これは、運命という名の刻が動き出す前の物語。
「頼むぜ」
少年高丘一矢は呻く様に呟いた。彼の目の前には一矢と同じ制服姿の少年が三人、険しい顔をして立っていた。
「頼むぜ、だと? お前が一体何をしたのか解っているのか?!」
「知り合いと話していただけじゃんかよ」
「その相手は……?」
「……先輩だ」
何が言いたいのか解っている分、一矢は答えるのが面倒になっていた。
「そう……そしてどんな先輩だ!」
「あーもー解ったよ。女子の先輩だ。これで納得してもらたか? OK?」
「……」
解っている。いや、一矢は解っていた。これで納得してもらえたら、そもそもこんな騒動にはならない。というか、もう三度目なのだ。
「お前は……暗黙の了解を無視して女子と、しかも先輩という美味しい立場の方と、お付き合いしているとはどういう事だ……?」
「美味しいかどうかは別として、ただの知り合いだ」
「どういう知り合いだ」
「家が近くだった。いや、これはマジで初めて知った事だぞ」
「だが小学校の頃、一緒にいる所なんか見たこと無いぞ!」
「んな事言われてもねー。別にクラブに入ってなかったから、年上とは縁が無かったし……まあ、人間何処でどう繋がるか解らないってやつだ」
正直な話、今になって知り合いになった理由は知っている。ただ、それは決して触れてはならない、触れられる者など殆どいない一矢の姿を露にする事になるのだ。話せるはずも無い。
「まあいい……これ以上の言い争いは時間の無駄のようだな」
何処か諦めた様子の少年達に、一矢はやっと終わるかと思い、大きな溜息を吐いた。が、すぐにそれを後悔した。
「兎にも角にも、お前には制裁が必要だという事は揺ぎ無いからな」
時々思う。昔の大学は、政府とかそんな所に対し、抗おうとするレジスタンスのような者を育てていたと聞く。きっと彼らは、その時代に生きるべき人間なのだろう、と。
「さて、何か言い残す事はあるか?」
まるで、せめてもの情けをかけてやる、といった風情の少年達に、一矢は再び溜息を吐いた。
「そうだな……死ね」
三人のうち、さっきから喋っていた背の高い少年の鳩尾に一発、他二人の顎にも一発と一矢は拳を叩き込んでいく。
「お……おの、れぇぇぇ」
倒れこむ三人は、這いずり回りながら呻き声を上げる。一矢はそれを揚々と見ながら、彼なりの配慮を見せた。
「逝ってこーい」
「付き合いきれるかよ、ったく」
気絶すれば痛みも無い。三人の顛末は推して知るべし。一矢はその場を早急に離れると、学校から出る事が先決であると判断し、玄関へと向かっていった。
「あそこだ! 追え!」
すぐに見つかり、迫り来る四人の追っ手。
しばらくそのまま走り続け、一矢は一度、相手との距離を見る為に振り向いた。
「……? 三、四、五、六、七……あれ?」
一矢は正面を向いて、しばらく考え込む。そしてもう一度振り返ると、追っ手は八人になっていた。
「ふ、増えてる?!」
まるで湧き出すような彼らに、一矢は顔引きつらせながら階段に近づく。
「階段を封鎖しろー!!」
まるで、それが召還の魔法の如く、前方にわらわらと溢れ出す男子生徒。
「……一応警告するぞー。邪魔する奴は薙ぎ払う」
それでもひかない人の波。一矢は溜息を吐いて人込に特攻をしかけた。だが、その壁は厚く、階下まで繋がっているのではないかと思うほどだった。
一矢は仕方なしに、先頭の一塊を蹴散らすとくるりと背中を見せ、元来た道を走り出したのだ。
「くそ! A班がやられた!!」
一矢の後方では仲間を介抱しながら、そんな事を叫んでいた。当然、一矢にも聞こえていた訳だが、とりあえず聞かなかった事にした。
「絶対に校舎から出すな! 外へ逃がすなよ!!」
立ちはだかる追っ手の八人は、一矢がこちらに向かってきた事に志気を高めた。この時になって、体育館裏で無く校舎の四階で呼び出された理由を理解するに至ったのだ。
「マジで付き合いきれねーよ」
正面の三人を一撃で昏倒させると、一矢はそのまま西階段へと走っていった。
逆走をしだす事を考えていないのか、少年達はただただ一矢を追うばかりで、一矢自身は三階へと降り立つ事ができた。が、階下から聞こえる喧騒に、一矢は足を止めた。
