「暑いよなぁ……」
 蒼穹の海と空。足元に広がるのは黄砂。頭上にあるのは紅白の派手なパラソル。それが作る影の中に、高丘一矢は首にタオルを掛け、足を投げ出して座っていた。
「だったら泳ごうぜ? 何しにきたんだよ」
 彼の脇には、髪から滴を垂らす親友の姿、笠凪 劉也の姿があった。そう、ここは真夏の浜辺であり、彼らにとって中学最後の夏だった。無論、本当ならこんな所にいる場合ではないものの、どうにも危機感の沸かない彼らは、こうして夏を満喫していたのだ。しかも、泊まりで来ているときたものだ。
「金払ってここまで来てるんだ。元は取らなきゃ勿体無いぜ」
「二人の言うとおり。折角遊びに来たのに、遊ばなかったら時間の無駄よ?」
 二人の姿を見つけると、もう一人の親友である大行司 久と、三人の一つ上の先輩である潮波 香奈が寄って来た。
「うるせー。こちとら、足に重りを付けられてんだよ!」
 一矢が指差す足首あたりには、金属の塊が食らいついていた。どうにも、彼の育て親である師父が、この数日の剣の稽古免除の代わりにとこれを付けたのだという。おまけに、これは鍵を用いており、当然一矢には開ける事ができなかった。
「時々、お前んちの人の事がよく解らなくなるな」
「一緒に暮らしている俺だってよく解っていないんだ。お前に解るもんか」
 日は緩やかに傾きつつあり、一矢はと言えば午前中に泳いだ段階でばててしまい未だにぐったりとしているのだった。
「重い……疲れる程に負担が大きく感じる……」
「まあ、そりゃそうだろうな。じゃあスイカ割りとかしてみるか?」
「人が多いのに迷惑だろ……つっても暑いし……軽く泳ぐべきか……」
 見るからに疲れた表情の一矢は、海へと足を進めていき、岩場より飛び込んでいった。
「……あいつ、あそこら辺は深いのに、あの重り付けたままで大丈夫なんだろうか?」
 数分後、海中から上がってきた一矢の表情は、憔悴以外に何ものでもなかった。

「酷い目にあった……」
「あれは、お前が馬鹿しただけだろ」
 いい感じに頭の中が煮だっていた一矢にとって、昼間の行動は自分でも理解できていなかった。
「とりあえずご飯食べようよ」
 流石に豪華な所ではないにしろ、夕食と朝食は出てくるのだ。当然料理が豪華、なんて事はないのだが、あるだけ有難いものである。
「そういや、ここら辺って結構そっちのスポットらしいんだな」
 運ばれてきたのは、飯と漬物など幾つかのおかず、そして簡単な鍋であった。劉也は、ライターで鍋を載せている土台の底にある固形燃料に火をつけながら呟いた。
 その言葉に久が全身を大きく揺するも、何事も無かったかのように劉也の様に火をつける。別に彼がそういう話が苦手という訳ではない。この手の事が好物である劉也に振り回される事を恐れたのだ。
「豪華って訳じゃないが、中々うまそうな鍋だな」
 一矢は、鍋の蓋を手に取り、中を覗きながら劉也の話を流そうと試みた。だが、その意思を知らず、彼の行為を無下にする人物がここにはいたのだ。
「へ〜どんなの? 結構やばかったりする?」
 潮波 香奈であった。彼女は彼女で、この手の話が好んでいた事を一矢を忘れていたのだ。そんな心中を察する事無く、二人は意気投合し、今夜にもそのスポットをいくつか回ろうという話になった。当然、一矢と久に拒否権は無かった。

