エンドキサン
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2004年に、肺繊維症といわれ、プレドニンだけでは治療困難なため
新しい治療をすることになった。
それがエンドキサン(免疫抑制剤)の点滴。(エンドキサンパルス)
エンドキサンパルスの話を外来の主治医から聞いたのは12月のこと。
外来でもできるといわれたが、最初は副作用をみるために、入院することになった。
初めて聞く薬だったので、(HPをやっていたので免疫抑制剤という言葉は知っていたが…)
まさか、自分もその薬をやるんだ〜とは思っていなかったので、とうとう私もですか…と思った。
どんな薬なんだろう…、副作用の説明はなんとなくしか聞いてないし…
プレドニン、多くするって言ってたよなぁ、30〜40ミリにするって言ってた。
やだなぁ。。と、私はいろいろ考えていた。
ステロイドハイ
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準備中
信頼関係
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準備中
私の支え
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準備中
先生、頑張るよ。
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準備中
バクタで薬疹
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準備中
じーちゃん
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準備中
さくら
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今年の桜もきれいだったね。
でも私は、あんまり桜をみることができなかった。
桜を見るたびに思い出してしまうから。
じーちゃんと行くはずだったお花見。
お正月の頃、カレンダーをめくりながら話したんだ
「一緒にお花見行こうね」って。
じーちゃんは写真を撮るのが好きで、
桜も毎年撮っていた。
いつだったか、一緒にお花見に行って、桜の木の下で
じーちゃんと一緒に写真を撮ったことがある。
ふたりで行ったから、タイマーを使ったんだよね。
タイマーをセットして、じーちゃんが あこの隣に小走りでくる。
そして ふたりで はいポーズ。
……
……
ん?
「じーちゃん、カメラ動かないね」
「あれ〜?ちっと待ってろ?見に行ってくっから」
じーちゃん、もう一度カメラの元へ。
もどってきて、はい ポーズ。
……
あれ?と、思っていたら パシャっと音がした。
無事に写真がとれました。
あとで現像してみたら、おもしろいこと(笑)
ふたりで「あれ?」って顔してカメラを覗き込んでるような感じでうつってました(笑)
これも ひとつの思い出です。
また今年も 一緒に撮ろうね。美味しいものも食べようねって言ってたんだ…
だけど、じーちゃんはお空に行っちゃったんだ
じーちゃんは、ばーちゃんと一緒に桜を空の上から見たんだろうなぁ。
でも、あこは、じーちゃんと さくら 見たかったなぁ…
今年は、桜を見るのに 上を向けなかったよ
空をみることさえもできなかったよ
今年のさくらは きれいすぎて 切なかったよ
頑張るほど空回り
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準備中
受け止められない
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準備中
逃げちゃいけない?
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準備中
治って欲しい
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準備中
もういらない
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準備中
居場所探し
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準備中
裏切り行為
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朝昼晩に1錠ずつ飲む安定剤。
5/14(土)、私は3錠 いっき飲みをした。
簡単にいっちゃえば、
どーでもよくなった。
自分の居場所、仕事のこと、恋愛、結婚、将来のこと