――凄い数が上がってきていそうだな……このまま教室で篭城ってのもあれだしな……――
選択肢の見えない分岐点に一矢は軽く間誤付く。
「一矢、こっちこっち」
「お」
迷う一矢に声をかけた主は、親友兼悪友の嵩凪 劉也だった。
「早く、この部屋に」
と、劉也が手招きをしているのはどう見ても普通の教室であった。だが、幼馴染である一矢には、彼がただ篭城をするつもりでない事くらいは解っていた。具体的な事までは解らずとも。
一矢は招かれるままに、教室へと入ると内側から鍵をかける。
「それで、これからどうするんだ?」
「こいつを見ろよ」
劉也は窓の方へと親指で指し示す。一矢は窓際に近づくと、劉也の指した物をすぐに理解した。それは、窓から丈夫そうな綱が下へと降りているのだ。
「よくもまあこんなものを……どっから持ってきたんだ?」
「大縄跳びの縄さ。さ、早いとこずらかるぞ。外まで包囲された意味がなくなるからな」
一矢と劉也の家はごく近所にある。幼い頃からよく一緒におり、一時は一矢の育て親である師父の元で、様々な稽古に励んだ身であるのだ。
そんな二人は、家とは逆の方角にあるコンビニで黙々と漫画を読み続けていた。劉也は手にしていた漫画を読み終えたらしく、元の位置に戻すと伸びをしながら店内の時計に目を向けた。
「そろそろ諦める頃合か……」
「……」
「どうした? 冴えない顔をして?」
「……あいつがまだ現れていない。まだ、何かがあるような気がするんだ」
「……あ〜あいつ、か」
劉也は、一矢が問題視している事柄を理解した。彼らの言うあいつとは、同じ幼馴染ではあるものの、よく一矢と敵対する存在である。そして、敵対しては敗退していく男、大行寺 久。
中学に上がってからは敵対する事が多くなり、更には指揮官として存在する。大した出世である。
「……」
「……」
「ここから家までのルートに伏兵を置いて奇襲」
「いや、裏をかいて既に家に入り込まれてるとか?」
「明日の朝校門前でごっついコンパニオンの歓迎」
「既にこのコンビニの周りを包囲されている?」
「どれをとっても否定できんな……」
ふう、と溜息を吐く一矢に、劉也は宥めるように肩に手を置く。
「とりあえず帰ろうぜ? ここにいたって包囲されていれば意味ない訳だし」
「そうだな……無事に帰れるといいんだがなぁ」
二人は店から出ると、月明かりが辺りを照らしていた。街灯や建物から漏れる光がなくても、出歩くのに問題はないだろう。
「月が綺麗だな、一矢」
「ああ……だがな……だが、しかし……」
心安らぐ光だった。それに照らされている二人は、それを台無しにする存在に目を向ける。
「ふはははは! やっと出てきたか、一矢! 今日こそお前に引導を渡してくれる!」
ずらりと並んだ学生服の少年達。その中央には体格のいい少年がいた。別に言えば図体がでかい
「むさ苦しい事この上ない」
「右に同じく」
一矢と劉也はげんなりと、さも疲れていると言った様子の中、久が一矢目掛けて駆け出した。
「流石です、大佐! よーし皆! 大佐の後に続き突撃しろ!!」
『おおおーーー!』
異常なまでの興奮ぶり。それは最早、狂っているとしか言えまい。
「麻薬でもやってそうな勢いだ」
「でもあれが素だからねぇ。こういう時の」
「いぃっしいいぃぃ!! しいぃねえぇぇぇ!!!」
涎をだらだら垂らしながら走っていたら、どう見てもあれなのだが、見た目は凄まじい形相で走ってくるだけ。
「警察、どうにかしてくれないかな、アレ」
「うーん無理じゃない? 民事不介入とかそういうのに引っかかるかもしれないし」
「治安維持の名目上、色々な物を行使して頂きたいな……」
目の前にまで迫りくる久。一矢は背を向けて走り出した。この町の周辺には一矢の『武器庫』たるものが存在する。別に久に対するものという訳ではなく、彼自身の立ち位置による問題で、こういったものが必要なだけである。その問題はというと、一矢の触れられたくない姿、というのに直結するものである。
「武器庫に行こう」
