「今日のごはん」
(2006・9〜2007・3まで)

一気にupしています!
北京での食事の様子をどうぞご覧ください。
ちょっと、怖いものもありますので(笑)
お楽しみに〜♪

「お弁当」の様子もこちらからどうぞ!


私は「これ」で一人前のな中国人になりました(笑)
〜中国のリサイクル〜
2006・3・27
よくあることだが、私は今日も「一般中国人」に見間違えられた(笑)。
自転車に乗って市場に行き、その帰りに我が家のある住宅地に入ろうとしたとき、門に立っているガードマンに呼び止められた。
「君!君!ここの中は自転車で通り抜けはできないぞ!中には入るな!」と叫ばれた。
はは〜ん、また一般中国人に間違われているな、、、と察して(笑)冷静にこう言った、
「私はここの住人なのだけど」。
ガードマンは、「住んでるんか? じゃ、行ってよし」と答えた(笑)。
以前住んでいたマンションは、国際マンションでお金持ちの中国人、外国人ばかりで、お買い物はお手伝いさんに行かせる様な住人が多かったから、「普通」の生活をしている私のことをお手伝いさんと思い込むガードマンや住人は多かった(笑)。これは住んでいる場所から考えると仕方がないように思うが、今は、以前のマンションよりも質が下がっているし、お手伝いさんがいない世帯だってあるわけで・・・、そんな環境でも、お手伝いさんやこの住宅地にも住めないような中国人に間違われるってどういうこと〜(笑)? 

いやいや、そうなるのにはやはり原因があるのだろう…。
生活も中国人レベルだし(笑)、思想や雰囲気も中国人のようになりつつあると自分でも思う。
最近私がはじめた事は、廃品集め。 詳しくは2006年10月15日の日記を読んでもらったら分かるが、中国人の中には、ペットボトルを集めて回収業者に売っている人がとても多い。家庭内で出た廃品以外にも、退職者のおばさんなど時間のある人たちは、公園や駅でまるで「仕事」をするようにペットボトルを拾ってお金に換えている。 極端な例を挙げると、まだ飲み終えていないペットボトルを持っている人を「ペットボトルちょうだい」と言いながら尾行したり、ゴミ箱を漁ったりすることも少なくない。私の中国人の友人はこういう人たちのことを「専門家」と呼んでいる(笑)。
我が家の隣人もその「専門家」の一人で(笑)、私が出したゴミ袋を漁ってはペットボトルを自分のものにしていた(笑)。 ゴミを漁られるのが嫌なので、私はペットボトルや瓶など回収できるものはわざわざ隣人の扉の前にそ〜っと置いてあげていた(笑)。

だけどそのうちに、なんだか馬鹿らしくなってきた私・・・。
こんなのだったら、私も回収業者に取りに来てもらおうと思い、廃品を集め始めた。
私の中国人の友人に聞くと、彼女もやはり回収業者に廃品を換金してもらっていて、馬鹿にできない金額になると言っていた。
2〜3ヶ月前、廃品がそこそこ集まったころ、家の前の廊下で隣人のおばちゃんの大きな声が聞こえてきた。何事かと思ったら、廃品回収のおじさんが来ていて、換金の値段についてもめていた(笑)。隣のおばちゃんは「なんで、こんなに安いのか?もっと高く換金しろ!」と必死だった(笑)。
どさくさに紛れて、私も集めていた廃品をその業者に渡した。子どもたちと一緒に私に行き、子どもたちは「1元(15円)」を手にして大喜びしていた(笑)。中国のアイスクリームなら1元で買えるから、確かに捨てるよりも回収した方がお得である(笑)。

それから一月ほど、私は再度廃品を集めた。一応弁解しておくと、自宅から出た廃品を集めただけで、決して公園や駅まで出稼ぎには行っていない!!(笑)。

今日は、これだけの廃品を業者に取りに来てもらった。(電話をかけてきてもらう)

これだけで、5元!!
ワインの瓶や、油が入っている大きなペットボトルは高く換金できる。
(古着やダンボールなども換金できる。)
ただ、彼らの計算の仕方はすご〜く曖昧。 500mlのペットボトルは10本で1元(約15円)とか、あと瓶などは重さで換金するということは聞いたことがあるが、今日来た廃品業者は適当〜に数えて「5元!」と一声(笑)。 おそらく、通常よりは安く見積もられているに違いない(笑)。 ま、これはまた今後の課題としよう(笑)。

廃品回収を依頼するようになるのだから、私もこれで一人前の中国人になった!!(笑)。

冗談は別として、、、リサイクルは地球環境にとっては本当に大切なことだ。中国も将来は今の日本のように行政がリサイクルの管理をすることになっているらしい。今は、行政がまったく管理していないので、一般的市民の業者が管理し、金銭的なトラブルも多いという。 だが、、、行政がリサイクルを管理するようになったら、公園でペットボトルを拾って稼いでいる「専門家」の老人たちは、今までと変わらずにペットボトルを拾うだろうか…?彼らは地球環境という概念はあまり無く、自分たちの生活のために「仕事」としてペットボトルを拾っている。だから、今の日本の様に有志で(無償で)リサイクルを行わないような気がする(笑)。 中国の今後のリサイクルがどのように移り変わっていくか、とても興味深いところだ。



