みなさま、お元気でしょうか?
更新がかなり遅れていました。 私の両親が北京に2週間滞在していたということと、パソコンの調子がよくなく再セットアップしたのですが、その後ソフトのインストールを怠っていたために、更新ができない状態でした。 我が家は、家族全員元気で平和にすごしています。
さてさて、、、
4月30日〜5月2日までの西安旅行記をアップしていこうと思う。
まずは、西安の概要・・・
西安は中華民族の歴史と文化の重要な発祥地であり、人類文明が最も早く発達した地域の一つである。
漢中平原の中部に位置する陝西省の省都で人口は約300万人。かつては「長安」と呼ばれたいにしえの都でシルクロードの出発点としても有名だ。
漢の武帝、唐の太宗李世民、則天武后、玄宗、楊貴妃など歴史的に重要な人物が活躍した場所でもある。
日本とのつながりも深く、市内には興慶宮公園の「阿倍仲麻呂記念碑」や空海が滞在した「青龍寺」などの見所もある。
また西安から約50キロの咸陽は歴史上初めて「皇帝」を名乗った秦の始皇帝が中国全土を統一したときに首都に定めた場所である。
西安郊外には世界遺産にも登録されあまりにも有名な秦兵馬俑坑や、華清池、法門寺、乾陵などの重要な見所が散在している。
4月30日(第一日目)
北京から飛行機で1時間半、、、午前11時に西安に到着。
旅行に行く前に、私の中国人の友人の一人が「去年5月1日(大型連休の第一日目)に西安の兵馬俑を見に行って、渋滞にまきこまれて5時間ほど車の中に閉じ込められたのよ。だから、あなたたちは4月30日に兵馬俑を見に行っておくほうが無難だと思う」と、アドバイスしてくれた。
今回は、高齢の両親を連れての旅行だったので、車と日本語ガイドの手配をしていっていた。担当のガイドさんに私の友人のアドバイスを話すと、ガイドさんも賛成し、空港に着くやいなや兵馬俑を見にでかけた。(兵馬俑は市内から車で1時間半ほど)
〜華清池〜
兵馬俑を見るまえに、唐代の楊貴妃のお風呂(温泉)で知られている「華清池」を訪れた。(「池」とは、中国語で「お風呂」という意味がある)
← 楊貴妃
楊貴妃は、玄宗皇帝の息子、寿王の妃だったが、結局は玄宗皇帝が息子から楊貴妃を奪い、自分の妃とした。 玄宗皇帝と楊貴妃は毎年秋から翌年春まで共に華清宮に住み、温泉に入り、歌舞を観賞したりしてすごしたようだ。お二人専用の湯船もある。 ここの温泉は、秦の始皇帝も入ったという説もあり、2000年以上のの歴史があるようだ。
← 楊貴妃専用の湯船 
〜兵馬俑博物館〜

さあ〜、来ましたよ〜!! 待望の「兵馬俑」!!
兵馬俑はあまりに有名なものなので、説明も必要ないかと思うが、まずは簡単に説明
始皇帝陵から東へ1.5Kmの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑がある。1974年3月に干ばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めた。2,3m掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定によって始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかった。この偶然の発見によって、地下に2000年も眠っていた、世を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づいて一合坑、二号坑、三号坑と名づけられた。
最大の一号坑は長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積14260u、兵馬俑の数が約6000体、二号坑は6000u、俑の数は1000体余り、三号坑は500u、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍団の司令部に当たる。一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2mの土によって覆われている。前衛部隊と四周にたっている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられて、東に向かって整然と列を組んでいる。兵隊俑の平均身長は1.8m、胴体は空洞、下半身は詰まっていて、顔の表情はそれぞれ異なり、身分によって服装もまちまちであり、いずれも手に武器を握っている。一部の俑にはまだ色彩が残っている。馬の高さは1.5mで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている。 兵馬俑はこの近くの粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いていた。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を伺うことができる。

兵馬俑は、もともと色付けされていたようで、ところどころうっすらと色を感じる部分がある。 顔の表情はもちろん、髪型、ぼうしなど、一体一体すべて個性がある。
立っている場所によって、少し黒ずんでいる兵馬俑があるのだが、それは、咸陽を占拠した項羽は、墓という墓を暴いて財宝を略奪したのだが、そのときに地上にあるものを焼かれた時の跡が残っているようだ。 ただ、地下にあった兵馬俑だけは項羽に見つからずに壊されずに済んだ。なぜなら、ここを造った職人や、作業員はすべて殺されたのでから場所が判らなかったと言われている。

