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私の病歴は、バカみたいに長くなります。
「これは、精神科領域のものなのか?」という悩みを、10年近く抱えて生きてきました。
 
まず、子供時代から。
自家中毒だとか、チック、夜尿症、登校前の頭痛腹痛、今でいう『子供の鬱病』な症状は一通り。
異常に運動神経が鈍くて、友達との遊びにもついていけず。
勉強もできないし、小学校時代はいじめの標的になってました。
初めて『自殺未遂』というものを経験したのも、この頃でした。
 
それから、恐らく現在の症状に繋がる出来事は、学生時代からです。
大概の思春期の女の子なら、『ダイエット』というものをすると思います。
私もご多分に漏れず、ダイエットを繰返していました。
が、そのやり方が、ちょっと過激だったんですね。
 
最終的には絶食をしていました。
もし何か我慢しきれずに食べたら吐くという事を繰返している内に、癖になりました。
次に食欲というものを感じなくなりました。
少しでも満腹になると吐いてしまうので、外食などは当然できませんでした。
 
その他に、今でいう『過敏性大腸症候群』というものを持っていました。
これもやはり外出にはなかなか困難なものでして、当時は某バンドの追っかけを
やっていたのですが、その頃の友人には自分の身体の事を正直に話していたので、
理解してもらえていました(ビジュアル系はメンタル系な人が多いから・笑)。
 
中学から高校にかけて、いつの間にか別居していた両親が、いつの間にか離婚していました。
ちょうど高校受験だった妹が母子家庭である事で割を食いました。
 
問題は、社会に出てからです。
ストレスが溜まると、以上の症状が一気にでてきます。
絶食で胃散のバランスが崩れたようで、胃や十二指腸の壁を溶かしてしまいます。
嘔吐が止まらず、出勤できない状態になってしまいます。
数年働いては上記のような症状が出、退職し、1〜3ヶ月くらい自宅療養して、
また働くという事を繰返していました。
その間、実家の商売関係で億単位の借金がある事も知りました。
 
だいたいこの状態は10年くらい続きました。
後に精神科の門を叩いた時「なんで10年前に来てくれなかったんですか」と言われました。
「もっと早く来てくれていたら、あなたの10年はもっと違うものになりました」と。
鬱病歴のある叔父は、拒食症だから精神科に連れて行ったほうがいいと言っていたそうです。
 
1997年末、3年間在職していた会社にてOLさんをやっておりましたが、
神経性嘔吐症(自家中毒)の症状が出て出社困難になりました。
原因は幾つかあるのですが、「信じていた上司に裏切られた」ことが一番大きいかな?
この時点で「いつ吐くかわからない」「激しい胃痛」で、朝の満員電車に乗れず、遅刻も度々。
会社の上司に、検査に行くように薦められ、胃カメラまで飲みましたが、診断は「ただの胃炎」。
「また同じような状態になったら、精神科か心療内科に行ってみて下さい」とも。
それから精神科関連の本を読むようになり、どのような治療が行われるか、
どんな症状がでるのか調べる日々が続きました。
 
忘れもしない、97年の12月。
突然、自営業をやっていた実家が破産することになりました。
その準備として、まず夜逃げ(笑)をすることに。
親達の行き先は、都内勤務の私と妹にはとても通えないような田舎でした。
それまで細々と貯めていた貯金を切り崩し、親の都合での引越ということで、多少の引越代をせしめ、
妹とふたり、猫2匹を連れて部屋を借りました。
悪い事は重なるもので、正月明けからインフルエンザにかかってしまい、1週間以上寝込みました。
それで一気に収入が減り、今まで体験したことのなかった家賃や光熱費、電話代、クレジットローン・・・。
当時、妹が失業中だったので、全額私の負担だったのです。
この頃から精神的におかしくなりはじめていたと思います。
 
正直、1ヶ月から3ヶ月はゆっくり休みたかったのですが、仕事を辞めたら食ってけません。
細々と仕事を続けておりまして、いったん症状は治まりました。
妹に仕事が見つかり、経済的負担が減った事も大きかったと思います。
社内から出向する形で行った会社の仕事が非常ーッに孤独な作業で、失語症みたいになりました。
初めて幻聴を聞いたのも、この時期でした。
で、アホなので気分転換を兼ねて土日にウェイトレスのバイトを始め、
更に調子に乗って平日夜は歌舞伎町でホステスのバイトを始めました。
 
当時の出勤形態は平日フルタイムでOL、平日夜週3日4時間程度でホステス、
土日8時間くらいウェイトレス。
途中からウェイトレスを辞めたので、平日フルタイムでOL、平日夜週3日4時間、
週末19時から5時までホステスでした。
 