航空博物館の何がいけないのか?
2006・3・20
先日、きょうたんは月に一度の「園外活動」で北京市郊外にある「航空博物館」に行った。きょうたんの幼稚園は季節の良いときだと、月に一度はこういった「小遠足」があるので、私はこの幼稚園に非常に感謝している。北京にある日本の幼稚園なら遠足は年間に2回で、そのときは必ず保護者同伴だ。 親と行く遠足ももちろん楽しいだろうが、先生とお友達だけで行く遠足はまた違った楽しみがあるに違いない。

航空博物館に行って家に帰っていたきょうたんは大喜びだった! 「いろんな飛行機があったよ! 」といろんな飛行機の話をしてくれた。
次の日に幼稚園に行って、その日に「空き箱を使って飛行機を作りましょう」という宿題をもらって帰ってきた。 午後6時に帰ってきて、午後9時半には寝ないといけないのに、こんな「夏休みレベル」の宿題が出るなんて、さすが中国だな〜〜、ハハハ〜!と笑いながら、きょうたんと「にいに」と私と3人でワイワイと飛行機作りをはじめた。 もっと手抜きでもよかったのだが、3人意気投合して結構な大作を作り上げた。
園側が航空博物館に行った目的は、「交通手段」の一つとして飛行機があるということを子供達に教えるためだった。 そして、各家庭で飛行機を作りながら飛行機について話す機会を設けるということも目的の一つだったと考えられる。 
数時間で、夏休みの宿題レベルの工作を強制されて(笑)、私自身いささか苦痛を感じてはいたが(笑)、でも子どもたちと楽しく一つのものを作ることができ、とてもよい機会だったと思った。

が、しかし、、、
後日、そういう風に感じていない保護者が存在することを知った。
航空博物館に行った数日後、幼稚園で日本人保護者だけの保護者会があり、そういう考えを持っている保護者を目の当たりにした…。

きょうたんの通う幼稚園はもともと中国の幼稚園だから、私たち日本人は「外から受け入れてもらっている側」であり、園がこういう日本人保護者だけの保護者会を設けてくれているというだけで、私はその園に対して好感をもっている。 中国のマイナス面を言ってしまうことになるが、中国人がそういう姿勢をもってくれるケースは本当に少ない。幼稚園だけのことに限らず、中国で生活をしていると、こちらから要望を言わなければ、中国人がわざわざ向こうから気を利かせて何かを聞いてくれるということはほとんど無い(笑)。 だから私はこの幼稚園の「姿勢」はとても斬新的だと感じている。
だが、そういう風に思っている日本人保護者はあまりいない、ということをその保護者会で理解できた。
園側は「何か要求や意見があれば何でもおっしゃってください」とすごく低い姿勢だった。しかし、日本人保護者はすごい勢いで自分の意見を発表していった・・・。彼らが要求したことは・・・

・ 伝染性の病気(インフルエンザなど)が流行ったらプリントで知らせてください
・ 先生が辞めるときは、お別れ会などを開いて子どもたちにも「けじめ」をつけてください
・日本語を話す時間をもっと増やしてください
・勉強させる時間を減らし、自由時間を増やしてください

・・・などとこんな要求をされていた。 

おそらく、日本に住んでいて、子どもを日本の幼稚園に通わせているのなら、彼らの要求は妥当で誰も反対する人はいないだろう・・・。
だけど、ちょっと待って・・・・、ここは中国、私たちの子どもが通っているのは日本の幼稚園ではなく「中国の幼稚園」だ。
中国の幼稚園では、日本の幼稚園のように、プリントでのお知らせなんて最小限度だし、先生の突然の辞職に対して園側も保護者側もいちいち関与なんてしない(笑)。
それに、もっと日本語を話す時間を増やして欲しいと望むのなら、どうして中国の幼稚園に入れようとしたのだろう? 中国の幼稚園は必ず「勉強」の時間があるのに、それを知らずに中国の幼稚園に入れたのだろうか…? 
「郷に入れば郷に従え」 ということは一般的だと思うが、彼らの要求は、「他の郷に入ったら、自分の郷に従わせろ!」ではないだろうか…(笑)。
なぜ彼らは自分の子どもを中国の幼稚園に入れたのか、私は不思議でたまらない…。