大好きだったじーちゃんの死。
好きな人に「好きな人できた?」と聞かれたこと…。
いろんな事が頭の中をぐるぐるまわって、
焦りとか不安とかが心の中、いっぱいになって
ほぼ無意識のうちに、薬に手を出していた。
わがままな患者かもしれないけど、当時、私は、主治医を頼りに生きていた。
なので、1日3回は自分のところに診察でも何でもいいから、きて欲しいと思っていた。
家に帰りたくない症候群で、先生が大好きだった。
大好き…を通り越して、依存していたのかも。
先生にしてみれば、大勢患者がいる中のひとりでしかない。
でも、私にしてみれば、私の先生でいてほしかった。
5月頃は、精神的にもかなり病んでいて、人と目を合わせることができなかった。
会話するにしても、あまりできなくて…
でも、先生とは普通に会話もできた。笑って話すこともできた。
いろいろ考え過ぎて、疲れてしまった。
いろんな人の言葉がいちいち胸に刺さる。さらっと流せない。
先生はまだ来ない。
私は、先生に心配されたかったのか
それとも、かまってほしかっただけなのか…
逃げ場所を薬にしてしまったのだ。
薬を飲んでから、ぼ〜っとベッドの上で寝ていた。
午後、先生が来てくれた時に、言わなきゃよかったのに、私は正直に話していた。
「あのね…、さっきね、安定剤2錠か3錠、飲んじゃった…。」
びっくりされた。(当たり前だ)
先生は、かなり慌てた様子だった。
「え!?一度に3錠!?」
「たぶん…」
ふらふらしてて、ついさっきのことが思い出せなかった。
自分が何錠飲んだのか、わからなかった。
「だめだよ。そんなことしちゃ」
私は先生に背中を向けて黙っていた。
毛布をかかえて、ずっと黙っていた。
そしたら、「こっち見て!」って、言われたけど、「ヤダっ」って言った。
だけど、ぐるんって無理やり先生の方に体を向かせられて、
先生は、私に言った。
「いっきに3錠は多いからね…。……なんで そんなことしたの。」
答えられなかった。
「いっきに3錠は多いからね。」
なんか…もう、この後は覚えてない。
夜、看護師さんに「薬、確認するね」って没収された。
安定剤を含め、飲んでる薬ぜ〜んぶ持ってかれた。
完全にマークされました。
危険患者です。
こんなことしたって、何もかわらないのにね。と今になって思った。
でも、別に後悔はしていない。
きっと理由はあったはず。でも今はもう思い出せない。
たぶん、心配してもらいたかったのかもしれない。
かまってほしかったのかもしれない。
でも…
私がしたことは、裏切りだ。
私は、先生を裏切った。
家族もみんな。
少しだけ胸が痛んだ。
「だって…」は通用しない
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エレベーターホールをぼ〜っと歩いていたら、先生が別の病棟から歩いてきた。
お互い目が合って、私が小さな声で「先生…」と言うと、立ち止まってくれた。
「なんであんなことしたの?」
先生は言った。
私は、何も答えられなかった。そのかわりに涙が出てきた。
「だって、先生、来てくれないんだもん。」
「だってじゃないでしょ。」
先生の目は、とても真剣だった。
「……」
寂しかったんだよ…。
私には先生しかいないんだよ…。
そう、心の中で思っていた。
私は下を向いたまま呟いた。
「だって…誰も止めてくれる人いなかったんだもん」
先生はため息をつき、少しあきれたように、こう言った。
「だってじゃないでしょ?そんなの…止めてくれる人いなかったって………はぁ。。(ため息)」
飲んだ時の記憶はなかった。
でも、なんとなく 先生のことを考えていた。
このくらい平気だろう…とも思っていた。
悪いことをしたとは思っていなかった。
先生は、もう一度大きなため息をつくと、
「先生が、○○(←私)さんの、不安定になる原因になってるんだったら、担当医変えてもいいんだからね。」
と、言った。
嫌だ!!と思った。
「そんなの…やだ。先生がいい。」
私は泣く。
先生は困る。
「先生がいい。」
涙が止まらなくなった。
まさか、先生のくちからそんな言葉がでてくるとは、思ってもみなかったから
ショックだった。
私が、あんなことしたから 先生、嫌になった?
先生、私のこと、嫌いになった?
突然の衝撃。
なにかで心に穴をあけられたような衝撃だった。
涙も止まってくれるどころか、溢れ出てきてしまい、どうにもならなかった。
何か言おうと思うが、涙で、喋れなくて…
その後は、あんまり覚えていないけど、
先生は、仕事にもどり、私は病室に泣きながら帰っていったような気がする。
そして、ベッドでわんわんと声をあげて泣いていた。
5mgは体に負担…?