「どうしてこうなるんだろうか……」
 一矢は電柱にもたれ掛かりながら項垂れていた。久はその側で俯いてしゃがんでいた。
「……お前、大丈夫か? 確か霊感とかってあったよな」
「家柄、そういうのは少なからず、な。ここはまだいいけど、話を聞く限り、あいつらのメインディッシュでは死にそうだ」
 いつもなら顔を真っ赤にしながら一矢を追いかけるその姿は何処へやら、顔面蒼白の久は気だるそうな口調で応答した。
「メインディッシュねえ……一体どういう所なんだ?」
「目撃例も曰くもある洋館だと。マジで帰りてぇ……」
 そのままぶつぶつとお経を唱え始めた久に、一矢は何と声を掛けるべきか考えあぐね、ただ一言、ご愁傷様と言うと、視線を辺りへと向けた。
 そこは木々が生い茂る公園で、夜が更けると時々『現れる』という噂で持ち切りである。今現在、それを見ようと、香奈と劉也は公園の奥へと進んで行くも、元々疲労があったのと、あまり得意でない話なので一矢は公園の外にある道路で待つことにしたのだ。ちなみに久は、もしもの時の為、一緒にいるのだが、流石に中までは行きたくないらしい。
「……初めからそんな調子じゃ、いざって時でも力になれないんじゃないのか?」
 気を落ち着けようと、長々と経を唱える久に、一矢は覗き込むようにしゃがんだ。
「それはそうだが……お前は幽霊とかを斬れるのかよ?」
「さあてな。生憎接触した事が無いんでね。ま、無理だろうなあ」
「だったら、俺がいるしかねーじゃんか」
「つったって、一番遭遇し易い二人と別行動だからなぁ……」
「多分、今日はここじゃ出ない。そんなに感じられんからな」
「ほー、便利なセンサーだな。それ言って、さっさと終わらしたいが……あの二人だ。聞いちゃくれないだろうなあ……」
 容易く想像できるあたり、それ以外の未来が無いだろうという確信が生じてしまう。一矢は大人しく、二人の気が済むのを待つしかないと判断した。
「つーか二人とも遅いな」
「俺らの事忘れて、先に行っちまってたりしてたりしてな。まあ次の場所は近くだから、ここからでも感じ取ることはできるが……」
 いい加減、足が疲れたのか、久は路上に腰を下ろしてしまった。車一台分程度の道である事も原因なのか、この道を走る車は0だという。久が辺りの様子を把握できる事を知ると、一矢も同じように座り、ゆっくりと英気を養う事にした。
 それからしばらくすると二人は戻ってきた。二人が不満そうな顔をしている事から、面白いものは無かったようだ。だが、何がどう起こるかも解らない事を心配する、一矢と久にとってはそれが一番良い結果である。
「よーし、次行くぞ次。潰れた海の家の所はついでに行ったから、次はマンションだな」
「管理人さんに怒られるんじゃないか?」
 一矢は至極全うそうな意見を言うも、劉也は至極全うな答えを提示する。
「棄てられてから数年も経っているから大丈夫」
「どちらにしても、不法侵入とかの罪にはなるんじゃ……」
 暴走族とかに比べれば、と言いながら劉也と香奈は、目的地へと歩き出していた。一矢と久はしばらく顔を見合わせるも、ため息を一つ残して二人の後を追いかけていった。

「結構、雰囲気はきついところだな……」
 屋内に入るのすら躊躇する不気味な雰囲気に、一矢は開け放たれた入り口に足を踏み入れられなかった。
「何気に怖がりだよな、お前」
 青い顔で間誤付く一矢に、劉也は涼しい顔で呟いた。一矢はそんな劉也に異物を見る目を差し向けた。
「そんな目で見るな……先輩だって同じだぞ」
 香奈と言えば、それこそ子供の様に大はしゃぎしている。これで、本当に出るようなものなら狂喜乱舞しかねない。
「お前ら絶対おかしい。頭のネジが百単位で飛んでるって」
「そりゃあ、周りに比べたら突出しているとは思うが……まあいいや、お前らはここで残っているのか?」
 劉也の問いに一矢と久は、再び顔を見合した。一矢が何を言いたいのかを察し、久は一つの助言をした。
「ここはヤバイかもしれない……」
 助言と言うより死刑宣告だった。

「……」
 マンションの階層は7階、そして今は5階にいる。1階からここまで、一矢は手短にあった木の棒を用いての構えを解く事は無かった。
「一矢って、そんなに怪奇物って嫌いだったっけ?」
 その姿を見た香奈は、素朴な質問をするものの、今の彼にはそれに応えるだけの余裕が無かった。絶えず、辺りに神経を張り巡らせ、何時如何なる攻撃にも備えている。但し、それはこちら側から物理的に干渉できればこそ意味あるものだった。

「にしても、雰囲気ばかりで何も起こらないな……」
 一矢の事はさて置き、劉也は物足りなさそうに辺りを見渡す。何処もかしこも荒廃が進んでおり、一部進入すらできない場所もあったりした。が、特別物音があったり、何かが見えたりしたわけではない。
「もうそろそろ屋上ね……。ここも何もなし、かぁ……」
 少し長めの階段を上りきり、正面の扉を開け放つ。と、そこは辺り一帯の景色が眺められる屋上に出た。恐らく、怪奇云々を抜いたとしても、ここの夜景を見たいが為に中に入ってくる者はいるだろう。
「幽霊とかは見れなかったが、これはこれで来た甲斐があるな」
 丸い月明かりを一身に受けた大海を眺める劉也。海に限らず、街明かりが揺らめく景色もまた乙なものだった。
「カメラ、持って来ておいてよかったね。こんな景色、滅多に見られないもんね」
 しきりにデジタルカメラのシャッターを切っていく香奈と、時折被写体になる劉也の二人。それを遠巻きで眺めながら、景色も眺める久と一矢。久がここは一応安全である旨を伝えられ、一矢はだいぶ落ち着いた様子を見せている。
「確かに日が落ちてからの往来はあれだが、ある意味元は取れるな。そう好き好んで来たく無いが」
「ハイリスクハイリターン。確かに何度も来たくねえな」
 星の瞬く空を星海と呼ぶ事があるらしい。それと同時に、地上には星空があるという。人々の生活の営みを見せる灯りは、あまりにも小さく、あまりにも多くが輝いていた。
「展望台でもありゃあ、こんな所まで来る必要な無いんだろうな」
 周辺を見渡しても、ここより高い建物すらないのだ。とは言え、決して高すぎないここだからこそ、得られる景色もあるのだ。
「写真もだいぶ撮ったし、最後に全員で撮って出ようか? いつまでもここにいたって仕方ないし」
「四人で集合写真か? まあ、悪くは無いな。海をバックにするか?」
 だな、と劉也は頷きながら、カメラをうまく配置すると、タイマーを設定して戻ってきた。
 数秒後、一つの光と共に、その瞬間を収めた画像がデジタルカメラの中に書き込まれていく。一矢は、無闇に変な物に触ろうとするのはどうかと思ってはいたものの、これはこれで良かったと、のんきに考えていた。帰りに再び気力を消耗する事を忘れたまま。