話がかなりそれてしまったが、、、
その保護者会の中で、航空博物館についての批判を述べていた人がいた。
「なぜ、航空博物館に子どもを連れて行ったのか不思議です。 子どもが家に帰ってきて、戦闘機を見た、と言っていましたし、中国は昔アメリカと戦争した、という話もして、私はすごく驚きました」 という発言だった・・・。
園が「航空博物館」に子どもを連れて行った理由は先に述べたとおりで、それについての案内プリントも事前にもらっている。
だがその保護者は、戦争に関係がある場所に子どもを連れて行かれたことに関して不信感を抱いていたのだ…。

私は聞きたい。
どうして戦闘機を見るのが悪いのか? どうして過去の戦争の話を子どもにしたらいけないのか? 
むしろそれよりも、子どもがたとえ5歳くらいでも、過去に起きた戦争のことを隠さずに話して、何がいけなかったのか、これからはどうしていったらいいのか、ということを子どもにしっかりと伝えなければならないと思う。

以前、私の中国人の友人のご主人が話していたことを思い出した。
彼は中国人だが、日本に20年以上住んだことがあり、そして彼の大学のときの専門は「国際政治」だ。 彼は私に言ってくれた。「国の軍事に関してオープンにしないのは世界で日本くらいだ。中国人の中には今でも日本を軍国主義だと信じこんでいる人は多いが、日本は国が軍事をオープンにしないし、それに国民も軍事に興味がない。日本は平和すぎて軍事は「ひとごと」だと思っている人が多い。もしなにかあったときに興味を持ち始めても遅い。国を守る、という意味では国民は軍事に関して興味をもたなければいけない」と、そう言ってくれた。 彼の言う通り、「軍事=戦争」というマイナスなことではなくて、国を守ることも軍事なのだ…。

中国で生活をしていると過去の戦争のことについてナーバスになってしまうケースも多いかもしれないが、でも避けたり、隠したりすることは一番いけないことだと思う。小さな子供達に対しての戦争教育も絶対に避けてはいけないと思う。 「にいに」やきょうたんの世代の子どもたちが大人になったときも、戦争が起こらないように、しっかりとした知識を小さいころから持たせなければならないと思う。同時に、島国で狭い日本の考えだけを持たずに、人種の数だけの「思想」があるということを理解し、広い視野を持ってお互いに歩み寄っていかなければならない、ということを理解してほしいと思う。子供達に理解してもらうためには、今の私たち大人が、子どもたちの前で違う国の思想に歩み寄る姿勢を保っていかなければならないと、私はそう考える。

これが、大作?飛行機(笑)
プロペラもまわっちゃいます!
翼についている国旗はきょうたんが自ら描いた「中国」の国旗です(笑)。


あっ!きょうたん、またパッチ姿だ〜(笑)!


ひさびさにダウン
2006・3・17
めずらし〜く、私はダウンしていた。
2月の引越しの疲れがたまっていたのと、「にいに」の学校探しで気疲れしていたのか、突然胃の調子が悪くなり・・・まる3日間は寝込んでしまった…。
数日間、アイソトニック飲料だけで何も食べれず、、、その後数日間は体がフラフラしてちょっと大変だった。 やはり食事をきっちりしないと、肉体的にも精神的にも駄目だと改めて実感させられた。 一週間ほどでよくやく復活した。

話は変わり、、、
きょうたんは、冬の間、「パッチ」をはいている(笑)。
私は、基本的に子どもには「冬は薄着!」と今までは張り切って取り組んできていたが、北京に来てからこの考えは少し変わった。 なぜなら、日本とは湿度が違いすぎているから。乾燥した冬の寒さは、やはり病気になりやすい。子どもにはある程度は保温を保ってやらなければならない。 
だからと言って、中国人の様に、「うすいパッチ→厚いパッチ→毛糸のパッチ→ズボン(→強烈な場合はズボンもう一枚)」 こんな着せ方は絶対にしない!!(笑) 冬場、中国の子どもたちは服でコロコロだ(笑)。

きょうたんが「パッチ」をはいている第一の理由は、幼稚園の「お昼寝」にある。
日本の保育所のように「パジャマ持参」なんて貴族社会じゃない(笑)。
「お昼寝」は下着で寝る。 夏場はシャツとパンツ、冬はパッチと長袖シャツがベーシックスタイルだ!
だから、もし冬にパッチをはいて行かなければ、きょうたんはシャツ&パンツ一丁で寝なければならない…。 これはちょっと心配。 だから、きょうたんは冬場は「パッチ」をはかせなければならないのだ。

先日きょうたんに本を読んでやっているときに、本の内容の流れで「冬に着る服はどんなものがある?」という質問をしたところ、、、
彼が即答したのが「パッチ!」 (笑)。 

ちなみに、きょうたんの冬着は、、、
上半身: ランニングシャツ→長袖シャツ(お昼寝のことを考えてブラウス(ポロシャツ)の代わりに長袖シャツを着せてます)→トレーナ
下半身: パッチ→ズボン

幼稚園の先生曰く、、、これですご〜く薄着のようだ(笑)

