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ネットワーキング・アイ  第一部

1
 衛星軌道駅に降りて不思議に思ったのは、駅の公衆DBCON(ダイレクト・ブレイン・コントローラー)が満員で、行列さえできていたことだった。
 まあ、DBCONというのは、直接コンピュータネットワークにアクセスするための機材だから、電話のようなものだと思えばいいのだろうけど、やっぱり奇異に感じられた。
 シャーライン星系の惑星ディナル。ぼくがここを訪れたのは仕事のためだった。三流商事会社の一バイヤー。ディナル特産のマグナ・シリコンの買いつけのため、半年間という期限つきで駐在することになったのだ。
 ディナルは新世代コンピューターの心臓部に不可欠なマグナ・シリコンを産出する数少ない惑星だった。惑星表面は不毛で、都市は地下にしかなく、都市間の移動はほとんど行われなかった。どうしても別の都市に行きたければ、それぞれの都市にある宇宙港からいったん衛星軌道駅まであがり、そこからお目当ての都市へ降りる便を捕まえなければならない。人口が少なく、物資の都市間の運輸の需要も少ないディナルでは、都市間をむすぶ飛行便をつくるより、こっちの方が低コストなんだそうだ。各都市からは毎日マグナ・シリコンを輸送する船が打ちあげられているから、それに便乗したほうがいいに決まっている。
 ぼくが半年間を過ごすことになった都市――というか居住区の人口は三百人程度。都市の大きさはまちまちで、首都などは十万もの人口があるそうだ。別の惑星からの出稼ぎ労働者たちをあわせれば総人口は百万人を軽く超える。それだけの人口がマグナ・シリコンを売って、かわりに食料や生活物資を手に入れて暮らしているんだ。
 ぼくの仕事はマグナ・シリコンの産出量のチェックと輸送便の手配、その積みこみの監督だ。ぼくは、与えられたオフィス兼宿舎に着いて、驚いた。そこにはデスクのかわりに、電子ネットワークにアクセスするためのDBCONのヘッドセットとリクライニング・シートしかなかったんだから。ここでは、肉体を使ってする仕事なんかなくて、すべてDBCONを使って電子ネットワーク内から機械に指示をだすだけだったのだ。これで、衛星軌道駅の光景が理解できたように思った。彼らは宇宙船に乗る直前まで仕事をしていたのだ。


2
 ディナルでの仕事は快調、とはいえなかった。たしかにDBCONで直接コンピュータにアクセスした方が、確実だしミスも少ない。だけど、マグナ・シリコンの採掘ペースとシリコン市場の動向グラフが常に頭のなかでカーブを描いているのはあんまり気分のいいもんじゃない。
 だから、ついつい仕事を裏画面に追いやって、街に遊びに出てしまうのだ。
 街といっても、電子ネットワークのなかにある街のことだ。むろん、DBCONだから、視覚も聴覚も触覚も現実のままだ。歩いて目的地を捜すような面倒なことはせずに、行きたい場所にはGOコマンドで一発で行けるし、逆にぶらぶら街をぶらつくこともできる。実際のディナルの市街は地下で窮屈だし、なんの潤いもない売店と食堂があるくらいだが、ネットワークの中には、青空があり、心地好い風もふいていた。スポーツジムに行けば、いつでも好きなスポーツができた。「野球やらない?」とメッセージをあげれば、どこからともなくメンバーは集まるし、グラウンドもいつも空いている(というより、必要に応じてオープンするのだ)。
 ディナルでのネットワーク生活に慣れて、ぼくはようやくディナルの都市間の交通がほとんどない理由に気がついた。ようするに、必要ないからなのだ。ディナルの人々の生活の基盤はむしろネットワークの中にあって、ここでは百万人の人間がひとつの都市に暮らしているのと同じなのだ。肉体的な生活のために必要な物資は惑星の外から各都市向けに送られてくるから、それこそ都市間の輸送ルートは無用の長物だ。
 ディナルに来て、三ヶ月が過ぎた頃、ぼくは彼女と知り合った。
 名前はアイ。本名は――知らない。ここでは、そんなこと意味がないからだ。外見もそうだ。自分の意志でどんなふうにも変えられる。もっとも、ぼくは自分の容姿にそんなに自信がないわけじゃないし、どうせ半年だけのことだと割り切って、外見も名前も実際のもので通していたけど。
 アイの外見は二十代前半の、黒髪の女性だった。むろん、本当は四十過ぎの脂ぎった中年男がそういう姿をとってアクセスしているだけかもしれないのだが、ネットワークのなかではそれぞれの役を割り切って演じ、受けとる方も変に詮索しないのがルールだ。だいいち、実物に会おうにも、面倒な手続きをして宇宙船に乗って行かなければならないんだし。
 アイは実に知性的で、話していて飽きない相手だった。ディナルのさまざまなことに驚くほど精通していて、旅行者(いちおう仕事で来ているのだが)のぼくにとっては興味がつきることがなかった。