「で、今度は潰れた病院なわけだ……」
 鬱蒼とした木々の中に、寂れた病院が一軒だけポツンと建っていた。
「どー見てもヤバイです。ていうか死亡フラグじゃね?」
 久でなくとも、ここへの侵入は危険だと感じられる外観だった。今にも割れた窓の所に血まみれの誰かが立っていそうだ。
「それを見たいが為に来たのよ。さあ、夜もまだまだ長いわ。……行くわよ?」
 香奈の言葉には一矢と久に拒否権が無い事を意味しており、その微笑はどこか危うげな恐ろしいものであった。
 とは言うものの、二人が行く気である以上、こんな所に二人だけで行かすのも、二人だけでぽつんと待つのも良しとは考えていなかった一矢と久は、大人しく二人の後を付いて行った。
「なあ……ここの病院、何があったんだ?」
 いくつかの部屋を見ながら、中を歩いていくのだが、どう見ても荒れ方が尋常ではなかった。病院の閉鎖後、と言えればこれほど便利な言葉は無いだろう。だが、閉鎖後にしてはあまりにも酷すぎる傷跡などが見受けられた。最も、閉鎖前にどうできるのか解らなくもあるが。
「話だと、呪いだか何だか、色々とあれな事があって閉鎖に至ったらしい」
「……相当ヤバイんだな、ここ。あ、久、大丈夫か?」
 怪奇に対して一般人である一矢の肌でも感じ取れる禍々しい何かに、感知しやすい久の身を案じた。だが、それは少々遅かったようだ。
「ぶつぶつぶつぶつ……」
「久? ひ、久ー! おーい、戻ってこーい!!」
 鬼のような怒りの形相のようで、化け物でも見た驚愕の形相で、久は小声で何かを呟いていた。一矢は久の肩を揺すり、彼を呼びかける。
「う……ああ……一矢、か?」
「おい、大丈夫か? しっかりしろ! なあ劉也、ここは本当に洒落にならない。外に出よう」
「……流石にそうだな。一旦、外に出るか」
「いや、一旦じゃなくて……なんだ?」
 つい今し方上ってきた階段から、大きな物音がした。静かな院内では、それこそ木霊す様に響いたのだった。
「ちょっと見てくるよ」
「待て、一緒に動こう。何か、ばらばらになったら最後、本当に危険な気がする」
 一人で動こうとする劉也を、一矢は久に肩を貸しながら香奈と共に後を追う。と、階段の手前で劉也は立ち止まっていた。
「……どうした? 何があった」
 呆然と階段を見続ける劉也の様子に、一矢は首をかしげながら、同じ方へと視線を向けた。
 暗闇の底の中、劉也の持つ懐中電灯がその一部を照らすものの、そこにはコンクリートの瓦礫が積まれていたのだった。
「これは……だいぶ朽ちているっていう事か」
 頭上に懐中電灯を向けると、大きな穴が開いており、コンクリートが崩れ、中の鉄筋が露出していたのだ。階段は、上には何とか瓦礫を上れば行けそうではあるが、下へは完全に埋まっており、降りる事はできなさそうだった。
「参ったな……下に降りられればすぐにでも窓から出られたんだが……」
 近くの窓に近寄り、そこから周りの様子を覗う一矢は、苦笑をしながら溜息をついた。
「近くに木とかがないな。流石に久を背負っては無理がある」
 この病院は三箇所に階段が存在する。正面玄関の傍と中央、そして今いる一番奥である。但し、中央の階段は破損が酷く、とても上れたものではなかった。
「となると、入り口まで戻らないとか」
 劉也は、久の容態を気遣いながら、月明かりと暗闇のコントラストで飾られた廊下の先にあるであろう階段に目を向ける。
「何か……急に怖くなってきたな」
 小さな身震いをした劉也に、今頃か、とでも言いたかった一矢だが、今はとにかくここを脱出する事が優先と考え、出口に向かって歩き出した。

