第九話
崖の近くを歩く一団。崖下には今は見るに耐えない干上がりきった川がある。
カルスを出てから丸三日は経つものの敵らしい敵は出てこない。それは確かに安全であると喜ぶべきなのだろうが、代わり映えの無い崖と森に酷く退屈なものだった。
「……暇だ」
黙々と歩く中、ついその言葉が口が漏れる。
「52回目」
それに対し間髪入れずリファがつっこむ。
「……ずっと数えていたのか?」
「あまりにも何度も言うから、どんだけ言ったら言わなくなるのかと思ってな」
リファは珍妙な動物を見る目で、興味深そうにこちらに視線を向けていた。後ろではキズク達が笑っている。
ガーゴイル戦以来、リファとの衝突が無くなった。どういう心境の変化かまでは解らないが、今までのような状態に比べれば、旅をする上で良い環境であるといえる。そんな訳だからこれ以上の贅沢は言うまいと、この事に関しては口にしないよう努めている。
「……ん?」
「どうかしたか?」
不意に足を止めた事に対し、リファはこちらに疑問を上げた。
「いや……やっと戦闘かなと思ってな」
不適に笑いながら答えると、リファ達も周りの気配に気付き身構えた。
その気配から察するに既に囲まれている。正確には崖側が空いているが、下まで10メートルはあるだろうし、角が取れているとはいえ大小様々な石がひしめき合っている。下手に落ちれば痛いじゃすまないこの一面を、囲まれていないには含める気にはなれなかった。
「どうします?ガイさん」
「先手を打って、逆に浮き足立たせる。……光輝く雷光よ、取り巻く者達を貫け」
すぐさま印を結びながら詠唱を始めた。無用心に正体の解らない魔物を待つよりも、逆に急襲した方がいいという判断は間違っていないだろう。何せ囲まれているのだから、先に打つ事ができる一手は大きなものになる。
印が結び終わると、この手に宿る光は六本の筋となって木々の茂みを貫いていった。
「っぐぁ!」
短い悲鳴が上がるのと同時に、十四体の豚のような鼻面を持ち、浮腫んだ四肢を携えた人型の魔物が飛び出した。
その手には様々な獲物が握られており、一見して使い方の解らないものまであった。彼らは、その外見とは裏腹に素早く、あっという間に間合いにまで詰められてしまったのだ。
俺の右手から、居合切りの一閃が迸る。その一撃を返して二度振るい、迫り来る三体の魔物を両断して骸にした。その俺を横から棍棒で叩き殺しに来た魔物を、リファの槍が正確に頭部を射抜き葬り去る。魔法を使う間も無いと見て取ったのか、リフェルは魔法を使用する際に力を増幅させる媒体となる杖をいじくりだした。すると、杖の中から刀身が抜き出され、仕込み杖のレイピアで応戦しだした。中距離からの攻撃は無理であろうと判断したキズクは、腰の挿してあった鉈を振るい、敵を切り伏せ始めた。
「これなら余裕だな!」
この戦況に俺はそう叫んだ。これならものの数分で片付くと判断したのだ。だが、それは大きな誤算だった。
「オークを倒したくば、百の覚悟をせよ」
「なんだそれは?」
妙な落ち着きを持つリファの言葉に、俺はつい注意をリファの方へと逸らしてしまった。
「こいつらはオークといって、大集団で生きていく魔物なんだ。その数はそれこそ百や二百、軍隊規模だと考えた方がいい。このままだと面倒な事になるだろうな」
「……こいつら!」
いつの間にかオークと呼ばれる魔物の数は、三十近くにまで膨れ上がっていた。更に言えば、俺達は次第に崖際へと追い詰められていたのだ。
「百聞は一見にしかずとはよく言ったものだな……。このままじゃやばいかもしれない」
増え続ける敵を前にして、微かな焦燥を感じ始めてきているのだ。
「これじゃ、きりが無いな……このままじゃ押し切られ……」
「っが……!」
「リファ!」
リファの短い悲鳴の後、崩れ落ち倒れこんだのだ。
その背後には棍棒を持ったオークを立っていた。リファの翼は痙攣しており、苦しそうに呼吸をしていた。
―――背中をやられたか……まさか、飛べなくなっている?―――
リファを跨ぎ、オークを横に両断した俺は、一旦リファを担いでリフェル達の背後に回ろうと、彼女に手を伸ばした。が、その瞬間、オークからの斧の一撃が飛んでくる。
「くそ!」
攻撃をかわす事はできたものの、リファを一緒に連れて来る事はできず、オークの足元で咳き込んでいるままだった。
