パクリ、パクリって言うけれど・・・ 2007・5・28
日本で少し前に話題になっていた「石景山遊園地」・・・
今はもうこの話題も下火だろうか…?

ディズニーランドのパクリと騒がれ、最終的には米ディズニー社からも指摘を受け、緊急措置として知的財産権侵害の可能性があるキャラクターの展示やパフォーマンス、関連商品の販売の停止を指示したようだ。
「ディズニーランドは遠すぎる」
「ミッキーではない、大耳の猫だ」などと、思わず噴出してしまう「名文句」を生み出してくれたこの遊園地、確かに著作権侵害行為をしていると言えるだろう・・・。 この遊園地に限らず、中国ではありとあらゆるパクリものが恐ろしいほど存在する。 こういう環境に馴染みすぎて、私自身は、日本でのこの石景山遊園地のあまりの流行?に、少々疑問を感じている。「なにを今更、そんなに騒がなくても・・・」。

このニュースをインターネットで見つけたときに、最初に思い出したのは、
幼少時代によく親に連れて行ってもらった、「奈良ドリー○ランド」のことだ。私はこの遊園地が大好きだった。 なぜなら、絵本の中で見る「ディズニーランド」とそっくりだったからだ(笑)。今から、30年以上も前のことだから東京ディズニーランドなんてまだなかったし、アメリカにあるディズニーランドというのは、それこそまさしく「遠い」存在で、ディズニーランドを紹介したような絵本を見ては、まさに夢のような場所で、一度行ってみたいと思っていたものだ。 しかし、もちろん4〜5歳の子供では簡単にアメリカには行けないし、ましてや海外旅行なんて本当のお金持ちしかいけなかった時代・・・(この当時の海外旅行って、JALの鶴のマークの旅行かばん(四角くてビニール製の)をたすきにかけて飛行機のタラップを上っていくイメージがすごく残っている(笑))。 そんなときに、「近く」にあるドリー○ランドに行けるだけで私はディズニーランドに行ったような気分を味わえ、とても満足していたことを思い出す。 ボブスレーの山あり、お城あり、機関車あり、、、、本当に楽しかった…。

今の中国は、日本よりも先進しているところはあるとは言え、貧富の差が激しく、私がドリー○ランドに行って楽しんでいたころよりも生活水準が低い人たちはいっぱいいる。 海外旅行にもいけず、ディズニーランドにもいけない人たちは、小さかったころの私と同じ心境で「石景山遊園地」に行って楽しんでいることだろう。

今は30年前から世の中が変わり、日本も変わった。生活水準も文化水準も上がり、人々の考えも変わった。 30年前のドリー○ランドに、ディズニーランドのパクリ!っと指摘した人はいたのだろうか? おそらく、ニュースにもなっていないだろうし、指摘した人はほとんどいなかっただろう。 今の中国も、30年前の日本と同じレベルのだ。実際には今の中国は30年前の日本とは違って、「中国は著作権を侵害ばかりして恥だ!」と、訴えている中国人の青年は非常に多い、、、、これはとても意外なことだった(笑)。30年前の日本よりも進んでいる(笑)。
日本も昔は同じことをしてきたのだから、それをわざわざ時間をさいて報道するような内容ではないと、私は痛感させられる。 

確かに、「文明人」にとって、著作権侵害はいけないことだ。
だけど、石景山遊園地があることで、ディズニーランドの利益に影響しているってことはまずあり得ないと思う(笑)。ディズニーランドに行けるお金持ちは、ディズニーランドに行っているし、石景山遊園地にしかいけない人たちは、どうあがいたってディズニーランドにはいけないのだから。
それにあのキャラクター、、、確かに、ディズニーのキャラクターのパクリだとは言えるが、 どれを見ても「可愛くない」(笑)。 どうせなら、もうちょっとがんばって可愛いものを作ったら?、と突っ込みたくなるレベルだ。

ディズニーもディズニーだ。 「ライオンキング」はどうみても手塚治さんの「ジャングル大帝」のパクリ。あ〜たたちも人のこと言えないわよ、と突っ込みたい。 ライオンキング盗作か?という話題になったときに、手塚治さんの奥様が言われたことを思い出す、、、「もしディズニーが夫の作品を真似をしたというのなら、夫の作品は、ディズニーに真似をされるくらいの素晴らしいものだということです」。 本当の文明人の言うことだ…。素晴らしい。



以下、こんなパクリがありますコーナー(笑)
 



ミッキーのメモを買いました。
まさしくミッキーですが、横にいるミニーちゃんは
「ベビーミニー」で、普通のミッキーとの共存はあり得ないでしょ(笑)?





