| あれは、春霞みの夕暮れ時であった。 そして全ての苦悩はここから始まっていた。 一年前の出来事である。襲い来る不安定のあまり私は泣き崩れていた。 今年も、哀しみの象徴である、花が散っている。 ――― さくら ――― やわらかな風は、身体を通り抜けてゆく。 空の色彩が、抜けるような澄んだ青から、温かな橙色へと変わってゆく。 そしてその空を背景にし、櫻の花弁が優雅に宙に舞い咲き乱れていた中で ただただ立ちつくすばかりであった。 草原の、緑のかほりが心地好く感じられる。 私は今、教会の裏にある小高い丘で既に満開の櫻を眺めていたのだった。 最愛のあの人が逝ってから一年。 しかし、あの人に会う度に感じた悲哀や温もりは、 こんなに歳月が経てども忘れることなど出来なかった。 病に倒れたあの人を、救うことが出来なかったというのに、だ。 己の無力な腕は、飾りのように只垂れ下がっている。 この腕で守りたくとも、それが出来ないこともある。 哀しさ切なさやりきれなさで、胸の奥がギリっと痛んだ。 思わず唇を咬むことで、脳内に溢れ狂う感情を圧し止(とど)めた。 一年前のあの日、そう、薄紅の花弁が舞う中で、 出棺の鐘の音は響いていた。 私は最期の別離に、何一つ言葉が出なかった。 螺旋を描く魚を見つめて 水面(みなも)に映る素顔を呪って 壊れた蝶に心を奪われ 迎え入れた不安定 愛され慣れていないから、どう愛してよいのかが解らず、 とても怖かった。 けれど彼女は、それでいいの、と言い、微笑を浮かべたのであった。 他人の優しさが、虚構であったとしても、例え生きる気力を失ったとしても、 回り道をして生きることは出来るのだから、蹴躓いても今なら平気であろう。 まだ、立ち上がれる。 自分の両肩を抱きしめ、歩みは遅くとも続いてゆく、歩いてゆく。 終わりなどない。 劇的な結末がある訳でもない、そして物語と違い、 めでたしめでたし、なんて何処にも無いのだ。 ずっと続いてゆく。それがヒトの物語である。 だからせめて、自分を嫌いになりたくはないのだ。 現実はシビアであり、時に大切な人をも奪われてしまう。 愛したあの人はヘヴンへと旅立っていった。 非道く胸が苦しいが、事実である。 それを受け止める事が出来るようになれば、ヒトとしてまともになっている証拠だ。 しかし、私は未だその地点には程遠い所にいる。 唯、遠くを見つめるばかりだった。 苦痛。 それは今、五体満足でいて、二本の足で立っているということなのか。 絶望。 それはあの人が、自らの罪に苦しみながら絶えたということなのか。 分からない。 解らない。 私の心は、深い深い闇。 底の見えない暗闇であり、立ち入ることは赦されない。 それは、無意識に心を閉ざしてしまったからである。 それが哀しくもあり、鬱でもあった。 心の闇は鬱である。 矛盾ばかりのこの世 その中で生けるわたし 心までがどす黒い雨雲で覆われて歩くことさえ困難でした 今でもわたしが進もうとしている道は 後悔の念や そして絶望 悲哀や 自ら咲くのをやめた華や 心タチ そんな枯葉がずっとずっと先まで 埋め尽くされています それらを踏み潰し歩いてゆくのは あまりに困難かしら さびしい? 大丈夫 わたしも ひとり そう ひとりだから 私は太宰治が好きだ。 「眠るやうなよいロマンスを書きたい」という文章が「葉」という小説に出てくるのである。 眠るようなよいロマンスを。 私の頭では理解が出来ない。 死に物狂いで追いかけて 死に物狂いでつかまえて 悲しい玩具のわたしは蝶々 貴方の掌わたしは蝶々 春になったらまたおいで 千切れた羽根は綺麗でしょう 私は鮮やかな花吹雪の中で、首にかけてあったロザリオを捨てた。 神も仏もいないのだ、もう信仰などしたくもない。 何故神は私ではなく、敬虔なキリスト教徒である彼女を死に追いやった。 信じられなくなるのも当然だ。私をどうにかしておくれ。 この欠落人間の私を。 生きる価値など無いに等しいのだから。 私は、毎年この場所に来るのであろうか。 そして、死ぬまで彼女の幻影を追い、力尽きるのだろうか。 痛みとは 生きているということ 苦しみとは 生きているということ 歓喜とは 生きているということ 幸せとは 生きているということ 相殺される感情 それは生きているということ もう私は、神を崇拝しない。 この世には、神も仏もいないのだ。 そう、信じるべきものなどないのだ。 夕陽に包まれた街を、ひとりとぼとぼと歩いている。 君がいないこの先の人生を、どのようにして生きれば、良いのだろう。 <未完> |