 階段まであと少し、というところで、再び四人は絶句する破目になった。
「戻ろう……中央の階段は上には三階には上がれた」
 眼前の廊下は大きな穴が開いていたのだ。この建物、設計ミスなのかどうかは解らないが、見た目以上に老化が進んでいるようだ。
「一矢……お前、何でマンションの時とは別人みたくなっているんだ?」
 劉也は、状況を冷静に判断し、黙々と歩き続ける一矢に目を丸くしている。一矢は首だけ振り向けるも、また前を向いてしまう。そして、しばらくすると、一矢が応える。
「よく解らないが、冷静でいられるっていうかな。とにかく、早くここを出ないとと考えると、落ち着くっていうか何ていうか……まあ、そういう事だ」
 どういう事だ。普通ならそう思うのだが、それが一矢である事と、今の一矢の雰囲気から何となしに理解できてしまうのだった。
「にしても、何かが起こるだけで、何も見えはしないな」
「頼むから、それはもう諦めろ、てか出てきたらどうにもならんぞ」
 不満そうな劉也に、表情を引きつらせながら一矢は先頭を歩き続けた。
「解っていると思うが、ここを出たら旅館に戻るんだからな」
「ん? ああ、お前らはだろ?」
「お前達もだ!!」
「別に、無理して付いて来なくたっていいんだぞ?」
「……はあ、お前らという奴は。俺らはな、お前達は心配で来てるんだよ」
「夜道が?」
「先輩は黙っててくれ。霊とかだ。何があるか解らないだろう」
 香奈の真面目な意見はボケにしか聞こえず、一矢は軽く流した。劉也はといえば、一矢の言葉を真剣に受け止めている様子ではあるが……。
「霊も斬れるのか?」
「さあな、だが久は確実な力がある。仮に剣が効かなければ盾にでもなってやる」
「心配性だなぁ一矢は。そう簡単に霊に遭えるものじゃないって」
「遭えなくても何かあるかもしれない。さっきのあれだって偶然崩れた、で済ませる気にはなれない。それに……いや、何でもない」
 口をつぐむ一矢と、同じように口をつぐんだ香奈と劉也。そして未だに何かを呟いている久。三人は既に気づいてはいたのだ。何かに見つめられている事と、何かが付いて来ている事を。だが、その姿を視認することもできず、その事を口にする者はいなかった。
 ただ黙々と歩き続け、三階のフロントの所に出る階段へと辿り着いた。
「後はここを降りるだけだな……」
「流石に、怖いね。これ」
 一段一段、しっかりと踏みしめる中、その中腹には、大人が一人余裕で収まりそうな長い箱のようなものが放置されていた。
「……これ、何?」
 興味こそあれど、不気味な箱に近寄れず板挟みとなっている香奈の為にも、一矢は仕方なしに即席の木刀で蓋を開ける。
「……何もない?」
 空の箱の覗き込みながら、一矢は自問するように呟いた。香奈と劉也は一矢の背中越しに中を除くも、やはり何もな入ってはいなかった。
「だけどこれ、どう見ても棺桶に見えるんだがなぁ」
「あまりにも汚くてそうかどうかはよく解らないが……なんだ?」
 箱の脇を歩いていく一矢は、不意に何かを踏みつける感覚に、その場を離れて、踏みつけた物と靴の裏を見る。階段にあるのは大きな黒い炭の塊、靴の裏は真っ黒に汚れているだけであった。
「炭、か……?」
「特別、火災の跡は無いみたいだが、誰かが火遊びでもしたのかな?」
 辺りを懐中電灯で照らすも、破損してこそいるが火災跡の無い建物。劉也がそうしている間に、一矢は炭を木刀で動かしたりして調べている。
「これは……とっとと行くぞ!」
 息を飲んだかと思うと、小声で怒鳴るように言いながら、一矢は足早に階段を下りていく。香奈と劉也は、一矢が何を見つけたのかと、好奇心から炭を調べたかったものの、階下から一矢が睨んでいた為、すぐに降りる他なかった。
 そこからは、特別何かは無く、無事、建物の外に出る事ができ、すぐにその場を離れていった。