それに、中はもっとすごい!! 





  外はミッキーなのに、
中は、 キティーちゃんとドラえもん(笑)

しかも、キティーちゃんもドラえもんも
変な顔(笑)







スーパーで、思わず釘付けになった品物。

おそらく、「アンパンマン」のパクリ(笑)

ドキンちゃんは、本物に近い。
でも、アンパンマンは、、、、主役なんだから、もうちょっと可愛くしてあげて! って感じ(笑)。 髪の毛3本も「おばQ」じゃないんやからっ!!

もっとかわいそうなのは、バイキンマン。
悪役でも、顔くらい書いてあげて!! 銀行強盗じゃないんやから!!



以前に紹介した「ミッキー」と「スヌーピー」の夢の共演サンダルなど、こういったグッズは、飽きるほど存在する。
日本でも、ロゴを一字変えたようなもの、以前はいっぱいあったでしょ? それと同じ。



西安旅行 vol 4 2007・5・22
5月1日(第三日目)

今日は最終日

実は、、、、西安の観光スポットの入場料は、想像以上に高く、持ってきた現金がかなり底をつくような状態だった(涙)。 カードも持ってきていなかったし、いつでも旅行の時の「大蔵省」は私だけなので、両親もまったく現金は持ち合わせていなかった。
最終日は、午後5時の飛行機。
それまで、できるだけお金を使わないように過ごすにはどうしたらいいのだろう・・・、ああここでもやはり「貧乏」を感させられる(笑)

〜青龍寺〜



ここの拝観料は安かった(笑)。それだけでこのお寺に行ったというわけではなく、他にちゃんとした理由がある。 ここは、「空海」のゆかりの地。 空海が留学していた場所である。
          





ここでも、日本人をターゲットにした商売を発見。
やはり、お寺専門の日本語が話せる無料ガイドさんがお寺にいて、そのガイドさんに案内してもらった。
後で分かったのだが、彼女はまだ大学生で、日本語を専攻している。会話の勉強のために、と、このお寺でバイトをしていたようだ。 日本語を習い始めてまだ2年ほどだったが(私が中国語を勉強している時間とほぼ同じ)、彼女の日本語はかなりのものだった。 一生懸命に勉強している学生さんは、本当に好感が持てる! 素直に「がんばってね!」と言える!!

が、しかし、、、素直に「がんばってね!」と言えないのが、日本人相手に商売をしている「お坊さん」だ。
さきほどのバイトのガイドさんに、連れ行かれたのが、お堂の中にある小さな部屋。 中に入ると、数珠や写真集やいろんなグッズが売っている。 まさか、売店がお堂の中にあるとは…。 そして、その中にいた人は、そのお寺の住職さん。しかもその住職さん、日本語が話せるではないかっ!! その「武器」を使って、「この数珠は珍しいもので、お値段もお手ごろですよ」なんて言ってくる…。日本のお寺で住職さんが英語を使って商売していることを想像できるだろうか(笑)?私は出来ない、、、だから、これは「それ反則やろっ!!」と、突っ込みたくなった(笑)。
しかも、お寺だから「値切る」ことは気分的に出来ない(笑)、、、なんか罰が当たりそうで…(笑)。「これも反則やろっ!!」と、声を出さずに突っ込んでしまった(笑)。

今回の旅行で強く感じたことは、日本人だけをターゲットにしている商売は本当に多い、ということ。 日本人は、中国人と比べると裕福だし、それに「値切る」ということを日常生活でしないので、本当によい「カモ」だ。 それをいいことに、うまく商売をしている人たち、、、。 楽しい旅行で、こういった人と出会うとちょっと不快にはなるが、しかし、完全に責めることは出来ない。なぜなら、彼らはそれが「仕事」だからだ。その仕事をしないと食べていけないのだ。 だから、私たちは彼を責めることはせずに、自分たちが損をしない程度に交渉しなければならない。 多くの中国人は「日本人はすべてお金持ち」だと思っている。 でもこれは間違い。 我が家のように、「普通」にくらしている一般家庭だってあるのだ!! それを理解していただきたいっ!!(笑)。