オークはリファの頭を掴んで持ち上げる。リファは必死の抵抗としてもがき、オークに掴みかかろうとするものの、それよりも先にオークは崖へと投げ飛ばされたのだ。
「リファ!……くそ!!」
人形の様に放られるリファの様子から、とても飛べるとは思えない。そう判断した瞬間、俺は駆け出して崖を飛び降りていた。
―――間に合え!!―――
腕を千切れんばかり伸ばし、リファの手を掴むとすぐさま抱き寄せた。リファの頭部を抱くようにし、両手で守る格好で俺は落ちていった。
「ガイ様!リファ!」
「ガイさん!!」
なんとも形容しがたい感覚。一瞬無重力感に包まれるも景色は遠のき、リフェルとキズクの声も遠のいてく。空という光が針の穴のように小さくなったかと思うと、俺の意識は鈍い衝撃と共に途切れていった。
「う……つつ……」
暗い崖下の底で、仰向けに倒れていたリファが身体を起こした。その横で横たわるガイの頭部の下には、赤く染まった砂地が広がっていた。
「……ガイ?なんで……お前がここにいるんだよ」
リファは、そう呟きながらガイを抱き起こすものの、その身体には一片の力も無く、四肢はだらりと投げ出されていた。
「ガイ?……おい、起きろよ。変な冗談はやめてくれよ……頼むから起きてくれ、ガイ!」
焦燥するリファは涙ぐみながら、ゆっくりとガイを揺すっている。リファの胸中は次第に荒れていった。元々不本意とはいえ、この世界を救う要となる人物に力を貸さなければいけないのにも関わらず、自分の所為で彼を死なせてしまったら……という自責が彼女を蝕んでいるのだ。
「……く……?……リファ?大丈夫……か?」
「ガ、ガイ……」
薄っすらと目を開けるガイに、リファは顔を綻ばした。
「い、つ……怪我は無い、か?」
「馬鹿!自分の心配をしろよ!本当になんとも無いのか?頭から血が流れてるんだぞ!」
ガイは頭だけ動かして、赤い砂地を虚ろな目で見つめた。
「確かに……酷いな。だけど、何とか大丈夫、そうだよ……」
「全く……お前という奴は……お願いだからこれ以上寿命を縮めさせないでくれ……。普通だったら死んでいたんだぞ?」
「はは……だけど無事で何よりだ」
両手をつきながらゆっくりと立ち上がろうとするガイ。だが、途中でバランスを崩したのか尻餅をついてしまった。
「ぐ……頭に、響く……」
傷に障ったのか、悶絶するガイにリファは溜息を吐いた。
「ガイ……少しそのままでいろ」
「あ、ああ……そうさせてもらう」
腰を下ろした格好のままガイの正面に移動したリファは、右手をかざすと静かに二言三言呟いた。ガイにはなんと言っているのかは解らなかったが、それが魔法である事は察した。
ガイの周りには、ゆっくりとではあるが淡い光が集まっており、ガイはそれに優しく抱かれた。
「痛みが引いていく……」
「わたしはリフェルほど魔法が得意じゃないけど……とりあえずはこれで大丈夫、だろ?」
ガイは後頭部を擦ったり、立ち上がって軽く運動をして、問題ない事を示すようにしっかりと頷き礼を口にした。
「とりあえず上に戻らなくちゃ……リフェル達は大丈夫なのだろうか」
「どこか登れそうな所を探さないとだな」
辺りを見回すガイに、リファは不思議そうな顔で見つめた。
「なんだ?お前は自力で上がるのか?」
「俺には見ての通り、羽が無いんでね」
その場から見える範囲に登れそうな所は無く、それを確認したガイは早々と移動しようとした。
「わたし達の羽なら一人くらいの重量は大した事は無いよ」
その言葉に、ガイはリファに向き直って眼を瞬かせた。
「でも……いいのか?」
初めに比べて、随分と心を開いてくれたリファ。だが、今だその壁は完全には取り除かれていない事を、ガイは気づいているのだ。そのうえ、自分を運ぶとなると、二本の腕でぶら下がる様に?まるよりも、抱えるようにした方が負担も少なく安定感が増す。詰まる所、身体を密着させなければいけないのだ。
「そんな事を言っている場合じゃないだろう。上で苦戦を強いられてるかもしれないんだぞ?ただ……解っていると思うが変な所を触ったら叩き落す」
最後の言葉だけ、やけに感情が込められていたが、ガイはできるだけそれに気付かない振りをした。
「解っている。俺もまだ死にたくない」