これが、きょうたんのパッチ姿。
お目覚め直後に無理やりピースでハイポーズ(笑)。



「にいに」の春休み
〜ローカル学校の国際部とは…〜
2006・3・15
「にいに」の学校は、約1ヶ月の春休みに入った。
本当ならこの時期に日本にゆっくりと帰るのがちょうどいいのだが、私は基本的に夏に帰国するので、春休みは中国でしかできない体験を子どもにさせてやりたいと思い、こちらで生活をしている。

去年の春休みの一ヶ月間は、「にいに」は私と一緒に中国語の語学学校に通った。とても楽しかったようで、一度も嫌がらずに自ら進んで通っていた。
今年の春休みに入る前、私は「にいに」の春休みをどうするかいろいろ考えた。去年と同じように語学学校に通わせることはもちろんいいことなのだが、もっとさせてやりたいことがあった。

それは、ローカル学校に体験入学をすること。
きょうたんはローカル幼稚園に通っているが、「にいに」をローカル学校に行かせるには年齢的に遅すぎた。中国語のレベルが低い上に、授業の内容が難しくなるので、不可能に近いものがあった。それに、高校受験のことも考えなければならなかった…。
でも、「にいに」本人は、弟がローカル幼稚園でみるみるうちに中国語がうまくなっていくことを羨ましいと感じているし、時には「嫉妬」として表現することも少なくない。だから、私は「にいに」にもローカル学校に少しでも通わせてやりたいという気持ちがあった。
正式にローカル学校に編入ということは不可能だが、短期で体験入学というものなら可能であると思った。
実は、日本人学校では、日本国籍でインターナショナルスクールに通っている子どもたちを短期で「体験入学」として受け入れている。日ごろは英語の授業を受け、英語でお友達同士のコミュニケーションをしている日本の子供達にとっては、日本人学校に少しでも通えることはとてもよい経験になる。
だから、私はこの「反対」のケースを考えて、日本人を短期で受け入れてくれる中国のローカル学校を探していた。
日本人学校に通っているほとんどの日本人の子どもたちは、日々「中国語」を使う機会は非常に少ない。日本人コミュニティー(日本人専用マンション)で暮らしていると中国語なんて使わなくても生活できるから…。その点、我が家は日本人コミュニティーで暮らしていないので、親も子も「中国語」を使わないと生きていけないことが多い。でも、年頃の「にいに」は自ら進んで中国語を話そうとしなくなってきた…。だから、同じ年頃の子どもたちがいる「学校」に通えば、少しでも中国語を使う機会が増えるだろうと私は考えた。それ以外に、せっかく中国にいるのに、現地の学校がどのような様子なのか知らない、というのももったいないと思ったし、どのような様子か知ることで今後の人生を考えるチャンスにもなるだろうと思った。

私はインターネットを使って短期で受け入れてくれる学校を探した。
中国人の学生は普通「国内部」に籍を置いて通学している。以前は、どの学校も「国内部」しかなかったのだが、ここ数年で「国際部」を設け、外国人を受け入れている学校がすごく増えている。 「国内部」と「国際部」はまったく内容が違う。「国内部」は、いわゆる中国の厳しい教育が行われているところで、子どもたちは勉強第一で過ごしている。 しかし「国際部」は、「国内部」とは正反対で生徒たちはあまり勉強をしない。「国際部」はいわば学校が資金を集める手段の一つで、学費は外国人仕様でものすごく高い。「国内部」の10倍ほどする。 そして「国際部」の生徒は、どの学校も8〜9割が韓国人だ。韓国で大学受験をするときに、「帰国子女」というのが点数に加算されるらしい。だから、子ども一人を中国の学校の「国際部」に入れる韓国人は非常に多い(宿舎があるので子ども一人で中国に来させることは可能なのだ)。

「にいに」は年齢的にも「国内部」にはとうてい入れない。「国内部」で勉強できるような中国語能力はまったくない。だから、とにかく「国際部」で受け入れてくれる学校を探したのだが、「短期」で受け入れるという学校は、結局1校しか見つからなかった。