もう一つ、こんな出来事があった。
先に書いたように、持ち合わせのお金が足りないような状態だったので、無料で入れる西安市美術館にガイドさんに連れて行ってもらった。
ここでも、やはり、美術館専門の日本語が話せるガイドさん出現!!(笑)。最初は、館内の絵の説明を詳しくしてくれて、なかなか楽しかったのだが、 その後連れて行かれた部屋は、
「上海万博で西安のブースの資金集めのための特別展示場」というところ。 もうこの時点で、お分かりでしょう・・・・資金集めのために物を売ろうとするわけだ。
そこには、「めのう」や「ヒスイ」などの「玉」を使った高級な彫刻が沢山置かれていた。 奇麗な戸棚の中に飾られて、スポットライトもほどよく照らされている。 この光景、、、以前とまったく同じだ、、、というのは、北京市内にある「国子監」というところで、まさに同じ手口をつかって、あやうく騙されそうになったことがあった(笑)。そのときは、「オリンピックまでにこの場所を修復する資金集めで、国家博物館から特別にこの商品をいただいました。この機会を逃したら、こんな素晴らしいものを買うことはできません!」とかなんとか言っていた。 そのときは、まだ北京に来て一ヶ月だったから、あのガイドさんが話すことをかなり信じていた・・・。「名古屋の○○さん、売却済み」なんて札まで立っていて、、、、あれもおそらく「客寄せ」のためだけで、真っ赤な嘘だったんだろうなあ〜。
今回は、まったく信じる気さえなかったし、逆に、かなり嫌気がさした。白いめのうの中に水が溜まっている石があった。何百年もかけて石の中に水がたまった、とガイドさんは言っていた。その石は「布袋」に彫刻されていて、「ここまで中に水が溜まっている石は世界で数個しかありません。」なんて言っていたが、おそらく、どこかに穴があるんだろうなあ、と、「へっ!」と「心の中」で言った(笑)。 こちらが、「ふん、ふん」とおとなしく聞いていると、どんどん買わせるように話が流れてくる・・・。 「悪いけど、私たちは買いませんから」と言って、美術館を後にした・・・。 
ここでも、一言フォローさせてもらうとすれば、そのガイドさんも「仕事」をしているのだ。それでご飯を食べているのだ・・・。 何が悪いって、この美術館は公立のものなのに、日本人相手にこういった悪徳商売?をしているということだ。 日本人、やっぱり、もっとしっかりしようぜ〜!!(笑)


〜イスラム街〜

やっぱり、私はこういうところが好きだ!
シルクロードを通って、西安にやってきたウイグル系の人たちが住む場所。
沢山の屋台が並んでいる!
 羊肉の串、、、すごい大量!


← 時間の関係で、これは食べれなかった・・・。

 ←とても有名な「小龍包」のお店をガイドさんに教えてもらった。 すご〜〜〜く美味しかった!! 
実は、今回の旅行では、、、ホテルの朝食がバイキングだったために、朝から食べ過ぎて、昼が食べれないような状態になってしまった・・・。だから、その土地の美味しいお店屋さんに行ったのは、ここだけ(涙)。 西安は「麺」が有名だから、「麺」が食べたかったのだけどね・・・。 残念!




〜茂陵〜
西安は、歴史が悠久な場所。 
始皇帝陵をはじめ、沢山の古墳が存在する。 唐高宗と則天武后合葬の「乾陵」や楊貴妃の墓などが有名だ。だが、それらはすべて郊外にあるために、手配した車でも別料金が設定されていた。 車にも長い間乗らなければならないので、高齢の両親のことを考えて、その方面にはいななかった。



しかし、一つくらいは古墳を見ておかないと、、、と、
空港に行く前に、最後に立ち寄ったのは「茂陵」。前漢の時代の皇帝の墓である。







「茂陵」のそばに博物館があり、そこで子供たちは記念撮影会!

