。
「・・・ゴメン。」
この期に及んで謝るだけというのは愚かだと言うことはわかっている。しかし、それでも謝らずにはいられない。涙で自分の肌が濡れたとわかった瞬間に、彼は空虚な気持ちに襲われた。
「ゴメン、考えられなかった。」
何が考えられなかったのか、自分にもわからなかった。
「私・・・気付くこともできなかった。ロックといつも一緒にいたのに。」
「だって、それは僕が気付かれたくなくって、それで・・・。」
罪は、誰かを求める。しかし、その擦りあいは醜い。二人とも、それはわかっていた。しかし・・・、動揺は二人の標準的思考を吹き飛ばし、悲しみ故の行動に走らせた。
「でも・・・教えて欲しかった。」
答えられない。
「お願い。もし死が近づいていたとしても、死ぬなんて言わないで・・・・・・。」
答えられない。どう答えていいのかわからない。
「・・・・・・。」
「ロック、私は・・・・・・。」
「ゴメンね・・・。僕には約束できない。死を認めるためにも・・・、君のためにも。」
結局、自分はこう思っている。死を認めている。消極的ではないにしても、そんな無責任なことしか言えない。なんと、無力なことか・・・。
しかし、ロールはこう言ってくれた。
「ありがとう。」と。
ひたすら曲がりくねった山道を歩いてきたところで、二人は少し開けた道にでた。木々の間から、山脈が広がっているのが見える。木漏れ日と重なり合う柔らかな空気、それは変わらない。
そんな中で、愛は何となく不気味に笑いたくなってきた。口の両端をゆっくりと引いて、うつろな目をしてみせる。
「・・・何やってんの?変な顔して・・・。」
「・・・・・・なんかちょっと笑いたくなってきたのよ。悪役っぽく。」
「あー。なるほど。そういうこともあるわね。たまに。」
「やっぱり?あたしは特にいつでも冷笑を浮かべているから、今日みたいに無表情なときはちょっちつらいのよねー。」
そう言ってクスリと笑ってみせる。・・・にやりと笑おうとしたのだが。
「あんた、今とてもさわやかな顔してるわよ。いつものひねくれた顔とは思えない。」
え・・・?
さわやかなんて言葉が自分に縁のあるものとは思わなかった。・・・一体どんな顔をしているというのだろう。さわやかな顔、さわやかな自分・・・わからないけど、少し憧れる。
そして、もう一度クスリと笑って見せた。
「あ、また笑った。」
「え・・・?」
そういうアリアもまた、楽しそうに笑っている。全くよくわからない奴・・・と、愛は悪態をついた。しかし、そんな自分を放っておいて、アリアは一人、どんどん先に行ってしまう。
「あ、待ってよ・・・もう。」
「・・・・・・・・。」(リーナ、この子は本当に昔のあなたを見ているみたい。いつも自分をひねくれたように見せようとしているくせに、誰よりも気高く、誰よりも美しい・・・。そしてたまに笑ったとき、みんながその笑みで微笑ましくなる。水みたいなものね・・・きらめけば美しいけど、普段あるだけではなんの変哲もない。それでいて、一度荒れ狂えば絶大な力を誇る・・・。本当に、あなたとゼロの子供ね・・・。)
歴史の内に消えてしまった二人の男女。二人を知る人間は、もう二人しか存在しない。しかし、この二人はいずれ愛達に関わってくることになる。今は、まだ・・・。
「私・・・何かに気付こうとしている・・・。でも、後一歩のところで気付かないの。何か変な感じね。」(気付くことが覚醒・・・。だけど、覚醒してそのわだかまりから開放されたとしても、ものすごい使命感があなたを襲うのよ・・・。今は、まだ知ることが出来ないけど。さて、この子には一体どんな紋章がつくのかしらね。)
結局、漫才をしながら、二人は歩いていくことになった。ことの重みを振り払うかのように。
「・・・・・・私、鳥に憧れたことがあったの。」
愛が微笑みながら呟いた。
「人間は空を飛ぶことが出来ないのに、鳥は空を飛ぶことが出来る。だから鳥に憧れたの。自分が出来ないことを出来る存在だったから。鳥の目の前では、私はとても無力に思えた。でも、今は違う。」
「何故?」
「だって、鳥に地を走ることは出来ないでしょ?なんにだって欠点があるってわかったとき、おかしくて笑ったのよ。」
「ふーん・・・。いつ頃?それで割り切れちゃったのは。」
「・・・・・・つい最近。ほんの三ヶ月ほど前。」
「・・・なーる程。納得。誰でもそれくらいの年齢で気付くものなのよね。あんたもやっぱり普通の子供なんだ。」
「・・・・・・。」
答えられなかった。普通の子供といくら言われたところで、自分は普通の子供なんて知らないし、第一、自分がそんな風に違って見えるというのも理解できない。確かに、その性能は人間らしからぬところがあるが、素材は人間なのである。そんな風に思われていることの方が、少し不愉快な気がするのだ。
「失礼ね。私だって人間なんだから。」
「はいはい。悪うござんした。でも、確かにあんたませてるんだから。もうちょっと、微笑ましく生きていてもいいような気がするんだけどな。」
そんなことをいくら言われても、微笑ましいというのがなんなのかわからない。
わからない・・・。でも、わからない自分が楽しい。わからないことがあるなんてことが楽しい。わからなければ、知ろうとすることが出来る。そんな自分・・・。知ろうとしている自分。楽しい。楽しいという感情もわからない。わからないけど、何か・・・何かを胸の奥で感じる・・・。その表現方法すら自分にはわかっていない。
でも・・・敢えて言うなら、やっぱり楽しい。
「わからないわよ。そんなの。」
「あ・・・。また笑った。」
笑った・・・?私が?そんなのどうでもいいわ。私には、今の新しい自分にしか興味がないの。
あんにそう言おうとしているかのような笑みで、愛は歩き出した。本当にゆっくりだが、それが覚醒への道なのだから、素早くいっては見落とす点もある。
一歩一歩進むごとに、自分の何かが楽しげに笑って顔を覗かせる。この山道が自分のココロ。そして、一歩一歩歩んでいる自分は、心の中で深く泳いでいる自分。姦しい笑い声が辺りに響いている。自分と・・・アリアの声。終わらないはずのサイコダイビング。しかし、山を登れば必ず頂上に着くように、自分に潜れば必ず突き当たる「何か」がある。そして、還ってくる・・・。自分が元いた地点に。
愛は、このとき初めて、楽観的にそれが容易なことのように感じられた。
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