今日は中国の端午節。
日本で「端午の節句」と言えば5月5日のこどもの日であるが、中国では少し違う。
中国の端午節は、旧暦の5月5日。なので毎年、5月の末くらいになる。
端午節は祝日ではないために、学校も会社も休みにはならない。
河の近くの部落では「ドラゴンボートレース」が行われる。
「ドラゴンボートレース」以外に何が有名かと言うと、中国の殆どの人が「粽子(ゾンズ)」を食べると言うことだ。
「粽子(ゾンズ)」とは、いわゆる「中華ちまき」。日本で見かける「中華ちまき」は、中国ではもともと端午節に食べる物なのだ。
中国の「粽子(ゾンズ)」はいろんな味があるのだが、日本の「中華ちまき」とは味が違う物が多い。 代表的な「粽子(ゾンズ)」は、もち米が甘くて中に「棗(なつめ)」が入っている。他に、もち米の中に小豆(お赤飯のような感じだがやはり甘い)、それに日本の味と少し似ている豚肉の入ったもの・・・などなど、バラエティー豊かである。
昔は殆どの家庭が「粽子(ゾンズ)」を作ったそうだが、今はスーパーなどで簡単に手に入るために、作る世帯が少なくなってきてるようだ。
きょうたんは、幼稚園で「粽子(ゾンズ)」を作って持って帰ってきた。

実は私、、、きょうたんの持って帰ってきた「粽子(ゾンズ)」だけでなく、どんな「粽子(ゾンズ)」もあまり好きではないのだ…。その理由が「棗(なつめ)」。 私は干した「棗(なつめ)」が好きではない。棗は体や皮膚にとても良いといわれ、日本でも高価な健康食品として売られている…。私は、棗を食べた後の鼻につく匂いがどうも苦手なのだ…。
「粽子(ゾンズ)」を食べると必ずと言っていいほど、「棗(なつめ)」が出てくるために、「粽子(ゾンズ)」が好きではなくなってしまった…。 「好き嫌いが無い」ということに誇りを持っているので、食べれないものがあるととても悔しい気分である…。どうにか好きにならないものだろうか・・・。
やっぱり「棗(なつめ)」が・・・(笑)
最後に、、、
端午節の由来をご紹介しよう。
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時は、今から2000年以上も昔の戦国時代にさかのぼる。楚という国に屈原(ジュユエン)という人がいた。彼は大変有能な人で、また大変な愛国者でもあった。社会が大きく変化しようとしていたこの時代に彼は国を想い、さまざまな革新的な提案を重ねていくのだが、いつの時代にもそれをよく思わない人物というのは存在するものである…。楚の王はそれらの者の言葉をうのみにしてしまい、屈原を楚から追放してしまった。
屈原は悲しみと憂いの中、彼の心の中の愛国心にかきたてられていくつもの詩を詠む。しかし楚は戦いに破れ、滅びるのは時間の問題となってしまった。そしてとうとう屈原はそのすべての想いを道連れにして、端午の日に河へ身を投げてしまったのであった。そのことを知った楚の人々が河へ集まり舟を出し、彼の遺体を探すのだが、見つけることはできなかった。そこで、せめて彼の遺体が魚やエビに食べられてしまわないようにと祈り、竹の筒に米を入れたものを河へ投げ入れた…。
だが、この米を河に住む龍に盗まれてしまうので、龍の嫌うにおいのする葉でこれをくるみ、邪気を祓うと言われている五行を表す五色の糸でくくるようになったのが、今のちまきの始まりだと言われている。ちなみにこの時の、遺体を舟で捜索したことが、ドラゴンボートレースの始まりだとも言われている。
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私の故郷、京都では、5月5日の端午の節句には「ちまき」と「かしわもち」を食べる。
「ちまき」といっても、「中華ちまき」とはまったく違い、上新粉から作ったお餅を笹の葉でくるんだもので、完全なる「和菓子」である。
実は、「ちまき」を食べるというこの習慣は、関西にしかないようである。 古来中国の「端午節」がどのようにして日本に伝わり、またそれがどのようにして「郷土色」のあるものに変わっていったのか、とても興味深いところである。
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