| ファティマの奇跡と聖母預言 |
http://page.freett.com/dateiwao/fatimaufo.htm
世界中に現れる聖母マリア あなたは、人類に何を言いたいのだろう おろかな人類よどこへ行く 主の母マリア 主は地球の遥か上に座して地球に住むものをいなごのように見られるという われわれ人類をお導きください 偉大なる神よ、永遠なる神よ あなたがまだ地と世界を造られなかった時、とこしえからとこしえまで、 あなたは神でいらせられるという われわれ人類をお導きください 伊達 巌 |
聖母マリアが、ある特定の選ばれた人物の前に現れてメッセージを告げる「聖母預言」が始まったのは、残っている記録によれば、5,6世紀ころからである。このような聖母出現は記録に残っているだけでも数千に及ぶと言われる。
聖母預言抜粋
1531年 メキシコ 、ホアン・ディエゴの前に聖母出現の事件
1830年 フランス パリ 、ゾエ・チャサリン・ラブレの前に聖母出現の事件
1846年 フランス ラ・サット、マキシマン・ジローとメラニー・マシューの前に聖母出現の事件 「ラサット36の告知」 終末預言
1858年 フランス ルルド、ベルナデッド前に聖母出現の事件 有名な「ルルドの奇跡」 「ルルドの聖泉」
| ルルドの奇跡 |

ベルナデット:Bernadette Soubiroux_Lourdes
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ルルドの大聖堂
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ベルナデット:Bernadette Soubiroux_Lourdes
1858年2月11日の朝、南フランスのピレネー山麓、ポー河渓谷に住むベルナデッドと言う少女が妹トワネットと近所の友達ジャンヌの3人でマサビエルの洞窟に薪拾いに出かけて「貴婦人」の出現を受ける。ガブ川をわたるために靴下を脱ごうとしていると、突然にひどい風が吹いてきたような音に驚き、見回すと洞窟の入り口にある草木が大きく揺れ動いたと見る間に、洞窟の奥から金色の雲が沸き上がって来て、そこに16−7歳くらいの「貴婦人」の姿が浮かび上がった。「貴婦人」は白くゆったりした服を着け、頭から肩にかけて白いヴェールをかぶり、水色の帯を結んでいた。右の手首には、金色のくさりに、大きな白い珠でつづられたロザリオをかけていた。ベルナデット自身、最初は恐れポケットの中をまさぐってロザリオを取り出した。しかし金縛り状態で、祈ることも十字を切ることもできなかった。「貴婦人」は、にっこり微笑んで、自分の手にしていたロザリオの祈りを唱えはじめた。それをきっかけにベルナデットも十字を切り、ロザリオの祈りを唱え始めた。「貴婦人」は声を出さなかったけれどもベルナデッドの祈りに合わせて指でロザリオの珠を繰っていった。15分ほどたってから「貴婦人」は、金色の雲に包まれて姿を消した。その時、薪を束に結んでいたトワネットとジャンヌは、ベルナデッドを見て「こんなところで、お祈りするなんて、ばかみたいね。」と言いあっていた。
その後、ベルナデッドは何度となく「貴婦人」の姿を見ることになるが、同行した人々には見えず、声も聞こえなかった。そのためベルナデッドの幻覚とも考えられたが、その場所に湧き出た泉水によって幻覚でないことが証明され、この水の湧き出る洞窟が「ルルドの聖泉」といわれるようになり、世界中のカトリック教会の聖地となっている。
重要
1903年に、リオン大学医学部解剖学専攻のアレキシス・カレン博士は、ルルドの巡礼団に加わった。重態の結核性腹膜炎患者が、霊水の浴槽に浸けられた瞬間に治癒した事実を目撃し、熱心なカトリック信徒になったという。その後、彼はロックフェラー研究所で血管縫合術や、臓器移植手術の分野で研究し、1912年にノーベル賞を受賞している。 この奇跡の水の信憑性は、アレキシス・カレン博士の調査でも確認されて、より世界的に高まった。「人間、この未知なるもの」という彼の著書は、人間が全能の神の前に、万能であると過信するおごりを戒めている。彼はかつて唯物論者であった。
1927年に「ルルド国際医学会」が設立され、世界の30カ国の5000人以上の医師が名を連ねて、ルルドの水がもたらす効果について研究を続けている。
「ニューズウイーク」1971年号でも、イギリスの3歳の幼女のガンが聖水で奇跡的に消滅した例が写真入りで紹介された。
1858年撮影の聖母出現のマサビエルの洞窟
Original condition of the Grotto of Massabielle. Photo from time1858
of the apparitions.
現在の洞窟

| ルルドの泉 1858年、地元の少女ベルナデットが、洞窟で美しい聖母マリアに遭遇した。 その聖母のお告げの通りに地面を掘ると、泉が湧き出し奇跡が起きた。 実際に病が治るなどの実例が後を絶たず、年間500万人が訪れる。 ローマ法王庁がその奇跡を認定した聖地。 |
ルルドの泉