幸いにも、その学校は、きょうたんが通っている幼稚園の隣にあり、家からバスで30分ほど。学校側と連絡を取り、「にいに」も連れて直接学校に出向いて相談をしに行った。

電話では「受け入れは、学費さえ払えばOK」と担当の先生が言っていたが、結局、喜んで受け入れてくれるというわけではなかった。 もともと「短期受け入れ」なんて設けていなくて、特別にしてもらうわけだから、先生たちにとっても中国語のレベルが低い生徒を受け入れることは「面倒」なわけで、、、「教科書を揃えるのに二週間以上かかる。教科書なしで勉強するのか?」と言われたり、「二週間だけ通っても何の成果も得られない」などと、事実上受け入れは無理だという態度を示されてしまった。
もともと「にいに」は、この私の提案には乗る気だったのだが、この先生の対応を見て、だんだん行きたくない気分になってしまっていた。挙句の果てに、「国際部」の授業は中国語がほとんどだと思っていたのだが、実際は、中国語は1日に1時間あるかないかで、そのほかの教科の方が多いということが分かり(もちろん、中国語で授業を受ける)、「にいに」はそれが嫌だと言い出し・・・結局、この案は諦めることになってしまった…。 
私自身は、「にいに」の中国語のレベルを上げるためではなく、いろんな体験をさせてやりたいという気持ちの方が大きかったのだが、先生の態度を見ていると、子どもを安心して預けられる様子ではなかった…。
先生との話し合いも終わり、ちょっと気持ちが沈んでその学校内を歩いているときに、衝撃の事実が判明!
「国際部」の生徒たちが、授業中なのに校庭をウロウロしていた(ほとんどが韓国人)。中にはアイスやお菓子を食べている子もいた。校庭でサッカーをしている子だっていた。 最初は「休憩時間」だと思っていたが、実は授業中・・・。教室で授業を受けている子もいるがごく少数…。その光景を見て驚いたが、もっと驚くのは先生がそういう生徒たちにまったく関与しないということ。生徒が何をしていたって知らん顔、注意もしない。
以前、この学校とは別の学校の「国際部」が非常に荒れているという噂を聞いたことがあった。やはり、授業中は学級崩壊で、校内でタバコを吸っていても注意をされない、という話だった。  どこの「国際部」も同じようなものなのだと、私は今回つくづく感じさせられた…。

だから、結果として「にいに」を「国際部」に通わす計画がつぶれて良かったと感じている。あの様子じゃ、別の意味ですごい体験が出来たであろう(笑)…。

私がさせてやりたいと思ったことは実現できなかったが、学校のこともいろいろ調べることが出来たし、実際に中国の学校と接することもできたし、私も「にいに」にとっても、これだけでもよい経験が出来たと思う。

・・・ということで、「にいに」は結局、春休みの間、去年と同じ中国語学校に午前中通うことになった。 ただ、去年と違うところは、私と一緒に学校に行くのではなくて、片道20分歩いて一人で通う。 最初だけは、私が一緒に受付をしてやったが、その後の手続きは「にいに」に一人でやらせることにしている。
月〜金の午前中3時間は中国語のクラスに入るのだから、一ヵ月後はレベルアップが期待できそうだ。 頑張れ、「にいに」!

「にいに」が春休みで時間的に余裕があるので、
最近はよく一緒に料理を作ります。


「にいに」13歳
2006・3・10
「にいに」は13歳になった。
13歳になったら今度はすぐに中二になってしまう・・・ほんと、早生まれはかわいそうだな〜。

「にいに」のお誕生日は、毎年恒例の「手巻き寿司」でお祝いをするのだけれど、今年は「回転すし」屋さんに行きたいとリクエストが出た。北京に来てからは、ほとんど回転すしには行っていないので飢えているのだろう(笑)。
家の近くに、シンガポール人が開いている日本料理屋さんがあり、そこで回転すしも食べれる。しかも「食べ放題制」なのでリーズナブルだ。(・・・・といって、我が家の家計から考えるとけっこう痛手なのだが(笑))。 
「にいに」のお誕生日だから!!と、張り切って行ってみると、「食べ放題」は平日だけ・・・。今年の「にいに」の誕生日は土曜日だったのだ・・・。「にいに」も我が家の経済状態をよく理解しているので(涙)、結局平日に出直すことにした・・・。

そこで、今日の夕食は急遽、家で作らなければならなくなってしまった・・・困った・・・。
「にいに」に食べたいものをリクエストしてもらい、大好物のロースト羊に決定!! 
市場でおいしそうな羊肉(もも肉)を選んで買ってた。 その他は、ちらし寿司!! これも急遽、ということで具もちょっと適当(笑)、そして上にのせるお刺身も省略・・・(お刺身を買うにはバスで約1時間かけて買いに行かなければならない・・・)。
即席料理ではあったが、「にいに」の大好物だったので本人は喜んでました(笑)。
数日後、「にいに」が行きたい回転すしに行って、再度お誕生日会をする予定!