「そういえば、一矢は何を見つけたの?」
 そういう由縁も曰くもないごく普通の公園にて、四人は身体を休めていた。流石に久に肩を貸したまま、旅館まで戻る気力の無い一矢は何処かで休もうと提案したのだ。
「ああ、あれか……できれば言いたくないのだが」
「えー、いいじゃん。もうあそこにはいかないから。ね? いいでしょ?」
 拝むように頼み込む香奈に、一矢は折れた事を意味する溜息を吐いた。
「あれは人の死体だ」
「え……?」
「焼死体なのか、なんなのかは知らんがな。俺はまあ、あれだから一応は平気だが、お前達じゃやばいだろうと思ってな」
「……」
 流石のこれには、香奈も劉也も絶句をする他無かった。
「さて、そろそろ帰ろうぜ。久、起きられるか?」
「……何とかな。だが、あそこは一体何があったんだ? 普通じゃなかったぜ」
「さあな。劉也達に聞いて……て、何だ。二人ともまだ固まってるのか」
「まさか……見た、とかか?」
「それは見えなかったが、人の終わった後なら見たな。ほら、劉也も先輩も、宿に帰るぞ」
 少し離れたゴミ箱に、空き缶を投げながら一矢は立ち上がる。香奈達はやっと意識が戻ったように、ゆっくりと動き出した。
「あー、うん、やっぱ洋館に行っちゃダメ、だよね?」
「まだ懲りてないのか……死体でそんなんじゃ、実際に出てきたらどうするんだ?」
「いやー、あれはちょっと違うじゃんか? なあ、せめて建物だけでも見ちゃ駄目か?」
 再び拝むように頼み込まれる一矢。久にも意見を求め、目を向けるも、久は諦めたかのように首肯するだけだった。
「解った。見るだけだぞ?」
「やった! あ、外観とか見たいから一周してもいい?」
「建物の所まで行くんだ。そのくらいはいいだろう」
 内部に入りさえしなければいいだろう、と考えた一矢だったが、久はそれにあまり賛同してはいなかったものの、野になれ山となれ。最終的には賛同したのだった。

「それで、その洋館は一体どういうところなんだ?」
 病院のように木々に囲まれた中に洋館はあると聞く。そして、今はその木々の縫うように歩いていた。
「詳しくはよく解らないが、あの病院と何か関係があるらしいんだ。確か、その洋館の娘さんが、あの病院に通院していたらしいんだと。ある日、誤って違う薬を渡されたらしくてな。丁度、両親がいない真夏の日だったらしい。運動神経関係に働く麻酔効果のある薬だったらしくて、丁度そいつを服用したって話だ。見つけた時には死後3日後。立ち上がれず、助けを呼ぶこともできず、床という床に出血しても爪で引っかき続けた跡があったらしい。その跡っていうのが、まるで呪術のような呪いの言葉とかだったって話」
 劉也の大よその話に、一矢も久も背筋を寒くした。
「酷い話ではあるが、怪談では良くある話だな」
「まあ、そうなんだが、まだ続きがある。その少女が発見された数日後、病院が潰れたって話なんだ」
「どういう事なんだ?」
「これもまた詳しくは解らない。大量の医療ミス、火災、集団食中毒、感染性ウィルスの発症、狂人による殺戮。原因が記載された記事が残っていない所為で、確かな理由は解らないが、少女の呪いが引きこした、だそうだ」
「へえ……」
「半信半疑だな」
「そらなあ、あの病院が云十年前に、て言うんならまだしも、国立図書館にでも行けば記事の一つや二つ見つかると思うんだがな」
「そんなん俺が聞きたいさ。まあ、何処までが本当なのかも解んないが、出るって話は真実らしい」
 木々の隙間から洋館は少しずつ、その容姿を見せ始めた。町の風景からすれば、だいぶ浮いている建物だが、周りの木々がそれを隠している。その場違いな洋館は大きく立派で、そうそうあるようなものではなった。
「随分と立派だな。昼間見たらさぞや豪華に見えるんだろうが、こう暗くては恐怖しかでないな……そういえば、その女の子の両親は? 敷地に入ったらまずくないか?」
「ご両親共々、娘の死に発狂し自殺したらしい」
 なるほど、と一矢は呟いた。木々から抜け、洋館の全体像を視認できるようになると、その不気味さはより一層深まるものだった。
「にしても、これだけでかいと一周するだけで、結構時間がかかりそうだな」
「まあ、そりゃあね。まあ、ゆっくり見物をしてくるよ」
「お前達を野放しにできるか。俺らも付いて行くぞ。あ、久は……」
「いや、俺も行けるぞ。いるにはいるっぽいが、どうもそういう影響の無いっていうか、まあ別に問題はないぞ」
「そうか、んじゃ決まりだな」
「何だかなぁ、信頼が無いっていうのは」
「心配も混じっているんだ。そう邪険にしてくれるな」
 一矢の本心には、建造物に対する興味も加担していたが、あえて口にはしなかった。