蛇口

ルルドの聖水
洞窟の左に傾斜地を利用して、ルルドの聖水が蛇口からでる設備がある。
車椅子の行列
| 真の奇跡はベルナデットの死後に起こっていた |
| 重要 |
1871年 フランス ポンマン ユジューヌ・バルブデット、ジョセフ・バルブデット、フランソワーズ・リシェ、ジャンヌマリ・ルボセの前に出現


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family
Eugene et Joseph Bardebette en 1871
Eugene et Joseph Bardebette en 1871
1858年のルルドの出来事と比較すると、ポンマンの聖母出現ははるかに地味な出来事であった。その後の巡礼の規模もルルドの十分の一以下(年間10-30万人)である。ポンマンは、ノルマンディとブルターニュにかこまれたロワール地方マイエンヌに属する人口2239名(1979年)の村落。1871年当時は15軒ほどの家とおよそ80名の住民からなる小集落にすぎなかった。普仏戦争(1870年/7月-1871年/1月)の波が徐々にこの地方を脅かしはじめていた同年1月17日の夕刻、この村の空に不思議な出来事が生じた。数人の子供たちの目に天空の「蒼い服の女性」が3時間にわたって出現し、無言のまま文字によるメッセージを伝えたのである。
初めに空の異変に気がついたのは、バルブデッド家のユジェーヌ(1858-1927 当時12歳)だった。日課である馬の世話を父セザールと弟ジョセフ(1860-1930 当時10歳)の3人でしていたところ、知人が戦地の知らせを持って納屋を訪れた。異父兄弟のオーギュスト・フリトーは戦地にあり、その安否がバルブデット家の心配の種になっていた。話の最中にユジェーヌは、1週間ほど前に付近一帯をおおいつくしたオーロラ現象(1・11)を思い起こして、雪一面の外に出て見たという。すると不思議なものが見えた。道路をはさんで納屋の向かいにあるギドコック家の上約6メートルのところに、金の星をちりばめた蒼色の服があり、美しい婦人が両手を下げ加減に広げて迎えるしぐさで微笑んでいる。月はないが星は出ていた。四半時もたって弟のジョセフがこれに加わって、やはり見えるという。ところが納屋からジョセフと出てきた父親には何も見えない。母屋から呼ばれてきた母ヴィクトワールにも見えない。「きれいだよ。きれいだよ」と繰り返しながら手をうつジョセフを制止すると、母親は子供らを納屋に追返してしまった。
以上がことの発端だった。この段階では、「証人」はバルブデッド家の4人に限られる。納屋の仕事をかたずけ終わってから母屋で夕食を済ませ、再び納屋に戻ると「前のままだ」と子供たちがいう。「シスター・ヴィタリヌくらいの大きさだ(165cm)」というのを聞いた母親は、あるいはと、ユジーヌをつれてシスターの小学校へ向かう。その間ジョセフは父親と納屋の前に残っていた。
シスターには見えるだろうと言う母の期待は裏切られたが、一挙に証人が集まり、最終的には約50名、ポンマン住民の約三分の二が顔をそろえた。ここまでの段階では、空の「青い服の女性」は子供たちに微笑みかけるばかりで何のメッセージも与えていない。身元も伝えていない。子供たちの説明によって、靴まで垂れ下がる星印の蒼いチュニック、金のリボンの蒼い靴、髪をおおう黒の長いヴェール、末広がりの円筒形の帽子といった衣装の様子が人々に知らされるだけである。


群集の前で「この女性」の形象に変化があらわれた。蒼い楕円が後光のようにこれを包囲すると、中に4本の蝋燭(ろうそく)が肩と膝(ひざ)の高さに2本ずつ現れ、続いて「女性」の胸に小さな赤い十字架が生じた。「祈ろう」という司祭の言葉に促されるように形象全体が伸張拡大し、約1.5倍の大きさになった。
群集と女性との間で、相互コミュニケーションの場が発生している。
ポンマンのメセージの伝達形式は、他の聖母出現に見られない特異性をもっている。出現主体は無言のまま文字による伝達が行われた。子供たちはメッセージを聞いたのではなく、時間を追って次々に現れてくるアルファベットの1文字1文字を「読んだ」のである。群集の祈りの中で「女性」の足下とギドコック家の屋根との間に白い帯状の幕が現れた。縦幅約1m、ちょうど屋根の両端の煙突をつなぐ、長さ10-12mの幕である。そこに、左端から、金色の大文字の活字体がひとつひとつ現れて文章を作っていった。
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church
| (1行目) MAIS PRIEZ MIES ENFANTS DIEU VOUS EXAUCERA EN PEU DE TEMPS (さあ祈りなさい 子供たち 神はまもなくあなた方の願いを叶えるでしょう) (2行目) MON FILS SE LAISSE TOUCHER (わが息子は心を動かされます) |

