人と人との巡り合わせ。その奇跡は本当に数奇なものである。高丘一矢こと、俺は心からそう思っている。
 例えば劉也。家が近いだけで、師父の下とで厳しい稽古を受けた仲。全てを知っているとは言わずとも、互いが互いの深い所まで理解しあっている。例えば久。師父の稽古の甲斐あってか、近辺のガキどもを仕切っていたガキ大将であったあいつを打ちのめし、そして、衝突こそすれど親友となった。
 そして、例えば先輩。塩波香奈先輩との出会いは……正に数奇的なものであるだろう。それは、確か目的もなく出歩きたくなるような、綺麗な満月の晩だった……。

「少しくらい、いいじゃねぇか」
 まだ、町の治安があまりにも酷い頃だった。町の一角にある人気の無い道。時間も遅い事からより一層人がいない道。そこには典型的と言っていいほど、柄の悪い男二人が女性を囲んでいた。正確に言えば、少年二人と一人の少女である。
「放してください!!」
 少女の抵抗するも空しく、二人は少女を裏路地に連れて行ったのだった。
「……」
 人気のない道路で起きたそれを、見つめる者が一人いた。十二になったばかりの一矢は、頭をがりがりと掻きながらどうするかを思案していた。
「典型的というか何と言うか……標本にして展示したいぐらい模範的な事だ」
 一矢は一人頷くと、今度は困った様子で頭を掻き毟る。
「にしても困ったなぁ……今日は仮面なんか持ってきてないしなぁ……」
 一矢の心配は、ここで助けに行って素性がばれるという事である。彼は裏ではイレイザーと呼ばれ恐れられている。ただ、『彼自身』がイレイザーだという事を知る者は数少ない。
 というのも、彼自身、力で押さえ込まれればそれまでだが、それなりの力を持っており、秘密裏で暴走族や悪質な暴力団などを掃討しているのだ。今では、警察から報酬を受け取るという仕組みが出来上がっており、それこそ秘密裏に行われている。ただ、イレイザーの存在自体はもう、近辺の小学生でも知っている常識である。
 素性がばれたら最後、一矢は殺されるであろう事は容易に想像がつく。だから、今少女を助けに行くべきかを躊躇しているのだ。
「見てしまった以上、助ける他あるまいし……ん……?」
 静かに流れる風に乗って、一矢の顔に大きな広葉樹の葉が触れた。
「……背に……腹は、変えられん……よなぁ」
 自分に言い聞かせるように、一矢は重い口調で言葉を漏らした。

「いやだ! 放して!! 誰か、助けて!!」
「こんな所に誰かが来るもんか。おとなしくしていないと、痛い目に会うよ?」
 少年は少女に馬乗りになって両腕を押さえつけた。少女は抵抗するのを諦めたのか、歯を食いしばって耐えるような様子を見せる。
「ん……? 何だ、お前は?」
「どうした?」
 立っている一人の言葉に、少女を押さえつけている一人が道路の方を向いた。そこには、自分達よりも背の低い少年が、大きな葉っぱを顔につけて立っていた。
「おい……何か危なそうなのがいるんだが……どうするよ。俺近づきたくないんだが」
 立っている少年は、一矢の姿に引いている。これが大の大人だがやっていたら、まず間違いなく全力で逃げるだろう。
「どうせこの先は行き止まりだ。この馬鹿を袋にしてやろうぜ」
「え、やるのか? これを?」
「当たり前だろ。ボッコボコにしてやって、馬鹿の面を拝ましてもらおうじゃねえか」
 あまり乗り気でない片割れを他所に、少女を押さえつけていた少年は、立ち上がると共に一矢に殴りかかった。
「うおおおおおお!」
 少年が吼えながら一矢に拳を振るう。が、一矢は難なくそれをかわしていく。右に左に後方に、と避けづらい路地裏のはずなのに、身軽に攻撃を避けていく。
「何でだよ! 何であたらねぇんだよ!!」
「何なんだこいつ……まさか、凄く強いのか?」
――劉也達ならまだしも……こいつ程度に攻撃を当てられてたらなぁ……可愛そうだが当たらなくて当然なんだよな――
 仲間の苦戦に、傍観していたもう一人が動いた。二人がかりで襲い掛かるも、狭い路地裏では効率も悪く、余計に当たり辛くなる。
 一矢は、初めから殴ってきていた少年の眉間を狙った一撃をバックステップで避けると、踏み込んで顎に一撃を入れる。脳を大きく揺すられた少年は膝を付き、彼の即頭部に一矢が蹴りを叩き込んだ。
「……え?」
 いきなりの反撃で沈黙した少年を見て、片割れの方が間の抜けた声を出してその様子を眺めていた。
「……」
 一言も発せず一矢は片割れをじっと見据える。葉っぱに開いた二つの穴から、見つめられている事に気づいた少年は、恐怖が込み上げてきたのか膝が笑い出す。
「ま、待ってくれ、俺ら何もしてないだろ? な、お前の気に触ったのなら謝るからさ……頼むよ? な?」
 だが、一矢はただ黙って少年を見据え、ゆっくりと近づいていく。
「頼む! 見逃してくれ! 謝る、謝るから、ごめんなさい!」
 それでも一矢は黙って少年に近づいていく。少年は腰を抜かして尻餅をつき、ずりずりと後ろへ下がっていく。一矢は踏み込んで少年の胸倉を掴み立たせる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしませんから! うあ、た、助け……!」

