第十五話
柔かなそよ風が吹き抜ける。どこまでも続きそうな緑の丘の上に、風を一身に受けてガイは立っていた。
―――ここの丘……どこかで、前に見たことがあるのだが……それに俺は何でここにいるんだ?―――
『お兄ちゃん―――』
一人の少女が手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。
―――あれは由梨菜……?そうか、ここは子供の頃に師父に連れて行かれたんだっけかな―――
その少女はガイの妹で、バリスに降り立つ前ですら、彼女に久しく会っていなかった。それと言うのも、ある日を境にしてガイの性格は一変していたのが原因だった。
バリスに来てからは、それは薄れるように消えていき、今となっては『正常』な彼である。『異常』であった彼は全てを突き放して静かに生きていた。その中に、当然妹の由梨菜が含まれている所為で、ガイは懐かしさと共に強い罪悪感を感じていた。
―――にしても……これは夢なのか?―――
ガイは自分の身体をすり抜けて行った由梨菜を見送る。と、辺りの景色が歪むと、今度は自分の家の師父の部屋へと変わっていった。
『一矢、すべてを目で見ようとするな。敵の動きを読め』
―――今度は師父か……。ヤキが回ったもんだな……―――
ガイは静かに自嘲しながら、『異常』であった自分を自責する。
『一兄……本当にどうしたの?そんな眼、一兄はしないはずだよ……』
何時の間にか自分が変わってしまってから、初めて由梨菜が来た時の事に変わっていた。それが同じ部屋だった為、ガイは彼女が現れるまでその事に気付かなかった。
ふと振り返ると、険しいながらも何処か当たり前な眼をする師父がいた。
―――その眼は一体なんなのですか……。俺がああなってしまって、由梨菜にまでああいう態度を取るだろうと予測していたのですか?それとも……俺がああなる事を知っていたという意味なのですか……?―――
育て親と妹に挟まれながら、ガイは頭を垂らして呟く。
「謝らなくちゃ……いけないな」
『なら……早く眼を覚まして、まずは生きなくてはな』
薄らぐ二人の中、一人の女性が薄っすらと浮かび上がってきた。
「……な……リファ……?」
『今は喜ぶべき時じゃない。早く行くんだ』
「お前も……お前も一緒に……」
『そう思うなら……早く助けてよね……』
半透明のリファは薄らいでいき掻き消えようとする。無駄だと解っていても、足掻かない事ができなかったガイは、必死にその身体に手を伸ばした。
ガイが掴んだ物は、どこまでも透き通る水だった……。
ガイは辺りを見渡すと、どこまで澄んだ水が湛えていた。一部、自分の血で濁されている部分を除けばだが。
―――まずいな……身体が動かない。それに息が……苦しい……―――
リファもちょっと遅かったんじゃないか、などとガイは緊張感の無い事を考えていた。
―――だが冗談じゃなく……このままじゃ本当に死ぬな……―――
死にたくないだろう?
今度ははっきりとあの声が聞こえた……。何処からとも無く聞こえるそれに、ガイは確かに自分の『内側』にあるのだと思った。
―――お前は……!―――
どうだ……力が欲しいか?
―――欲しいな。ああ欲しいさ。だが、前みたくなるんだったら俺はごめんだ―――
そう言うと思ったさ。あれは少々力を注ぎすぎただけの事さ。今度は極僅かの力を注いでやろう……その分あの時ほどの力は出ないが、その分長く戦えるだろう。
―――それなら構わない……だがお前は一体何なんだ―――
今それを話す余裕は無いだろう?