宵節〜春節の終わり〜
2006・3・4
去年の春節前は、中国語の語学学校へ通っていたので、お正月をはじめ、中国の伝統行事のことは教科書や先生から学ぶことが出来た。 今年の春節前は、私の中国人の友人数名が教科書までには出てこないような習慣をいろいろと教えてくれた。
例えば、、、
「今日は年末から数えて最後の18日目にあたる日。今日は八宝粥を食べるのよ。八宝粥の作り方はね〜・・・・」 とか、
「今日は冬至。冬至には餃子を食べるのよ。(*ちなみに餃子は大晦日にも食べます)」。
それに、「今日は立春。春巻きを食べる日よ。春巻きの中身はね・・・・・・・」や、
「春節(お正月)から一月は靴を買ってはいけないのよ。「靴」と「邪」は同じ発音だから、靴を買えば「悪いことを買う」ことになるのよ」などなど・・・。 
やっぱり中国人の友人がいるといろんなことを知る機会が増える。

そんな春節も今日で終わり。
今日は、お正月15日目にあたる日で、「元宵節」。
元宵節には「元宵」と呼ばれる、上新粉で作ったおだんを食べる。(茹でた白玉だんごのようなもの)


おだんごの中身は、餡子、練り黒ゴマ、ピーナッツクリーム、カスタードクリーム、チョコレートなどなど沢山の種類がある。 昔は各家庭で作っていたのだろうが、今は冷凍食品が豊富でそれを買う人がほとんどである。 私も冷凍食品を買って、茹でていただきました(笑)。

元宵節は元宵を食べる楽しみ以外に、大晦日からお正月3が日にかけて盛大に行われる爆竹や打ち上げ花火で、再度賑わうのだ。言わば、お正月の締めくくり!!

今夜7時くらいから、花火や爆竹の音が始まり、、、約2〜3時間は、どこかで花火や爆竹の音が鳴り響き、我が家の窓からも、盛大な打ち上げ花火を沢山見ることが出来た。花火と爆竹の音はまるで戦場で銃撃がされているようなすごい音!!
去年の元宵節の花火はそんなに盛大だと感じなかったのだが、今年は去年見た大晦日の花火よりも盛大だった。おそらく、以前に住んでいたマンションは国際マンションで外国人が多かったので、一般中国人が住む場所よりも盛大ではなかったのであろう…。 今年のお正月は帰国していたために花火が見れなくてとっても残念だったのだが、今宵はまるで大晦日やお正月のように爆竹と花火を楽しむことができた。ラッキ〜!
(打ち上げ花火はビル15〜20階くらいの高さまで上がります)
       

この日記を書いていて現在午前0時になってしまった。ようやく花火の音も無くなったかと思いきや、、、突然、ものすごく大きな打ち上げ花火の音が始まった!! カーテンを開けてみるとビックリ!! 目の前に大きな打ち上げ花火が視野いっぱい!! 我が家のマンション棟の下で、大きな打ち上げ花火をしている人がいる! うわ〜!と思わず一人で歓声を上げていると、強風のために、花火の火の粉が流れてきて、部屋の窓ガラスにバチバチバチバチ〜〜〜!!怖すぎる(笑)・・・。 一旦止まったかと思ったら、第二段も始まった。 今度は強風のために花火のもとが倒れたようで、地面に平行に打ち上げられている大型打ち上げ花火・・・地面で大きく広がった打ち上げ花火を見るのは生まれて初めて(笑)、得した気分だ。
その花火をしていた中国人たちは「焦るな!」「心配するな!」とお互いに慰めあっていたのがまた面白いところ(笑)。いや〜、どう考えてもあれは焦るよ(笑)。それに通行人がいたら大怪我をしていた可能性大。
その他こんな事実もある。 4階の自宅の窓から手で持つ打ち上げ花火をして、向かいのマンション棟に思いっきり火の粉があたっている光景も見たし、マンション棟とマンション棟の狭い間から打ち上げ花火の大きな輪がはみ出しているのも見た(笑)。

春節の花火では毎年沢山のけが人が出るし、死亡者も出る。そのために、ここ数年は地域で花火や爆竹を規制していたらしく、去年その規制が解禁したと聞いた。ちなみに、今年も花火に関する規則はあるようで、今夜の午前0時以降は、北京市全体にわたりすべて禁止になるようだ。ま、おそらく規則を守らない人は沢山いると思うが・・・(笑)。
多くの中国人たちは、このお正月の花火に沢山のお金を費やす。一夜の花火に数万円から数十万円つぎこむ人もいるとか…(笑)。 これは、実際にお正月の花火を見たら納得できる話だ。本当に数時間、花火と爆竹の音が止まないのだから…(笑)。


お正月に爆竹をするのは、もともと厄除けの意味がある。大きな音で邪悪なものを追い払うためだ。 さっき、花火が強風で倒れて焦っていた集団が、今は爆竹をしている。相当大きくて太い爆竹だ(着物の細めの帯くらい)。私の部屋の真下で爆竹が鳴っているので、我が家の厄も吹っ飛んで行った!!(笑) 今年も良い年になりそうだ!! 


