第二話


 頭から暗闇の中を落ちていた。つまり、頭から足の方へ風が吹き抜けていたはずだった。だけど気づいた時には、風は正面から吹いていた。少しずつ感覚が戻ってくると、地面にしっかりと立っているのが感じられた。ゆっくりと眼を開けると、そこに広がる景色は木々が生い茂る森だった。さっきまで家の中にいたはずなのに、何故か靴を履いている。
 辺り一面は薄っすらと水で浸っており、木漏れ日が微かな温もりを与えてくれる。この光景にあたしはしばらく魅入ってしまった。
「それにしても……ここは一体?」
 あまりの出来事があり、気付けば見知らぬ土地に一人でいるというのに、大して不安も感じずに済んでいるのは、ここが幻想的な世界であるだからだろう。
 ふと耳を澄ますと、何処からか蜂の羽音のような音が聞こえた。
 辺りをきょろきょろと見渡してその音源を視認する。が、音の主は想像していた物とは違うどころか、そんな物が存在するのかと疑いたくなるような異形の姿であった。
 体長三十センチくらいで身体が棒のように細く、足も針金のように細かった。虫の様に足は六本あり、触覚の無いカマキリの様な頭を持っていた。腹だけは太く大きく、その先端は禍々しい針が付いていた。
 そんな異形が十体近く向かってきていたのだ。
「っひ!」
 今まであった安堵の気持ちはとっくに消えうせ、それの変わりに恐怖に包まれた。未知という恐怖と死の直感が震える事さえ許さず、ただその場に立ち尽くしてしまった。
―――殺される……嫌だ……誰か、助けて!!―――
 颯爽と現れて自分を救ってくれる王子様を想像した。が、当然の如く誰かが助けに来てくれるわけも無く、既にそれらは目前まで迫っていた。
―――もう……だめ!!―――
 死を覚悟して眼を堅く瞑る。
 が、しばらくしても何も起こらなかった。再度ゆっくりと眼を開けると、正面には異形の物はいなく、辺りを見渡すと後方にそれらはいた。
「……あれ?」
―――もしかして人を襲う事は無い、とか?―――
 安堵の溜息を肺に溜まっていた重い空気と一緒に吐き出した。と、木々の隙間を縫う様に小鳥が飛んできた。小鳥は水面に着水し、小さな音を奏でた。
 すると今まで、ふらふらと飛んでいたそれらが眼にも止まらぬ、速さで小鳥に接近し、細い足で小鳥の身体を捕らえて真横に割れた口で食らいついたのだ。
「……」
 あまりの光景と、彼らの変貌に唖然としてしまった。震える足で一後ずさりをすると、小さな水を打ちつける音が静寂の森の響いた。
 異形の物が一斉にこっちを向き、口を開いて威嚇らしき奇声を発している。
「う……そ……」
 自分の愚かさに呪った。再び恐怖がぶり返し、更にあんな鋭い口で自分が蝕まれる、という光景が想像してしまったが為に、その恐怖は先ほどよりも限りなく大きかった。
 それから数分ほど時が止まったように全てが硬直した。威嚇していた異形はまたふらふら飛び始めたのだった。
―――もしかして……眼が見えなくて音で判断しているの?―――
 さっきの小鳥は着水してからも動き続け、水を跳ね続けていたのだ。本当に音のみで判断しているのであれば、音さえたてなければ襲われる危険は無いという事になる。
 ゆっくりと後ずさりをするものの、後方をしっかりと確認しなかったのが裏目にでた。
「きゃっ!」
 木の太い根に足を引っ掛けてしまい、転倒しそうになるものの、何とか体勢を立て直す事ができた。が、大きな音を立てたのは言うまでは無かった。
 当然、再び彼らは一斉に変貌して殺意を差し向けた。
 そのままの姿勢では崩れ落ちるだろうと、何とか立ち上がるもののまた音を立ててしまった。
―――耐えるんだ。どっか行くまで……このまま静かに……―――
 だが、それは訪れる事が無く、針を向けてどんどん加速して向かってくる。
「キシャーーーー!」
 異形のうちの一体が奇声を上げて、一直線に急加速しだした。
「ひっ!」
 完全に気付かれてる悟ると一目散に逃げ出した。あんな物を護身用程度の小さなナイフで、どうにかできようなど思えなかった。
 水を跳ねる音と羽音が入り混じって鼓膜を刺激する。それは恐怖の足音のようで、だが、羽音だけが次第に遠のいていったのだ。
「はぁ……はぁ……助かったの?」
 少しずつ速度を緩めながら後ろを振り返るも、その姿を確認する事はできなかった。
 小鳥を捕らえた時の瞬発力、どうやらあれは本当に瞬間的な速度でしかなく、追う事には長けていないのだろう。
「……一体、何なのよここ……とにかく早くこんな森からは出なくちゃ」
 景色はいいのに、と小さな呟きが静寂に響く。
 それからは絶えず辺りに気を配って移動した。幸い、あの羽音を聞く事も無く、他の何かが現れる事はなかった。