冷たく、感覚も殆ど残っていないような手足で水面へと向かうガイ。このままでは恐らく、水面に向かう前に窒息するであろう事は何となしに解っていた。
―――解った。早くやってくれ!―――
精々、死なない程度に頑張ってくれ
―――精々、そうさせてもらうさ―――
微かに視界が薄らぐ中、ガイはそう返すも声の主は意に介した様子は無く、変わりのその言葉を放った。
いくぞ……
あの時に起こりえた心臓の高鳴りが再び始まった。
「まずい……」
目前の戦況に険しい顔でアンは呟いた。ガイが水中に落ちてから1分以上が経過している。その間、激しい攻防戦が続いていた。最も、石造の力の前では正確には、無意味な攻撃と必死の防御でじりじりと後退する防戦であった。
「ガイさん……もし気絶しているとしたら」
四人は部屋の隅へと追い詰められ、二体の石造は尚も接近して来た。
「万事休すですね……」
「あの時、私達の魔法さえ……」
「シャナ……今は目の前の事に集中して」
焦燥する四人に石造は咆哮を上げる。
「クォォォォォォ」
赤い石造が剣を大きく振り上げる。
「く、まずい……!」
ここから攻撃に転じても間に合わない。全員はそれに悟り覚悟を決めた。
剣が振り下ろされる直前に何かが水中から飛び出した。水飛沫を辺りに撒き散らしながら、石造の頭部に攻撃できるほどの高さまで上り詰めた。
「ガイ!!」
―――間に合った!―――
「うおおおおお!!」
ガイは咆哮を上げると共に大きく剣を振り下ろす。が、身体を揺らして石造はかわした為、頭部を逸れてその上にある三角錐の兜が、ざっくりと切り落とした。
「クォォ」
石造は呻いて身体を揺すり、急激した相手を迎え撃つ。
振り下ろされた剣をガイは、剣を横にして受け止める。
「く……!ぐ……」
あまりにも重い一撃に足元の地面が、重圧に耐えられずひびが走った。今のガイで無ければ、圧し負けて斬り潰されていたのであろう。
―――……やはり強いが、勝てない訳ではない!―――
「はあ!!」
石造の剣を弾くとガイは懇親の一撃を横へ振るう。V字の鎧と逆円錐の下部を斬り飛ばされた石造は、両腕の剣をガイに向かって振り下ろす。二本の剣の僅かな隙間に、身体を滑り込ましてやり過ごしたガイは、下から上へと垂直に切り上げて胴体と思しき逆円錐は両断され崩れ落ちた。
「クォォォォ!」
赤い石造が崩れ始めたのに気付いたのか、黒い石造は吠えながらこちらに近づいて来た。
「ふ……は!」
赤い石造の片方の剣を抱えたガイは、回転しながら遠心力を使って黒い石造に投げつけた。
が、それは難なく受け止められた。そして、突如黒い石造はコマのように回転しだしたのだ。
「何だ?……しまった!」
気付いたと同時に、ガイは剣を立てて受け止めようとするも、受けの体勢が間に合わず、回転しながら繰り出される刃に吹き飛ばされてしまった。
「くそ……」
すぐさま起き上がって反撃に移ろうとするものの、石造の回転は増しており、そう簡単には近づけなかったのだ。
「……ここだ!」
一瞬の隙を突いて突っ込んでいくガイ。石造は身体を傾斜させる事により、攻撃の軌道を変化させてきた。
「やば……!」
避ける体勢に移れる状態じゃないガイは、眼を見開いて眼前にまで迫った刃に死を覚悟した。顔を両断される、という瞬間に刃は浮き上がり前髪をかすめて行き、後から後へと来る太刀を受け流しながら、ガイはその場から離れた。
「大丈夫ですか!」
弓を構えたままのキズクが叫んだ。どうやら先ほどの石造の攻撃が当たらなかったのは、彼らの援護により石造がバランスを崩したからのようだ。
「なんとかな……。だが無傷じゃすまなかったようだ……」
ガイは腹部に鈍い痛みと生暖かい物を感じていた。それに左腕も心臓が鼓動する度に痛みを感じる。
―――もうあまり長くは戦えないかもしれんな―――
魔法による痛みもぶり返してきたのに、ガイはおのずと苦痛の表情に変わっていった。
そんなガイを見下すかのように、黒い石造はコマのように回り続けながら迫ってくる。
ガイはしっかりと地面を踏み締めて、その回転を止めるべく突入する。
「ぐ……!」
その軌道に多少の変化はあったものの、ガイは確かに太刀を受ける。その力強さに、吹き飛ばされずとも地面の上を滑るように圧される。
「く……あああああ!」