town
最終的に上のような文章を構成していった文字の出現は、遅々とした進行速度で行われた。冒頭のM・A・I・Sで約10分、E・N・F・A・N・T・Sまででさらに3-4分が費やされた。I→IX→Mというように1文字が完成される過程で、4人の子供たちが競うように「M」「A」とつづりを判読し、人々がそこに何らかの有意義な単語を認めて文章を理解する手順である。たとえば、冒頭の4文字M・A・I・Sは、次に続く文脈からみて人々に驚きを与え、群衆による再三再四の確認がメッセージの途中で繰り返されたという。
この段階では、なお曖昧(あいまい)な「女性」の存在がほぼ確定したのは、次にくるメッセージの冒頭の単語によるものであった。「わが息子」のくだりで「やはり聖母だ」という声が群衆の中からあがった。
断片的に浮遊していた「聖母」表象がメッセージの伝達解読過程をへて、「神は・・・」から「わが息子」の1節で定着の根拠を得るにいたる。群衆は静かな祈りに入るのである。
この時点で、司祭やシスターに見えぬ存在が子供らに見えるはずがないと考えたマリエット・ギドコックが自分の家の屋根と空を調べに行くが、この行動は、家の前で足が動かなくなるという、後で不信人者の回心のエピソードを生むことになった。
しかしポンマン奇跡の完成にはなお少し時間経過を必要としていた。すなわちメッセージの「神はまもなくあなた方の願いを叶えるでしょう」の実現である。
人々の聖歌に合わせて、ほほえみつつ指を動かしていた聖母の表情が哀しげに変わると、赤い磔刑のキリスト像をともなう大きな十字架(40−60CM)がその手に現れた。星が移動して4本の蝋燭(ろうそく)に点火して回り、赤い十字架が消えて元の姿勢に戻ったところで、大きな白いベールが下の方から徐々に聖母をおおいはじめ、最期に残った被りもの、星、蝋燭(ろうそく)、蒼の楕円が同時に消失したときは、夜9時頃になっていた。
5日後の1月22日、ラヴェル迫っていたプロシア軍が突如として「退却」を開始した。1月28日、休戦協定が結ばれる。遅れて4月初旬、ポンマン小教区から徴兵された38名の戦士の無事の帰還は、聖母の恩寵説をいっそう強化する役割を果たした。
同年6月17日、天祐感謝の盛大なミサが行われ、聖母を称える兵士たちによる碑が教会に残されることになった。
現在の大聖堂(小)
参考文献 関 一敏 聖母の出現 日本エディタースクール出版部
1917年 ポルトガル ファティマ ルチア、ヤシンタ、フランシスコの前に聖母出現の事件
1961年 スペイン ガラバンダル コーンチータ・ゴンザレス以下4人の前に聖母出現の事件 述べ2000回出現 人類滅亡の警告
1970年 アメリカ ベイサイド ベロニカ・ルーケンの前に聖母出現の事件 第4次中東戦争 、ヨハネ・パウロ襲撃事件、火山爆発、大地震
1981年 ボスニア・ヘルツエゴビナ メジェゴリエ イワンカなど6人の少女の前に聖母出現の事件 4000回出現 人類滅亡の警告
| ファティマの奇跡は UFO遭遇事件だった! |
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この数ある聖母預言の中でも、特筆すべきものが、1917年のポルトガルの寒村ファティマに起きた事件だ。
バチカンは長い時間をかけてこの事件を調査した結果、13年後の1930年10月13日、司教書簡「神の摂理」を厳かに発令し、ファティマにおける聖母の出現は信じるに値するもので、ファティマの聖母に対する信心を許可すると言う異例の宣言を行った。本物の神の奇跡と認定され、ファティマの地はカソリックの聖地として正式に認可された。その場所に世界で最も有名な大聖堂が建てられ、毎年、記念日の5月13日には、カトリック教徒が何百万人も参集する。
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当時の新聞にも大々的にとりあげられた。
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| 事件の概要 |
1回目の出現(5月13日)
事件の主人公になったのは、ルチア・ドス・サントスという10歳の少女と、少女のいとこにあたる9歳のフランシスコ・ペトロ、7歳のヤシンタ・マルトの3人である。1917年5月13日、ルルドの奇跡から59年後、3人はルチアの強い衝動に導かれて父親の所有するコーバ・ダ・イリヤという場所に向かった。時刻は正午頃で、晴天であったが、突然強い稲光がしたかと思うと、激しいつむじ風がまき起こった。3人は恐ろしくなって坂を下ってヒイラギの木の近くまで来たとき、またさらに強い光がひかった。まぶしい光に3人は目がくらみ立ちすくんでしまう。光はすぐ消えることはなくとどまっている。ふと見上げると、光に包まれた若い女性がたっていた。彼らの驚きは最高潮に達したが、やさしい声が響いた。「何も怖がることはありません。私は天国から来ました。」その声にうながされて顔を上げると、まさに聖母マリアの姿をした貴婦人がそこにいた。純白のドレスを着て、金色に縁取られたベールをはおり、右の手首にはロザリオ(十字架付きの数珠)をかけていた。その清らかな声はさらに続いた。「世界が平和であるように、毎日熱心にロザリオの祈りを唱えなさい」 そして3人のこどもに毎月13日の同じ時刻、この場所に現れることを約束して光りに包まれた雲と共に、東の空に飛び去っていった。