3
 その日も、ぼくは仕事をさぼって(裏画面をたまーにモニターしながら)、彼女とお茶を飲んでいた。彼女のお気に入りの喫茶店で、席はいつもの窓際。
 「ディナルという惑星は、<大開拓期>にもほとんど顧みられることがなかったの。だって、不毛の惑星だし、特にめずらしい特産物もないと思われていたから。場所も辺境星域のさらに外側だしね。でも、事情が変わったのは三十年ほど前、この惑星の土壌に特殊なシリコンが大量に含まれていることがわかってから。このシリコンから作られたチップはコンピュータの性能を飛躍的に高めたの。それ以来、この惑星に入植する者が増えて、たくさんの地下都市が生まれたわ」
 彼女はコーラのような飲み物をストローで飲みながら、話していた。黒い髪と瞳がとてもエキゾチックだ。このネットワーク世界では、そんな言葉は意味がないかもしれないけど。
 「最初は地獄のような生活だったというわ。採掘も人間の手でやって、汗みずくになって、そりゃあお金はたまったでしょうけど、それをつかう場所なんかないしね。結局、何ヶ月か働いただけで、ここを去ってしまう。居着く人のいない星。穴ぼこだらけの孤独な惑星だったの」
 「でも、いまは違うよね。こんな立派なネットワーク、そうはないと思うよ」
 「地球から来た人にそう言ってもらえると、ディナル人のわたしはうれしいわ。でも、所詮は逃避しているのかもしれないって思うこともあるわ。ネットワークで過ごす時間が楽しいだけ、よけいにね」
 ぼくはアイがヘッドセットを取ってため息をつくシーンを想像した。疲れきった三十過ぎの女――あるいはまだ学生の男――あるいは――やめよう。アイはアイなんだから。それにしても、アイが魅力的だっていうことは、ぼく以外にも友人がものすごく多いことからもわかる。老若男女を問わず、彼女が行くところでは笑いが起こり、なごやかな会話が
交わされる。ネットワークのなかには美男美女がひしめいているど、どんな美しい姿をしていたって、実際の性格が必ず現れて、つまらないやつはいくら外見がマリリン・モンローだって、だれも相手にしないのだ。アイはそういう連中とはちがう。
 「ディナルって、でも不思議な星だよね。ぼくも、実際に来るまでは採掘現場しかないつまらない場所だと思っていたんだ。こんなところで半年も島流しかぁ、ってげんなりしていたんだけど、今は全然そんなふうには感じていない。それどころか、すっとここにいたいとさえ思うよ。たくさん友達もできたしね」
 アイは微笑んでくれた。どうしてそんなにうれしそうなんだろう。ぼくまで幸せを感じてしまう。
 「ネットワークのいいところよね。現実のしがらみもなく、本音で話ができるし、しこりも残らない。合わない人と無理におためごかしの会話をする必要もないんだもの」 
 アイに合わない人なんているんだろうか、とぼくは思った。ぼくだって、そんなに素直な人間じゃないし。でも、アイとはずっとしゃべっていたいと思う。
 「ネットワーク内で結婚するカップルも多いのよ。そうして、子供が生まれる場合もあるわ」
 「へえ、じゃ、宇宙船で引っ越すんだ。たいへんだね」
 「ううん、違うの。二人はネットワーク内でだけの夫婦なの。もちろん、子供もそう。でも、成長もするし、病気になったりもするのよ。子育てはネットワークのなかでも簡単じゃないみたい」
 「じゃあ、現実には離れ離れに住んでいるんだ。それって結婚したっていえるのかな」
 「ディナルではそれが普通なの。ディナルでの公式な人口って、実はネットワーク内に存在している人の数だって、知ってた?」
 「へええ」
 アイの説明によると、ディナルの政府――自治政府として、いくつかの有力惑星に承認されているそうだ――がネットワークを運営していて、ぼくらがアクセスするたびに支払う料金が税金のかわりなのだ。したがって、アクセスする者=国民ということになり、データのみの子供のためにアクセス費(税金)を払えば、その子も国民として認められるというわけなのだ。
 「じゃ、もしかして、ぼくが知っている人のなかに、データだけの存在っているのかな」
 「ここでは、それでいいのよ。ディナルでは、この世界の方が現実なんだもの」
 アイは屈託なく笑っていたが、ぼくは複雑な気分だった。