はたから見ても、かなり精神的に不安定だったようで、周囲からカウンセリングを薦められました。
が、本人絶好調のつもりだったので無視。
当時の体重は身長150cm前半で30キロ代まで落ちており、眩暈も嘔吐も頻繁に起こしておりました。
相変わらず、嘔吐も止まらず、生理も止まっていました。
 
で、そんな生活を続けていたのですが、98年夏、夜のほうの店で倒れました。
ホステス一本で生活できるようになっていたので、会社のほうに辞めたいと言っていたのですが、
契約上の都合などで、なかなか辞めることができず、無理が身体にきたようです。
「絶対にこの店だけで生活できるようにしてやるから、昼の会社は辞めてしまえ!
 身体と金とどっちが大切なんだ」と店長に言われた言葉は、いまだに耳に残っています。
 
その頃、格闘技にハマりまして、個人サイトを立ち上げました。
1日1更新を目指していたり、メールや掲示板のレスは即座につけたり・・・ということを、
先に書いた生活をしたうえでやっていました。
完全に趣味で始めた事ですが、それが段々と仕事になっていくような感覚。
平日夜もお店に出ない日は後楽園ホール通い。
夜の仕事で、眠くて仕方がないので飲み始めたモカの副作用で、不眠になったのもこの頃です。
身体を痛めつけるというのはこういう事です。
でも、最高に楽しかったので、全部手放したくなかったのでした。
 
思い切って1998年夏に会社を辞めました。
その後知り合った方と結婚直前まで行ったのですが、
国際結婚だったのもあるんですが、相手の家族や親戚の方との付き合いだとか・・・。
更には同居の妹が彼の事が気に喰わず、大喧嘩の末、私は横浜の友人宅へ避難。
(この子供じみた行動、妹も傷つけた事に、今では大変反省しております)
その過程で壊れかけていたマイハートは本気で壊れてしまいました(大笑)。
 
そのうえに、実家の商売がバブル崩壊のあおりを受けて、破産することに。
こんな時に彼に頼れば良かったのでしょうが、破産なんか知られたらと思うと相談もできず。
結局彼とも上手くいかなくなり、壊れてたハートは既に粉々だったようです。
あまりにもあまりな精神状態だった為か、当時の事はあまり記憶に残っておりません。
散々アドバイスを下さっていた仕事先の店長に「客についてもボーッとしてたり
逆にテンション高すぎたり、仕事になってない」との理由で三行半を突きつけられ、クビ。
当時、店でイケナイオクスリをやっている子が多く、それも疑われたみたいです。
この一件で完全崩壊しました。
夜の東海道本線車内で号泣しながら、友人宅まで帰りました(笑)。
 
99年3月、食事を全く受け付けなくなり、食べても飲んでも吐くように。
ある日、大混雑の横浜駅で2回続けてぶっ倒れ、「精神科行こう」と決意。
・・・したのですが、折りしもその日は日曜日。
どこの病院も開いていませんでした。
 
2週間ほど友人宅で静養していたら復活したので、5月からフルタイムで派遣OLを始めました。
その直後から、また嘔吐眩暈震えと不眠のトータルワンセットに襲われ、精神科に駆け込み。
薬飲めばすぐによくなると思っていたのですが、敵は頑固だったようで、なかなか良くならず。
今まで病院にかかった経験の少ない私は、薬を飲めば1週間くらいで治ると思い込んでいたのです。
薬の副作用からか、眠くて朝起きられず、仕事を休み休みになってしまいました。
非常に体調が悪く、どうしようもなかった日、最初にかかったクリニックに行こうとしたら休診日。
翌日に予約をしていた有名クリニックに連絡をしたら、急患は受け付けないと冷たい返答。
結局、近くの精神科へ駆け込んで、そちらで診てもらう事にしました。
ここで体調もかなり改善されたのですが、いつまでも友人宅にいる訳にもいきません。
実家に戻ったのは、病気が治るメドがたたず、働ける状態に無かったからです。
 
99年夏、実家に戻ってからしばらく実家の商売を手伝いはじめました。
この時点で一緒に仕事をする家族や叔父に精神科通院をカミングアウト。
すると我が家の母方の系統はかなりメンタル系だという事がわかり、祖母や叔父も精神科通院歴が
ありつつも仕事を続けていた事から「お前もできる」と叱咤激励されてしまいました。
 