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最近(2005年5月)25mg〜20mgに減らしたあたりから、どうも関節の調子がよくない。
とくに、左肘。たまに右肘。そして膝の関節がカックンカックンしたりもする。
なんでだ〜?とずっと思っていた。
友達のお見舞いに病院へ行ったら薬剤師さんや主治医に会った。
仲良しの薬剤師さんに症状を言ってみたら、
「プレドニンを5mg減らしたのが原因かも…。」と言っていました。
30mgから25mgにしたときよりも、25から20にした今回は体が追いついてないです。
薬剤師さん:「今、どのくらい飲んでるんだっけ?」
あこ:「4錠^^」
薬剤師さん:「20mgか〜、あぁ、、うん。5mg減らしたからかもね。」
冬だったら絶対にいきなり5mgは減らさないらしいです。
今はあったかくなってきたから、減らしたそうです。
肘の関節、膝、少しの手のこわばりの症状はプレドニンを減量したため起こったものだということです。
それを聞いたら安心しました^^
他の原因…例えば再燃…とかだったら嫌だなぁと、落ち込んでいたので、
原因らしきものが分かって本当に良かったです。
じゃんけんのグーも左手が少し しにくいかな?と感じてきたこの頃(05年5/21)
次回からの減量は少し慎重に…慎重に…。
半分ずつ、ゆっくりと減らしていくと思います。
私もその方が楽だ〜^^
本当にプレドニンってすごい薬なんですね。
05.5.21
CNSループス
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6〜7月の入院中、SLEの中枢神経の症状がでていた。
CNSループスというらしい。(CNS=中枢神経)
ネットでCNSループスを調べてみたら、しばしば自殺の原因にもなる…と
怖いことが書いてあった。でも、なんか納得してしまった。
その頃のことは、自慢じゃないが、あまり覚えてない。
CNSループスの他に、脳血流も悪かったので、頭が悪かった。
大脳新皮質(漢字あってるか?)付近の血流が悪かったから
新しいことが覚えられない、人の名前も覚えられない、
ついさっきのことを覚えてないなど……あこばあちゃんだった。
CNSループスがあると、鬱っぽくなってしまうようです。
それで気持ちの波があったみたい。
でも、この症状って自分じゃ自覚ないんだよね。
たまたま左手がしびれたり、感覚なくなったりしたから心配で病院にかかった。
それで色々検査をしていくうちに、脳血流が悪いってことがわかって、
CNSループスかもしれないってこともわかった。
自分に中枢神経の症状があるって自覚がないから、
本当にそうなのか、そして、今は治ったのか、治ってないのか
それすらわからない。
だから、母に聞いてみたのだ。
「お母さん、病院でCNSループスって言われたけど 自覚ないんだよね
だから治ったかどうかも わからないんだよね」
母はこう言った。
「よくなってるんじゃないの?」
この会話がきっかけで、色々話し始めたのだが…
私がボ〜ッとしてる頃、あの状態では心配で家においておけなかったと聞いた。
今だから言えるけど、入院してたからいいけど、
心配で目を離せなかった、刃物なんか危なくて置いておけなかったよ。とも言っていた。
私はあまり覚えてないけど、そうゆう危険な状態だったんだ…と、初めて知った。
鬱が続いている時はたしかにあった。
でも母がそんな風に思っていたなんて、初めて知った。
そして入院中、私がどんな状態でも毎日のように明るい笑顔で
病院にきてくれていた母の気持ちを考えたら、なんだか泣けてきた。
辛かった日もあっただろうなぁ…と思った。
ぼ〜っと表情のない顔をしてる日もあった。
せっかくきてくれても、ベッドに寝てるだけの日もあった。
おかしなことを言ったり、息をするのが面倒だと言ってみたり…
そんな私をみても、母は明るかった。
こんなに心配してくれていたなんて、今日はじめて知ったよ。
自覚がないっていうのは、本当にこわい。
自分のやっていること、言っていることを忘れてしまうというのも嫌だけど、
何より、こうやって心配されているってことに気付かない(気付けない)のが辛いね。
今でも少し、鬱っぽくなったりするけど、
母は、「あの頃と比べたら、顔の表情もちゃんとあるし、良くなってるよ」と、言う。
CNSループス。
なんて嫌な症状なんだろう。
まず、自分がCNSループスだって自覚がない。
そして治ったのか治ってないのかも わからない。
症状は良くなってきてるようだけど、鬱っぽくなるのは、
まだ完全には良くなってないのかもしれない。
本当にわからない、奥が深い。
だいたい、鬱って、心だけの問題かと思ってた。
違うんだね。
いつか良くなるといいな。
05.10.11
独身だからなんですか。
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世の中にはいろんな考えの人たちがいる。そんなの当たり前だけど
独身で難病ってゆうだけで、甘えてるだの、なんだかんだ言う人がいる。
傷ついた。傷ついた。
主婦の方は 主婦の。独身は独身の悩みってものがあると思う。
ある方は、主婦になると自分がだるくても熱があっても家事をしなくちゃならない。
だから大変なんだ。って そう言う。
うん、確かにそうだ。大変そうだ。でも、確かに大変なんだろうけど
それで独身は皆甘えて生活していると思われたくはない。
独身だって頑張っている人だっているんだってこと、知ってもらいたい。
そうゆうことで 私の思いを書いてみた。
↓
結婚を甘くみているわけじゃありませんよ〜〜〜。
独身でもがんばっとるんですよーーー!