2回目の出現(6月13日) 約束のこの日、噂を聞きつけて約5−60人の見物人が集まった。貴婦人は約束通り現れ、ルチアは貴婦人に語りかけた。しかし集まった人々には、その姿も見えず声も聞こえなかった。ただ木の枝が黄金色に変わり、出現中はその重みで低く垂れ下がっていた。聖母はルチアに、「毎日ロザリオの祈りを唱えること、勉強して早く字が読めるようになること、ヤシンタとフランシスコがまもなく天国に召されること」などを告げた。この日の出現は15分位続き、対話が終わったとき全員が爆発音を聞き、小さな雲が木のそばから昇るのが目撃された。 聖母が預言したとおり、フランシスコは1年10ヶ月後の1919年4月4日、ヤシンタも2年8ヶ月後の1920年2月20日に死去している。これは2人が天国に行くことを貴婦人に望んだためだと言われる。
3回目の出現(7月13日) 群集は約7000人に膨れ上がった。しかし、そこで起きたことは前回と同じものであった。群集の大部分は、単に見世物を見るように、空の一点を見つめて何やら語りかけるルチアを、好奇の目で見ていたにすぎなかった。だが、この日は重要なお言葉がルチアに授けられた。10月13日に大奇跡が行われる予定と、後年ファティマの大預言と呼ばれる「3つの預言」がルチアに託されたことだ。
そして「10月には、あなたたちに私が誰であるか、私が何を望んでいるか、お話します。 そしてすべての人たちが、あなたたちの言うことを信じるように、大きな奇跡を行って見せましょう。」この後に重要な3つの預言が告げられた。
ルチア自身は後に、カルメラ会に入会して修道女になっているが、その上長であるコインブラ司教の強い要請を受け、1930年に聖母との対話の一部始終を記述した文書を作成し、それはそのままバチカンに送付された。第1と第2の預言は、25年後の1942年に初めて一般に公表された。それによると、「秘密は3つの異なった事柄から成り立っていますが、互いに密接に関連しています。これから私(ルチア)はそのうちの2つを公表しますが、3つ目の事柄は1960年まで秘密のままにしておかねばなりません。」ここではファティマ第1と第2のメッセージが明らかにされている。
第1の預言には、間もなく第1次世界大戦が終結すること、そしてロシアが災いの中心になることが示唆されている。この預言で第1次世界大戦に関してルチアは教会関係者に、聖母は「来年の終わりまでに」平和が回復すると告げたことを明らかにして、その預言通り、第1次世界大戦は1918年11月11日に終結した。ロシアが災いの中心になることは以降の歴史を見ても明らかで、預言の4ヶ月後にロシア革命が起こっている。
第2の預言は、第2次世界大戦の勃発を告げている。そこでは「次の教皇(ピオ10世)の在位期間中に、もっとひどい戦争が始まり、その時あなたがたは、夜空に不思議な大きな光が輝くのを見るでしょう。」と預言されている。問題の教皇(ピオ10世)は1939年2月10日まで在位して亡くなっている。第2次世界大戦は正式には1939年9月に開戦とされるが、スペイン内戦や、日中戦争などを考慮すれば、実質上、教皇在位末期と言えるだろう。1938年の1月25日から26日にかけて、夜半のヨーロッパ全域の空に血のように赤いオーロラが出現した。この驚くべき現象は当時の新聞に大きく報道された。そしてヒットラーの台頭、第2次世界大戦の勃発へと預言が成就された。
4回目の出現(8月13日) 人心をたぶらかす行為だとしてルチアたち3人が当局に拘束され、約束の場所に行けなかったにもかかわらず、なんと約1万8000人もの群集が集まった.しかし当人たちが不在のまま、1万8000人の群集を前にすさまじい雷鳴がとどろき、閃光とともに強烈なイナズマがきらめいた。地上には虹のような光が満ちて、太陽の周囲の雲はさまざまな光を反射した。そして例のヒイラギの木の上に小さな雲が出現し、およそ10分間とどまってから上昇した。3人が釈放されたのは8月15日だったが、その4日後の、8月19日午後4時頃、ルチアたち3人はバリンホスという場所で羊の番をしていた時、突然気温が下がるのを感じた。そして太陽の光が消え、地上に虹が満ちた。閃光が生じ、こどもたちのそばの木の上に雲に包まれた輝く球体が出現し、そこから光とともに前と同じ姿の聖母が現れたのである。10分後ルチアと話し終えた光の貴婦人は、輝く球体と共に東の空に去っていった。聖母は回りの迫害に対する3人の勇気を誉めた反面で、約束を守らなかったことを当人たちの責任とみなし、そのために、10月13日に予告された奇跡のスケールが縮小されることを告げられた。