       



きょうたんは、今回の旅行はちょっぴり退屈だったようだが、おじいちゃんの手をひいて、おじいちゃんのお世話をしっかりしてくれた。
ガイドさんとも、中国語でしっかり意思疎通していたので、ずいぶんと頼もしくなったものだ。









「にいに」は、少し前から「項羽と劉邦」そして「始皇帝」に興味を持っていたので、西安の旅行はかなり楽しんでいた。







今回の旅行では、 日本人相手の商売に、少し考えさせられるものがあった・・・。「俗化されている」というか、、、昔ながらの趣が消えてしまっていることは、とても残念だった。 しかし、西安は奈良と京都に雰囲気が似ていて、私にとっては、なんとなく懐かしさを感じる場所で、とても好感が持てた。また行きたいと思える場所である。
ガイドさん(最初に手配していた)は、私と同年代の女性で、とてもベテランだったし、気遣いもきっちりと出来る人で、安心して旅行が出来た。
両親も、満足してくれたので、今回の旅行は成功に終わった! としよう。
持ち合わせが底をつきそうになったことだけは、失敗だったけどね…(笑)。



西安旅行 vol 3 2007・5・20
5月1日(第二日目の2)

〜碑林博物館〜

大人ばかりの旅行だと「博物館めぐり」というのも楽しいだろうが、我が家には5歳児がいるので博物館ばかり回っていたら、とんでもないことになるのは間違いない(笑)。なので、博物館の中でも、比較的見ていてあきないような物がある場所を、、、ということで、この碑林博物館に行った。

碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味する。
一番大きな石碑は、唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆で、内容は孝経に関する解説で、碑額の題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書である。碑文の中に、「身体髪膚これを父母に受く」という明言もある。
 

石碑には歴史実録、仏教、古代の名著などが刻まれていて、石碑は当時では文化を伝える重要な手段だった。当時の統治者は、この石経を長安城務本坊の中に置き、大学生と文士たちに勉強させた。石経とは、十三種の儒教経典の意味で、即ち、周易、尚書、儀礼、詩経、周礼、礼記、春秋左氏伝、春秋公羊伝、春秋殻梁伝、論語、孝経、爾雅、孟子のことである。刻文の内容は中国の古い封建制度の道徳の倫理で、これにしたがって官僚を養成するのが当時の支配者の目的だった。また、地理資料、民間詩歌、貴族の冠婚葬祭の制度、名人の問答談話の収録、歴史文献など、数多くの典籍の精華が網羅されている。

← 巨大な石碑に、このようなきれいな字が刻まれている。 完成までに7年もかかったような石碑もある。
 
 






〜大雁塔(慈恩寺)〜
 三蔵法師ってやっぱり偉い人!?  ここは三蔵法師にゆかりのある場所です。


シルクロードを通って西域128ヶ国を歴訪し、インドでの遊学を終えて、多くの経典と仏像を長安(いまの西安)に持ち帰った唐の高僧玄奘法師(あの有名な三蔵法師)は、この寺の境内に塔を建立して、仏像と経典を保存したいということを高宗に願い出た。高宗は玄奘の願いを適え、玄奘の建議によってインドの塔婆を真似て、五層の塔を建てた。これは652年のことだった。塔が一日でも早く出来あがるように、玄奘(三蔵法師)は毎日、朝早くから夜遅くまで煉瓦などの材料を籠で背負って運搬したと伝えられいる。そして、玄奘(三蔵法師)は慈恩寺を翻訳経院とし、経典の翻訳を約11年間に亙って続けた。


〜城壁の西門・・・シルクロードの出発点!〜


北京市内も城壁が残っていることは残っているのだが、ほとんどが壊された状態になってしまっている。 
しかし、西安の城壁は現在中国で完全に残る唯一の城壁で、東西南北に城門が設けられている。周囲の長さ約13kmの西安の城壁は唐・隋の時代のものをもとに明代の1378年に造られた。 



城壁は完璧で素晴らしいのだが、 VOL2で紹介した興慶宮公園(宮殿跡)のように、城壁の内側(市中心部)には北京でいうところの「故宮」のような建物はほとんど残っていない。 しかし、この城壁はとても趣があって、私はすごく気に入った!






その城壁の西門(
安定門)が、あの有名なシルクロードの出発点である!