兵馬俑と言えば、凛々しくたっている姿をイメージする人が多いだろう。 この私もその一人、、、だから、兵馬俑といものは、発見されたときから「立っている」と思い込んでいたのだが(笑)、実は、違う。 この写真は、発掘されたときの様子。 こんなにばらばらになった状態のものを丁寧に修復し、そしてあの凛々しい姿の兵馬俑に復元されるのだ!! さすがに中国人! 人の数も多いし、それに手先が器用(笑)!!
まだまだ、このような壊れた状態で土の中に眠っている兵馬俑は沢山あり、それをすべて修復し終えるまでには、「あと300年」もかかるそうだ・・・。ため息が出そう(笑)

なにしろ、2000年もの歴史のある兵馬俑・・・
真ん中の穴は、兵馬俑が下に眠っているとも知らない人が、お墓を彫った跡(笑)。

↑ これは、修復中の兵馬俑。 後ろ姿も見ごたえがありますね。
兵馬俑と言えば、、、、
去年(2006年)の9月、、、こんな面白い事件があった!!
西安の世界遺産、兵馬俑坑で16日午後2時頃、自前の兵馬俑の服を着たドイツ人男性観光客が1号坑内に入り込んだ。幸いにも文化財に被害はなかった。「華商報」が伝えた。秦始皇陵兵馬俑博物館がオープンして27年、観光客が坑内に入り込んだのは初めて。
男性は1週間かけて兵馬俑の服を作り、杭州から西安を訪れた。服を着替えて、監視員の目を盗み、柵を乗り越えて坑内に侵入したという。近くの兵馬俑をまねて立ち、職員や通訳が説得しても、動こうともせず声も発しなかった。最終的に保安員によって坑外に連れ出された。
男性の名はパブロ(26歳)。ドイツ・シュトゥットガルトからの留学生で、現在杭州の某学院で芸術を専攻している。彼は自分の行動を反省しており「坑内に入ったのは、あくまでも兵馬俑が好きだという思いからであり、決して危害を加えるつもりはなかったことを信じてほしい」と釈明した。文化財に被害がなかったこともあり、現地警察と博物館から厳重注意を受けた後、杭州に帰された。 この記事の写真 ↓
← 中央右よりの少し色が違う兵馬俑?がパブロさん
← パブロさん捕まる、の図 (笑)
パブロさんの事件も、かなり面白いのだが、これと同じく興味深い?話がひとつある。
世界的に有名な兵馬俑。 その第一発見者は、先に紹介した井戸を偶然掘っていた農民の楊さん。 彼は今、兵馬俑博物館内にあるお土産コーナーの一角で名誉館長といった肩書きで座っておられる。実は、兵馬俑の本を買うともれなく楊さんのサインがもらえ、握手もできるのだ(笑)。
もちろん、私たちも彼に会ってきた。
本も120元(2000円弱)も出費して購入し(話のネタになると思い)、しっかりサインもいただき、そして、
子供たちは握手してもらった(笑)。
話のネタになると思って購入した本、、、想像通りにネタになった・・・というのは、日本語訳のを買ったのだが、最初から最後まで、訳された日本語は無茶苦茶(笑)。
たとえば、こんな文がある・・・
「掘るときくんくんの音だけを聞えて、地の底に到いたのようだ」
さっぱり、意味が分からない(笑)。
話を戻し、、、この楊さん、今では一躍有名人になり、クリントン大統領をはじめとした署名人とも沢山握手したりしているようだが、実は彼が兵馬俑を発見したとき、政府は彼にたったの20元(今は約320円、、、兵馬俑が発見された30年前はもうすこし高いとは思うが)しかわたさなかった。 あまりにかわいそうな楊さん、、、そこで、こういう仕事を与えてもらったようだ。
兵馬俑博物館の中には、何十件ものお土産やさんがある。
私たちが楊さんと握手したあと、他のお土産やさんの前に「写真集を買えば兵馬俑の発見者のサインがもらえる!」という看板が方々で立っていた。
「もしかしたら、ここにも「第一発見者」というおじさんがいるのではないか?」と、嫌〜な予感がし(笑)、 子供たちに他のお土産やさんをチェックしにいかせたところ・・・
そういう偽?おじさんは存在しなくて、 もともとサインをしてある本が売っていたようだ(笑)。 それらのサインは、楊さん自身が書いたものかもしれないが、、、でも、サインなんて他の人が書いてもまったく分からないよね(笑)。おそらく、偽者もあるだろう(笑)。
友人のアドバイス通り、 この日は連休が始まる前の日で、人もたいして多くなく、ゆっくりと見物できた。 この日の観光はこれでおしまい。
← 子供たちの兵馬俑も、なかなかGOOD!(笑)
つづく・・・
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