5回目の出現(9月13日) この日は葡萄の収穫期であるにもかかわらず、3人が当局に監禁された話も伝わって人々の関心を呼び、群集は3万にも膨れあがった。正午きっかり、急に太陽が光を失い暗くなったとき、あたり一面、光一色となった。そして全員が見守る中、東の空に銀白色に光輝くタマゴ型の球体が現れ、西に向かってゆっくりと移動するのが見えた。この奇跡の正体を暴こうとする司祭が一部始終を目撃していた。「あれは天国の乗り物で、聖母を玉座から、この禁断の荒野へ運んできたのだ」と語った。以来、このタマゴ型の球体は「聖母の乗り物」と称されることになった。
6回目の出現(10月13日) 奇跡最後の日となるこの日、噂を聞いてヨーロッパ全土から集まった群衆は7万人とも10万にともいわれる。その中にはヨーロッパの主要な国の新聞記者、科学者の顔もあった。そして、聖母が約束したとおり、驚くべき奇跡が起こったのである。この日は早朝から雨が降り続き、コーワ・ダ・イリアは泥沼と化していた。正午ぴったり、ルチアが叫んだ。「あのお方がいらっしゃいました・・・」 群集が見守る中、白い雲が3人のこどもたちを包むように沸き起こり、地上5-6メートルの高さまで上がって消えた。それは3回繰り返された。貴婦人とルチアとの対話が始まったが、群集には聖母の姿は見えず、その声も聞こえなかった。ただ閃光のきらめきや、奇妙な甘すっぱい芳香が周囲に漂い、こどもたちの顔が変化するのを目にしただけだ。すると突然、ルチアが叫んだ。「見て! 太陽を見て!」・・・黒い雲に覆われていた空が大きく割れて、そこから青空が現れ、太陽が姿を見せたのだ。突然現れた太陽は、奇妙な動きを見せた。ぶるっと身震いしたかと思うと、火車(かしゃ)のように回転し、四方八方へあらゆる色の光線を振りまいた。樹木も岩肌も群集も虹色に包まれ、一帯は幻想的な世界と化していった。太陽は回転を停止すると、水平に移動、また元の位置に戻ると回転を始める。2度の小休止をはさんで3度目の太陽の色彩放射は一番激しいものだった。・・・そして突然、目もくらむような太陽の急降下がはじまり、ジグザグに落下してくる太陽を見て、群集は凄まじい叫び声をあげた。
・・・群集がパニックに陥り焼き殺されると感じた瞬間、突然太陽は落下を中止し、ジグザグと上昇しもとの位置に戻ったのである。この大スペクタクルが繰り広げられた時間は10分間であった。群集は、今起きたことが信じられないという表情で放心状態であった。
コインブラ大学教授、アルメイダ・ガレッタ博士の証言:「私は土砂降りの雨の中で、ずぶ濡れになってしまった。雨が止むと、きらめく太陽のようなものが、厚く覆っていた雲の層を突き抜けて出現した。群集の目はいっせいにその方向へ向けられ、私もそれを見た。輝いているが目がくらむほどのものではなく、輪郭が明瞭な円盤状の物体だった。外観は良質の真珠のような、鋭く変化のある透明のようなものだった。。鈍い銀色の灰皿みたいという周囲の声が聞こえたが、その形容は正確ではない。それは夜空の月にも似ず、それ自体の色も影もない。むしろ銀色の貝殻を削り取って磨き上げた車輪といった方がよい。誰も霧を通して見る太陽とは混同しないだろう。円盤の周囲は少しもぼやけず、中心部もはっきりと輝いていた。たえず変化しながら輝く物体は、目まぐるしく運動し、それ自体が驚くほど急速に回転していた。」(太陽が2つ現れた丘より)
この奇跡はファティマから遠く離れた地域でも大勢の人に目撃されている。当時の有名な詩人A・ビエラは、ファティマから40キロ離れた自宅から見た光景を次のように話している。「私は驚いた。空中のスペクタクルに魅せられた。まったく聞いたこともない現象なので、びっくり仰天した。このバルコニーから見たんだ」 この太陽のような円盤は、少なくともファティマを中心に半径40キロの範囲で目撃されたことになる。すると500メートル以上の高空に出現した、直径1キロぐらいの巨大な円盤状の物体だったことになる。
このファティマの現象について、英王立天文協会のH・ジョーンズ博士は、次のような声明を発表した。「ファティマの現象に関して、その日に天文学上の記録は何もない。宇宙に異常な現象は何も記録されていない」と。
第3の予言はローマ法王の暗殺未遂事件だった(抜粋)?
2000年5月17日20:31
【ローマ17日=西田和也】ローマ法王庁はこのほど、六十年近く封印してきた「ファティマの聖母の予言」をめぐる最後の秘密について、一九八一年に起きた法王ヨハネ・パウロ二世(79)の暗殺未遂事件を暗示する内容だったことを初めて明らかにした。
「世界の終末の黙示」などと様々な憶測を呼び、ミステリー作品の題材にもなった秘密の公表は、欧米キリスト教社会で大きな反響を呼んでいる。
この秘密は、一九一七年にポルトガル中部ファティマで、牧童らの前に姿を現した聖母マリアが幻影で示したとされる三つの予言の一つ。うち二つの内容は<1>続行中の第一次大戦の戦禍に類似した「地獄」の明示<2>共産主義の台頭と第二次大戦の勃発―などと伝えられてきたが、残る第三の予言については、一切、伏せられてきた。