これが西門。








これが、西門の2階の窓から眺めた「シルクロードへ続く道!」  あ〜、シルクロード、行きたいな〜
・・・・・と、シルクロードをロマンチックに想像していると、またがっかりしたことが一つ・・・。

日本語を話せる中国人が、「シルクロードについて無料でご紹介します〜」と、近寄ってきた。
彼は、もちろん、その西門の中にある シルク製品の売店の売り子さん。


流暢な日本語で、しかも、「もうかりまっか〜? ぼちぼちでんなあ〜」とか「バザールでござ〜る」とか、マニアックなギャグまで入れて熱演してくる。 日本語上手だな〜とか、面白いな〜とか、心に余裕をもって彼の話を聞く余裕は私にはなかった。 なぜなら、この後に、商品を売りつけられるようなことが起こることは目に見えていたから…。

実は、このシルクロードに続く道が見える窓のある西門の2階に上がれるのは、おそらく「日本人のみ」ということが後で分かった。西門の入り口の前には、ちょっと怪しげな人(新疆ウイグル族系の人)が立っていて、「日本人ですか?」と尋ねてきた。「そうだ」と答えると、「さ、さ、さ、さ、さ、さ、、、中へどうぞ」という態度だった(笑)。
シルク製品の商店は、主にシルク絨毯(織物)で、一枚何百万、何十万するような高価なものが多かった。 確かに、ウイグル系の雰囲気ですごくいい品が沢山あった。が、しかし、、、ついている値段は妥当じゃなかった。 北京市内でも、もっと安くで買える(笑)。 まして、本物か偽物かも分からない。
幸いなことに、ここの売り子さんたちは、あまりひつこくなかったので、さっさと退散できた。
西門の一番の見所の場所に、日本人向け商店あり・・・。またしても、お金持ち日本人をターゲットにしている場所だ。 確かに、シルクロードへの道を眺めることができうれしかったが・・・。 やはり、ツワーで連れてこられた人たちは、ほいほい買っているのだろう・・・。 しっかりしようぜ、日本人!

西門に着いたときは、もう夕方で、ガイドさんも運転手さんも仕事が終わる時間だったので、帰ってもらっていた。 西門を見終えた後、自分たちでホテルへ帰った。
そう、またしても「輪タク」だ(笑)。

旅先でも、輪タクに乗るなんて、こんな日本人あまりいないだろうなあ〜(笑)


三日目につづく・・・







西安旅行 vol 2 2007・5・15
5月1日(第二日目の1)

中国の大型連休「労働節」が始まった。 西安市内も車や人が多いので、できるだけ混雑を避けて行動することに決めた。

興慶宮公園〜

ここは、唐代に玄宗皇帝が楊貴妃と住み、政務を執っていた宮殿があった所。 今は、宮殿はなくなり、公園となっている。
 実は、ここは日本と関係の深い場所である。あの有名な「阿倍仲麻呂」が遣唐使として中国に派遣され、滞在していた場所なのである。

 

園内には、1979年に建立された阿倍仲麻呂の記念碑がある。
西安と奈良が友好都市になった事を記念して造られたこの碑には、仲麻呂の詠んだ「望郷詩」と、仲麻呂と親交のあった李白の詩「哭晁卿衝」が刻まれている。 李白の詩は、仲麻呂の帰国に際し詠まれたものである。  「望郷詩」は、百人一首の中の仲麻呂の詩、、、「あまのはら、ふりさけ見れば かすがなる・・・」を漢詩にしたもの。(漢詩を先に作って短歌にしたのか、短歌を先に作って漢詩にしたのか、どちらだろう…?)。 

 
李白と友人だったということからも、分かるように、 阿倍仲麻呂は、本当にすごい人である。 
彼は、716年に19才で遣唐使として入唐した。
その後長安(現在の西安)で国子監大学に学び、科挙(高級官吏)の試験に合格した。
役人に任命されてからは玄宗皇帝から晁衝という中国名を賜り、唐政府で諸官を歴任した。 753年に帰国を許され、鑑真らと共に蘇州から出航したが、暴風にはばまれ、苦労の末に再び長安へ戻ってしまう。 その後は帰国の望みを果たせぬままに、在唐54年目にこの地で73才の生涯を閉じた。

