トップ > SF > トリのために > 第53稿「その悲しそうな笑顔」
俺の投げた車椅子は
宙を舞いながら落下していった
車椅子は地面にぶつかって
歪んで弾けて
バラバラになった
「第53稿:その悲しそうな笑顔」
「あなたが悪魔になるのを待っていたの」
「トリ」
「最初から私達は」
「それを待っていたのよ」
「ごめんなさい」
「私はずっと」
「あなたを騙していた」
「利用していたの」
「あなたの気持ちを知っていたうえで」
「憎いでしょう?」
「欲望で体が支配されるでしょう?」
「私を殺したいっていう欲望で」
「何も見えなくなるでしょう?」
「私を殺したくない?」
「殺したいでしょう?」
そんなこと聞かないでくれよ
俺は君の事が一番好きなんだ
俺が君のこと憎んでるだなんて勝手に決めつけないでくれよ
そんな悲しいこと
でも心の奥底に聴こえるんだ
殺せ殺せって言う言葉
我慢できなくなりそうなんだ
頭がぼんやりするんだ
何にも考えられなくなってくるんだ
それは俺が悪魔だから?
「でもお願い」
「最後まで私の話を聞いて」
「私を殺すのは待って」
「話を聞いてからそれから私を殺して」
空が暗くなっていた。
さっきまで流れる雲の隙間からその顔をのぞかせていた月は
今では完璧に厚い雲で覆い被されていた。
大気が不安定になっている。
嵐の来る前の風は雨の匂いを含んでいる。
「この話はもっと昔から続いているものだけど」
「私に話せるのはここから」
「私が犯した失敗」
「それはそう...あの雨の日のことだった」
「あなたを抱きしめた」
「その時はまだ」
「私はあなたのお姉さんだったわね」
「あなたには」
「あの時に悪魔になってもらうはずだった」
「そしてあの時に死んでもらうはずだった」
「でも私は失敗した」
「三上 哲」
「思い出した?」
「あなたがトリになる前の名前」
「私は三上 哲を2つに分けようとした」
「人間と悪魔とに」
「そう、あなたは普通の人間ではなかった」
「私は三上 哲の本当の姉ではなかったけど」
「ある意味ではそれ以上の存在だった」
「切っても切り離せない仲間だったの」
「私は恐怖を吸収し」
「そして彼は欲望を吸収した」
「あの頃」
「三上 哲の中で」
「吸収した欲望が大きくなりすぎて」
「それが悪魔になろうとしていた」
「だから私の恐怖をそれに植え付けることで」
「均衡を取り、そして分離を計った」
「三上 一先生に」
「つまり、あなたの叔父に用意してもらった」
「もう一人の三上 哲」
「未完成のクローン体」
「足の動かない未完成のクローン体」
「それに」
「悪魔だけを移すはずだった」
「そう」
「でもわたしは失敗した」
「悪魔だけ移すはずが」
「あなたの心まで一緒に移してしまった」
「本当の体に残すはずの」
「あなたの心まで」
「三上君」
「トリ」
「大好きなあなたの心まで」
「死んでもらわなければならない体のほうに」
「移してしまったの」
「それで...
思い出した。
俺の名前。
何で忘れていたんだろう?
そうだった。
確かに子供の頃、
まだ足が動いていた頃、
俺は病院通いが絶えなかった。
欲望が。
異常に。
俺の頭の中に。
君は俺を騙していたと言った。
君は俺を大好きと言った。
君のあのどこか寂しそうな笑み。
精一杯に何か塞ぎ込んでいるような。
その笑みの本当の意味。
やっぱり君が一番つらい思いをしていたんじゃないか。
でも、今、俺は何をしている?
ラボの首を絞めている。
とてもきつく。
ラボの体が地面から持ち上がっている。
欲望が止まらない。
殺したいんだよ!
もう、わけもわからないんだ!
「死ね」
「死ね、死ねっ!」
俺は渾身の力をこめてラボの首を絞めている。
宙に浮いているラボの体が揺れている。
「ねぇ」
「トリ」
「私を殺して」
「しっかりと殺してほしい」
「私」
「私、これじゃ死ねないの」
「息はしてないのよ」
「だって」
「私」
「壊して」
「お願いよ」
「このままここから」
「突き落として」
「あの車椅子のように」
「私」
「物だから」
「人じゃないのよ」
「でも」
「おかしいの」
「あなたが大好き」
「私にあなたは殺せない」
「あなたが死ぬのも見たくない」
「今ここで」
「壊してほしいのよ」
「あなたに」
ラボの目が赤く光っていた。
その光は儚げに滲んでいた。
涙が頬を伝った。
俺の手から力が抜け、ラボの体は地面に落ちた。
全て壊したいのに。
俺は欲望なのに。
欲望だけしかないのに。
欲望の固まりのはずなのに。
悪魔なのに。
あの時、伝わった。
あの雨の日に。
君が残していった恐怖。
君が抱きしめて伝わった恐怖。
俺も恐怖を持っていた。
自分の悪魔が大きくなることに怯えていた。
俺が持っていた恐怖。
同じだった。
君と同じ恐怖を分かち合って。
確認して。
あの時、温かい気持ちになれたのは。
君が姉さんじゃなかったと気づいたのは。
その時の、君の恐怖がまだ俺の心に残っていた。
その恐怖が俺が完璧な悪魔になるのを押しとどめていた。
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