「にしても……まだまだ住めそうな所だよな」
「曰くがなければ、ね。凄い安値らしいけど買い手がつかないんだって」
「そういう曰くは、新しい入居者に何かあってから、話になると思うんだけどな」
 建物の周辺は倉庫などがあり、どれもが立派に作られており、その価値は普通の家庭ではそうそうに買えない額にもなろう。
「ん? 何でここの地面はレンガが?」
 足元の感触が変わった事に、一矢は草地からレンガで作られた地面に移ったことに気づいた。
「何だろう? ここで何かをしてたのかな」
「煤か……?」
 そのうちの一部の地面が黒ずんでいる事に気づいた一矢は、そこへ近寄って行った。
「ただの汚れか……? ん?」
 しゃがんでその場を調べる一矢は、僅かに自分の身体が沈むような感覚に襲われた。
「……どうしたー、一矢?」
「……かなり、やばいか、うわあ!」
 一矢の足元のレンガはばらばらと崩れ、口を開けて一矢の身体を呑み込んでいった。
「くぅ……」
 レンガの下は大きな部屋が造られていた。天井が高く作られていた所為で、落下距離は大きくなる。一矢は手足を使って、落下の軌道上にある障害物を弾きながら落ちていった。
「おーい! 一矢! 大丈夫かー!」
 着地した反動で足を痺れさせている所を、劉也達が穴から覗いていた。
「ああ、何とかな! ……くそ、懐中電灯が逝ってる。すまん、懐中電灯を一つ寄越してくれ!」
「中を探索する気か?」
「どの道、この高さでは上るのは無理だ。こっちは出口を探すから、お前達は一周したら入り口の方で待っててくれ」
「りょーかい。懐中電灯落とすなよ?」
「子供か、俺は」
 劉也が放った一矢を照らしていた懐中電灯を受け取りながら、一矢は悪態をつく様に吐き捨てると、出口を求めて歩き出した。
「だそうだ。気長に待たせてもらおうぜ」
「だね」
 三人は穴から離れると、館の正面へと歩き始めたのだった。

「にしても、こんな地下室があるとはな」
 一般の家にはそうそうにない。そもそも、こんな洋館自体、一般の家庭では持たないだろうが。
「こう物があっちゃ歩きづらいなぁ。倉庫か何かに使われてたのか? 整理くらいしておけよな……」
 なるべく踏まないよう、一矢は散乱する道具を退かしながら歩いていく。そこは骨董品から、とても古く見た事もない物まで散らばっていた。
「ここを発掘したら、何かお宝でも見つかりそうなものだな」
 元々はしっかりと仕舞ってあったかどうかは解らないが、見るからに繊細な装飾が施された食器具を手に取る一矢。こういう物品を鑑定してくれるテレビ番組に持ってけば、一体どのくらいの値になるだろうか、と一矢は一人ほくそ笑むも、盗む気などさらさらなく、食器具をゆっくりと近くの棚に置くと、再び歩き出した。
「本当に勿体ないよなぁ。よくもまあ、今まで盗人にでも入られなかったものだ」
 今度は金色のグラスを見つけては手にとって見る。将来、こんなものでワインを一杯飲んでみたいものだ、としょうもない事を考える。自分が、酒の類を呑めるかどうかも、まだ解っていないというのにだ。そんな事をしつつ、微かな目の保養をしつつも、出口らしきもの近づいていく一矢は、不意に懐中電灯の明かりを消して、棚と散乱する道具の間に身を潜めた。
「……何だ? あいつら、まさか中に入って俺を探しているのか?」
 微かな物音がゆっくりと近づいてくる。劉也の話を信じるならば、この館には人はいないはず。いや、これだけ人気のない館なら、浮浪者の一人が住んでいてもおかしくはないだろう。一矢は、多大な状況を想定しつつ、それに対処できるよう動きながら、物音の方向、扉の方を注意深く窺う。
 そして、ついにその扉が開かれ、その先からは燦々と光が放たれる。
「誰? 誰かいるの?!」