仲麻呂が合格した高級官吏の試験は、ちょっとやそっとでは受からないような難関の試験。それを合格するんだから、仲麻呂は本当にすごい人だ!! 日本に帰るときに船が難破しベトナムに漂流して2年ほどはベトナムで過ごしたらしいが、そんなすばらしい仲麻呂のことだから、ベトナム語も話せるようになっていたにちがいない!と私は思う(笑)。

記念碑の跡に、 この公園内にある仲麻呂が住んでいたという家に行った。
けっこう楽しみに行ったのだが、残念なことにその家は、書画を売る売店となっていた。しかも、「日本人相手」の店だ…。 阿倍仲麻呂のゆかりの地、ということで、阿倍仲麻呂の「望郷詩」や李白の詩などが、沢山売られている。 

この手の店には、必ず日本語が話せる売り子さんがいる。こんなの買うのは日本人だけだもの(笑)・・・。 阿倍仲麻呂は、中国人はほとんどの人が知らないから(笑)。 売り子は日本語で、「安い安い!」「これ、有名な画家先生がかいた字」とか、嘘っぱちをならべて品物を売ろうとしてくる。
こういう場所はもうすっかり慣れっこだが、何度経験しても気分よくすごせる場所ではない。
壁にかけられた数々の掛け軸には、一つ2万円、という値段が光っていた(笑)。
父が好きな漢詩の掛け軸があった。 父がその掛け軸を覗き込むと、売り子さんは、「本当は2万円だけど、1万円にしてあげる!」と言ってきた。 父がはっきり返事をしないでいると、 「お得よ〜!」と言いながら掛け軸を取り外し、丸めはじめた売り子(笑)・・・。はい、そこで私がストップをかける!
中国語で、「私は中国のこういった商売のことをよく知っている。 1万円は高すぎる。第一、これを書いた人が本当に有名かもわからない。」と 売り子に言うと、あたふたとしていた(笑)。
父は、3千円くらいなら買ってもいいかな、、、と言ってきた。 そこで、私が値段交渉を開始! 結局、3千円で表装した漢詩の掛け軸を購入した。これでも高いと、私は思うが・・・(笑)。
日本から観光ツワーで連れて行かれたお客さんたちは、 おそらく1万円で安いと思ってほいほい買うことだろう・・・。 だから、日本人専用のこういった店が沢山存在するのだ…。 せっかく阿倍仲麻呂がすごした家を見るのを楽しみにしていたのに、かなりがっかり…。

しかし、父は大満足だった。
欲しかった掛け軸のほかに、 その家の前で「生習字?」をしている老人に、別の漢詩を書いてもらったのだ。 「生習字」をしている老人は趣味でやっているのかとおもいきや、なんの、その書画の店の回し者?(笑)、 その商店でお金を払えば好きな字を書いてくれる。 相当値切った結果(笑)、二枚で80元(1000円ちょっと)だから、安いものだ。
         

81歳になる父は、今独学で中国語を勉強している。 耳が遠いので、発音を勉強するのは至難の業だが、しかし、今回こちらに来て、以前と比べて発音がずいぶん上達?(まし)になっていると感じた私。
この詩を書いてもらったあと、 父は中国語で「満足!」と、この老人に伝えた(笑)。
私が、こけそうになったのは言うまでもありません(笑)。しかし、父の発音はなかなかよかったから驚きだ。


つづく



西安旅行 vol 1 2007・5・14
みなさま、お元気でしょうか?
更新がかなり遅れていました。 私の両親が北京に2週間滞在していたということと、パソコンの調子がよくなく再セットアップしたのですが、その後ソフトのインストールを怠っていたために、更新ができない状態でした。 我が家は、家族全員元気で平和にすごしています。



さてさて、、、
4月30日〜5月2日までの西安旅行記をアップしていこうと思う。

まずは、西安の概要・・・

 
 西安は中華民族の歴史と文化の重要な発祥地であり、人類文明が最も早く発達した地域の一つである。
 漢中平原の中部に位置する陝西省の省都で人口は約300万人。かつては「長安」と呼ばれたいにしえの都でシルクロードの出発点としても有名だ。
 