「お? 半殺すつもりとかか?」
劉也は数少ない一矢のそういった面を知る者。だからこそ武器庫で意味が通ると共に、どれだけ物騒なのかも理解できるというものである。
「なあに、『軽く』眠ってもらうだけさ」
「そうか。だけど、武器庫の位置移さなきゃだな」
「そうだな。面倒な事この上無いよ」
一度使えば倉庫は移す。何をしてそこが、人の目に晒されるか解らないからである。そして今回、人すら通る事の出来ない塀と塀の間の狭い空間から、一矢は武器を取り出した。
「ほれ」
太い木製の二メートル近くある棒を、一矢は劉也に放って渡した。一見すればただの資材のように見えるが、しっかりと手入れがされているのだ。
「いいいぃぃぃっしぃぃぃ!!」
「りゅううぅぅぅやああぁぁぁ、お前もだあああぁぁぁ!!」
「あれ、おかしいな? 何で俺まで?」
「おめでとう、これで君も同じだ。と、冗談はここまでにして……眠れ、久」
棒を振りかざして踏み込む一矢。別に頭を勝ち割ろうという訳ではない。ただ身体の大きい久に対し、ごく平凡的な身長の一矢では振り上げなければ、うまく昏倒させられるような位置に当てられないのだ。だが、今回はそれが失敗となった。
「うお?!」
踏み出した瞬間、一矢は盛大にすっ転んだ。一矢は振り返って後方を確認すると、いつからかは解らないが、電柱と電柱の間に紐が張ってある。
「ぶわははは、罠に引っ掛かりやがったな! これで終わりだ!!」
「久にしてはずいぶんと頭を使いやがって……何時の間にそんだけ脳みそでかくなったんだ……うお!」
悪態をつきながら一矢は身を起こそうとした瞬間、久は飛び掛って一矢を押し倒し馬乗りにした。
「あ〜あ、珍しく一矢がヘマ踏んだ」
「……るっせぇ! てか助けろ!」
「俺は他の奴ら捌くから、久よろしくー」
「あ、てめ、待て!」
しれっと、背中を見せて走り出す劉也に、一矢はささやかな呪いを送るもやはり無駄だった。
「どうやら天にも見放された様だな。終わりだ! 一矢!!」
久は拳を振りかざし殴りつけてくる。
「つ! てめ、ちょ、やめ! あ、先輩」
腕で顔への攻撃を防ぎながら、一矢は唐突に久の背後に目を向けた。
「な、何? こ、これは男と男の語り合いでして……!」
振り返りながら弁明する久。 ちなみにこの手は、今までに何度も使ってきた。実際にその場に居合わせた時もあったが。
「まあ、なんだ。馬鹿でありがとう」
「……やれやれ」
一矢は服の汚れを叩きながら、ボコボコにたこ殴られて伸びている久を見下ろす。
「く、くそ……撤退だ! 撤退するぞー!」
頭を失った組織とは脆いとよく言うが、正にこれがその通り。
「全く、この先ずっとなのかなぁ……あーやだやだ」
「一矢は大丈夫なのかい?」
「まあ、な。とっとと帰るぞ」
「久はどうするんだ?」
「自業自得だ。ほっとけ」
一矢は棍棒を元の位置に戻すと、その場を離れようと歩き出した。いきなり久が起きだして、襲い掛かられたらたまったものではない。
「あ、一矢と劉也君ー」
道を曲がって、おぞましい屍も見えなくなった所で、先ほどからの騒動の中心となっている人物と遭遇した。
一矢達より一つ年上のこの少女は潮波 香奈。
「こんな時間にこんな所で何しているの?」
「色々と、ね。先輩こそどうしたのさ」
香奈もまた、方角的には一矢達と同じである。にもかかわらず、彼女もまた、家とは全く違う方角のここにいるのだ。
「委員会の関係でね。それより二人とも帰るところ?」
「もっと早くに帰りたかったが、実に今が帰りだ」
「ふーん? ま、何があったかは知らないけど、一緒に帰ろうよ。劉也君もいいよね?」
「別に構いませんよ」
三人は他愛の無い会話をしながら家路についていく。これから先も、この馬鹿騒動に巻き込まれ走って殴り、こうして仲間達と他愛の無い一時を過ごすのだろう……。一矢はそう思っていた……。高校に行ってばらばらになり、こうする時間がなくなるまでは……。
一矢はそう考えていた。
だが、しかし……。
もっと別の、そう、たった一つの歯車の狂いが、いや、正常に動き出した事によって全てが狂いだす事を……。