「もー、凄い怖かったんですからね」
「すまん。いや、ごめんなさい」
 倉庫のような地下室には一矢ともう一人、少女が一人立っていた。
 何でも、両親との三人で暮らしており、両親は共働きで今夜は帰ってこないという。それ自体はよくある事だが、この倉庫で大きな物音がしたのは、初めてだという事だった。
「まさか、地面が抜けるとは思わなかったし、地下室があるとも思わなかったしな」
「あ、初めてここに住んだ時、それはあたしも思いました。ただ、まあ、色々と話のある館だから、残っている物には無闇に触れるなって、お父さんが言っていたんで、整理もしていないんですよね」
「なるほどなぁ。だが、そのうち使うなり何なりしてあげような? それこそ百鬼夜行だ」
「そうなる前に、建物の耐久年数が来ると思いますけどね」
 可笑しそうに笑う少女に、一矢は少なからず驚きを感じずにはいられなかった。
「通じないと思って言ったつもりだが、百鬼夜行も解れば耐久年数なんて言葉も解っているのか。最近の小学生は博識だなあ」
 その少女は十一歳らしいが、その頃の自分と照らし合わせると、その知識の量はそうとうな差であろう事がよーく理解できるのであった。
「お父さんは本が大好きで、変な本とか読まされたりしているんですよ」
「本ねぇ……ここを直せば立派な書庫になるな。あ……本当に穴の事はすまない」
 自分の犯した罪を思い出すと、一矢は申し訳なさそうに再び頭を下げた。少女は苦笑をしつつも、笑いながらその頭を撫でる。
「ですから、もういいですって言ったじゃないですか。それに、本当の事言うと、少し寂しかったぐらいですから、嬉しいぐらいなんですよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「それにしても、よくあの高さから落ちて怪我しかなってですよね」
「そういう事には慣れているからな。地面が少し沈んだ時点で、落ちる覚悟も決めといたし」
「すぐ離れれば、落ちずに済んだんじゃないでしょうか?」
「どうだろうなー。飛びのこうと足に力を入れただけで崩れたかもしれない。知り合いの手を借りるつもりだったが、間に合わずって所だ」
 少女はふーん、と相槌を打ちながら後方の天井の穴を見る。月明かりが漏れ出すそこは、何処か神秘的ではあるものの、立派な道具からガラクタまでを照らしている為、台無しになっていた。
「とりあえず、ここを出ましょう。正面玄関まで案内しますよ」
「助かるよ。俺一人では、かなり迷うだろうと思ってたからさ」
 少女はその言葉に、自分もそうだった事を言いながら、地下室の扉へと歩いていった。一矢も、その後を付いて行きながら、やはり物品を漁ったりしている。
「そういえば、結局の所怪奇現象とか起こったりしないのか?」
「え? ああ、この家の事ですか。あたしの知る限り、曰くを聞く以外、普通の豪華な洋館って所ですかねぇ」
「何もなし、か。どおりであいつが平気な訳だ」
「何の話です?」
「今日一緒に来ている奴の中で、寺の奴がいてな。そいつが言うには、ここは大丈夫、だそうだ」
「へ〜。あれ……お寺? ……? ……お寺って、そういうものでしたっけ?」
「素手で虎を仕留めそうな住職さんだからなぁ。きっと色々あるんだろう」
 何度か会っている久の祖父である住職。どっかの外人のような筋肉隆々、というわけではないが、見た目とは裏腹の筋力の持ち主である。恐らく、素手で薪を割ってくれ、と言えば普通に見せてくれそうな人なのだ。
「その人、ボクシングとか、そっちの方に行っていたほうがよかったんじゃないでしょうか?」
「はは、俺もそう思うよ」
 今からでも遅くはないだろうと一矢は思うが、わざわざ山で静かに暮らす野獣をリングに出す必要も無いだろう、とも思いながら苦笑をした。
「そういえば、高丘さんって中学三年生なんですよね? こんな所にいて、大丈夫ですか?」
「あー……まあ、なんとかなれ、だ」
「なんとかしなければなりませんよ」
「なあに、一応は職にはありつけるからな。……知り合いから殴打されるというデメリットを無視すれば」
 クスクス笑っていた少女は、一矢の言葉にきょとんとした。それもそのはず、今時、中卒を雇う所なんて、それこそ力仕事を主とする場所くらいだろう。
「ちょっとした伝手があるのさ。あまり、胸を張って言える仕事内容でもないけどな」
 今の一矢の言葉で、理解できる者は一矢の事情を知る者だけだろう。当然、それを知らない少女は、きょとんとした顔のまま、首を傾げるだけだった。
「もと具体的に教えてくれないでしょうか?」
「内容が内容だからね……そうだな、イレイザーって呼ばれている奴の事、知っているか?」
 少し返事を困った一矢は、つい気まぐれから、その話をしてもいいだろうと考えたのだ。
「イレイザー……イレイザー……大戦時の暗殺者?」
「は……?」
 全くもって、予想外の答えに一矢は間抜けた声を上げ、しばらく考え込んだ。確かにいた。普通の授業では教わらないが、確かにそんな人物がいたはずだ。そして、自分が影で言われている名前の由来となっている事を悟るのだった。
「そうか……元ネタはそこか」
「えーと、そのイレイザーとは違うんでしょうか?」
「ああ、それとは少し違うんだが、何でそんな授業でも習わない事を知っているんだ?」
「読んでいる本が教科書じゃないから、だと思うけども」
 それにしても、この少女の知識の量には脱帽である。少なからず、一矢はそう思わずにはいられなかった。多分、お受験どうの、というお子様に比べれば、よっぽど博識であろう。
「あ、着きましたよ」
 気づけば、既に正面玄関まで来ていたのだ。談笑に夢中になっていたのか、少女に言われるまで、一矢はそれに気づく事が無かった。
「はい、じゃあ鍵開けましたから」
「ああ、ありがとう。今日は本当に助かったよ」
「どういたしまして。まあ、あたしも楽しかったですし」
 本当に、それを満喫した様子の少女は、くすくすと笑っている。すると、すぐに笑うのをやめて、少し真面目な表情になる。
「あの……もしよろしければ、明日の昼間も来てもらえないでしょうか?」
「明日も……?」
 少女の考えに気づかない一矢は、怪訝そうに首を傾げて見せた。
「あ、いえ、その……もっと話ができたらいいな、って思ったので」
「ああ、そういう事か。どうなるかは解らんが、期待せずに待っていてくれ。もしかしたら夜とかになるかもしれんが……まずいよな」
「それは流石に……」
「まあ、何とかして日中に寄れるよう頑張るよ」
 一矢は少女に手を振りながら表へ向かっていく。少女は少女で、一矢が扉の向こうに消えるまで、手を振りながら見送り続けた。