 漢の武帝、唐の太宗李世民、則天武后、玄宗、楊貴妃など歴史的に重要な人物が活躍した場所でもある。
 日本とのつながりも深く、市内には興慶宮公園の「阿倍仲麻呂記念碑」や空海が滞在した「青龍寺」などの見所もある。
 また西安から約50キロの咸陽は歴史上初めて「皇帝」を名乗った秦の始皇帝が中国全土を統一したときに首都に定めた場所である。 
 西安郊外には世界遺産にも登録されあまりにも有名な秦兵馬俑坑や、華清池、法門寺、乾陵などの重要な見所が散在している。

 
 4月30日(第一日目)

 北京から飛行機で1時間半、、、午前11時に西安に到着。
旅行に行く前に、私の中国人の友人の一人が「去年5月1日(大型連休の第一日目)に西安の兵馬俑を見に行って、渋滞にまきこまれて5時間ほど車の中に閉じ込められたのよ。だから、あなたたちは4月30日に兵馬俑を見に行っておくほうが無難だと思う」と、アドバイスしてくれた。
 今回は、高齢の両親を連れての旅行だったので、車と日本語ガイドの手配をしていっていた。担当のガイドさんに私の友人のアドバイスを話すと、ガイドさんも賛成し、空港に着くやいなや兵馬俑を見にでかけた。(兵馬俑は市内から車で1時間半ほど)

〜華清池〜
 兵馬俑を見るまえに、唐代の楊貴妃のお風呂(温泉)で知られている「華清池」を訪れた。(「池」とは、中国語で「お風呂」という意味がある)
 ← 楊貴妃
 楊貴妃は、玄宗皇帝の息子、寿王の妃だったが、結局は玄宗皇帝が息子から楊貴妃を奪い、自分の妃とした。 玄宗皇帝と楊貴妃は毎年秋から翌年春まで共に華清宮に住み、温泉に入り、歌舞を観賞したりしてすごしたようだ。お二人専用の湯船もある。 ここの温泉は、秦の始皇帝も入ったという説もあり、2000年以上のの歴史があるようだ。
 ← 楊貴妃専用の湯船 


〜兵馬俑博物館〜


さあ〜、来ましたよ〜!! 待望の「兵馬俑」!!

兵馬俑はあまりに有名なものなので、説明も必要ないかと思うが、まずは簡単に説明


始皇帝陵から東へ1.5Kmの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑がある。1974年3月に干ばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めた。2,3m掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定によって始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかった。この偶然の発見によって、地下に2000年も眠っていた、世を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づいて一合坑、二号坑、三号坑と名づけられた。
 最大の一号坑は長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積14260u、兵馬俑の数が約6000体、二号坑は6000u、俑の数は1000体余り、三号坑は500u、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍団の司令部に当たる。一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2mの土によって覆われている。前衛部隊と四周にたっている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられて、東に向かって整然と列を組んでいる。兵隊俑の平均身長は1.8m、胴体は空洞、下半身は詰まっていて、顔の表情はそれぞれ異なり、身分によって服装もまちまちであり、いずれも手に武器を握っている。一部の俑にはまだ色彩が残っている。馬の高さは1.5mで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている。 兵馬俑はこの近くの粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いていた。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を伺うことができる。


兵馬俑は、もともと色付けされていたようで、ところどころうっすらと色を感じる部分がある。 顔の表情はもちろん、髪型、ぼうしなど、一体一体すべて個性がある。
立っている場所によって、少し黒ずんでいる兵馬俑があるのだが、それは、咸陽を占拠した項羽は、墓という墓を暴いて財宝を略奪したのだが、そのときに地上にあるものを焼かれた時の跡が残っているようだ。 ただ、地下にあった兵馬俑だけは項羽に見つからずに壊されずに済んだ。なぜなら、ここを造った職人や、作業員はすべて殺されたのでから場所が判らなかったと言われている。


兵馬俑と言えば、凛々しくたっている姿をイメージする人が多いだろう。 この私もその一人、、、だから、兵馬俑といものは、発見されたときから「立っている」と思い込んでいたのだが(笑)、実は、違う。 この写真は、発掘されたときの様子。 こんなにばらばらになった状態のものを丁寧に修復し、そしてあの凛々しい姿の兵馬俑に復元されるのだ!! さすがに中国人! 人の数も多いし、それに手先が器用(笑)!!
まだまだ、このような壊れた状態で土の中に眠っている兵馬俑は沢山あり、それをすべて修復し終えるまでには、「あと300年」もかかるそうだ・・・。ため息が出そう(笑)


なにしろ、2000年もの歴史のある兵馬俑・・・
真ん中の穴は、兵馬俑が下に眠っているとも知らない人が、お墓を彫った跡(笑)。

     
 ↑ これは、修復中の兵馬俑。        後ろ姿も見ごたえがありますね。


兵馬俑と言えば、、、、
去年(2006年)の9月、、、こんな面白い事件があった!!