それに頷いたリファは、両手を広げて?まるように促す。
「……」
「なんだ?どうかしたのか?」
黙り込んで?まろうとしないガイに、リファは目を丸くして首を傾げた。
「いやな……なんというか、こうして腕を広げられると恥ず……ガ!」
数秒前までガイの鼻先があったところには、リファが堅く握る拳だけが存在した。その先ではガイが顔面を両手で覆い悶絶していた。
「……何か言う事は?」
「な、何も……」
冷たく冷え切った瞳で見つめられたガイは、涙ぐんだ瞳で見返してそう呟いた。
「とっとと?まれ。置いて行かれたいか?」
「い、いや、本当に悪かった」
ガイはリファを、正面から羽交い絞めにするように?まると、リファは大きく羽ばたいて地を離れる。
一人分の重量が加算されているはずなのだが、リファには何処吹く風といった様子でどんどんと高度を上げていく。
「何というか……凄いとしか言いようが無いな」
「無駄口を叩くな。上に着くぞ」
視界が広がると共に、そこには無数のオークの骸が散らばっていた。
「ガイさん!大丈夫だったんですか!」
「ガイ様、リファ!大丈夫でしたか!」
二人はすぐさま駆け寄ってきて、その身に異常がないかを確認しだした。
「全く……何故あんな無茶をなさるのですか?心臓が止まるかと思いましたよ!」
「う、すまん……気付いたときにはもう飛び出していてな」
リフェルは怒鳴りこそしなかったが、その瞳には怒りがありありと覗う事ができた。
「本当にそうだな。お前は自分がどんな存在なのか解っているのか?」
「……そんなに言わなくたっていいじゃないか。おかげでお前だって怪我もなく済んだんだ。それに、それを確かめる為にもバリスに向かっているんだ」
「ああ、お陰様で『魂を紡ぐ戦士』であるかもしれないお前が死にそうになったわけだ」
「……本当に悪かったよ……それにしても、お前達二人でこの敵を倒したのか?」
俺は骸の山を見渡す。辺りの地面は血を啜り上げており、どす黒く変色していた。
「もう少し戦闘が続いていたら危なかったですけどね」
「キズク様がうまく立ち回ってくださったお陰で、一箇所に固まっていた部隊を錯乱させる事ができて、後はなんとか押し切ることができました」
話によれば、キズクは敵の間を潜り抜けて同士討ちを誘発させた。更に、リフェルの攻撃と味方という死角から繰り出されるキズクの攻撃により、オークの集団はか壊滅し残された僅かなオーク達は足早に逃げ出したという。
「凄いな……戦闘のプロだな」
「そ、そんな買い被りもいいところですよ」
「キズク……そんなに強かったのか?」
「そうは言ってもまだまだ父さんには敵わないんですけどね……?父さんは素手でガーゴイルを倒しちゃいますからね」
「……魔法を使われても?」
「ガーゴイルの魔法は岩石を飛ばすものだけなんで……避けたり耐えたりしていました」
―――耐える?!あの殺人投石を?!―――
―――え……?あれって耐えられるものだっけ?―――
―――……狩人というよりも武道家なのでしょうか?―――
三人とも驚きのあまり声も出なかった。キズクの父親とは一度しか会っていないが、あの鋼のような身体を見れば、納得せざるを得ないだろうけども、リファ達にはそれが解らないから真実味がないだろう。
「どうしたんですか?」
急に黙り込んでしまった三人に対し、キズクの不思議そうに小首を傾げる。
「……いや、世界は広いんだなぁ、と」
「まあ……リファ達は見た事がないしな」
得物に付いた血などを拭き取り、俺はリフェルから治癒魔法を施してもらい傷を完全に癒して、再び歩き始めた。
リファは先頭を歩く俺の横まで来て耳打ちをした。
「さっきの話……本当なのか?」
「ん……多分、な。キズクの父親は……失礼だと思うが、それこそ熊をも勝る風貌だったから」
リファは一度、キズクを盗み見ると顔を俯かせて何かを考える。が、すぐに身震いを起こして顔を青くした。
「……将来、キズクも熊みたくなるのだろうか……?」
リファの不安とも恐れともつかない表情に、俺は苦笑しながら答えた。
「どうだろうな。ただ母親似だぞ、あいつは」
それからしばらくの間リファは少なからず、キズクに敬意とも畏怖ともつかない態度をとるようになったのはまた別の話だった。
次の話へ