ファティマで十三日行われた法王による列福式典で法王庁のソダノ国務長官は、この秘密が「白装束の司教が十字架に向かう歩みの途中で銃弾に倒れ、死んだように見えた」幻影だったと発表。バチカンのサンピエトロ広場でトルコ人男性に銃撃され、法王が瀕死の重傷を負った事件の暗示だった、との解釈を示した。
第三の予言は、聖母出現に立ち会った牧童の一人で今も存命の修道女によって文書化され、封筒に納められた状態で四三年にバチカンに渡った。以後、現法王を含む五人の歴代法王が秘匿してきたため、開示を拒む理由や内容をめぐる論争が絶えなかった。
法王は、「聖母のメッセージを正しく伝える」として公表に踏み切ったが、全容に関しては「適切な解釈」を用意してから開示するという。
公表を受け、法王庁のおひざ元のイタリアなどでは聖母の予言に改めて関心が集まっている。「(今回の公表まで)暗殺未遂事件後二十年近く要したのはなぜか」「未公表部分にはキリスト教会に都合の悪い内容が含まれているのでは」などと新たな疑問や憶測も生まれている。
一方、法王狙撃実行犯でイタリア国内で服役中のトルコ人男性(終身刑)は公表後、「私に銃を握らせたのは悪魔の仕業だ」と語っているという。
(5月17日20:31)
韋駄天に親切で語学堪能な方が投稿した「第三の秘密」の翻訳文。
2000.06.27 Web posted at: 6:00 AM JST (2100 GMT)
バチカン(AP)
1917年に聖母マリアがポルトガルのファティマに現れ、3人の羊飼いに託したという「ファティマの予言」のうち、長い間謎に包まれていた第三の予言について、バチカンは26日、1981年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に対する狙撃事件を予言していたと正式に発表した。第三の予言をめぐっては、「世界の終焉」が予言されているのではと、世界中で憶測を呼んでいた。
会見したのは、ローマ法王の側近であるジョセフ・ラッチンガー枢機卿。同枢機卿は、聖母マリアから直接予言を受けたという最後の生存者、ルチア修道女(93)によって書かれた予言の複写など、予言にまつわる資料なども公表した。
ルチア修道女の記した文書によると、第三の予言のお告げの際、「炎を放つ剣を持った天使」が降り立つの見たという。続いて、法王のような白い法衣をまとった司教が半分廃墟と化した大都市を、道中に横たわるしかばねの魂に祈りを捧げながら、死の悲しみと痛みに苦しみ、震えながら進んでいる姿を見たという。
そして司教が山の頂上に達し、十字架にひざま付き祈りを捧げていると、兵隊の一群が銃弾や矢で法王を殺害し、他の司教、司祭、尼などが次々に死んでいき、天使が、殉教者から血を集め、神に会いに行こうとしている魂にふりかけたという。
文書の中でルチア修道女は、「第三の予言は、キリスト教とキリスト教徒に対する、無神論を唱える共産主義の迫害と、それをめぐる戦いであり、20世紀における犠牲者の苦しみを予言したものだ」と主張している。
「信仰は軍隊より強い」
ルチア修道女はまた、「白い法衣をまとった司教」がローマ法王を意味するものだと確信していると述べ、1981年5月13日に、法王がサンピエトロ広場でテロリストに狙撃された事件を予言したものだと説明している。また同時期、法王の故国のポーランドではまさに、共産主義が崩壊しつつある時期であることも指摘している。
法王は狙撃された直後、聖母マリアが弾丸をそらせてくれたおかげで、命が救われたと語っていた。ラッチンガー枢機卿は「不変の運命などない。信仰と祈りは歴史に影響を与えうる。最後には、祈りは弾丸より強く、信仰は軍隊より強いということだ」と述べた。
「世界の終焉を予言」のうわさも
バチカンは第三の予言について、長い間沈黙を保ってきたが、今年5月13日、法王がファティマの聖母マリアの聖堂を訪れたのを機に、第三の予言が、1981年に起きた法王への銃撃事件を予言していたとことを明らかにした。
ファティマの予言のうち、第一の予言は、第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦のぼっ発を、第二の予言は、旧ソ連の樹立と滅亡を予言していたと既に発表されている。しかし、バチカンは第三の予言を長い間、公表せず、世界中でさまざまな憶測が飛び交った。第三の予言が「世界の終焉」を予言する恐ろしい内容のため、バチカンが公開しないのではという噂も広まっていた。
しかし、「白い法衣をまとった司教」というのが法王ではなく、1980年に暗殺されたエルサルバドルのオスカー・ロメロ大司教のことではないのかと指摘する声もある。
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ファティマの事件の起きた コバ・ダ・イリア
Cova da Iria