北京は一昨日に、数ヶ月ぶりのまとまった雨が降った。雨が降って傘を使わなければならなかったのは2年前に北京に来てから5回もないなあ〜。 でも、今回の雨は2日間降り続き、そして、昨夜雨が雪に変わり、今朝は銀世界だった。 でも、2日降り続いた雨のせいで雪の下は水でビショビショ。歩けたもんじゃなかった。
でも、子どもたちは雪だるまを作って、しっかり楽しんでました。
ず〜っと温かかった北京、、、今夜は風もさらに強くなり、明日からはまた少し寒くなりそうです。

      



久々に「偽物」いってみよう〜!
2006・3・1
半年くらい前から、i podの偽物をよく見かける!
容量も1G, 2G, 8G と豊富だ(笑)。
パッケージも完璧(笑)。

天才的な?値切り方が出来る私だと(笑)、1Gで200元(約3000円)で買える。 普通のMP3でも1Gなら、かなりお得な値段だ!

ただ、、、いつまで使えるかは疑問(笑)、もちろん保証も無い!(笑)
        

          i pod の「d」が微妙に「a」みたいなのが面白い!! ↑


帰ってきました part2
2006・2・16〜2・25
島から無事荷物を出して、今度は京都に帰った。
2月の京都は何年ぶりだろう・・・。 でもまったく2月とは思えないほど暖かかった。
島でも「お寿司」をたらふく食べてきたが(食べることだけはきっちりと(笑))、京都でも大好物をたくさんいただいてきた(笑)。 食べること以外は、役所や銀行、病院、そして買い物で時間がつぶれてしまい、京都でも会いたい人には誰一人として会うことができなかった…。でもやっぱり京都は心が落ち着きますえ〜。

前回の日記で少し書いたが、
私は今回の帰国で、大切なデジカメを失くしてしまった。カメラのメディアの中には「にいに」の島の十数名の友人たちの写真も入っていた…(涙)。
本当に強硬手段のスケジュールだったので、どこで失くしたのかもはっきりしていない。おまけに失くしたとに気が付いたのは、帰りの関西空港で、飛行機に乗る前・・・。その後、おそらくこのあたりでなくしただろう、という場所を私の姉にさんざん問い合わせてもらった。 でも、結局見つからなかった…。 
私は、こういう事件を起こすのは常習犯なのだが(笑)、そういうときにはいつも夫にすごく罵られる、いやいや、叱られる(笑)。 そして、こういうときには最後の最後まであきらめずに探し続けるべきだ、と言われる。
でも、今回は違った。
空港でカメラがないことに気づいたときに、「もうカメラのことは考えずに頭を切り替えた方がいい、マイナスなことを考えているとさらに悪いことを呼んでしまうから」と夫は私に言った。 さらに、「大切なものは物ではない」と夫は付け加えた。
今回の引越しでは、私たちは1トンもの物を捨てなければならなかった。捨てることはもったいないと思ったし、いろいろ思い出のあるものもあり悲しかった・・・。 でも捨てたものは北京で生活したこの2年間は、まったく使わなかったもの、まったく目にしなかったものだ・・・、言い換えればあってもなくても済んだ物なのだ…。 
1トンのものよりも大切なものは、家族の健康や絆、そして経験、信念、などなどソフトウェアーなのだ・・・。 我が家の北京の生活は、駐在員家庭からは考えられなくらいに「下級階層」の生活だけど(笑)、でも贅沢な暮らしといったハード面よりも、こういったソフト面のほうが大切だと、この2年間、私は葛藤を繰り返しながら理解できるようになった。
夫の言った「大切なものは物ではない」というこの一言は、引越しを終え、そしてこれからまた北京で暮らすことを決めた私たちには、とても重みのある言葉なのである。

でも、、、実際には私はこの3年間愛用していたカメラを失くした事をすぐには忘れることはでききなかった(笑)・・・。数日間かけて姉が方々に問い合わせをしてくれて、結局見つからず・・・そして、今はきっぱりと諦めることができた。 水中の子どもたちや、北京の様子を撮りまくったカメラ、、、考えてみれば、今回の引越しはまったくトラブルなしに終わることができた。その代償として、カメラが悪いことを運んでいってくれたに違いない・・・。

我が家はこのままあとしばらく北京にいることになったのだが、実は夫の仕事が微妙に変わる。もちろん、「駐在員」になるわけはなく、ライフスタイルは今まで通り、、、いや、もしかしたら今まで以下になるかも(笑)…。
でもそれでも北京にいたいという私たちの気持ちの根拠は「大切なものは物ではない」ということ。 一度きりの人生、家族全員健康で、そして日本では経験できないようなことを沢山させてもらっているということを感謝して、今まで通り、「北京ではちょっと普通ではない日本人 (笑)」 を楽しんでいきたいと思う。

最後に、、、
今回の帰国は、家族4人分の飛行機代がかなりの出費になったので、中国のショボイ航空会社の「経由便」を往復利用した(ANA. JAL便の半額ですむ)。 その経由便には、日本人の乗客はごくごく数名で、ほとんどが留学生だった。 駐在員家庭なんてまったくいなかった(笑)。 子連れで、おまけに家族全員で「経由便」を利用している我が家、、、(笑)、恥ずかしいというよりも、思いっきりネタにできます!!(笑)。
そう! たったの3時間の豪華なフライトよりも、「経由便」での体験! まさしく、すばらしいソフトウェアーだ〜!! 