で、派遣会社から紹介を受けた某損保会社でフルタイムで働き始め、2ヶ月で正社員採用に。
が、仕事が忙しかったのと(他の人には普通レベル、胡桃沢には激務レベルだったそうで・・・)、
職場のお局様とうまくいかなかったので、精神的にへとへと。
薬も一番飲んでいて、よくフラついてあちこちにぶつかってました。
当時の事を家族に聞くと、鬱病の症状のひとつである『幼児退行』をおこしていたそうです。
99年秋に祖父が亡くなり、その2ヵ月後胡桃沢も自殺未遂を試みましたが、2日寝てて終わりました。
当然仕事を続けていける訳はなく、2000年春に損保会社を退職しました。
 
一応半年以上働いていたので、失業者給付を受ける事になりましたが、とにかく疲れていたので、
その待機期間である3ヶ月間入院したい旨を医者と家族に申し出ましたが、思い切り却下されました。
その代わり、実家の商売を『体調のいい日に4時間程度』手伝うことになりました。
段々体調がよくなっていき、調子の良い日なら10時〜20時まで働けるようになりました。
そんな生活を1年程続けていたのですが、いつまでも実家に頼っていられないので、
他に仕事を探す事になり、再び派遣OLとして働く事になりました。
ちなみに発病してからここに至るまでの2年間、新聞も雑誌もTVも本も映画も音楽も全く
受け付けませんでしたので、時代(笑)の記憶が曖昧です。
 
フルタイムの派遣OLとして社会復帰を果たしましたが、同じ職場にいるのは半年が限度。
仕事を始める→絶好調→神経性嘔吐症が始まる→出社できなくなる→退職→ちょっと休む・・・の繰り返し。
私の悪いところなのですが「どうしても他人に認められたい、誉められたい、負けたくない」という気持ちで
いっぱいで、自分を否定されるととことん落ち込んでしまうのです。
 
その後は、独立したり実家に戻ったり自殺未遂を試みたり(笑)の繰り返しです。
一進一退を繰り返しながら、精神科通院と処方薬は手放せません。
精神的に追い詰められると、幻聴や不眠などの症状が出てくるという事もわかりました。
神経性嘔吐のほうは、ここ2年はおさまっています。

 

失敗を繰返してきた胡桃沢がアドバイスできること。

●「あれ?最近の自分は何かおかしい」と思ったら、まずカウンセリングをオススメ。
 いきなり精神科に行くと投薬治療がはじまるので、薬に依存してしまう危険があるからです。
●悩みはひとりで抱え込まないこと。弱みを見せられる人を周囲に持つこと。
●それでもやっぱり精神科、というなら、まず薬の副作用はきちんと確認してください。
 副作用を聞いてキレるような医者は、私は嫌です(笑)。
●仕事をしていない期間があって、履歴書に書けない・・・というときは!
 思い切って、ひとつの職歴を長く書い(略)ね、空白が埋まるでしょ(笑)?
●復職しても、いきなりフルタイムで働かない。
●かと言って、全く働かないのも社会復帰した時のストレスが並みじゃないので、
 可能なら多少の労働はしておいて、適度なストレスは受けておいたほうがいいと思う。
●周囲の目を気にせず、休みたい時は休まないと、疲れが溜まってパンクするので注意。
●それでも周囲の目が気になるという方は、シフト制の仕事を探してみるといいかも。
 3日働いたら休みなら、平日に精神科へ行く事も可能ですしね。
 就職難と言われていますが、贅沢を言わずに探せば見つかると思います。
●仕事を続ける場合は、なるべく平日夜間土日も診察しているところを選ぶこと
 いつなんどき、何があっても駆けつけられる医療機関を選びましょう。
●心の病は、身体の病と違って、姿が見えません。
 無闇やたらに周囲に完全に理解を求めないこと。
 「こういう病気を持っているから」というくらいの認識をもって貰えばいい程度に。
 何故かというと、患者である本人より、周囲のほうが「原因は自分では」と責める場合が
 往々にしてあるからです。
 過剰に周囲に期待して失望するのも、半端じゃなく疲れるから。
●モノの本には「半年程度で完治する」と書いてある場合もありますが、鵜呑みにしないこと。
 経過や病状は、個人個人違って当たり前です。
 家族や周囲にカミングアウトしている場合、主治医からその辺を説明してもらうのもひとつの
 方法です。
●自分を甘やかせるのも守れるのも自分だけ。
 できるだけ優しくしてあげましょう。
 反対に、自分に厳しくできるのも自分だけです。
 
厳しい事ばかり書いてしまいましたが、経験から言える事です。
あんまり焦らず、あくまで自分のペースでのんびり病気と共存していきましょう。
↑そういう風に思えたら、誰も苦労しないですよねえ(笑)