先になくなった、ジャシンタとサンフランシスコ
フランシスコとジャシンタの正家
ルチア
ルチアの正家
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ルチア、フランシスコ、ヤシンタの3人
Jacinta、Lucia and Francisco.
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ルチア、フランシスコ、ヤシンタの3人
Jacinta、Lucia and
Francisco.





ルチア、フランシスコ、ヤシンタの3人 | 1917年10月13日、ポルトガルのファティマの6回目の最後の出現のために集合した約70,000の目撃者は、彼等が太陽のダンスと表現したものを見た。雨降りの昼下がり、雲が四散を始め、放たれ、回転し、飛びまわる太陽は目撃者の濡れた衣服が乾くほど接近してきた。 On October 13, 1917, about 70.000 eyewitnesses, congregated during the last of the six apparitions of Our Lady in Fatima, Portugal, saw what they described as "the dance of the sun". On a rainy midday, the clouds started to burst, releasing the whirling and rotating sun which, as it appeared, came so close that the wet clothes of the witnesses dried. | ||
| ファティマのUFO 43.4KB 中画像 ![]() ファティマのUFO 27.2KB 小画像 ![]() 9.1KB 小l 12KB 小 |
1951年11月18日、バチカン新聞”LエOsservatore
Romano”は1917年に記者によって撮られた2枚の写真を公表した。新聞によると、我々が再版し、厳密に真正とされる2枚の写真は、その極度に早い回転と、それ自身がほとんど水平線の近くの位置のため黒いスポット(点)に見える、写真が撮られたのが昼間の12:30であったことから太陽ならばあり得ない位置である。 | |
1917年10月13日、午前の雨の中、続々と集まる群集:
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1917年10月13日、激しい雨の中、出現の場所に集まった群集の様子
October 13, 1917: View on the
masses congregated at the apparition site in pouring
rain.
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雨が止み、出現が始まった、ある人は祈りのためひざまついた
The rain stops, the apparition begins. Some
people kneel down in devotion.
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70,000人が目撃した太陽の奇跡のポルトガル新聞社O.Seculo撮影の真正の写真
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Seventy thousands observe the
Miracle of the Sun - authentic photos taken by the portugese newspaper "O
Seculo"
驚く群集
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出現後、祈る3人
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警察官に抱かれるヤシンタ
ファティマの奇跡の記念アーチ
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ファティマの奇跡の
記念アーチの下の3人
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フランシスコ&ヤシンタ・マニュエル・マルトの母親と父親
The mother and father of
Francisco and Jacinta. Manuel Marto and Olympia de
Jesus

