第四話
町を出たその日の午後、いわゆる所の魔物と遭遇することになった。その魔物とは、アリアが森の中で遭遇した蜂のような生き物だった。
「うわあ……」
アリアは嫌悪感丸出しの表情で動きを止めた。そのまま静止しているのを見て、シェルナは感心したかのように頷いている。
「やっぱりアリアは凄いな〜。魔物なんていない世界から来たのに、あれの対処をしっかりと心得てる」
「シェルナ達に会う前に襲われて、そこで知っただけだよ……」
思い出したくない記憶が蘇る。小鳥の羽が舞うあの瞬間を思い出し、アリアは戦慄を覚えて身を震わした。
「それでも生き延びたんだから十分でしょ?そういえばアリアは戦えるの?」
「そんな訳無いでしょ」
魔物との距離は十分にあり、小声で会話を続ける。だが、アリアはいつ気付かれるかと気が気で無かったのだ。
「まあそれもそうか……。じゃあここで慣れとこうか」
「え……?」
シェルナの突拍子も無い言葉にアリアは自分の耳を疑った。が、それは幻聴ではなく、シェルナが説明を続けていく様子に、アリアは不安と落胆に塗れた。
「この身体を麻痺させる毒を塗ってある矢で動けなくするから、そのナイフの扱い方をまず覚えよう」
シェルナはアリアが持つ護身用のナイフを指差しながら言った。いくら毒矢による援護があるとはいえ、アリアには胸を撫で下ろすほどの自信は無かった。
「それでも……凄く怖……」
アリアが喋っている途中、すぐ横を風を切って矢が飛んでいった。それは見事に魔物の小さい体に当たり、奇声を発して痙攣を起こした。
「何か言ったー?」
「……そう、だね。できれば心の準備ぐらいさせて欲しかったかな……」
アリアの顔が青ざめている事に、気付かないシェルナは軽快に次の矢を放ち、気付いているシェリナは姉を止めるべきかどうすべきかと間誤付いていた。
町に到着したのは日没だった。到着するまでに現れた魔物は、徹底的にアリアをしごく為の的とされた。シェルナのスパルタのお陰で、アリアは一応は戦い方を覚えはしたものの、今後できる限り魔物と遭遇したくないと、今まで以上に祈るようになった。
相手がまともに動けなくなる毒とはいえ、いきなり牙を向いて襲い掛かってくる事だってある。
『危なかったら助けるから』
シェルナはそう言ってはいたものの、本当に危なくなるまで助ける気はなさそうだった。最も、アリアとて何でもかんでも彼女達に頼ろうとは思わず、できうる限り自力で頑張ろうとしていたのは事実だった。
―――ここに来てから助けられっぱなしだなあ……二人と違った環境で育ったとはいえ、いつまでも助けられるだけの『荷物』は嫌だよなぁ……―――
宿のベッドにうつ伏せで突っ込んだまま、アリアは溜息を吐いた。疲労で身体が鉛の様に重かったのだ。
シェルナは遊び足りないと言わんばかりに、ベッドに盛大なダイブを決め込んだ。
「実はさー最後辺り、アリアには厳しいかなって思ってたんだけど、よく倒せたね」
「まあ……運動神経は悪くなかったからね」
擦れた声でアリアは呟くと、シェリナが心配そうに覗き込む。
「やっぱり、シェル姉を止めるべきでしたよね……アリアお姉ちゃん、ごめんなさい」
アリアは苦笑しながら、大丈夫だよ、とシェリナに呟いた。
「あー……もう今すぐ寝ちゃいたい」
「気持ちは解るけど、折角食事が付いているんだから食べようよ。それにお風呂に入っとかなくていいのー?」
にまにまと笑うシェルナ。アリアは仰向けになって、一度腕や身体を見渡した。汗は掻くし、服だって汚れているのだ。
「まあ、少し休んでから夕食にしよっか」
「そうだね……でもこのままだと寝ちゃいそう……」
「その時は起こしますよ。……それとアリアお姉ちゃん、あまり自分を追い込まないでくださいね」