腰に力を入れ、脇を引き締めてその流れに止めようとする。が、その速度は緩やかに落ちてはいるが、決して止まる勢いではなかった。
足を滑らせたのか、いきなりガイは転倒する。その好機を逃すまいと石造は、地面をえぐる様に回転しだした。
ガイは横に転がり、それをかわすと赤い石造のもう一本の剣を持ち上げた。
「うおおおおお!」
叩きつける様にその剣を突き立てた。深々と刺さった剣を握り締めて、次の攻撃に備えたのだった。
「ぐあ!」
「クォォ!」
耳が痛くなる程の金属音が鳴り響き、ガイと黒い石造と赤い石造の剣が吹き飛ばされた。
石造は衝撃で怯んでおり、ガイは入り口の壁に叩きつけられた。が、すぐに起き上がって大きく跳躍した。
「これで終わ、あ……な?」
剣を振り下ろす直前、ガイの身体から力が抜けていった。ガイは増幅された力の反動か、平衡感覚すら感じられなかったのだ。。
―――こんな時に……ついてねえな……俺―――
目の前でバランスを崩していくガイは、石造にとって格好の獲物であった。
石造からの袈裟切りの一撃を、殆ど残っていない力を振り絞って避けるガイ。が、もう片方の剣が振るわれる。
「……つ!」
ガイは間接が千切れん勢いで身体を振ってそれを避ける。だが、刃から避けれてもその腹からは逃れられず、叩き落とされたのだった。
「く……」
視界がぼやける中、石造は地面ごとガイを切り上げにかかる。ガイは横に転がって避けようとするが、石造の刃は腹部を捉えていた。
「ぐ……あああああ!」
斬り付けられる勢いで部屋の隅まで吹き飛ばされたガイは、服を赤々と染めながら悶える。
「止まれー!」
キズクは弓を引き絞り、石造に向かって矢を放つ。アン達も魔法を撃ち続けれるも、石造は意に介さずガイの方へと向かっていく。
「逃げろー!殺されるぞ!」
アンの叫びがガイに届く。が、逃げようにもガイには、逃げられるほどの力は残っておらず、呑気に魂を紡ぐ戦士だから殺されはしないだろう、と考えている始末だった。
「く……こうなったら!」
キズクは石造の前に躍り出ると、鉈で攻撃をし始めた。が、石造にとっての優先順位はガイであり、それを邪魔するキズクは剣の腹で叩かれ、アン達の方へと吹き飛ばされてしまった。
シャナとリーナは、空を飛んでガイを助けようとするも、石造の振るう剣に阻まれて近づくことが出来なかった。
「あいつ……本当に殺されるぞ!」
流石にアンも焦りを感じるも、ガイを助けに言っても追い払われるのは眼に見えていた。
「クォォォォ……」
静かに剣を振りかざす石造に対し、ガイは身動ぎながら上半身を起こす。
「く……」
ガイは睨みながら見上げる中、石造がゆらりと動いた。その剣を、力強く振り下ろしたのだ。
「ガイさん!」
やっと起き上がったキズクはその光景に叫ばずにはいられなかった。石造の太刀は床に叩きつけられるようにして斬りつけた為、砂塵が舞い散りガイと石造の姿は捉えられない。
「……」
四人は少しずつ晴れていく砂塵を食い入るように見つめている。
「あ……」
顔の半分を血で染めたガイは、上半身を起こした体勢で両手に赤い石造の剣を持っていた。貫通とまでは言えないが、黒い石造の胴体に深々と刺さっている。一方、黒い石造の攻撃はというと、ガイのこの反撃時に剣と剣が交わり、太刀筋が逸れていたのだった。
結果、ガイは両断されなかったが、頭部を軽く切られて顔を赤く染めているのだった。
「クォォォォォォ……」
黒い石造は悲しげに鳴くと、一つ、また一つと身体が地面に落ちていった。
「はあ……はあ……」
勝った事への余韻などなく、ガイはただ荒い息を繰り返していた。キズク達は初め、その光景を唖然と見ていたが、すぐさまガイの方に駆け寄ってきた。
「ガ―――丈夫―――?」
「はあ……はあ……聞こえ、ねえよ……」
それだけ言うと、ガイは光と音と感触が一気に遠のくのを感じた。その上、頭の中はだんだん白く染まっているのだ。
―――こんだけ……血が流れてるもんな……―――
最後に一息吐くと、ガイはゆっくりと眼を閉じていった。
その部屋には、横たわる一人を取り囲んで慌しく動き出した四人と、その遥か後方で淡い光を放つ石造だけが、その存在を主張するだけだった。
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