コバ・ダ・イリアにてルチア、フランシスコ、ヤシンタ 1917年10月26日撮影
Lucia,
Francisco and Jacinta at the Cova da Iria. Photograph taken on October 26,
1917.

フランシスコの遺体のバシリカへの移動 1952年3月13日撮影
The translation of
the mortal remains of Francisco from the cemetery in Fatima to the Basilica.
Photograph taken on March 13, 1952
ヤシンタ


最初のヤシンタの遺体の発掘 1935年9月12日撮影
The first exhumation of
the mortal remains of Jacinta. Photograph taken on September 12,
1935

1935年9月12日、オウレンのヴィラ・ノヴァの共同墓地から、ヤシンタの遺体をファティマの墓地に移すために、
棺を開くと、遺体は、ルルドの聖ベルナデッタのようにまったく腐敗していなかった

ファティマのバシリカにある神聖なヤシンタのお墓
The grave of Blessed
Jacinta in the Basilica at Fatima
37KB 小画像 現在のファティマ大聖堂
聖母のお告げにより建てられた現在のファティマ大聖堂
ファティマの祝日には150万人以上の信者が広場を埋め尽くす。
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Lucia 50 years after
the Fatima apparitions.
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2月13日の死は偶然ではない!
13日はファティマの事件が起きた日であり、密接に関係している。
シスター・ルチア(カトリック修道女)は、 コインブラで過去3カ月病気であり、2005年2月13日、日曜日にコインブラのカルメル会修道院で死亡した、とTSFラジオは報告した。97歳だった。ルチアの遺骸は火曜日に修道院で埋葬され、一年以内に近くの都市ファティマに移される予定である。ペドロ・サンタナ・ロペス首相は2月15日火曜日を国家的服喪の日とすると宣言し、「シスター・ルシアは近代ポルトガル史における偉大な人物です」とTSFラジオで発言した。
列福され、聖人となるでしょう。
Lucia de Jesus dos Santos, the last of three children who saw the Virgin at
Fatima and who revealed a vision the Catholic Church said foretold the attempt
to kill Pope John Paul, died on Sunday, the Church said.

カリスマ的なローマ教皇(26年間世界の10億人のカトリック教徒を導いた)は彼の個人
のアパートで2005年4月2日土曜日の午後9時37分(東部標準時午後2時37分)に亡くなったとバチカン市国は伝えた。
84歳だった。
The charismatic pontiff, who led the world's 1 billion Catholics for 26
years, died at 9:37 p.m. Saturday (2:37 p.m. ET) Apr.2 2005 in his
private apartment, the Vatican said. He was 84.
バチカン上空に現れたUFO!?

2005年4月7日木曜日の夕刻、バチカンのサンピエトロ大聖堂で撮影されたこのビデオは、
画面上の左上部を横切って移動する物体を映している。
このビデオは、そこでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死亡し横たわっていた、ローマ時間
6時ごろ撮影された。彼の葬儀は4月8日金曜日に行われた。
画像は、CBSネットワークカメラがとらえたもので、スクリーンの中央部上方から左方向へ、
白いオブジェクトが急速に対角線の軌道を描き通過したことを示していた。
Video taken Thursday evening of St. Peter's Basilica in Vatican City shows an object moving across the upper left portion of the screen. The video was shot at around 6:00 am Roman time as Pope John Paul II lay in state. His funeral was held Friday.
The shot was taken from a CBS network feed camera and shows a white object passing quickly on a diagonal trajectory from the upper middle part of the screen to the left.
(注意)列福式とは、聖人(「イエス・キリストを模範として生き、従い、生涯を神に委ね、神の
意思に従って生きた」とカトリック教会が特に認めた人)の前段階である
「福者」の称号をカトリック教会が授けるセレモニー
ほかのふたりの子どもたち、ドス・サントスのいとこヤシンタとフランシスコ・マルトは、
それぞれ1919年と1920年に亡くなった。ふたりは列福され、2000年には聖人となった。
第3の予言はローマ法王の暗殺未遂事件
http://www.makani.to/cult/news2000/yo0517-2.html
http://www.asyura.com/sora/bd7/msg/1071.html
http://www.asyura.com/sora/bd6/msg/798.html
http://www.asahi-net.or.jp/~IT8K-ITD/portugal/15.html
全般参考資料 詳しい
http://kubota.cside.com/articles12.htm
http://kubota.cside.com/articles13.htm
(AP) Sister Lucia Marto, the last of three children who claimed to have seen the Virgin Mary in a series of 1917 apparitions in the town of Fatima, has died, Portuguese media reported. She was 97.
Sister Lucia, a Roman Catholic nun, had been ill for the past three months and died Sunday at the Convent of Carmelitas in Coimbra, 120 miles north of Lisbon, TSF radio reported, citing family sources.