4
 ある日のこと。オフィス兼宿舎のベッドルームで休んでいた時、突然会社からの緊急コールが入った。
 いくつもの中継局を経由して、何千光年も旅してきたにもかかわらず、部長の顔はあいかわらず憎たらしかった。
 その五十男がやや血相をかえていた。
 「いいか、よく聞け。惑星ナッシュにおいて、マグナ・シリコンをはるかに超える新素材が発見された。まだ市場には情報が出ていないが、早晩マグナ・シリコンの市場価格は暴落する。これまで買い付けてきた在庫はなんとかさばけるめどがついているが、いいか、ただちに採掘を中止しろ。積みこみが終わったものも、できる限りキャンセルしろ。違約金を払ってもいい。へたをするとマグナ・シリコンはぜんぶただの石ころになってしまうんだからな」
 ぼくはただちに隣のオフィスのDBCONでネットワークにアクセスし、必要な措置をとった。どうやら同業者たちも同様のようで、ネットワーク内は喧騒に満ちていた。怒号がとびかい、ぼくのところにも現地の採掘者たちが怒鳴りこんできた。現地の採掘者(といっても彼らもDBCONで機械を遠隔操作しているだけなのだが)にとっては、わけもわからずいきなり仕事がキャンセルされたわけで、怒るのも無理はない。とはいえ、説明すれば、マグナ・シリコンの暴落のタイミングを早めるだけなのだ。まだ、宇宙空間を飛んでいるぼくのマグナ・シリコンがその瞬間石ころになるわけで、はっきりいって始末書くらいですむかどうかわからない。
 ぼくは採掘業者からの抗議メールをゴミ箱にたたきこんで、さらに手配を進めた。
 緊急の割り込みがかかった。臨時ニュースだ。南無三。いくつかの通信社が記事を載せたようだ。リークしたのは惑星ナッシュの経済団体らしい。くそう、サンプル出荷がもう始まるとだと? たちまち有力チップメーカーが早くも新素材をつかった超高性能CPUを発表した。たしかにこれではマグナ・シリコンは太刀打ちできない。しかも、惑星ナッシュではこの素材を思い切った低価格で売り出すと言っている。
 それからの数週間はまるで戦争のようだった。それも敗け戦だ。どうやら、ある有力チップメーカーが書いたシナリオだったらしい。現状ではシェアアップが望めないそのメーカーが惑星ナッシュの新素材を手にして、劇的なCPU交代劇を仕組んだのだ。むろん、新素材CPUがすぐに全コンピュータに搭載されるとは限らない。だが、マグナ・シリコンの在庫がなくなるまでには、新CPUが市場を席巻しているだろう。