アップする画像が無い・・・(涙)。



帰ってきました part1 2006・2・16〜2・25
中国の春節の連休を利用して日本に一時帰国してきた。 春節は日本では信じられない数の花火と爆竹が楽しめるので、できれば今年も中国の春節を楽しみたかった。 でも、今回はどうしても日本に帰ってやらなければならないことがあった。
そう、それは引越し。 
何度も説明しているが、我が家は駐在員家庭ではないので引越し代なんてまったく出してもらえなかったので、日本で使っていた9割以上の家財道具は以前住んでいたところに置いてきていた。 赴任期間も2年、と考えていたので、家財道具を保管しておくために部屋代を払って部屋を借り続けていた。 しかし、北京に滞在する年数はもう少し延びることになり・・・ そして、今まで家財道具を保管していた部屋も引き払わらなければならなくなってしまった…。 なので、今回の帰国は長崎県の離島から私の故郷の京都まで荷物を移動されるためだったのだ…。

「にいに」の学校の春節の連休は合計10日。 その間で、一世帯分の家財道具の整理と荷出しをしなければならなかった。 もっと詳しく言えば、離島に滞在したのはたったの3日。 3日足らずで荷物を整理しなければならず、、、想像以上に過酷だった…。
京都で家財道具を保管する部屋が広くないために、今回の引越しではなんと1トン以上もの家財道具を捨てなければならなかった…。捨てたくないものもあったけど、仕方がなかった…。

島に戻ったのはほぼ2年ぶり。
会いたい人も沢山いたのだが、引越し作業に追われて会いに行く暇もなかった…。
でも、「にいに」の沢山の同級生が突然たずねてきてくれた。 島に帰ることはほとんどの知り合いには事前に言っていなかったのだが、島に戻った直後に我が家が買い物に出かけいる姿を見かけた人がけっこういるらしく、そのうわさが一日もたたずに広がって(さすが狭い島!!(笑))、「にいに」の友人たちがわんさかやってきてくれた。 平和な所なので、夜の10時くらいに訪ねてきてくた友人もいるし(笑)、それに最後の日には、学校があるので港まで送りにいけないと、朝の7時前から登校前に訪ねてきてくれた子もいた。 「温かい」、、、、島の子どもたちは本当に素朴で温かい…。

私の知り合いも数名、うわさを聞いてやってきてくれた。うれしかった…。
でも、さきほども書いたが、もっともっと会って話がしたい人がいたのに、それをする時間はなかった…。 島から出る船には乗り遅れるかと思うほどギリギリだったし、フェリーに乗る寸前まで、引越しの片付けに追われいた…。



最後に、、、
この引越しを無事終えることが出来たのは、私の隣人のお陰である。
島に住んでいるときから、親しくしてもらっていろいろとお世話になっていた人なのだが、この2年間の留守宅の管理も快く引き受けてもらってずっとお願いしていた。空気の入れ替えを頻繁にしてもらっていたので、今回部屋に戻ったときには、想像以上に部屋は綺麗だった。
それに、引越しのときも、ゴミをゴミセンターまで自己搬入するのを、わざわざ仕事を休んでまで手伝ってくださり、そして、最後に船に乗るときも港まで送ってくださった。
どれだけお礼を言っても言い尽くせないほどお世話になりました…。 本当にありがとうございました。
お世話になった「Oご夫妻」の写真を日記にアップしようと思っていたのだが、、、、実は、今回のこのバタバタ帰国のせいで、私は愛用のデジカメをなくしてしまった…(この話はまた改めて)。 写真をアップできないのが非常に悔しい…。
「Oご夫妻」、本当に本当にありがとうございました!!

つづく、、、
          

某有名引越し社の荷物搬出中(ドラミちゃん冷蔵庫、当たるかな?(笑))。
捨てた量が多いので、実際にトラックに乗った荷物は、婚礼家具類以外の箱の数は少なめでした。荷物を出してもらっている間は、部屋の掃除に追われていました。中学生になった「にいに」はかなり戦力でした。 搬出は約2時間で終了(さすがプロ!)。そして、その30分後には船に乗って島を出ました。

余談ですが、、、、
この2年間で、私が愛用していた?8人乗りセスナ機は不況のために廃止。船の便もかなり減っていました…。島の将来は大丈夫なのだろうか…?
 すぐ船酔いする私は今回船に乗るのがとても怖かったのですが、行きは「しけ」の中、乗り物酔いが効いて爆睡(波が高くてかなり揺れてました・・・)。そして、帰りは「なぎ」でまったく波が無かったので、まったく酔いませんでした。ほんとラッキーでした。

*写真は、「にいに」のデジカメで撮っていたものです。