 二人の少年が倒れている路地裏。二人とも学生服から察するに、そういう輩の多い中学校だという事が理解できた。襲われていた少女といえば、少女もまた制服を着ている。だが、特別悪い噂を聞く所ではなかった。その所為で、一矢には何処の中学校なのかは解らない訳だがだが。
――にしても……全くどうなっているんだか――
 一矢は黙って、少女に手を差し伸べる。別にこんな時間に少女が一人でいる事に呆れている訳ではない。まさか、中学生がこういった犠牲者になるような話は聞いた事がない。
「あ……助けてくれて、あり、がとう」
 目の前で起きた事が、頭の中で収拾できていないのか呆然としている。少なくとも、一矢の姿に怯えている様子ではないようだ。
 しばらくすると落ち着いてきたのか、少女は一旦辺りを見回しつつ、差し出したままの手を取り立ち上がりながら、
「あたし……助かったん、だよね?」
 そう聞かれても、できるだけ自分のソースが流れ出てほしくない一矢は、ただ首肯するだけだった。
「君が、助けてくれたんだよね?」
 やはり一矢は頷くだけだったが、少女は安堵の笑顔を見せた。が、その笑顔もほんの数秒で、すぐに泣き出してしまった。
「う、ぐす、こわ、かった。こわかった、よう…………」
 本来なら気の利いた事でも言いたいものだが、一矢は声をかける事もできずただ頭を撫でながら、自分のハンカチを渡した。
「ひく、うっく、あり、がとう、助けて、くれて、ありがとう」
 しばらく泣き続けるも、落ち着いてきたのか鼻をすする音だけになった。それを確認した一矢は、背を向けて元来た道を歩き出した。
「う、うん。あ、待って……その名前……」
「……」
 一矢は黙ったまま振り返る。そこで少女は自分の目の前の少年が何者かを悟るに至った。
「イレイザー……?」
 何も言わない。何もしない。ただ見つめ返すだけの答え。その時、強い風が吹いてきた。
「……あ」
 少女から声が漏れる。一矢が自分の服から取った綻びの糸は外れ、それを支えにしていた葉は風に乗って飛んでいった。
「……」
 一矢は思う。今の自分がどんだけ締まらない顔をしているのだろうかと。
 一矢は思う。全て物事がうまく行く事など、そうは起こらないだろうと。
「えっと……」
 そして少女はうろたえていた。イレイザーの素顔を見てしまった事に、消されるのではないかという恐怖がこみ上げる。
 一矢は、自分の運の悪さと信じはしない神を怨みながら、少女に対し大きな殺気を放った。その警告はしっかりと少女に届き足を竦ました。
 仕方ないとはいえ自己嫌悪に陥りながら、一矢は少女に背を向けその場を離れた。彼にはこうする他なかったのだ。

 それから約一年後。
 何事も無く生きてこられた。あの日の事で何かあった訳でもなく、ただ普通に生活してきた。そう、中学校へ入学するまでは……。