そんなに仕事の愚痴をいうなら やめちゃえばいいじゃないですかー!
働きたくても働けない人だっているんです。
みんなそれぞれ病状も違うんですよ。
フルタイムで働ける人ばっかり いないんです。
独身で病気で働いてなければ価値がないんですか?
甘えてるって思われてしまうんですか?
人間、その立場になってみないと分からないものがあります。
好きな人との結婚。憧れてもいいじゃないですか。
憧れる年代ってあるでしょう?
憧れながら毎日を送っていてもいいじゃないですか。
それで頑張れるなら。マズイ薬が飲めるなら。
面倒な病院にもいけるなら。
頑張りますよ。私は。
主婦は主婦の。独身は独身の。そのほかの色々な立場の人たちも
それぞれ 自分なりの役割があります。立場があります。
ただダラダラ生きてるのではないです。
私だってちゃんと考えて生きてます。
あんまり きついこと言わないでください…。
「独身の病人で働いてない人は」って 枠でくくらないでください。
2005/12/16の日記より。
ぐるぐる
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ほかの日記で、こんなことを書いていた。
あんまり見られたくないような、読んで欲しいような、そんな日記だから
出してみたり、隠してみたり色々やっていた。きらきらDaysってブログ。
知ってる人は知ってる。そんなブログを持っている。
本音を書いている。けっこうダークな部分を書いている。
たった1年でこんなに考え方が変わるとは思わなかった。
いろんなものに対してビクビクしてしまう。
退院したら体力つけて、ふつうに じーちゃんとお花見に行くはずだったんだけど。
じーちゃん、あっという間に死んじゃった。
電話で聞いたとき、「あと1週間」って聞いた。
本当に1週間で死んでしまった。
約束してたから。
お花見行こうねって。
約束してたのにな。。
人ってこんなに簡単に死んじゃうものなんだ…って思った。
まだ受け止められてない。
たまに泣いたりする。一緒に写った写真を見たりして泣く。
今度は何を失うんだろう。
そう思ったら 怖くなった。
家族で一緒に暮らしてるのに、ひとりぼっちになったような気がした。
みんないるのが 当たり前で、
でも。
その当たり前の生活が、突然変わることだってある。
それを今年知った。
ばーちゃんが死んでまるまる6年。
やっとばーちゃんがいない生活に慣れてきたところだった。
こんなに なくしものばっかりしていたら私がこわれてしまう。
なんか変なんだ。家族でいると辛い。
ひとことひとことが重い。
今の会話も、いつか思い出すときがくるんだろうなぁ…って
思ったら 泣きそうになる。
早く結婚して旦那さんが ほしい。
できたら 子供も欲しい。
私には無理だ。
ひとりでいることなんて。
障害児の妹を面倒みていくことなんて。
自分の面倒もみきれないのに、
知的障害者の妹をどうやって面倒みたらいいんだろう。
父も母もいつまでも若くない。
だから私も、いつまでも子供でいるわけには いかない。
なんでも自分でできなくちゃ いけない。
それなのに 朝寝坊だし、洗濯も母がやっているし。
やっぱり 誰かがいると甘えてしまう。
そして いなくなったときに気付くんだ。
「大変なんだな。自分でやっていればよかったな」って。
みんな いなくなってから 後悔するもんだよね。
後悔したくないのに、いなくなってからじゃないと
気付かないことって たくさんあるんだ。
ぐるぐる悩んでたって 泣いてたって
明日は来るんだよなぁ。
どう生きようか?って考えていても 苦しんでいても
生きてるんだよなぁ。
ビクビク何かに怯えた生活。
もうやだな。
何か夢中になれること ほしい。
気を紛らわす何かがほしい。
けっこう悩んでました。
色々な出来事があって、最高に参っていたのだと思います。
2005/12/29の日記より。