「ふえ……?」
重くなってくる瞼を必死に開けながら、シェリナの言葉に変な声で返してしまった。
「何だか、行動の端々に切羽詰っているような感じがするんです」
「えー?そうー?」
シェルナの言葉を無視してシェリナは続ける。
「いきなり普通に戦える方がおかしいんですよ。だからもっと気楽にして下さい」
「そっか……そんなつもりじゃなかったけど……早く強くならなきゃっていうのは確かにあったかも」
「えー。全然そんな感じしなかったのにー」
今だ言い続けるシェルナにシェリナは嘲る様に言った。
「シェル姉は鈍感だから気付きようが無いんだよー」
「……言ってくれるじゃない?」
シェルナは飛びついて、シェリナの首に腕を回して軽く締めながらふざけ出した。
「そういえばさ……例のあの人」
「ん?ガイ何とかって人?」
シェルナは、シェリナの首を閉めたまま、首だけ動かしてこちらを向いた。
「あたし達とどっちが早くバリスに着くのかな?」
「互いに真っ直ぐに向かったとしても、向こうが先に着くだろうね」
「行き違いにならないといいんですけどね……」
シェリナはシェルナに首を絞められつつも、不安そうに呟いた。彼がどういう理由でバリスに向かうかにもよるが、行き違いになる可能性は決して否定できないのだ。
「そうだね。にしてもどういう人なのかなー」
アリアはぼんやりと天井を眺めながら、見ず知らずの少年を思い描く。
「気になるんなら、何であの人達に聞かなかったのさー」
「準備やら何やらで忙しかったじゃん」
シェルナの言うあの人達とは、森の狩人の村から来た人達の事だった。聞けば詳細にとまでは言わずとも、大なり小なり雰囲気くらいは知る事はできただろう。だが、アリアが口を尖らせて言うように、準備に追われていてそれどころではなかったのだ。
「シェル姉って本当にそういう話好きだよねー。今頃、その人はくしゃみしているんじゃないの?」
シェリナは別段、面白い話題でもないといった風であった。年頃の少女なら、関心の一つくらいありそうな話題だが、彼女にはあまり美味しそうな話題のタネではないらしい。
「ま、シェリナにはこういう話にちょーと早いだけじゃないかなー」
「シェル姉が贅沢すぎるんだよ」
そこは流石姉妹。シェルナの言葉を気に止める事の無いシェリナ。
「言うに事欠いてこいつは〜〜」
シェルナはシェリナに飛びついた。再びこの姉妹の戯れが始まるのを、アリアは苦笑しながら見ていた。そして、アリアはふと自分の弟の事を思い出した。
随分と長い間、会話らしい会話がなかったのを思い出す。別に無感動だという訳ではないのに、気付くと何かを楽しいと思う事が無くなっていたのだ。それに悩みつつもしばらくの間、味気なくなった人生を歩き続け、今は心から様々な事を楽しいと感じられるのだ。
アリアにとって、自分自身の事でありながら、大きな謎として胸に拭い消せない何かが残ったままである。
―――訳解んないよなー。感情とかが麻痺してた、って訳でもないしなぁ……―――
アリアは呆然としているのをシェルナが気付いた。
「だいぶ体力も回復してるみたいだし、そろそろご飯食べようよ」
「え……?そっかそうだったね」
「よーし、いっぱい食べるぞー」
シェルナは元気良くベッドから跳ね起き、宿屋に備え付けられている食堂に向かった。
シェルナの後を、アリアとシェリナが苦笑しながら追っていく。
騒いで、食事を済ましてまた騒ぐ。そうしていく中、淡々と夜は更けていった。
そんな中、アリアはまだ見ぬ『自分と同じ』少年と、まだ見ぬこの世界の先の事をぼんやりと考えていた。
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