 一時間近くの時間をかけて森を抜けると、そこは広大な平地であった。日は高く眩しくて、それでいて何処か安心感を覚えた。
「森を抜けたのはいいけど……」
 辺りを見回しても特別何かがあるわけでもなく、平地が広がるばかりだった。
「……まさか御伽噺でもあるまいし、ファンタジーな世界だなんて……」
 さっきの獰猛な生物を思い出す。
「……まさか、ね」
 そう呟いた直後、遠吠えと共に狼にそっくりの褐色の生き物が三匹、こちらを向いて走って来た。
「あ……う、あ」
 完全に肝を抜かれて動くまで時間が空き、二十メートルも疾走できなかった。
―――追いつかれる……。何で……何であたしばっかり、こんな目に合わなきゃいけないの?!―――
 獲物を捕らえるべく、一匹が大口を開けて大きく跳躍した。
 が、いきなり大きく横に逸れていった。そのまま地面にどすんと落ちると、その首に太い矢が刺さっているのが確認できた。
「放て!」
 男の叫び声が辺りに響き渡る。それと同時に、似たような大きな狼にまたがった五人が、走りよりながら弓矢を放ってきた。
 小さい女の子もいた。その子は、すれ違い様に湾曲する剣で切りつけ狼のような生き物を翻弄していった。
―――この人達は何……?助けに来てくれたとか……?―――
 現状で言えば助けられてるが、どう見てもあまりいいイメージに受け取れず、失礼ながら野蛮としか受け取れなかった。
―――まさか……捕虜にされて奴隷とか……もしかしたらもっと酷い事を……―――
 次第に青くなる顔で成り行きを見守る。狼のような生き物を蹴散らすと、一人二人とこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫か?お譲ちゃん。俺達がいなかったら今頃、あれの胃袋の中だったな」
 お譲ちゃんなんて呼ばれて反感を覚えるものの、顔中に傷をつけている青年に少し臆してしまい、何も言い出せないでいた。
「まったく勇気のあるガキだな。こんな所に一人でいるとは、正気とは思えねーな」
 初めに叫んだ人が、げらげらと笑いながらそう言った。筋肉隆々の男からはまさしく野蛮と言う文字が思いつかなかった。
「君は怪我はないのか?」
「お姉さん大丈夫?」
「皆一斉に声かけたら、混乱しちゃうでしょ」
 二十歳前後の青年と、先ほど剣を振るっていた少女が声をかけてきた。最後に自分と同じくらいの女の子が、周りを嗜めるように言った。
「見知らぬ人の前だからってリーダーぶるな。一番はしゃぐのは何時だってお前だろ」
 大男の言葉に少女はうるさい、と一蹴する。
「あ……」
「ごめんね、うちの馬鹿達が騒いじゃって。大丈夫?怪我とかは?」
 小さく声を漏らすと、先程の少女がこちらに優しく微笑みかける。
「う、うん……あの、あたしは捕まるの?」
 一応冷静であると思っていたが、意外に混乱していたらしく、自分でも驚くほど変な事を言い出していた。
「え……?……ああ、別にあたし達は人狩りなんてやらないよ。ただの狩人。だから安心して」
 少女は手を差し出すも、その手を取る事が少し躊躇われた。
「大丈夫。別にとって食ったりしないよ」
 こちらの様子を可笑しそうに笑いながら、無理に手を掴んで引っ張り、少女の後ろに乗せる。それを見た大男は小さい物を口に咥えて、警笛のような音を鳴らすと全員が、一斉に手綱を引いて動き出す。
 あたしはその様子を心強く感じると共に、安堵の気持ちで涙がこぼれ出す。誰一人として気付く事も無く、あたしはただただ涙を溢し続けた。


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