
消防団について
消防団は、消防本部、消防署と同じく法律に基づいて市町村に設けられている消防機関です。(ですから、公設の消防組織とは異なります。)消防団の歴史
江戸時代、当時世界最大の都市であった江戸の町は火災が絶えませんでした。そこで、寛永6年(1629年)消防の源というべき大名火消
(大名による消防組織で16隊で構成)が組織されました。
その後、慶安3年(1650年)消防力強化のため定火消(4千石以上の旗本で15隊が組織され、官設消防の祖と言われています。)が組織されました。しかし、江戸市中は大火が多く、儒者 萩原徂徠は江戸の町を火災から守るため、町人組織による火消組を設けるべきだと、8代将軍吉宗に進言しました。
将軍吉宗は、時の南町奉行大岡越前守忠相に命じ『火災が発生した場合には、風上及び左右二町から火消人足30人ずつ出すべきこと』という奉行令を出させました。この令によって消火に当たった者を店火消と呼びましたが、色々な人が集まりで統制もなく、火災現場に駆けつけても右往左往するばかりでした。そこで大岡越前守忠相は享保3年(1718年)町火消を制度を発足させました。
こうした町火消も、当初は、町屋だけの火災出場にかげれていましたが、纏をかかげ、組の名誉をかけての働きとその功績により、武家屋敷の火災はもちろん延享4年(1747年)の江戸城二之丸の火災にも出場し、大名火消や定火消にも勝てるとも劣らぬ実力を示し、町火消全盛期時代を築き幕末まで続きました。この町火消「いろは48組」が消防団のルーツと言えましょう。
明治元年(1868年)新門辰五郎ひきいる「を組」の上野東叡山の火災防ぎょ活動を最後の華に、明治5年には、「消防組」に、昭和14年には「警防団」に、昭和22年には「消防団」へと改組されました。
現在の消防団は、昭和23年の消防組織法にその根拠を置いています。