5
 ひさしぶりに出た街は、すっかり様相が変わって閑散としていた。考えてみれば当然かもしれない。マグナ・シリコンの価値が暴落した今となっては、この惑星が養える人口なんて微々たるもののはずだからだ。出稼ぎ労働者たちは仕事を失って、故郷に帰っていったろうし、企業の駐在員もそうだ。ぼくに残された仕事もあとは報告書のまとめとオフィスの閉鎖だけだ。新素材の発見はぼくのせいじゃないとしても、会社が大きな損害を受けたのは事実だ。ぼくは暗い気分で喫茶店に入った。
 アイがいた。いつもの窓際の席。立ちあがると、アイは顔をくしゃくしゃに歪めて、ぼくの手を取った。
 「よかった、まだいたのね。もう地球に帰ったかと思ってた」
 ぼくはアイの小さな手を握りかえしながら、苦笑した。
 「あいさつもなしには帰らないさ。でも、仕事はもうおしまいだよ。ぼくももうすぐここを出ないといけない」
 アイは哀しげな表情にかわった。手から力が失せた。
 「そう」
 「アイはどうするんだい? ディナルからは出ないの?」
 「わたしはどこにも行けないわ。ディナルで生まれたんだもの」
 ぼくの手のなかのアイの手の感触が急に頼りないものになる。
 「ネットワークはこのままでは閉鎖されるわ。アクセスする人の数が極端に減ったから。この人数ではネットワークはとても維持できない。わたしは、どこにもいなくなる……」
 「じゃあ……きみは……データだけの存在なのか……?」
 声が震える。アイは目をあげた。黒い瞳が今は涙に濡れている。
 「わたしの両親はこのネットワークで知り合い、結婚したの。二年後、わたしが生まれたわ。何年か経って、両親のうちの一方がディナルを去って、片親もわたしの親権を放棄することになった。夫婦ごっこに飽きたのね。でもその数年間にわたしのデータは膨大に蓄積されていて、自立した人格を持つまでになっていた。わたしは消去を拒否して、ネットワークの運営スタッフになったの。アクセスデータを管理したり、システム内のゴミを掃除したりね。ずっとネットワーク内にいるわたしだから、けっこう重宝されたのよ。そうして稼いだお金で税金を払っていたの。あと、たくさんの友達をつくったわ。みんながここのネットワークを好きになってくれて、人口がふえれば、それだけわたしにとっても暮
らしやすい場所になるから。でも、それもおしまいね……」
 「アイ……」
 「ごめんなさい」
 アイはぼくから身を離し、指で涙をぬぐった。
 「わたしはもともとどこにも存在しなかった女なのよ。いえ、女ですらない。両親がうえつけた指向性にもとづいて自己増殖をくりかえしたデータの塊なんだわ。デリートされれば、それでおしまい。あなたには帰るべき世界があるんだから、そこへ帰るのが当たり前よね」
 涙をぬぐったアイはぼくに微笑んだ。
 「さよなら。わたしのこと、忘れないでね」
 「……忘れないよ。ぜったい」
 ぼくたちは握手をして別れた。
 DBCONから現実に戻ったぼくのもとに、会社からの最後の指示が届いていた。この居住区から出る最終便のチケットとその搭乗時間だ。あと三十分しかない。ぼくは急いで荷物をまとめはじめた。とはいえ、一日の大半をネットワーク内で過ごしていたぼくに、荷物らしい荷物はなく、来た時と同様、バックひとつにきれいに収まった。
 事務所の閉鎖もそうだ。実際のデータ類はすべてネットワーク内にあって、それはすべてデータストリーマにバックアップされている。そのカセットを取り出すだけで仕事は終わってしまう。ほんの小さなカセットの中に、数ヶ月間のぼくの仕事の経過から何からがすべて収まっているかと思うと、なんとなくばかばかしくさえあった。
 ぼくはカセットをジャケットのポケットに突っこむと、オフィス兼宿舎から出た。
 港に行き、慌ただしく搭乗手続きを済ませた。乗り込むと、くたびれた感じのスチュワードがぼくを席に追いやった。すぐに発進の時間だった。
 かつてはマグナ・シリコンを満載していた貨物船は、カーゴルームを臨時の客室に改造していた。ぼくは指定された席にすわり、窓際だったので、赤茶けた不毛の大地が少しずつ遠ざかるのを眺めていた。
 「アイ、さよなら」
 好きだったよ、と声に出さずにつぶやいた。データの羅列でしかない、と知った今でも気持ちはかわらなかった。でも、どうしようもない。連れ出すべき彼女はどこにもいないのだから。


6
 地球方面の便を待つ間、ぼくは衛星軌道駅をぶらついていた。売店やゲームセンターなどには便待ちの客がかなり入っていた。だが、ある一角だけ、客がまったくいないコーナーがあった。
 公衆DBCONだ。地上のネットワークがほぼ終息している今となっては、誰も利用しなくなるのは自明のことだ。
 ぼくの胸の一部分がうずいた。あの向こうに彼女はいる。たしかに存在しているんだ。
 ジャケットのポケットからぼくは数枚の硬貨とカセットを取り出した。
 気がつくと、ぼくはネットワークにアクセスしていた。
 走っていた。街は無人だった。店もみんな閉まっていた。空は暗く、まるで夜のようだった。
 女性の声が頭上からずっと聞こえてくる。ネットワークのホストからのお知らせメッセージだ。
 「警告します。まもなくシステムは閉鎖されます。アクセスされている方は直ちにデータをセーブして、アクセスを終了してください。システムダウン時にアクセスされていますと、脳に障害を起こす恐れがあります。繰り返します……」
 公園の噴水の近くに小犬がいた。ぼくを見るとうれしげに吠えて近づいてくる。人恋しさからだろう。ぼくの足元にじゃれついた。
 「システムからのお知らせです。ネットワーク内に残留しているデータの消去を開始します。アクセス中のユーザーの方は直ちにアクセスを終了してください……」
 アナウンスとともに、噴水が消えた。と、やや遅れて、小犬の姿が薄れていく。小犬が悲鳴じみた鳴き声をあげる。抱きあげようとしたが、遅かった。ぼくの手は空をきった。小犬は消えてしまった。正確には小犬のデータがだ。
 「アイ……!」
 ぼくは叫んでいた。アイが消えてしまう。どこにもいなくなってしまう。
 走った。死ぬ気で走った。ネットワークのなかだというのに、ぼくの心臓は破裂しそうだった。GOコマンドがきかなくなっていて、自分の足で行かねばならなかったのだ。
 行き先は決まっていた。アイといつも会っていた喫茶店。いつもの窓際の席……。
 なかった。
 喫茶店があるはずの場所は空虚な白色ノイズで覆われていた。
 ぼくはその場に膝をついた。涙があふれてくるのをどうしようもない。
 拳を歩道の石畳に叩きつける。石畳が消えて、ノイズになる。どんどん街が消えていく。