「待たせたな」
 館から出てきた一矢は、劉也達に手を振りながら駆け寄ってきた。
「大丈夫だったのか?」
 心配そうにする劉也に、一矢は呆れながらも笑って答える。
「大丈夫では無かったよ。それと、人がいないっていうのはまったくのガセだ。今はちゃんと住んでいる人がいる。ったく、不法侵入で訴えられなくてよかったよ」
 一矢の言葉に、劉也達は一度顔を見合し、眉を顰めて一矢に尋ねた。
「なあ、お前さ……どうやって館から出てきたんだ?」
「どうって……普通にこの館に住んでいる女の子が、そこの正面玄関の鍵を開けてくれたんだが?」
「……なあ、あの扉さ、外からも鍵かかってるんだぜ?」
「何だと?」
 振り返り、扉の方に駆け寄る一矢は、鎖で巻きつけてあり、南京錠でしっかりと鍵がされているのだ。自分が今し方出てきた扉は、完全に開かない状態だったのだ。
「な……それじゃあ……」
 一矢はようやく理解に至った。屋敷の中のただ一人の少女の事を。何故、ただの会話をあそこまで吟味するように楽しんでいたのかを。何故、寝ていたはずの彼女が、あんな、黒いドレスを着ていたのかを。
「……」
 語るべき言葉も見つからず、一矢はただ、口を開けたまま、聳え立つような風貌の洋館を見上げるばかりだった。
「一矢……大丈夫か?」
「……ああ」
 一矢はただ、静かにその場を後にした。生い茂る木々に足を踏み入れる前に、一矢は一度、洋館の方を見ると、二階の窓に何かが動くのが見えた。そんな気がしたのだった……。

 翌日、一矢は三人とは別に、一人で町を歩いていた。
 頭の中が煮え立ちそうなほどに、強い光が降り注ぐ午後の日だった。
 何処か白昼夢で、ふらふらと頼りなさげな足取りだが、目的地ははっきりしているし目的もはっきりしていた。一矢は、途中の店で、茶などを買うとその目的地へと向かって行った。そこは昨晩の洋館である。
「約束は……守るよ」
 開かない玄関を後にすると、昨晩、作ってしまった穴へと向かっていった。
 一矢はそこから飛び降りて中へ進入した。着地する時大きな物音がするも、誰かが来る様子は無かった。
 そのまま館内を散策していると、一箇所だけ頑丈に鍵を取り付けられた部屋を見つけた。
「ここか……」
 一矢は金属製の小道具を取り出したかと思うと、鍵穴に差し込んで作業を始めた。程なくして鍵は開けられると、一矢は一度返事があるわけの無いノックをして中に入っていった。
「すまないが君の部屋に来させてもらったよ」
 床一面引っかき傷と血の跡で満たされた部屋。適当に近くの椅子に腰を下ろした一矢には、恐怖やその類の感情は湧き上がらなかった。
「昨晩は君の事を色々と聞いたからな……今日は俺の事を話そうと思うよ」
 誰もいないその空間で、一矢はただ一人自分の事を放し始めた。自分がイレイザーと呼ばれる存在、警察との裏での繋がり、自分の生活、そして仲間達の話。一矢はたった一人で、誰かに語りかけるように呟き続けた。
 そして、日は真上から大きく傾き、そろそろ暮れようとする頃になって一矢は立ち上がった。
「俺ばっか話し続けちまったな……まあ、そんな感じだ。驚いた?」
 当然誰かが答える事も、誰かが現れる事も無かった。一矢はしばらくその場にいると、買ってきた飲み物を置くと、ゆっくりと扉の方に歩いていった。
「俺はそろそろ戻るよ……多分、二度とここへ来ないと思う。ごめんな……」
 部屋を出て、再び小道具を使って鍵を閉めると、一矢は表の玄関の方に向かった。
「……開いている?」
 外からの光を受ける玄関は、外界の景色を見る事ができた。一矢はその玄関から外に出ると、後方で扉が閉まる音を聞こえた気がした。
 振り返る先には、鎖が巻きつき南京錠で外せなくなっている扉が悠然と閉まっているだけだった……。

 それから先は何事も無く、帰路へとついた。三人にはあの日の事を聞かれるが、一矢はそれについて一切答えない事にした。
 夏の日の物語。夢のような世界。一矢は自分だけが知る、陽炎の夢物語として一生心に残しておこう。そう考えたのだった