西安の世界遺産、兵馬俑坑で16日午後2時頃、自前の兵馬俑の服を着たドイツ人男性観光客が1号坑内に入り込んだ。幸いにも文化財に被害はなかった。「華商報」が伝えた。秦始皇陵兵馬俑博物館がオープンして27年、観光客が坑内に入り込んだのは初めて。

男性は1週間かけて兵馬俑の服を作り、杭州から西安を訪れた。服を着替えて、監視員の目を盗み、柵を乗り越えて坑内に侵入したという。近くの兵馬俑をまねて立ち、職員や通訳が説得しても、動こうともせず声も発しなかった。最終的に保安員によって坑外に連れ出された。

男性の名はパブロ(26歳)。ドイツ・シュトゥットガルトからの留学生で、現在杭州の某学院で芸術を専攻している。彼は自分の行動を反省しており「坑内に入ったのは、あくまでも兵馬俑が好きだという思いからであり、決して危害を加えるつもりはなかったことを信じてほしい」と釈明した。文化財に被害がなかったこともあり、現地警察と博物館から厳重注意を受けた後、杭州に帰された。 この記事の写真 ↓
 ← 中央右よりの少し色が違う兵馬俑?がパブロさん

 ← パブロさん捕まる、の図 (笑)



パブロさんの事件も、かなり面白いのだが、これと同じく興味深い?話がひとつある。

世界的に有名な兵馬俑。 その第一発見者は、先に紹介した井戸を偶然掘っていた農民の楊さん。 彼は今、兵馬俑博物館内にあるお土産コーナーの一角で名誉館長といった肩書きで座っておられる。実は、兵馬俑の本を買うともれなく楊さんのサインがもらえ、握手もできるのだ(笑)。
もちろん、私たちも彼に会ってきた。
 
本も120元(2000円弱)も出費して購入し(話のネタになると思い)、しっかりサインもいただき、そして、
子供たちは握手してもらった(笑)。

話のネタになると思って購入した本、、、想像通りにネタになった・・・というのは、日本語訳のを買ったのだが、最初から最後まで、訳された日本語は無茶苦茶(笑)。
たとえば、こんな文がある・・・
「掘るときくんくんの音だけを聞えて、地の底に到いたのようだ」
さっぱり、意味が分からない(笑)。 

話を戻し、、、この楊さん、今では一躍有名人になり、クリントン大統領をはじめとした署名人とも沢山握手したりしているようだが、実は彼が兵馬俑を発見したとき、政府は彼にたったの20元(今は約320円、、、兵馬俑が発見された30年前はもうすこし高いとは思うが)しかわたさなかった。 あまりにかわいそうな楊さん、、、そこで、こういう仕事を与えてもらったようだ。

兵馬俑博物館の中には、何十件ものお土産やさんがある。
私たちが楊さんと握手したあと、他のお土産やさんの前に「写真集を買えば兵馬俑の発見者のサインがもらえる!」という看板が方々で立っていた。 
「もしかしたら、ここにも「第一発見者」というおじさんがいるのではないか?」と、嫌〜な予感がし(笑)、 子供たちに他のお土産やさんをチェックしにいかせたところ・・・
そういう偽?おじさんは存在しなくて、 もともとサインをしてある本が売っていたようだ(笑)。 それらのサインは、楊さん自身が書いたものかもしれないが、、、でも、サインなんて他の人が書いてもまったく分からないよね(笑)。おそらく、偽者もあるだろう(笑)。

友人のアドバイス通り、 この日は連休が始まる前の日で、人もたいして多くなく、ゆっくりと見物できた。 この日の観光はこれでおしまい。

 


← 子供たちの兵馬俑も、なかなかGOOD!(笑)





つづく・・・