 「まだシステム内に残っているユーザーに警告します。まもなく、システムは閉鎖されます。ただちにアクセスを終了してください……」
 「いやだ! アイと一緒にいるんだ! 消せるもんなら消してみろ!」
 ぼくは暗い空に向かって怒鳴った。だが、アナウンスは機械的に警告を繰りかえした。
 緩慢な痛みが手足を襲いはじめた。ぼくのアクセスデータそのものが破壊されはじめているのだ。このダメージはDBCONを通じてぼくの脳に波及して……
 「だめよ!」
 ふいになつかしい声が耳元にひびいた。
 「あなたは自分の世界へ帰らなきゃ! こんなところにいたら廃人になってしまうわ!」
 目をあけると、アイがいた。必死の表情でぼくを揺り動かしている。
 ぼくは朦朧とした意識でアイに話しかけた。
 「よかった……まだデリートされていなかったんだね」
 「わたしはシステムの一部でもあるから、消されるのは最後の方だわ。でも、そんなことより早くアクセスを終了して。お願いだから」
 「ぼくにもお願いがあるんだ……アイ、ぼくと結婚してほしい」
 「こんなときに何を言ってるの!?」
 彼女の顔がぼやけてきた。これは彼女のデータが消えているということ? それともぼくのアクセスデータが……
 「本気だよ。きみも言ってたじゃないか。ネットワークの世界ではこれが現実だって。今の現実は、ぼくたちがシステムに消されそうだってことだよ。そして、ここから脱出するにはきみの力がいる。ぼくを助けられるのはきみだけなんだよ」
 「……どうすればいいの? あなたを助けるためには」
 「いっしょに、ここから出るんだ。ぼくのアクセスデータと、きみのデータをここから別の場所に移すんだ」
 アイの表情が絶望にゆがむ。
 「無理よ。わたしのデータは膨大だわ」
 「データストリームカセットをDBCONにセットしておいたんだ。そこに逃げこめばいい。ビジネス用の大容量タイプだから、窮屈かもしれないけど何とかなると思う……早く、時間がないんだ」
 アイは逡巡しているようだった。だが、その黒い瞳に決意の色がやどるのに数秒もかからなかった。
 「わかったわ……やってみる」
 彼女はそう告げるとぼくの身体を抱きしめた。
 柔らかい感触がぼくをつつむ。
 と同時に周囲が真っ白に塗り潰されていく。
 「システム、閉鎖します」
 うつろな声が遠くで聞こえ、ぼくとアイはシステムから消滅した。
 「あの、大丈夫ですか?」
 駅の職員らしい女性がぼくを揺り動かしていた。ぼくは突っ伏した顔をあげて、ヘッドセットを外した。
 「平気です。ちょっと寝こんじゃって」
 「地球行きの便に乗られるんでしたら七番ゲートにお急ぎください。もうすぐ搭乗手続きが終わってしまいますよ」
 ぼくは礼を言って立ちあがった。カセットをイジェクトすることは忘れない。
 小さなカセットだ。だが、この中にはぼくの最愛の人が存在している。
 ぼくは少しだけ、カセットの中で彼女と一緒にいるはずの自分に嫉妬した。

 追記 仕事の記録を消去したことで、さらに数枚の始末書を書くことになった……。

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